第五話 罪人、逃げるために「窃盗」する
「止まれ!」
後ろから声が飛んだ。
「止まらない!」
「うん!」
ユラの手を握ったまま、地下の通路を走る。
どこへ行けば外なのかなんて知らない。とにかく、足音がする方とは反対へ逃げるしかなかった。
「いたぞ!」
全然撒けてない。
曲がり角を曲がると、その先に扉があった。
「こっち!」
取っ手を掴む。
開かない。
鍵がかかっている。
「うそでしょ」
後ろから足音が近づいてくる。
慌てて鍵穴に触れた。
【解錠可能】
開いて。
そう念じる。
カチリ。
【解錠の熟練度が上昇しました】
「開いた!」
ユラと一緒に中へ飛び込み、急いで扉を閉める。
そこで気づいた。
閉めただけだ。
このままじゃ追ってきた兵士に普通に開けられる。
「鍵……」
扉の内側から、もう一度鍵の辺りへ手を触れた。
今度は、
【施錠可能】
と表示された。
「閉める方もできるんだ」
試している暇はない。
閉まれ、と意識する。
カチリ。
鍵がかかった。
【解錠の熟練度が上昇しました】
「静かに」
「うん」
二人で扉から離れ、息を殺した。
足音が近づいてくる。
「どこへ行った!」
「この辺りのはずだ!」
足音が扉の前で止まった。
心臓の音まで聞かれそうだった。
ガチャ。
取っ手が動く。
「ここは?」
「閉まってる」
「なら先だ。急げ!」
足音が再び走り出した。
少しずつ遠ざかっていく。
それでも、すぐには動けなかった。
「…………」
「…………」
しばらくしてから、ようやく息を吐く。
「逃げるって、こんなに大変なんだね」
「逃げたことある?」
「ない」
「僕も」
ユラと顔を見合わせた。
当たり前か。
ようやく周りを見る余裕ができた。
狭い部屋だった。
棚がいくつも並び、布や袋、木箱なんかが置かれている。
どうやら物置らしい。
「……いい匂い」
ユラが呟いた。
僕も気づいていた。
棚の上に、丸くて硬そうなパンがいくつか置いてある。
いつから何も口にしていないんだろう。
学校にいたのが、ずいぶん前のことみたいに感じる。
緊張が少し切れたせいか、急にお腹が空いてきた。
ユラはパンをじっと見ている。
「お腹空いた?」
「うん」
僕も空いた。
でも。
「……これ、勝手に取ったら駄目だよね」
「だめ?」
「人のだから」
そう言いながらパンへ手を伸ばした。
その瞬間、見慣れない文字が浮かんだ。
【窃盗可能】
「…………」
窃盗。
意味はそのままだ。
手を引こうかと思った。
でも、ユラを見る。
ここで買い物なんてできないし、この先いつ食べ物が手に入るのかもわからない。
僕はもう一度パンへ手を伸ばした。
取る。
そう意識した瞬間。
棚にあったパンが消えた。
「え?」
気づけば、僕の手の中にある。
続けて文字が浮かんだ。
【条件を満たしました】
【技能【窃盗 Lv1】を取得しました】
「…………窃盗」
解錠の次は、窃盗。
【罪人】という天職が、少しずつ嫌な形で具体的になってきた。
「ユウ、すごい」
「これは、あんまり褒めない方がいいと思う」
もう一つパンを取る。
今度はどうなるのかわかっていた。
【窃盗の熟練度が上昇しました】
ユラへ渡す。
「はい」
「いいの?」
「食べよう」
「うん」
とはいえ、何もせず持っていくのは気になる。
ポケットを探ると、財布はそのまま残っていた。
千円札と小銭。
当然、全部日本のお金だ。
百円玉を一枚取り出して、パンが置かれていた場所へ置く。
「……よし。これで買ったことに」
ならない。
わかってる。
そもそも、この世界で百円玉に価値なんてない。
ユラが、百円玉と僕の顔を交互に見た。
「なに、それ?」
「僕の良心」
「?」
「気にしないで」
パンを外套の中へしまった。
部屋の奥には、大きな水入れもあった。
近くにあった小さな革袋へ水を入れる。
少し迷って、その横にも百円玉を置いた。
ユラがまた首を傾げた。
今度は何も言わなかった。
棚には、地味な色の外套も何枚か置かれている。
僕は制服姿。
ユラは薄い服しか着ていない。
兵士が探しているなら、この格好のまま歩くのはまずい。
「これも使おう」
外套へ触れる。
【窃盗可能】
一枚取る。
続けてもう一枚。
【窃盗の熟練度が上昇しました】
百円玉を取り出しかけて、やめた。
「どうしたの?」
「……いや。何でもない」
置いたところでお金として使えないのは、自分でもわかっている。
僕は外套を羽織り、ユラにも一枚渡した。
ユラにはかなり大きい。
裾が床につきそうだ。
「歩ける?」
「うん」
「じゃあ、行こう」
扉へ戻る。
鍵に触れると、
【解錠可能】
と表示された。
カチリ。
少しだけ扉を開ける。
誰もいない。
二人で廊下へ出た。
また走る。
地下の通路を曲がり、階段を上がる。
知らない廊下へ出たら、人の声を避ける。
兵士が見えれば引き返す。
進んでいるのか、同じところを回っているのかさえわからない。
ただ走っているだけなのに、息がどんどん苦しくなる。
「ユウ」
「なに?」
「こっち」
ユラが別の通路を指した。
「何かあるの?」
「風」
「風?」
「外の匂いする」
僕にはわからなかった。
でも、僕には行き先がわからない。
「じゃあ、そっち行こう」
ユラの言う方へ走った。
突き当たりに、また扉がある。
鍵付きだった。
触れる。
【解錠可能】
カチリ。
【解錠の熟練度が上昇しました】
扉を開けた途端、眩しさに目を細めた。
外だ。
そう思ったけれど、すぐに違うとわかった。
広い庭だった。
石畳の向こうに植え込みがあり、さらにその先には高い建物と城壁が見えている。
「まだ城の中か……」
隣にいたユラが立ち止まった。
「ユラ?」
返事がない。
顔を上げている。
眩しそうに目を細めながら、光を浴びていた。
「……あったかい」
その声で、僕は初めて明るい場所にいるユラの顔をちゃんと見た。
地下牢では、暗くてほとんどわからなかった。
肩の辺りまで伸びた髪は、陽の光を受けると黒でも茶色でもなく、葉っぱみたいな緑色を帯びて光った。見る角度によって深い緑にも、明るい若葉の色にも見える。
髪の隙間からのぞく耳は、僕のものより少しだけ先が尖っている。
そして目。
こっちを向いた瞳は、透き通った翠色だった。
「……ユウ?」
「あ、ごめん」
見すぎた。
「どうしたの?」
「いや、その……」
なんと言えばいいんだろう。
地下で初めて会った時は、鎖につながれていて。
その次に見た時は、泣いていた。
だから、ちゃんと顔を見る余裕なんてなかった。
こうして明るいところで見ると。
「ユラって、こんな顔してたんだなって」
「こんな?」
「うん。……かわいいなって思って」
言ってから、なんだか恥ずかしくなった。
ユラは自分の頬を触る。
「かわいい?」
「うん」
「そうなんだ」
本人はよくわかっていないらしい。
その反応まで含めて、普通の小さな女の子に見えた。
どうしてこんな子が、あんな暗い場所で鎖につながれていたんだろう。
ユラは石畳の端へ歩いていくと、しゃがみ込んだ。
両手を地面につける。
「つち」
「うん」
嬉しそうだった。
そのまま近くを流れている細い水路へ行き、両手を水に入れる。
「おみず」
「冷たくない?」
「気持ちいい」
水をすくって飲む。
顔にも少しつけた。
濡れた髪が陽の光を受けると、また緑色にきらきら反射した。
僕はその様子を見ていた。
さっきまで青白かった顔に、少しずつ色が戻っている。
「……ユラ」
「なに?」
腕に残っていた赤い跡も、地下にいた時より薄くなっていた。
「その傷」
ユラも自分の腕を見る。
「さっきより、よくなってない?」
「うん」
「どうして?」
ユラは少し考えてから、上を見た。
それから足元へ触れ、水路を見る。
「お日さまと、土と、お水あるから」
「それで元気になるの?」
「うん」
「……そうなんだ」
よくわからない。
僕が知っているドライアドなんて、ゲームなんかで見た名前くらいだ。
でも、さっきまでよりユラが元気になっている。
それだけはわかった。
もう少し休ませたい。
そう思った時だった。
「罪人が逃亡した!」
遠くから怒鳴り声が響いた。
「亜人の少女を連れている! 門を閉じろ!」
ユラが僕を見る。
「……行こう」
「うん」
また走り出す。
門の方には、すでに兵士が集まり始めていた。
あそこから出るのは無理そうだ。
「ユラ、他に外へ行けそうなところ、わかる?」
ユラが辺りを見回した。
少しして、城壁の方を指す。
「お水、あっち」
「お水?」
「いっぱいある」
庭を流れている水路も、その方向へ続いていた。
「行ってみよう」
水路に沿って走る。
やがて城壁の近くまで来た。
水は、そのまま壁の下へ流れ込んでいる。
「これ……通れるかな」
壁の根元に、人が一人ぎりぎり通れそうな穴があった。
ただし、鉄格子で塞がれている。
鉄格子を掴んでみる。
びくともしない。
その脇に鍵があった。
触れる。
【解錠可能】
「いける」
開けることを意識する。
カチリ。
【解錠の熟練度が上昇しました】
さらに文字が浮かんだ。
【技能【解錠】の熟練度が一定値に達しました】
【解錠 Lv1 → Lv2】
「……え?」
表示を見直した。
「レベル、上がった」
ユラが僕を見る。
「おめでとう」
「……ありがとう」
今、祝われることなのかはよくわからない。
でも。
少し嬉しかった。
鉄格子を開く。
「行こう」
水路へ入った。
冷たい水が靴の中へ染み込んでくる。
「うわ、冷たっ」
ユラは平気そうだった。
狭い水路を進む。
途中からは腰を屈め、それでも足りなくなって、最後にはほとんど這うようになった。
外套も制服もびしょ濡れだ。
逃げるって、もっと走るだけだと思っていた。
実際は鍵を開けて、隠れて、水路まで這っている。
もう息も上がっている。
それでも進む。
少し先に光が見えた。
「出口だ」
先にユラを外へ出す。
僕も続いて這い出した。
草の匂いがした。
顔を上げる。
背後には、高い城壁がそびえている。
城壁のこちら側には、兵士の姿はなかった。
「……出た」
ユラが土の上へ座り込む。
僕もその隣に腰を下ろした。
「ユウ」
「ん?」
ユラが笑っていた。
陽の光の下で見る翠色の目が細くなる。
「外」
「うん」
「外、出た」
「……出たね」
ユラの手を見る。
鎖はない。
足にもない。
――ユラは、ユラのものだよ。
自分で言った言葉を思い出した。
ちゃんとしたことを言えたのか、今でもよくわからない。
でも、あの牢屋にいた時より。
今のユラの方が、ずっといい顔をしている。
それでいいような気がした。
その時。
遠くから鐘のような音が響いた。
続いて、城壁の向こうから大声が聞こえてくる。
「王都各門を封鎖しろ!」
「…………」
僕は高い城壁を見上げた。
王城からは出られた。
でも。
まだ、王都の中だった。




