第十七話 罪人、三日だけ居場所をもらう
村の入口には、門らしい門はなかった。
森を切り開いた土地を、腰より少し高い木柵が囲んでいる。その途中に、人が二人並んで通れるくらいの入口が開いていた。
「……これで森狼を防げるんですか」
僕が聞くと、グレンは木柵を見た。
「防ぐための柵じゃない」
「じゃあ、何のために?」
「家畜が勝手に出ていかないためだ」
「なるほど」
確かに、森狼を防ぐにはちょっと低すぎる。
入口をくぐると、土の道の向こうに畑と木造の家が並んでいた。軒先には洗濯物が干され、少し離れたところでは男の人が薪を割っている。子供が二人、何かを追いかけながら走っていた。
王都とも、マルグとも全然違う。
ずっと小さい。
でも、ちゃんと人が暮らしている場所だった。
「グレン!」
子供の一人が僕たちに気づき、駆けてきた。十歳くらいの男の子だった。
「戻った!」
「ああ」
「狼いた?」
「跡は見た」
「何匹?」
「最低三」
男の子の顔が少し曇った。
それから、ようやく僕とユラに気づいたらしい。
「誰?」
「森で拾った」
グレンが答えた。
「拾った?」
「倒れてた」
男の子は僕を見る。
次にユラを見た。
じっと見る。
ユラも見返す。
「髪、緑だ」
「うん」
「きれい」
ユラが瞬きをした。
それから僕を見る。
「綺麗だって」
「きれい?」
「うん。ユラの髪」
ユラは自分の髪を一房つまんだ。
「これ?」
「それ」
男の子が頷く。
「葉っぱみたい」
ユラはしばらく、自分の髪を見ていた。
「……ありがとう」
「うん!」
男の子はそれで満足したらしく、また友達の方へ走っていった。
ユラが僕の袖を引く。
「ユウ」
「なに?」
「いい?」
自分の髪を指差している。
「うん」
「ユウも?」
「僕も綺麗だと思うよ」
ユラは自分の髪をもう一度見て、少しだけ笑った。
◇
村の中を歩いていると、当然だけど何人かの視線が僕たちへ向いた。
知らない人間が二人。
しかも僕は汚れた学生服のままで、脇腹には乾いた血の跡がある。腰には短剣まで下げている。
ユラは緑色の髪に、少し尖った耳。それに靴も履かず、裸足で歩いていた。
目立たない方がおかしい。
「グレン」
畑から女性が声をかけてきた。
四十代くらいだろうか。腕についた土を布で払いながら、こちらへ歩いてくる。
「その子、怪我してるのかい?」
僕を見ていた。
「昨日な」
グレンが答える。
「見せてみな」
「え?」
「服の血」
「あ。もう傷は塞がってます」
「塞がったのと治ったのは違うよ」
グレンと同じことを言われた。
「あとで薬を持っていく」
「でも」
「余ってるから」
「……ありがとうございます」
女性はそれだけ言って頷いた。
次にユラを見る。
「そっちの子は?」
「ユラ」
ユラが自分で答えた。
「そうかい。腹は減ってる?」
「ちょっと」
「さっき食べたよね」
「ちょっと、へった」
早い。
女性が笑った。
「昼の芋が余ってるから、あとで持ってってやるよ」
「ありがとう」
ユラは、今度は僕を見なかった。
ちゃんと自分で答えた。
そのことが少しだけ嬉しかった。
「マルタ」
グレンが言った。
「バルトは?」
「家にいるよ。朝からダンと揉めてた」
「狼か」
「また羊の囲いの近くまで来たらしい」
グレンの表情が変わった。
「いつだ」
「今朝。襲われてはいないよ」
「跡は残ってるか」
「ダンが触ってなければね」
「あとで見る」
話が終わる。
マルタは改めて僕たちを見たけれど、何者なのかとは聞かなかった。
「じゃあ、あとで芋持ってくからね」
「はい」
「うん」
マルタが畑へ戻っていく。
僕は小さく息を吐いた。
「……聞かれませんでしたね」
「何を」
「僕たちのこと」
「俺が連れて歩いてるからだ」
グレンは前を向いたまま答えた。
「ここで聞いても仕方ない。村へ置くかどうかはバルトが決める」
「あ」
そうだった。
まだ、村へ入れてもらっただけだ。
ここにいていいと決まったわけじゃない。
◇
村の中央には、一軒だけ少し大きな家があった。
家というより、集会所も兼ねているらしい。
グレンが扉を叩く。
「いるか」
中から声が返ってきた。
「誰だ」
「俺だ」
「俺じゃわからん」
「グレン」
「最初から言え」
ちょっと似た人がいる。
中へ入ると、大きな机と何脚もの椅子があった。壁には森の地図らしいものが掛かっていて、その横には農具もいくつか並んでいる。
奥から白髪の老人が出てきた。
かなり年上に見えるけれど、背筋はまっすぐだった。
「森狼は」
挨拶より先に聞いた。
「沢の手前で最低三。新しい跡だ」
「また近いな」
「ああ」
「群れか?」
「まだわからん」
「そうか」
短いやり取りが終わる。
そこで初めて、老人が僕たちを見た。
「で、そっちは誰だ」
「昨日、森で拾った」
グレンが答える。
「拾った?」
「二人とも倒れてた。こいつは怪我してる」
老人の視線が、僕の脇腹へ向いた。
「事情は」
「少しは聞いた。だが、本人に話させろ」
「面倒事か」
「かなり」
「グレン」
思わず声が出た。
老人が僕を見る。
「自覚はあるらしいな」
「……あります」
「俺はバルト。この村の村長だ」
「榊優です」
頭を下げる。
ユラも続いた。
「ユラ」
「そうか。座れ」
椅子を示される。
僕は座ろうとして、ユラが立ったままなのに気づいた。
椅子を見ている。
「座っていいよ」
「いい?」
「うん」
ユラがそっと椅子へ座る。
バルトはそのやり取りを少し見ていたけれど、何も言わなかった。
自分も向かいの椅子へ座る。
「先に言っとく。お前らの人生を全部聞きたいわけじゃない」
「はい」
「この村に置いて、村の人間に危険があるか。それだけわかればいい」
バルトが僕を見る。
「追われてるのか」
「……はい」
「誰に」
「王国です」
バルトの眉が上がった。
「ずいぶん大きいところに追われてるな」
「はい」
「何をした」
少し迷った。
逃げたところから話しただけでは、たぶん意味がわからない。
「その前から話した方がいいと思います」
「話せ」
僕は一度息を吸った。
「僕は、この世界の人間じゃありません」
バルトの表情が変わる。
横ではグレンも僕を見ていた。
「日本というところから、同じ学校の生徒たちと一緒に王都へ呼ばれました」
「呼ばれた?」
「召喚された、と言われました」
バルトは少し黙った。
「召喚か。よくわからんが、まあいい。それで?」
「僕たちのいたところには、天職がありません」
今度は、そちらの方が驚いたらしい。
「天職がない?」
「はい。だから、王都へ来て初めて与えられました」
「十五にもなって初めてか」
「はい」
この世界では、もっと小さい頃に天職を得る。
きっと、それが普通なんだ。
「それで」
バルトが続きを促す。
「僕に与えられた天職が……【罪人】でした」
口にすると、今でも少しだけ胸の奥が重くなる。
バルトが眉を寄せた。
「罪人?」
「何か罪を犯したって意味じゃなくて、【罪人】という名前の天職です」
しばらく何も言われなかった。
「……そんな天職は聞いたことがない」
「でも王国は、それを理由に僕を牢へ入れました」
「何かする前に?」
「はい」
バルトはグレンを見る。
グレンが首を振る。
「俺も初耳だ」
バルトはもう一度僕を見る。
「それで逃げた」
「はい」
「今は追われてる」
「はい」
「逃げてからは?」
そこが一番言いづらかった。
でも、ここで誤魔化して置いてもらっても仕方がない。
「牢の鍵を勝手に開けて逃げました。途中で食べ物と服も勝手に取りました。王都から逃げたあと、許可なしで狩りをして、マルグには偽名で入りました」
バルトは黙って聞いている。
「それから、昨夜は商会に勝手に入りました」
「盗みにか」
「違います。契約書を見るためです」
「勝手に入ったことには変わらんな」
「……はい」
言い返せない。
「人を殺したか」
「人は殺してません」
すぐに答えた。
「誰かを傷つけるために逃げてるわけでもありません」
「村で盗むつもりは」
「ありません」
「誰かを襲うつもりは」
「ありません」
「追手が来たら」
「僕たちは出ます」
今度も、迷わなかった。
「村を巻き込むつもりはありません」
バルトはしばらく僕を見ていた。
嘘かどうか。
それを確かめているような気がした。
やがて、その視線がユラへ移る。
ユラの手が、僕の袖を掴んだ。
「この子も王国から追われてるのか」
「はい」
「なぜだ」
「同じ地下にいました。鎖につながれていて……僕が一緒に連れ出しました」
バルトはユラを見る。
でも、それ以上のことは聞かなかった。
代わりに、本人へ尋ねた。
「この村の人間を傷つけたいか」
ユラが首を振る。
「ない」
「ここで物を盗みたいか」
ユラは少し考えた。
「……はちみつ?」
「ユラ」
思わず声が出た。
バルトが眉を上げる。
「蜂蜜を盗みたいのか」
「ほしい」
「盗んじゃ駄目だからね」
「うん」
ユラはもう一度考えた。
「盗まない」
「ならいい」
バルトが答える。
これで終わるかと思った。
でも、ユラは終わらなかった。
「はちみつ、ある?」
「ああ」
バルトは少し面食らったようだった。
「村にもあるぞ」
ユラの顔が明るくなる。
「ほしい」
「そうだな。何か手伝ってくれたら――」
そこで。
ユラの表情が消えた。
僕はすぐに気づいた。
「ユラ?」
「……手伝う」
声が小さい。
「何する?」
「いや、そういう意味じゃ――」
「なんでもする」
さっきまでとは、まるで違う声だった。
ユラがバルトを見る。
「泣く?」
身体が固まった。
「違うよ」
僕はすぐに言った。
「ユラ、違う」
「でも」
「泣かなくていい」
バルトも何かを察したらしい。
ユラを見た。
でも、何があったのかとは聞かなかった。
少しして椅子から立ち、部屋の奥にある棚を開ける。
小さな壺を一つ持って戻ってきた。
「ほら」
ユラの前へ置く。
蓋を開けると、甘い匂いがした。
ユラの目が大きくなる。
「はちみつ」
「そうだ」
ユラは壺を見る。
でも、手を伸ばさない。
「何する?」
「何もしなくていい」
バルトが答えた。
「…………」
「さっきのは俺の言い方が悪かった」
「いい?」
「ああ」
「ほんとに?」
「食いたいんだろ」
ユラが頷く。
「なら食え。それだけだ」
それでも、ユラは僕を見る。
「ユウ」
「うん。もらっていいって」
「いい?」
「バルトさんがいいって言ってるからね」
バルトが鼻を鳴らした。
「俺がいいと言ってるのに、なんでお前に聞く」
ユラは恐る恐る指を伸ばした。
蜂蜜を少しだけ取る。
舐める。
「…………!」
一瞬で顔が変わった。
「おいしい?」
「おいしい」
もう一度。
今度は、さっきより少しだけ多い。
「ユラ、食べすぎないでね」
「なんで?」
「バルトさんのだから」
「もうユラにやった」
バルトが言った。
「え?」
「壺ごと持ってけ」
ユラが壺を両手で抱えた。
「バルト」
「何だ」
「すき」
「そうか」
返事は淡々としていたけれど、ほんの少しだけ口元が緩んでいた。
バルトは席へ戻る。
「話を戻すぞ」
「はい」
ユラは蜂蜜の壺を抱えたまま座っている。
僕の袖を掴んでいた手は、いつの間にか離れていた。
「お前は」
バルトが僕を見る。
「この子をどうするつもりだ」
「どうする?」
「一緒にいるんだろ」
「はい」
「この子も、それを望んでるのか」
僕は答えなかった。
代わりに、ユラを見る。
「ユラ」
「なに?」
「僕と一緒にいたい?」
「いる」
即答だった。
「僕が決めたからじゃなく?」
ユラは少し考える。
それから、自分を指差した。
「ユラが決める」
「そっか」
それでいい。
バルトも、それ以上は聞かなかった。
◇
しばらく考えたあと、バルトが言った。
「三日」
「え?」
「ひとまず三日、村に置く」
聞き間違いじゃなかった。
「いいんですか?」
「今すぐ森へ戻して死なれても寝覚めが悪い」
横でグレンが頷く。
「ユウだけなら、まだ危ない」
「僕だけ?」
「ユラの方が森では生きそうだ」
否定できない。
「村外れに、昔猟師が使ってた小屋がある」
バルトが続ける。
「今は空いてる。そこを使え」
「ありがとうございます」
「三日だ」
「はい」
「その間に傷を治せ。働けるようになったら、できることはやってもらう」
「やります」
即答した。
何かできる。
その言葉だけで、少し安心した。
バルトがユラを見る。
ユラは蜂蜜の壺を大事そうに抱えている。
「お前はまず休め」
「…………」
「元気になって、何かやりたくなったら、その時やればいい」
「やらなくても?」
「ああ」
「いい?」
「いい」
ユラが僕を見る。
本当にわからない、という顔をしていた。
「ユウ」
「なに?」
「何もしなくていいって」
「うん」
「ここ、いていい?」
答えかけて、止まった。
これは僕が決めることじゃない。
バルトを見る。
「三日はな」
バルトが答えた。
ユラがゆっくり頷く。
「いる」
その時、外から大きな声がした。
「バルト!」
扉が開き、一人の男が入ってきた。
少し息を切らしている。
「どうした」
「ダンのところだ。また跡があった」
「狼か」
「ああ。囲いの外を回ってる」
グレンがすぐに立ち上がる。
「触ってないだろうな」
「ダンには、そのままにしろって言った」
「見てくる」
「俺も行く」
バルトも立ち上がった。
僕も反射的に立とうとして、脇腹が痛んだ。
「っ」
グレンが振り返る。
「お前は小屋へ行け」
「でも」
「まず治せ」
「……はい」
何もできないのが、少し悔しい。
でも今ついていって、また倒れたら、それこそ何の役にも立たない。
グレンが家を出る。
バルトもそのあとへ続いた。
残ったのは僕とユラだけだった。
ユラが僕の脇腹を見る。
「痛い?」
「ちょっと」
手を伸ばす。
「治す?」
【緑癒】。
でも昨日、それを使ったあと、ユラはかなり喉が渇いていた。
「今は大丈夫」
「でも」
「小屋へ行って、水がちゃんとあるか見てからにしよう」
ユラは少し考える。
「水、大事」
「うん」
昨日グレンに言われたことを、ちゃんと覚えている。
「じゃあ、あと」
「必要だったらね」
「うん」
ユラは立ち上がる。
蜂蜜の壺も、当然のように持ち上げた。
「それ、落とさないでね」
「だいじ」
「わかってる」
ものすごく大事そうだった。
◇
小屋は、本当に村の端にあった。
かなり小さい。
中にあるのは、寝台が二つと、小さな机。椅子が一つに、古い棚。
それだけだった。
「窓」
ユラが言った。
「あ」
小さな窓がある。
開けると、風が入ってきた。
窓の向こうには土と木、その先には森が見える。
ユラはすぐに外へ出た。
裸足のまま土の上に立つ。
「ここ、いい」
「気に入った?」
「うん」
一度部屋へ戻って、蜂蜜の壺を机の上へ置く。
少し離れる。
振り返る。
また確認する。
「取らないよ」
「ほんと?」
「取らない」
それで安心したらしい。
ユラはもう一度、外へ出ていった。
僕は寝台へ腰を下ろす。
硬い。
「……森よりはいいか」
外から子供の声がする。
薪を割る音。
遠くで羊が鳴いている。
誰かが普通に暮らしている音だった。
少しして、ユラが戻ってきた。
蜂蜜の壺を持って。
僕の隣へ座る。
「ユウ」
「なに?」
「ここ、牢屋?」
「違うよ」
「出ていい?」
「いい」
「外も?」
「村の人の邪魔をしなければね」
「鎖ない?」
「ない」
ユラが、自分の足首を見る。
何もない。
それから、少し考えるように自分の胸へ手を置いた。
「ここにいる時」
「うん」
「ユラ、誰の?」
胸の奥が少し痛くなる。
前にも同じことを聞かれた。
「誰のでもないよ」
「…………」
「ユラは、ユラのもの」
ユラはしばらく黙っていた。
窓を見る。
外の木を見る。
自分の足を見る。
そして、膝の上にある蜂蜜の壺を見る。
「じゃあ」
僕を見る。
「ここにいるのも、ユラが決める?」
「うん」
今度は迷わなかった。
「ユラが決める」
「ユウも?」
「僕も」
「じゃあ……」
少し考えて。
「三日、いる」
「うん」
「はちみつもある」
「そこ、大事なんだ」
「だいじ」
即答だった。
僕は少し笑った。
僕も、ここにいる。
三日だけ。
たった三日しかない。
それでも、次に逃げる場所を今日決めなくていい。
そのことが、思っていたよりずっと嬉しかった。
【現在のステータス】
榊 優 Lv.2
天職:【罪人】
【解錠 Lv.3】
【窃盗 Lv.2】
【密猟 Lv.2】
【詐欺 Lv.1】
【文書偽造 Lv.2】
ユラ Lv.1
【芽吹き Lv.2】
【樹脈感知 Lv.1】
【緑癒 Lv.1】




