第二十二話 罪人、小さな牙に囲まれる
翌朝、僕たちは荷物をできるだけ軽くして森へ入った。
水と食料、それから縄と最低限の道具だけ。今日は昨日よりさらに北へ入るため、グレンも大きな袋は持っていない。
ユラはマルタから借りた水袋を肩に掛けている。
「行くぞ」
グレンを先頭に、僕たちは森の奥へ向かった。
◇
昨日、岩猪と戦った場所を越える。
解体した場所には、小さな虫が集まり始めていた。
さらに進むと、グレンが道の脇を指した。
「踏むなよ」
足元を見る。
角兎が一匹、死んでいた。
身体の半分ほどがなくなり、その周りを黒い虫が何十匹も這っている。昨日、岩猪の血に集まってきた肉喰い虫だった。
「うわ……」
ユラも少し離れたところから覗き込む。
「いっぱい」
「死肉があれば寄る」
グレンは足を止めず、その横を通り過ぎた。
僕も虫を踏まないように回り込む。
肉喰い虫の隙間から白い骨が見えた。
なるべく見ないようにして、そのままグレンを追った。
さらに北へ進む。
地面に残る足跡も増えてきた。
森鹿の跡なら、僕にも少しずつ見分けがつくようになっている。
「これ、森鹿ですよね」
「ああ」
隣に、見たことのない足跡があった。
「こっちは?」
「森鼬だ」
「いたち?」
日本で知っている動物を思い浮かべたけれど、地面に残った跡はずっと大きい。
グレンが立ち上がった。
同時に弓へ手を伸ばす。
「近い」
僕も周囲を見る。
何も見えない。
ユラがすぐ地面へしゃがみ、手をついた。
【樹脈感知】。
少しして顔を上げる。
「前」
指が右へ動く。
「右も」
今度は左。
「そっちも」
少し間を置いて、後ろを見る。
「後ろにもいる」
「何匹?」
「わかんない。いっぱい」
グレンが矢をつがえた。
「脚を守れ。一頭だけ見るな」
前方の茂みが揺れた。
茶色い顔が現れる。
低い。
地面すれすれだ。
次に姿を見せた時には、全身が見えた。
犬より少し小さいくらい。身体は細長く、短い脚で地面を這うように動いている。
口を開く。
細い牙が何本も見えた。
森鼬。
一頭が正面へ出てくる。
右の茂みにも一頭。
左にも動くものが見えた。
さらに後ろにもいる。
「ユラ、僕の近くに」
「うん」
短剣を抜く。
正面の森鼬が低く唸った。
一歩。
二歩。
急に走る。
「来る!」
短剣を構える。
森鼬が一直線に向かってくる。
あと数歩。
そう思ったところで、急に横へ曲がった。
「え?」
目で追う。
その瞬間。
「ユウ、左!」
遅かった。
別の森鼬が足元へ飛び込んでくる。
牙が左のふくらはぎへ食い込んだ。
「っ……!」
痛い。
一気に後ろへ引かれ、身体が傾く。
反射的に脚を振り上げそうになった。
「暴れるな! 刺せ!」
グレンの声。
短剣を逆手に持ち替える。
脚へ噛みついている森鼬の背中へ突き立てた。
「っ!」
森鼬が暴れる。
牙が抜けない。
もう一度。
今度は肩の後ろへ深く入った。
森鼬の顎が緩む。
牙が抜けた。
血が流れる。
森鼬は地面へ落ちたが、まだ動いている。
逃がしたら、また来る。
僕は痛む左脚を踏ん張った。
森鼬が身体を起こす。
飛び退こうとしたところへ踏み込む。
短剣を首元へ突き込んだ。
一度、大きく身体が跳ねる。
そのまま地面へ落ちた。
動かない。
【榊 優 Lv2 → Lv3】
息をつく暇はなかった。
「ユラ!」
正面にいた森鼬が、今度はユラへ向かっていた。
ユラが地面へ手をつく。
「前!」
自分で身体を横へ逃がす。
森鼬がその脇を通り抜けた。
弓弦が鳴る。
グレンの矢が森鼬の脇腹へ刺さった。
森鼬が転がる。
すぐに起きようとする。
二本目。
今度は首へ刺さった。
動きが止まった。
右の茂みが大きく揺れる。
三頭目。
グレンが弓を向ける。
それを待っていたみたいに、今度は後ろから音がした。
「グレン、後ろ!」
振り向くより先にユラが叫ぶ。
「後ろ!」
四頭目が飛び出した。
グレンの背中へ向かって跳ぶ。
グレンが身体を沈めた。
森鼬が頭上を越える。
着地したところへ、グレンが振り向きざまに矢を放った。
近い。
矢が森鼬の胸へ深く入る。
それでも森鼬は前へ出た。
グレンが一歩下がる。
ユラが叫ぶ。
「左からも!」
三頭目が来る。
グレンは弓を持ったまま、そちらを見る。
二頭。
僕も動こうとする。
左脚に痛みが走った。
「っ……」
無理に走れない。
三頭目がグレンへ向かう。
四頭目もまだ立っている。
「グレン!」
「そこにいろ!」
三頭目が飛びかかった。
グレンが横へ避ける。
その瞬間、四頭目も反対側から動いた。
挟むつもりだ。
「右!」
ユラの声。
グレンが一歩だけ前へ出た。
二頭の森鼬が、グレンの後ろですれ違う。
弓弦が鳴る。
一頭の背中へ矢が刺さった。
森鼬が地面へ転がる。
もう一頭が向きを変えた。
でも、さっきまでとは違った。
一歩下がる。
こちらを見る。
さらに下がる。
「離れる」
ユラが言った。
森鼬は茂みへ飛び込み、そのまま姿を消した。
【ユラ Lv1 → Lv2】
「追わん」
グレンは弓を下ろさず、しばらく森鼬が消えた方を見ていた。
ユラも地面に手をついたまま目を閉じる。
「遠くなった」
そこで、ようやくグレンが弓を下ろした。
僕も短剣を持った手から力を抜く。
左脚がずきずきする。
「優、脚」
グレンに言われて見る。
ズボンが破れ、ふくらはぎにいくつか牙の穴が開いていた。
血が靴の方へ流れている。
「座れ」
言われるまでもなかった。
近くの木の根元へ腰を下ろす。
グレンが傷を見る。
「牙は残ってない。洗え」
「はい」
水をかける。
「っ……!」
思わず脚を引きそうになった。
「動かすな」
「わかってます……」
傷についた土や血を洗い流す。
ユラは水袋の中を確かめると、僕の横へしゃがんだ。
片手を地面へつく。
もう片方を傷へ近づける。
淡い緑色の光がふくらはぎを包んだ。
【緑癒】。
熱を持っていた場所が、ゆっくりと温かさに変わっていく。
流れていた血が止まった。
浅い牙の穴は縁が寄り、ほとんど塞がっていく。深く噛まれたところはまだ残っているけれど、開いていた傷口はかなり小さくなった。
【緑癒の熟練度が上昇しました】
光が消える。
ゆっくり足首を動かしてみる。
痛みはある。
地面へ足をつく。
立てた。
「歩けそうです」
グレンが傷を見る。
「走るな」
「はい」
ユラは水袋へ口をつけた。
少し飲んでから、僕を見る。
「ユラ、二になった」
「おめでとう」
僕もさっき出た表示を思い出す。
「僕も三になった」
「おめでとう」
「ありがとう」
グレンはすでに倒れた森鼬を集め始めていた。
「歩けるなら来い」
「はい」
僕は短剣を拾い、グレンの方へ向かった。
◇
森鼬の皮は、思っていたより薄かった。
少し刃を深く入れるだけで、すぐに穴が開きそうになる。
「押すな」
「はい」
【密猟】で見える線を追いながら、刃を寝かせる。
皮と肉の間へ浅く入れ、少しずつ滑らせる。
森鼬が小さいぶん、刃を動かせる幅も狭い。
一枚目の皮を外すまで、かなり時間がかかった。
【密猟の熟練度が上昇しました】
「ここ、もう少し浅い方がいいですか」
「ああ。その方が皮を傷めん」
二頭目へ移る。
グレンの矢が刺さったところを避けながら、皮を外す。
さっきより少しだけ手が止まる回数が減った。
胸を開く。
魔石の位置は【密猟】の線でわかる。
周囲へ刃を入れ、傷つけないよう外していく。
小さな魔石が手のひらへ落ちた。
【密猟の熟練度が上昇しました】
グレンが受け取って袋へ入れる。
そのあとは、持ち帰れる肉を切り分けた。
僕が倒した一頭も同じように処理する。
グレンは途中で何度か刃の角度を直しただけで、ほとんど僕に任せていた。
◇
処理を終えるころには、左脚の痛みも少し落ち着いていた。
歩く分には問題ない。
グレンは僕の足取りを一度確認すると、北へ向かった。
「もう少し行く」
僕とユラもその後を追う。
さっきまでより、茂みの音が気になる。
何かが動くたび、視線がそちらへ向く。
少し進んだところで、グレンが地面を指した。
「見ろ」
しゃがむ。
森鼬の足跡だ。
さっきまで何度も見たから、僕にもわかった。
いくつも重なっている。
「北から?」
「ああ」
さらに進む。
森鹿の跡。
森狼らしい足跡も残っていた。
どれも北側から続いている。
ユラが近くの木へ手をついた。
【樹脈感知】。
少しして顔を上げる。
「向こう、いる」
北を指す。
「動いてる」
「どっちへ?」
ユラが南を指した。
【樹脈感知の熟練度が上昇しました】
グレンは地面の跡を見ながら進んだ。
どのくらい歩いただろう。
急に足を止める。
今回は合図も出さなかった。
ただ、前を見ている。
「どうしました?」
返事がない。
僕もその先を見る。
木の根元に、灰色のものが横たわっていた。
最初は岩かと思った。
脚が見える。
尻尾もある。
森狼だ。
倒れたまま動かない。
グレンが近づいた。
数歩手前で止まる。
「触るな」
僕も足を止めた。
森狼の身体には血がついている。
胸のあたりが大きく裂けていた。
朝に見た角兎の死骸が頭に浮かぶ。
あっちは、肉喰い虫に身体の半分近くを食われていた。
目の前の森狼には、ほとんど身体が残っている。
グレンが周囲を見回す。
それから、森狼の胸元へ目を落とした。
「……何だ、これ」
僕も見る。
裂けた胸の奥。
そこだけが、大きく抉れていた。
――――――――――
【現在のステータス】
榊 優 Lv.3
天職:【罪人】
【解錠 Lv.3】
【窃盗 Lv.2】
【密猟 Lv.3】
【詐欺 Lv.1】
【文書偽造 Lv.2】
ユラ Lv.2
【芽吹き Lv.2】
【樹脈感知 Lv.3】
【緑癒 Lv.2】
【今回の成長】
優
【Lv2 → Lv3】
ユラ
【Lv1 → Lv2】




