第八話 罪人、初めてのウサギ「密猟」
森を抜けると、急に視界が開けた。
僕は思わず足を止める。
「……すご」
緩やかな草原の向こうまで、ずっと景色が続いている。遠くには山があり、その上には青い空。王都の城壁も、もうかなり後ろに小さく見えていた。
「ユウ?」
隣を歩いていたユラが振り返る。
「空、高くない?」
「たかい?」
「うん。なんか、すごく遠い」
ユラも空を見上げた。しばらく眺めてから、不思議そうに首を傾げる。
「いつもだよ?」
「……そっか」
ユラにとっては、これが普通らしい。
僕のいた世界でも、もちろん空は青かった。学校の窓からだって毎日見えていた。
でも、こんなふうに遠くまで何も遮るものがなくて、山の輪郭まではっきり見える空は、ほとんど見たことがない。
空気が澄んでいるせいなのか。
空そのものが、少し高くなったみたいに感じる。
深く息を吸うと、草と土の匂いがした。車の排気ガスもない。夏の道路から立ち上る、あの熱っぽい匂いもしない。
「……異世界なんだな」
今さらだった。
城に、地下牢。ドライアドに、ゴブリン。
あれだけ見ておいて、今さら空を見て実感するのも変な話だけど。
ユラが僕の隣でもう一度空を見上げる。
「ユラは、何とも思わない?」
「なにが?」
「空」
「空は空だよ」
ですよね。
少し笑うと、ユラも笑った。
「でも」
「ん?」
「外、うれしい」
風が吹いた。
陽の光を受けたユラの髪が、若葉みたいな緑色に揺れる。地下牢にいた時には想像できなかったくらい、今のユラはよく笑う。
「僕も」
「ユウも?」
「うん。牢屋よりは、こっちの方がいい」
「うん」
そこは意見が一致した。
ただ、いつまでも空を眺めているわけにもいかない。
僕たちは今、王都から逃げている途中だ。
目的地は南の町、マルグ。そこまでどれくらいかかるのかは、結局よくわかっていない。
そして何より。
「……お金、ないんだよな」
ポケットから財布を出した。
日本円なら多少入っている。でも、この世界ではたぶん何の役にも立たない。
あるのは、さっきもらった極小魔石が一つだけ。
「これ、どれくらいになるんだろ」
指先で小さな魔石をつまむ。
あの男は売れると言っていた。でも、何匹か狩れば飯になる、という話だった。一個だけで宿に泊まれるとは思えない。
ユラが僕の手元を見る。
「おなかすいた?」
「ちょっと」
「パンあるよ」
「あるけど、いつまでもパン二個で生きられないからね」
「はちみつ買う?」
「その前に宿とご飯」
「はちみつもご飯」
まだ言ってる。
「とにかく、お金を作らないと」
口にしてから、嫌なことを思い出した。
魔物を倒せば、素材や魔石を売れる。
でも僕には狩猟の許可がない。
倒すだけならともかく、そこから素材を取って売ろうとすれば、たぶんまた【密猟】になる。
すでに技能まで取得している。
「……犯罪しないと、お金稼げないのかな」
異世界に来てまだ一日も経っていないのに、ずいぶんな人生になった。
しばらく草原の端を歩いた。
街道は少し離れたところに見えている。王都から追手が来るかもしれないので、道そのものには近づきすぎないようにして、森と草原の境目を進む。
その途中で、ユラが突然立ち止まった。
「ユウ」
「なに?」
「あそこ」
草むらを指差す。
何かが動いた。
白っぽい毛に、丸い身体。見た目はかなりウサギに近い。
ただし。
「……角、生えてる」
額から、小さな角が一本伸びていた。
「角兎」
ユラが言った。
「知ってるの?」
「うん」
「危ない?」
「そんなに」
そんなに。
その言い方が少し怖い。
角兎は僕たちにはまだ気づいていないらしく、のんびり草を食べている。
僕は腰の短剣を見る。
ゴブリンから奪ったものだ。
魔物。
売れる素材。
お金。
さっきの男の話が頭に浮かぶ。
「……あれも、売れるかな」
「つの?」
「たぶん」
角なんて、いかにも素材っぽい。
試しに角へ意識を向けてみた。
ゴブリンの刃物やパンには【窃盗可能】が出た。
もしかしたら。
「…………」
何も出ない。
「生えてるものは駄目なのかな」
生きている身体の一部までは盗めないらしい。
ということは、角が欲しいなら倒す必要がある。
僕は短剣を握った。
そこで、手が止まる。
ゴブリンは襲ってきた。
しかも、ユラを狙った。
だから、あれは仕方なかったと思える。
じゃあ、これは?
角兎は何もしていない。
ただ草を食べているだけだ。
「ユウ?」
「……なんでもない」
腹は減る。
宿にも泊まりたい。
この世界で生きていくなら、お金もいる。そのために動物や魔物を狩る。
僕のいた世界だって、誰かがやっていたことだ。
ただ、自分でやったことがなかっただけ。
「……やってみる」
小声で言って、角兎へ近づいた。
一歩。
二歩。
角兎の耳がぴくりと動く。
顔がこちらを向いた。
次の瞬間。
逃げた。
「速っ!」
草むらの中を一気に駆ける。
慌てて追いかけるけど、とても追いつけない。
角兎が森へ飛び込もうとした、その時だった。
足元の草が伸びた。
「え?」
草が角兎の脚に絡みつき、ほんの一瞬だけ動きを止める。
「ユウ!」
ユラの声。
考える暇はなかった。
走る。
短剣を握る。
角兎が草を振りほどく。
その直前。
僕は刃を突き出した。
手に感触が伝わった。
身体が跳ねる。
それでも、今度は目を逸らさなかった。
やがて。
角兎は動かなくなった。
【経験値を獲得しました】
文字が浮かぶ。
レベルは上がらない。
「…………」
ゴブリンの時とは違う。
襲われたからじゃない。
僕が、自分から殺した。
少し胸が重くなった。
でも、昨日みたいに何もできなくなるほどではない。
それが少し嫌だった。
「ユウ」
ユラがそばへ来た。
「今の草、ユラがやったの?」
「うん」
「伸ばした?」
「うん。ちょっとだけ」
足元を見ると、角兎を捕まえていた草はもう元に戻り始めている。
「そんなことできるんだ」
「できるよ」
ユラにとっては普通らしい。
「疲れない?」
「ちょっと」
「じゃあ、無理しないでね」
「うん」
そこでユラが、何かに気づいたように瞬きをした。
「けいけんち、はいった」
「え?」
「わたしも」
「ユラにも?」
「うん」
「さっき手伝ったから?」
「たたかったから」
どうやら経験値というものは、僕たち召喚された人間だけの話じゃないらしい。
「レベル上がった?」
「上がってないよ」
「そっか」
ユラは特に気にしていなかった。
レベルがあること自体、この世界では普通なのかもしれない。
僕はもう一度、倒れた角兎を見る。
問題はここからだ。
「……どうしよう、これ」
「?」
あの男は、倒したゴブリンから耳や魔石を取っていた。
見てはいた。
でも、見たからといって僕にも同じことができるわけじゃない。
角兎をひっくり返す。
どこに刃を入れればいい?
そもそも魔石はどこにある?
「…………」
とりあえず角を掴んでみる。
引っ張る。
当然、取れない。
「そりゃそうだよね」
ユラが見ている。
ちょっと恥ずかしい。
短剣を角の根元へ当てようとして、止まった。
下手に切って角を傷つけたら、売れなくなるかもしれない。
その時。
【密猟 Lv1】
覚えたばかりの技能を思い出した。
狩った獲物から素材を取るための技能なら。
使えるかもしれない。
そう意識した瞬間。
「……あれ?」
角兎の身体に、薄い線が浮かんだ。
一本じゃない。
角の付け根。
腹。
身体の何か所か。
刃を入れる場所を示すように、淡い線が走っている。
「何これ……」
ユラが覗き込む。
「なに?」
「ユラには見えない?」
「なにもないよ?」
僕にしか見えていないらしい。
試しに角の根元へ短剣を当てる。
ちょうど線がある。
「ここを切れってことかな」
恐る恐る刃を動かした。
硬い。
思っていたより、ずっと切れない。
「うっ……」
角度を変える。
線からずれる。
慌てて戻す。
何度か刃を動かして、ようやく角が外れた。
「取れた……」
綺麗に取れたのかはわからない。
少なくとも、途中から折ったりはしていない。
続いて身体を見る。
あの男がゴブリンから魔石を取り出していたのを思い出し、薄い線の一つに沿って腹側へ刃を入れた。
「…………」
気持ちのいい作業ではない。
何度か手を止めながら、少しずつ進める。
線は見える。
でも、僕の手まで勝手に上手く動いてくれるわけじゃない。
ようやく、小さな硬いものに刃先が触れた。
「これかな」
取り出す。
小さな魔石だった。
【密猟の熟練度が上昇しました】
「……なるほど」
線があるから、なんとかできた。
なかったら、たぶん途中で諦めていたと思う。
手には血がついていた。
初めての解体。
全然上手くできた気はしない。
それでも、手元には角と魔石が残った。
売れるものになっていればいいけど。
「これ、毎回やるのか……」
少し気が重い。
でも、狩るなら倒して終わりじゃない。
あの男が何も迷わずゴブリンを解体していた理由が、少しだけわかった気がした。
しばらく歩くと、また草むらが動いた。
もう一匹。
角兎だった。
こちらを警戒している。
僕は短剣を握る。
一匹目より、迷う時間は短かった。
「ユラ。さっきの、もう一回できる?」
「できる」
「お願い」
「うん」
角兎が逃げる。
ユラの足元から草が伸び、その脚へ絡みついた。
今度は止まる場所がわかっている。
追いつく。
短剣を振る。
一度では決まらなかった。
それでも逃がさなかった。
やがて、二匹目の角兎も動かなくなる。
【経験値を獲得しました】
ユラも小さく頷いた。
「わたしも、はいった」
「うん」
今度は驚かなかった。
僕は角兎の前にしゃがみ、【密猟】を意識する。
薄い線が浮かんだ。
二度目だからといって、急に上手くなるわけじゃない。
それでも、さっきよりは迷わず刃を入れられた。
角。
魔石。
一匹目より少し早く取り出す。
【密猟の熟練度が上昇しました】
「……少しは慣れたかな」
自分の手を見る。
それがいいことなのかは、まだわからない。
手元には二本の角と、二つの小さな魔石。それに、ゴブリン狩りの男からもらった極小魔石が一つある。
マルグへ着けば、売れるかもしれない。
食事にできるかもしれない。
宿代になるかもしれない。
僕は素材を包み、外套の内側へしまった。
「行こうか」
「マルグ?」
「うん」
「はちみつ?」
「まずお金にしてからね」
「うん」
ユラが嬉しそうに頷く。
僕も歩き出した。
頭上には、相変わらず高い空が広がっている。
つい昨日まで僕が知っていた世界より、ずっと広く見えた。
その広い世界で。
僕はとりあえず、今日のご飯代を稼ぐところから始めることにした。
榊 優 Lv.2
天職:【罪人】
【解錠 Lv.2】
【窃盗 Lv.1】
【密猟 Lv.1】
ユラ Lv.1
【芽吹き Lv.1】
今回の変化
優:【密猟】熟練度上昇
優・ユラ:戦闘経験値獲得




