第十六話 罪人、狩りを教わる
翌朝、目を覚ますと、焚き火の向こうでグレンが荷物をまとめていた。
身体は昨日より軽い。脇腹にはまだ鈍い痛みが残っているけれど、起き上がるだけで顔をしかめるほどではなかった。
「傷は」
「昨日よりいいです」
「見せろ」
また服を上げる。
グレンは傷の周りを何か所か指で押し、そのたびに僕の顔を確認した。
「ここ」
「少し痛いです」
「こっちは」
「そこは大丈夫です」
「走るな。重い物も持つな」
「はい」
「狩りも、俺がやれと言ったことだけやれ」
「わかりました」
昨日のやり取りだけでは信用されなかったらしい。念を押された。
少し離れた木の根元では、ユラがもう起きていた。裸足のまま土を踏んで、気持ちよさそうに足の指を動かしている。
「ユラ、身体は?」
「げんき」
「喉は?」
「だいじょうぶ」
昨日、【緑癒】を使ったあとにはかなり水を飲んだ。朝になった今は、もう普通らしい。
グレンが二つの水袋を確認し、立ち上がった。
「行くぞ。村へ向かいながら獲物を探す」
「はい」
僕も自分の荷物だけを持つ。
ユラが隣へ来た。
「ユラも見る」
「何を?」
「狩り」
「血とか出るよ」
「知ってる」
そうだった。
角兎を狩った時も一緒にいたし、あの時はむしろ僕の方がずっと動揺していた。
◇
森へ入れば、すぐに狩りが始まる。
僕はなんとなく、そう思っていた。
でも、グレンは何も狩らなかった。
ただ歩く。
ときどき立ち止まり、地面を見る。木の幹を見て、枝を見て、また歩く。
しばらく後ろについていったけれど、僕には何をしているのか全然わからなかった。
「……何を探してるんですか」
「食えるもの」
「それはわかります」
「なら黙って見ろ」
見ろと言われても、わからない。
地面には落ち葉があって、木の根があって、細い枝が散らばっている。昨日見た森と、ほとんど同じにしか見えなかった。
やがてグレンがしゃがみ込んだ。
「ここ」
指差された地面を見る。
「……土?」
「足跡だ」
言われて、ようやく気づいた。
小さな窪みが、何個か続いている。
「何のですか?」
「角兎」
知っている名前だった。
以前、僕が自分で狩った魔物だ。
でも、その足跡を見たことはなかった。
「こっちは古い」
グレンが少し離れた別の跡を示す。
見比べても、僕にはほとんど同じに見える。
「どうしてわかるんですか」
「縁が崩れてる。中に落ち葉も入ってる」
もう一度、最初の足跡を見る。
確かに、こちらは形がはっきり残っている。
「じゃあ、近くに?」
「いた、だ」
「あ」
今も近くにいるとは限らない。
グレンは立ち上がった。
「獲物は、姿を見せる前からそこにいた跡を残してる。それを拾う」
また歩き出す。
僕も後ろについていった。
さっきまで何でもない森に見えていたのに、少しだけ地面が気になるようになった。
落ち葉。
折れた枝。
土の窪み。
まだ何もわからない。
でも、グレンには何かが見えている。
少し歩いたところで、グレンが片手を上げた。
昨日教えられた通り、足を止める。
何も聞こえない。
グレンも動かない。
ユラも黙っている。
やがて、小さく葉の擦れる音がした。
グレンが指差す。
木の向こう。
草の間に、小さな角が見えた。
角兎が一頭、こちらに気づかず草を食べている。
僕は無意識に短剣へ手を伸ばした。
グレンの手が、それを止める。
「まだ」
小さな声だった。
「はい」
角兎との距離は、まだかなりある。
以前の僕なら、見つけたら近づいて、逃げたら追いかける。それくらいしか考えていなかった。
グレンは獲物ではなく、周りを見ていた。
草の揺れ。
木の葉。
それから進む方向を変え、大きく回り込む。
僕とユラも後を追った。
「なんで遠回りするんですか」
「匂いだ」
グレンが小声で答える。
「風下から近づく」
風。
言われてみれば、葉が僕たちの方へ揺れている。
僕には見えていなかったものを、グレンはいくつも見ているらしい。
音を立てないようについていく。
ユラは裸足だから、ほとんど音がしない。
僕も気をつけて歩いて――。
パキッ。
枝を踏んだ。
角兎の耳が立った。
「あ」
次の瞬間には走り出していた。
「ごめんなさい!」
「謝るのは後だ」
グレンがすぐに動く。
弓を構えた。
でも、角兎は木の陰へ入り、射線から外れる。そのまま斜面を駆け下りていった。
その先に、ユラがいた。
「ユラ!」
角兎もユラに気づき、急に方向を変えた。
今度は僕の方へ来る。
近い。
これなら僕にもできる。
短剣を抜いた。
角兎が跳ぶ。
前に戦った時より、動きがよく見えた。
速いことには変わりない。でも、以前より少しだけ早く身体が動く。
横へ避け、そのまま短剣を振った。
外れた。
「っ!」
角兎が着地し、もう一度逃げようとする。
追いかけようと足を踏み出した。
「追うな!」
グレンの声。
昨日何度も言われたことを思い出し、足を止める。
その直後、僕の横を矢が通り抜けた。
角兎の首元に刺さる。
角兎は数歩だけ走り、そのまま地面へ倒れた。
森が静かになる。
「…………」
僕は短剣を下ろした。
「すみません」
「何がだ」
「枝を踏んで、逃がしました」
「仕留めただろ」
グレンは角兎へ近づき、状態を確かめてから矢を抜いた。
「狩りは一発で成功することばかりじゃない。逃げたなら、そのあとどうするか考える」
「はい」
「それと」
グレンが僕を見る。
「俺が追うなと言ったら追うな」
「はい」
「傷が開いて倒れられる方が面倒だ」
「……はい」
そっちの理由もあった。
次は、本当に気をつけよう。
◇
沢の近くまで移動すると、グレンは仕留めた角兎を地面へ置いた。
「食う分を処理する」
僕も自然に隣へしゃがむ。
「手伝っていいですか」
「血抜きは俺がやる。まず見てろ」
「はい」
グレンがナイフを抜いた。
刃が動く。
速い。
どこへ入れるか迷う時間が、まったくない。
僕も角兎を見る。
その瞬間、見慣れたものが視界へ浮かんだ。
薄い線。
角の付け根。
魔石のある場所。
皮を開くための場所。
【密猟】だ。
前に自分で角兎を解体した時にも見えた。
でも。
「あれ?」
グレンの刃は、僕に見えている線をそのままなぞっていなかった。
「何だ」
「そこを切るんですか?」
「そうだ」
「僕には、こっちに線が見えてます」
グレンの手が止まる。
「技能か」
「はい」
少し迷った。
でも、この人には昨日から命を助けてもらっている。これから狩りまで教わるのに、隠したせいで変なことになる方が困る。
「【密猟】っていう技能です」
「密猟」
「……はい」
名前にすると、やっぱり印象が悪い。
グレンが僕を見る。
「狩猟札は」
「持ってません」
「なるほどな」
それだけだった。
「怒らないんですか」
「俺の獲物を、俺の前で処理するのを手伝う分には、俺は困らん」
少し安心する。
「ただ、国の決まりは別だ。お前は狩猟札を持ってないんだろ」
「はい」
「なら、自分で獲ったり、勝手に素材を持っていけば無許可になる」
「……やっぱり密猟なんですね」
「技能の名前通りならな」
嫌なところだけ、ものすごくわかりやすい。
でも、今必要なのは犯罪について悩むことより朝ご飯だった。
「何を手伝えばいいですか」
グレンが角兎の後脚を指した。
「押さえろ」
「はい」
言われた通りに押さえる。
グレンが少し処理を進めたところで手を止めた。
「ここから先は、お前がやれ」
「僕が?」
「線が見えるんだろ」
「見えます」
「なら切ってみろ」
自分の短剣を抜く。
線に沿って刃を入れた。
止まる。
「……硬い」
「骨に当ててる」
「でも、線はここです」
「線は切る場所を教えてるだけだろ」
グレンが僕の手首へ触れ、刃の角度を少し変えた。
「立てすぎだ。もう少し寝かせろ」
言われた通りにする。
「力で押すな。滑らせろ」
もう一度。
今度は刃が入った。
ゆっくり引くと、さっきとは全然違う感触で肉が切れていく。
「……できた」
「次」
早い。
角の付け根へ移る。
今度は自分で刃を入れてみる。
また止まった。
「そこは先に周りを外せ」
「でも、線はここにあります」
「中にある物を取るなら、そこまで行く手順がいる」
グレンが手本を見せる。
僕の視界には、最初から「どこを切れば素材が取れるか」が見えている。
でも、そこまでどう刃を持っていくのか。
何を先に外すのか。
どんな角度で。
どのくらいの力で。
それは何も教えてくれない。
「技能があっても、全部やってくれるわけじゃないんですね」
「知らん。お前の技能だろ」
「そうなんですけど」
グレンが鼻で笑った。
もう一度、僕がやる。
さっきより少しだけ迷わなかった。
角を外す。
次は魔石。
これは前にも経験がある。
でも、グレンに言われた通りに刃を寝かせ、先に周りを開いてから取り出すと、前よりずっと簡単だった。
傷も少ない。
【密猟の熟練度が上昇しました】
表示が浮かんだ。
「…………」
「どうした」
「【密猟】の熟練度が上がりました」
「そうか」
グレンは取り出した魔石を確認した。
「さっきよりましだ」
それだけ言って、次の作業へ移る。
褒められたのかどうかは、微妙だった。
でも。
ちょっと嬉しい。
◇
肉を焼いている間、ユラは沢のそばに座っていた。
片手を土へつけている。
「また【樹脈感知】?」
「うん」
「何かわかる?」
「木、いっぱい」
「それは見ればわかるね」
「ちがう」
少し不満そうな顔をされた。
「ごめん」
ユラがもう一度目を閉じる。
少しして、森の奥を指差した。
「あっち、何かいる」
グレンが顔を上げた。
「近いか」
「わかんない」
「大きい?」
「わかんない」
昨日覚えたばかりの技能だ。
そこまで細かくはわからないらしい。
グレンも少し耳を澄ませたけれど、何も聞こえなかった。
「今は行かん」
「いいんですか?」
僕が聞く。
グレンが焼いている肉を見る。
「朝飯は獲った」
「でも、何かいるんですよね」
「ああ」
グレンは何でもないことのように答えた。
「狩りってのは、何でも殺すことじゃない」
僕は黙る。
「必要な分があるなら、それ以上追う理由はない」
地面に置かれた角兎を見る。
前に自分で狩った時は、そんなことを考えていなかった。
倒せるなら倒す。
素材が売れるなら売る。
お金になるなら、もう一匹。
それだけだった。
「森狼も?」
「何がだ」
「見つけたら、全部倒すんですか」
グレンは少しだけ黙った。
「村へ被害を出してるなら、必要な数は狩る」
「全部じゃない?」
「原因も数もわからんうちに、全部殺す話をしてどうする」
「あ」
そうだった。
まだ、何が起きているのかすらわかっていない。
グレンは焼けた肉を一つ僕へ渡した。
「食え」
「はい」
ユラにも渡す。
「熱いぞ」
「うん」
ユラが一口かじる。
表情が少し明るくなった。
僕も食べる。
昨日のスープより、ずっと肉の味が強かった。
自分も少しだけ処理を手伝ったからなのか。
いつもより、美味しい気がした。
◇
食事を終え、村へ向かう。
森の中を歩きながら、僕は朝に見た足跡を探していた。
すぐには見つからない。
見つけても、それが本当に足跡なのかわからない。
それでも、昨日まで何も見ていなかった地面を、今日は少し気にするようになった。
小さな斜面を下ったところで、グレンが急に立ち止まった。
僕も止まる。
今度は、枝を踏まなかった。
「何ですか」
グレンは答えず、地面へしゃがんだ。
僕も少し離れたところから見る。
大きな足跡があった。
昨日、意識を失う直前にも見た気がする。
「あれ」
「森狼だ」
グレンが言った。
かなり大きい。
一つ。
その横にもう一つ。
さらに、少し離れた場所にも同じような跡が残っている。
「何頭ですか?」
「最低三」
「村の近くに?」
「ああ」
グレンの顔が、朝までとは少し違った。
さっき角兎の足跡を見ていた時より、ずっと真剣だ。
「最近、増えてるんですか」
「村の近くで見る数はな」
「なんで?」
「それを調べてる」
グレンは立ち上がり、森の奥を見る。
「普通は、もう少し人を避ける」
その言葉が少し引っかかった。
「村で家畜がやられてるって言ってましたよね」
「ああ」
「僕たちに、何か手伝えることありますか」
グレンが振り返る。
「まず村へ行け」
「はい」
「そこで置いてもらえるかどうか決めてもらえ」
「……はい」
そうだった。
僕たちは、この森に住んでいるわけじゃない。
世話になっている村ですらない。
ただ、グレンに拾われただけだ。
「それからだ」
グレンが歩き出した。
「村が困ってて、お前にできることがあるなら、その時考えろ」
「わかりました」
ユラが僕の袖を引く。
「ユウ」
「なに?」
「村、行く?」
「うん」
「人、いる?」
「いると思う」
少し黙ってから、ユラが聞いた。
「怖い?」
僕も少し考えた。
王都。
マルグ。
兵士。
騎士。
この世界に来てから、人に見つかっていいことばかりだったわけじゃない。
「……ちょっと」
正直に答える。
ユラが僕の袖を握った。
「ユラも」
「そっか」
「でも、行く」
「うん」
僕も行く。
森を歩くうちに、少しずつ木々の間が明るくなってきた。
やがて、遠くに細い煙が見えた。
その下には屋根がある。
木の柵。
人の声。
グレンが言った。
「あそこだ」
立ち止まり、村を見る。
この世界へ来てから、知らない場所へ入る時はいつも逃げるためだった。
王城から逃げて。
王都から逃げて。
マルグからも逃げた。
でも今度は違う。
入れてもらえるかどうか。
自分から聞きに行く。
僕はユラと一緒に、グレンの後ろを歩き出した。
――――――――――
【現在のステータス】
榊 優 Lv.2
天職:【罪人】
【解錠 Lv.3】
【窃盗 Lv.2】
【密猟 Lv.2】
【詐欺 Lv.1】
【文書偽造 Lv.2】
ユラ Lv.1
【芽吹き Lv.2】
【樹脈感知 Lv.1】
【緑癒 Lv.1】
【今回の成長】
榊 優
【密猟】熟練度上昇




