乱歩とドイル
調べてみると、どうも私は初めから横溝先生のエピソードを知ってるわけではなかった。
そして、どうして乱歩先生は『悪霊』でドイルを持ち出したのか不思議に思った。
まあ、ホームズシリーズとかなら理解は出来る。でも、今回の『悪霊』はドイルの心霊部分のエピソードで書かれていた。そこが謎だった。
ついでに、なんだか面白くない。オカルト的にワクワクもしなかった。
だからその原因を調べていた。
物語を読み終えて、乱歩先生はオカルト部分はそんなに興味がないって印象だった。
作家がオカルトを面白いと思わないんだから、オカルト目的の読者が面白いと思うわけもないのだ。
そんな上から目線で話を追いかける。
始め、私も『悪霊』を密室の推理小説だと思っていた。だから、附記なんて殆ど読み飛ばした。
私は国語の成績は良かった方だが、この物語の附記の意味は殆ど理解しようとはしなかったし出来なかった。
まあ、適当なところでテンプレとしては理解していた。
作中作者が手紙のいわれについてなんか、いわくとか、手紙の価値を上げる解説をして物語を面白くする、映画番組の初めに解説のようなもの。
だから、適当に要点だけ拾えれば、もう、附記なんて読み飛ばしていいと思った。
それに、この物語の1番の見せ所は土蔵の密室殺人である。あの、江戸川乱歩がシャッポを脱いで謝った設定とやらを早くみたいとそればかり思ってしまった。
まあ、私にはそんな謎が解けるまでもなく、だんだんと読んでいると、なんか違和感の方が気になって、そのうち、心の中で『怪しい』『怪しい』と、ダメ出しする声が聞こえてくる。
その上、読み続けた先に待っているのは、犯人が分かりそうなところで『終わり』という仕打ちなのである。正直「なんだこりゃ!」と心の中で叫んでしまった。
でも、そこで文句を言って考えなくていいのは傍観者であって、WEBで一儲け考える底辺作家はそこで終わるわけにはいかないのである。
例え、結末のない『なんだこりゃ!』な作品といっても、あの江戸川乱歩の作品である。ついでに、著作権が切れているから使えるし、なんだか知らないけど、ここに来て100周年のアニバーサリーがてんこ盛りになるのだから、自分で一から変な話を書くより、『悪霊』をモチーフに作品を作れば、検索に引っかかるしPVは稼げそうな気がした。
ついでに、明智小五郎のデビュー100周年を祝う話とかを書いていたから、なんか作品を作らないままではやめられなかった。
考えた。
何でここでドイルのSPR(心霊)な部分でを書く事にしたんだろう?
その答えは簡単に検索できた。コナン・ドイルは1930年に亡くなっていたのだ。だから、当時の情報の流れから言うと、3年後の1933年あたりにドイルの話題を取り入れようと考えるのは必然な気がした。そして、晩年の作品はチャレンジャーシリーズなのだ。
多分、最期の作品になったのは『未知の先端(The Edge of the Unknown)』という心霊エッセイだと思う。
なんで心霊関係の話で作ったのか?
これについては、何度も横溝説を書いているけれど、調べると、初めから横溝先生の話を私は知っていたわけではなかった。だから、ドイルを調べた。
ホームズシリーズの終焉と、ホームズのその後の話を知ってから、乱歩の人生にそれを重ねると、本当にドラマチックな物語が浮かんでくる。
何で、この話はこんなに物語がドラマチックに続くのか、混乱する。
でも、ホームズは1926年には養蜂をしながら引退してるので、多分、1925年にまでは現役だったと思う。この辺りは違っていたらシャーロキアンと呼ばれるファンの人に笑われるんだと思うけれど、私に今、調べてる時間がない。だからこれで妄想するとドイル自身はもう、ホームズに魅力を感じていなかったのだと思う。
1925年、この年にあの横溝先生が後に翻訳された『霧の国』チャレンジャーシリーズが発表されているのだから。
何度も書いているから、1925年言う年のドラマ性をこの時点で感じる人は多いと思う。
そう、1925年は乱歩先生が副業を辞めて小説家として一本で働くと決めた年であり、明智小五郎の生まれた年でもあるのだから。
そして、横溝先生にも感慨深い年であったのには違いない。この年、乱歩先生に勧誘されて翌年、1926年に東京の出版社で働く事になるのだから。
『霧の国』は乱歩先生にも、横溝先生にも思い出深い作品なのかもしれない。
お二人はどう思ったのだろう?
世紀を超えて最強の名探偵を産んだ男が、それを完全に捨ててオカルトに傾倒するさまを。
だから、横溝先生が1933年、フリーになってこの『霧の国』の翻訳の仕事が回ってきた時、どんな気持ちでこの仕事を受けたのかは気になる。
私を含め、ドイルファンなら、チャレンジャー博士よりホームズの推しの人が多いと思うし、興味のない人からすると同じ『ミステリー』としか思ってない人が多いんじゃないだろうか?でも、推理派とオカルト派は思っている以上に混ざらないんだと思う。
2025年『霧の国』でチャレンジャー博士が心霊の存在について肯定したような話を読んでお二方は何を考えたのだろう?多分、若き2人の天才推理小説化は否定したのではないだろうか?
横溝先生からしたら、出版業界にデビューする前年の話である。
期待や夢と共に批判したかも知れない、そんな作品を、雑誌の廃刊でリストラ フリー転身みたいなところで翻訳の仕事として貰うことになるなんて、すごくドラマチックではないだろうか?
当時、無名に近い横溝先生はきっと複雑な気持ちで、各局、この案件が後世に残る自分の作品になるんだろうな、と、感慨深く、そして、なんとか面白く、日本でも人気の作品にしようと翻訳されたのではないだろうか?
と、こんな因縁がある作品なんだんだから、きっと1932、3年、乱歩先生と横溝先生がこの作品について、昔話をしながら話していた可能性はあると思う。
ただ、ここで乱歩先生の認識が、私の認識と同じではなかったんだと今は思う。
初めてこの話を読んだ時は、ただ、おかしいと自分の意見を押し付けていたんだけれど。
「面白いですわね。乱歩、横溝両先生の人生の分岐とサー・ドイルの人生の分岐が交差するなんて。」
ナツメは夢見がちにそういう。
「そうだね。でも、『霧の国』のチャレンジャーシリーズは1912年から執筆はされたいたんだよ。で、ここで分かったんだけれど、チャレンジャーシリーズの多分、最初の物語『ロストワールド』は映画化されていてね、日本の公開時期が1925年8月らしいんだ…」
まさか、こんな事って、書いてる時にこんな情報拾うなんて、なんだかなぁ。こんなんだから話が先に進まないんだよな。
「まあ、ドイル先生って、SF方面でも成功されていたのですわね。」
ナツメは少しがっかりしたようにため息をつく。
「そうみたいだね。でも、がっかりしなくても。
あーあ。ここに来て、『ロストワールド』を見に行く横溝先生と乱歩先生が見えるようだわ(;ω;)なんか、またイメージが変わってゆくんだよ。
ここで、当時、最新鋭の映画としてドイルのSFを見ていたと仮定して始まる話って、なんか印象が変わるんだよね。当時は無声映画で、多分、活動弁士が横にいて、説明したり、セリフを言って見たりしているのかもしれないわ。」
あーあ。この先、どうなるんだろう?『ロストワールド』は恐竜が登場する物語である。私は90年代人気だった恐竜の映画を見た事を思い出した。当時、画像も音も凄くて、びっくりしたことを思い出した。
1925年のロストワールドもネットの時代、条件が合えば視聴できる。
この作品は特撮映画で恐竜が登場する!動く。なんかぎこちなさが懐かしい。
乱歩先生や横溝先生も、最先端の映画を驚きながらも見たりしたんだろうか?
そして、多分、その思い出は、とても、素敵なものだったに違いない。
なんて、90年代の懐かしい恐竜映画の事を思い出しながら思った。
乱歩先生が呼び寄せて始まった横溝先生の出版生活。
1933年、フリーになってそれほど経たない時の横溝先生の肺病。
その時点で多分、1番大きかったろう仕事がコナンドイルの『霧の国』
乱歩先生は重病と噂される横溝先生の容態を思いながら、この作品を思い出したりしたのだろうか?




