第三話 罪人、泣かされる少女と出会う
「……だれ?」
小さな声が、もう一度聞こえた。
僕は鉄格子の向こうへ目を凝らした。
「僕?」
返事はない。
「えっと……榊優。そっちは?」
少し間があった。
「……ユラ」
「ユラ?」
「うん」
声がしたのは、二つ向こうの牢屋だった。
暗くてよく見えない。
鉄格子に顔を近づけると、ようやく小さな人影が見えた。
女の子だった。
僕よりずっと小さい。
薄い服を着て、石の壁際に座っている。
そして。
両手と両足に、鎖がついていた。
鎖の先は壁につながっている。
「……それ」
「?」
「どうして鎖につながれてるの?」
ユラは自分の手を見る。
「逃げないように」
普通のことみたいに答えた。
「何で逃げたら駄目なの?」
「私、人間のものだから」
「…………」
意味がわからなかった。
「人間のもの?」
「うん」
「ユラは人間じゃないの?」
首を横に振ったのが、暗がりでもわかった。
「ドライアド」
「ドライアド……」
聞いたことはある。
ゲームとかで出てくる、木とか森とかに関係する種族だった気がする。
でも、目の前にいるユラが僕の知っているものと同じなのかはわからない。
「だから、人間のものなの?」
「うん」
やっぱり、わからなかった。
その時。
通路の向こうから足音が聞こえた。
二人分。
ユラの身体がびくっと動く。
さっきまでとは明らかに違う反応だった。
「どうしたの?」
答えない。
鎖を鳴らしながら、壁際へ身体を寄せる。
やがて二人の男が現れた。
兵士ではない。
一人は、小さな瓶がいくつも入った箱を持っている。
もう一人の手には、細い革の鞭があった。
「今日は足りるといいが」
「昨日も足りなかったからな。上が焦れてるらしい」
「まずいな」
まるで仕事の相談でもするみたいな口調だった。
二人は僕の牢屋を通り過ぎ、ユラの前で止まった。
鍵を開ける。
ユラがさらに壁へ寄った。
「……やだ」
小さかったけれど、はっきり聞こえた。
男たちは気にしない。
「すぐ終わる」
「昨日もした」
「だから何だ」
鞭を持った男が牢へ入る。
「ちょっと」
僕は鉄格子を掴んだ。
「何するんですか?」
男が一度だけこちらを見る。
「お前には関係ない」
それだけ言って、ユラへ向き直った。
鞭が振られた。
乾いた音がした。
ユラの身体が跳ねる。
「やだ……痛い……」
もう一度。
「やめてください!」
鉄格子を揺らす。
「何してるんですか!」
二人とも僕を見ない。
また鞭が振られる。
ユラが腕で顔を隠した。
「ごめんなさい……」
「顔を隠すな」
男が淡々と言う。
「ちゃんと泣けば終わる」
「ごめんなさい……」
「謝らなくていい。泣け」
意味がわからなかった。
怒っているわけでもない。
何かを聞き出そうとしているわけでもない。
ただ。
泣かせようとしている。
「やだ……」
鞭が振られる。
「痛いよ……」
やがて、ユラの頬を涙が伝った。
すると。
男は鞭を止めた。
もう一人がすぐに動く。
箱から小さな瓶と細い道具を取り出し、ユラの頬へ近づけた。
涙を集めている。
一滴ずつ。
こぼさないように。
「もう、泣いたよ」
ユラが言った。
「まだ少ない」
「痛いよ」
「もう少しだ」
男は瓶の中身を確認する。
ユラではなく。
瓶を見ていた。
また鞭が上がった。
「やめろよ!」
自分でも驚くくらい大きな声が出た。
「もう泣いてるだろ!」
返事はなかった。
しばらくして、鞭を持った男が手を止めた。
もう一人が瓶に蓋をする。
その扱いだけは、妙に丁寧だった。
男は瓶を光にかざすようにして、中身を確かめる。
「……まだ足りないな」
「仕方ない。あとでもう一度来る」
男がユラを見る。
「それまで休んでおけ」
ユラは何も答えなかった。
二人は牢から出る。
鍵をかける。
そして、何事もなかったように通路を歩いていった。
足音が聞こえなくなる。
僕はしばらく何も言えなかった。
ユラは壁際に座っている。
細い腕や脚には、赤い跡が残っていた。
「……大丈夫?」
「うん」
「痛くないの?」
「痛いよ」
「じゃあ、大丈夫じゃないじゃん」
ユラが不思議そうに僕を見る。
「いつものだから」
胸の奥が、変な感じになった。
「……なんで、あんなことするの?」
「涙、いるから」
「誰が?」
「人間」
「ユラの涙が?」
「うん」
ユラは当たり前みたいに答える。
「私の涙は、人間が使うものだから」
「…………」
また同じだった。
「だから、私も人間のものだよ」
ユラはそう言った。
嫌だと言っていた。
痛いと言っていた。
泣いていた。
それなのに。
全部終わったら、それを「いつものこと」にしていた。
僕には、この世界のことなんて何もわからない。
ドライアドが何なのかも。
ユラの涙が何に使われるのかも。
僕のいた世界の常識が、ここでも正しいのかさえわからない。
それでも。
さっき見たものだけは。
どうしても、嫌だった。




