第十八話 罪人、できることを探す
目を覚まして最初に見えたのは、木の天井だった。
王城の牢でも、マルグの宿でも、森の中でもない。昨日、バルトに借りた小屋だ。
一瞬だけ、自分がどこにいるのかわからなかった。
でも、すぐに思い出す。
三日。
三日間だけ、ここにいていい。
それを思い出した途端、身体から少し力が抜けた。
反対側の寝台を見る。
いない。
「ユラ?」
窓が開いている。
慌てて外を覗くと、ユラは小屋のすぐ横にいた。裸足で大きな木の根元に座り、両手を土につけて目を閉じている。
「……びっくりした」
ユラが目を開けた。
「おはよう」
「おはよう。起きたらいないから焦ったよ」
「ここいた」
「見えるところにはいたけどね」
外へ出る。
朝の光が、木々の間から差し込んでいた。ユラは昨日より、また少し顔色がよくなっている。
「身体、大丈夫?」
「うん」
「喉は?」
「かわいてない」
「ならよかった」
昨日は【緑癒】を使っていない。それもあるのかもしれない。
「何してたの?」
「見てた」
「何を?」
ユラが木へ触れた。
「下」
【樹脈感知】だ。
ユラはもう一度目を閉じる。
しばらくして、指を動かした。
「あっち、木」
「うん」
「あっちも」
「うん」
「こっち、ちいさい」
「根っこ?」
「うん」
僕には何の違いもわからない。
木の下。
土の中。
目には見えないものが、ユラには少しずつわかるようになっているらしい。
その時、ユラが瞬きをした。
「ユウ」
「なに?」
「また出た」
「字?」
「うん」
何もないところを見ながら、ユラが読む。
【樹脈感知の熟練度が一定値に達しました】
【樹脈感知 Lv1 → Lv2】
「二になった」
ユラが指を二本立てた。
「おめでとう」
「うん」
嬉しそうだ。
「何か変わった?」
ユラはもう一度、土へ手をついた。
しばらく黙る。
「…………」
「どう?」
「わかんない」
「そっか」
すぐに何でもわかるようになるわけではないらしい。
「面白い?」
「うん」
それなら、今はそれでいい。
◇
朝食は、昨日会ったマルタが持ってきてくれた。
芋に固いパン、それから少しの干し肉。籠に入れて机へ置いてくれる。
「こんなにもらっていいんですか」
「二人分ならこんなもんだよ」
マルタは僕を見る。
「傷は?」
「だいぶいいです」
「見せてみな」
この村へ来てから、何人に傷を見せているんだろう。
学生服を少し上げる。
「ふうん」
マルタが傷を見る。
「ほんとに塞がってるね」
「はい」
「薬はいるかい?」
「持ってるものもありますし、痛みもかなり減りました」
「なら、無理に塗らなくてもいいか」
マルタが外を見る。
「ユラは元気そうだね」
「うん」
本人が答えた。
「朝飯食べるかい?」
「食べる」
すぐに戻ってくる。
「そこは迷わないんだ」
「おなかへった」
「昨日からずっとそれだね」
マルタが笑った。
食事をしながら窓の外を見る。
村はもう動き始めていた。畑へ向かう人、薪を運ぶ人、家畜の世話をする人。それぞれが、自分のすることをしている。
昨日、バルトは言った。
働けるようになったら、できることはやってもらう。
「マルタさん」
「何だい」
「僕、何かできますか」
「今?」
「はい」
「怪我人が?」
「軽いことなら」
マルタは僕の顔を見る。
「じっとしてる方が苦手な口かい」
「……ちょっと」
何もしないで、食べ物をもらって、寝る場所まで借りている。
もちろん休まないといけないのはわかっている。でも、それだけだとどうにも落ち着かなかった。
「じゃあ」
マルタが少し考える。
「朝飯を食べ終わったら、畑まで籠を運んどくれ」
「それだけ?」
「まずそれだけ」
「もっとできます」
「できるかどうか決めるのは、傷を見てからだよ」
「……はい」
グレンと同じだった。
◇
渡された籠は、驚くほど軽かった。
というより、中身が空だった。
「これ、僕じゃなくても運べますよね」
「運べるね」
「ですよね」
「でも頼んだろ」
「はい」
マルタについて畑へ向かう。
ユラも一緒に来た。
畑には、僕の知らない野菜がいくつも育っていた。細長い葉、丸い葉、赤い実。土から少しだけ顔を出している根菜もある。
「そこへ置いとくれ」
「はい」
籠を置く。
終わった。
「次は?」
「ないよ」
「え」
「休んでな」
「もう?」
マルタが呆れた顔をした。
「怪我人に何をさせる気だい」
「それを僕が聞いてるんです」
「なら、座って芋でも選別しな」
「できます」
それなら役に立てそうだ。
畑の端の日陰には、収穫された芋が積まれていた。傷んでいるもの、小さすぎるもの、売り物にするもの。マルタに見分け方を教えてもらい、一つずつ分けていく。
地味だ。
ものすごく地味。
でも、誰かに追われているわけじゃない。
鍵も開けていない。
嘘もついていない。
ただ、芋を分けている。
「…………」
「どうしたの?」
隣に座っていたユラが聞く。
「いや」
手の中の芋を見る。
「普通だなって」
「普通?」
「うん」
説明しようとして、やめた。
僕自身、うまく説明できなかった。
◇
ユラは最初、僕の隣で芋を見ていた。
でも、しばらくすると畑の方を気にし始めた。
「行ってきていいよ」
「いい?」
「マルタさんに聞いてからね」
ユラがマルタのところへ行く。
「ここ、入っていい?」
「畑かい?」
「うん」
「踏んじゃいけないところだけ教えるよ」
マルタが畑の間を通る細い道を指差した。
「ここなら歩いていい」
「うん」
ユラは裸足のまま畑へ入った。
少し進んでは止まり、土へ触れる。また歩いて、一株の前でしゃがみ込んだ。
「…………」
何をしているんだろう。
マルタも気づいた。
「どうしたんだい?」
ユラが葉を触る。
「これ」
「それが?」
「かわいてる」
マルタがしゃがみ、土へ指を入れた。
「ああ、確かに少し乾いてるね」
「水?」
「夕方やるつもりだったけど、ここだけ先にやっとこうか」
桶から少し水をやる。
ユラはじっとそれを見ていた。
「わかるんだね」
マルタが言う。
「ちょっと」
「便利だ」
ユラが僕を見る。
少し嬉しそうだ。
「よかったね」
「うん」
また畑を歩く。
今度は別の株の前で止まった。
「これ、いや」
「嫌?」
マルタが近づく。
「何が嫌なんだい」
「わかんない」
ユラは土へ手をつき、少しだけ場所を変えてから指差した。
「ここ」
マルタもしゃがむ。
根の周りを軽く掘ると、小さな白い虫が出てきた。
一匹。
二匹。
さらにもう一匹。
「あら。根食い虫だ」
マルタが顔をしかめた。
「このまま放っておいたら弱るところだったよ」
ユラが虫を見る。
「これ、いや」
「そうだね。こいつは嫌だねえ」
マルタが虫を取り除いていく。
「他にもわかるかい?」
「見る」
「無理しなくていいよ」
「うん」
ユラは自分から畑の中を歩き始めた。
何かをしろと言われたからじゃない。
自分で見つけて、自分でやってみようとしている。
それが、なんだか嬉しかった。
◇
昼前、グレンが村へ戻ってきた。
バルトも一緒だった。
僕は芋を分けながら顔を上げる。
「狼、どうでした?」
グレンが僕を見る。
「休んでたか」
「芋を分けてます」
「それを休んでると言うならいい」
「働いてるつもりです」
「傷は」
「痛くないです」
「そうか」
それだけ確認すると、グレンは水を一口飲んだ。
「足跡は?」
僕が聞くと、今度は答えてくれた。
「三頭以上」
「朝見たのと同じ?」
「一頭は同じ可能性が高い」
「どうして?」
「右前脚の爪が一本欠けてる」
「足跡でそこまでわかるんですか」
「ああ」
見てみたい。
そう思ったのが顔に出たらしい。
「今日は行かんぞ」
「まだ何も言ってません」
「言う顔してる」
「…………」
マルタが笑った。
バルトだけは笑っていない。
少し難しい顔をしていた。
「何かあったんですか」
僕が聞く。
「囲いの外を回ってた」
バルトが答えた。
「羊を狙って?」
「それはわからん」
今度はグレンが答える。
「中には入ってない。襲ってもいない。ただ、ここ数日、村の近くで見る回数が増えてる」
昨日も聞いた。
普通の森狼は、もう少し人を避けるらしい。
「森の中に餌がないとか?」
「かもしれん」
「何かに追われてるとか」
「それもあり得る」
グレンはそこで言葉を切った。
「だが、今はどっちも想像だ」
「あ」
「答えを先に決めるな」
「はい」
昨日から何度も言われている。
わからないものを、わかったことにしない。
簡単そうで、意外と難しい。
◇
午後、僕は柵の修理についていった。
正確には、修理を見ていた。
「持つな」
グレンに言われる。
少しして、柱を立てるための穴を見た。
「これくらいなら掘れますよ」
「掘るな」
「じゃあ、縄くらい――」
「駄目だ」
「僕、何しに来たんですか」
「見ろと言っただろ」
「見るだけ?」
「覚えろ」
壊れかけた柵を、グレンが一つずつ確認していく。
柱の根元。
結んでいる縄。
木の腐り具合。
僕には同じように見えるものでも、直す方法が違うらしい。
「これは替える」
グレンが一本の柱を示した。
「なんで?」
「根元が腐ってる」
「こっちは?」
「土が緩んでるだけだ」
「見た目、同じですけど」
「触れ」
言われた通り、二本の根元へ触れてみる。
確かに、腐った方は少し柔らかい。
「なるほど」
「明日、傷がよければ手伝わせる」
「ほんとですか」
「ああ」
「やります」
「先に傷を治せ」
また、それだった。
でも。
明日ならできることが増える。
そう思うと、それだけで少し楽しみだった。
◇
夕方、畑へ戻ると、ユラが一株の前に座っていた。
「何してるの?」
「これ」
葉を指差す。
少し黄色くなっている。
「元気ない?」
「うん」
ユラは土へ片手を置き、もう片方を葉の近くへ伸ばした。
「ユラ」
僕は少し身構えた。
淡い緑色の光が灯る。
【緑癒】だ。
葉がほんの少し持ち上がった。
色まで急に変わるわけではない。でも、さっきより少しだけ張りが戻ったように見える。
やがて光が消えた。
「できた」
ユラが嬉しそうに言う。
「大丈夫?」
「だいじょうぶ」
そう答えてから、一度唇を舐めた。
「……のど、かわいた」
やっぱり。
「水飲もう」
「うん」
水桶のところへ連れていく。
ユラは何度も水を飲んだ。
一口。
二口。
三口。
それでもまだ飲む。
「そんなに?」
「かわいた」
マルタも見ていた。
「今のをやると、喉が渇くのかい?」
ユラが頷く。
「うん」
「じゃあ、水がないところじゃやらない方がいいねえ」
「うん」
マルタはそれだけ言った。
どうしてそんなことができるのか。
ユラが何者なのか。
何も聞かなかった。
「ユラ」
マルタが言う。
「今日はもう、それはおしまい」
「なんで?」
「水を全部飲まれたら、夕飯が作れなくなる」
「…………」
ユラが水桶を見る。
「困る?」
「困る」
「じゃあ、やめる」
素直だった。
僕は少し笑った。
「でも、助かったよ」
マルタが黄色くなっていた葉を見る。
「ありがとう」
ユラが瞬きをした。
「役に立った?」
「ああ」
その一言で、ユラの顔が少し明るくなった。
「よかったね」
「うん」
◇
その日の夕方。
僕たちは小屋の前で、マルタにもらった芋を食べていた。
ユラの隣には、昨日バルトからもらった蜂蜜の壺が置いてある。
芋を一口食べる。
蜂蜜を少し舐める。
また芋。
「それ、おいしい?」
「おいしい」
「減るよ」
ユラの手が止まった。
壺を見る。
「……減る」
ものすごく悲しそうだ。
「食べれば減るよ」
「なくなる?」
「いつかは」
ユラはしばらく悩んだあと、蓋を閉めた。
「今日は、ここまで」
「よく我慢できたね」
「だいじだから」
本当に大事らしい。
「今日、どうだった?」
僕が聞く。
「土」
「うん」
「いっぱい見た」
「虫も見つけたね」
「うん」
「楽しかった?」
少し考えてから、ユラが頷く。
「楽しい」
「そっか」
僕も芋を一口食べる。
今日やったことは、空の籠を運んで、芋を分けて、柵の修理を見ただけだ。
派手なことは何もしていない。
でも、何もしなかったわけじゃない。
明日は、もう少しできるかもしれない。
そんなことを考えていた時だった。
村の奥から、羊の鳴き声が聞こえた。
一頭じゃない。
何頭も騒いでいる。
続いて、人の声がした。
「グレン!」
僕とユラが顔を上げる。
男が一人、村の中央へ向かって走っていった。
「グレン! 東の囲いだ!」
少しして、僕たちの近くをグレンが駆けていく。
「何があったんですか!」
僕が立ち上がる。
グレンは止まらなかった。
「羊が一頭いない!」
それだけ言って、東へ走っていった。
僕は森を見る。
ユラも同じ方向を見ていた。
「狼?」
ユラが聞く。
「……まだわからない」
グレンに言われたばかりだ。
答えを先に決めない。
昨日から村の近くには、森狼の足跡がある。
でも、羊を連れていったのが森狼なのかは、まだ誰も見ていない。
今わかっているのは、囲いから羊が一頭いなくなった。
それだけだった。
――――――――――
【現在のステータス】
榊 優 Lv.2
天職:【罪人】
【解錠 Lv.3】
【窃盗 Lv.2】
【密猟 Lv.2】
【詐欺 Lv.1】
【文書偽造 Lv.2】
ユラ Lv.1
【芽吹き Lv.2】
【樹脈感知 Lv.2】
【緑癒 Lv.1】
【今回の成長】
ユラ
【樹脈感知 Lv.1 → Lv.2】




