2-3
「あ、雪月―。おかえりー」
帰宅して自分の部屋に入ると、俺のベッドを天使が占領していた。
ゲーム機(ウチにゲーム機はない)で遊びながら、サイドデスク(勝手に置かれた)の上のポテチを取り、食べる。コーラを掴み、飲む。
絵に描いたような悠々自適である。風花との放課後デートのせいで、肉体的にも精神的にも疲弊しているのに勘弁してほしい。
「お前の自由っぷりは一回置いておく」
手前の金なら文句はない。こいつを支援している団体は気の毒だが。
「どうして俺の部屋なんだ?」
その、なんだ。色々と目のやり場に困る。
寝っ転がっているせいだろう。ゆったりとした肩紐ワンピースは乱れに乱れ、首から下の肌が際どく露出していた。
なんかピンク色のものが見えるような――――いやいや、きっと気のせいだ。
「だって、ここしか選択肢ないじゃーん」
「風花の部屋があるだろ!」
親父の部屋はない。いつも居間で寝ている。
「風花と一緒とか無理だって! あの子、頭おかしいじゃん!」
「たしかに」
めちゃくちゃ納得した。
「雪月も大変だよねー。アレの相手をしなきゃいけないんだからー」
「まさか、お前から慰められるとはな」
「リオンの胸に飛び込む?」
いたずらっ子の顔でニマニマ笑っている。
表情はとんでもなくムカつくが、今の気分的にはその提案も悪くない。
だけれども――――
「お前、死にたいのか?」
「前言撤回。リオン、死にたくない……」
そんなことが隣の部屋にいるクリーチャーにバレたら?
もちろんリオンの命はない。殺される。
「なぁ、人類が滅ぶとかガチなのか?」
ベッドの縁に腰掛けて、気になっていた疑問をリオンにぶつける。
「ガチだよー」
「そんな淡々と言われてもな」
「リオン達からすればさ、今の人類が滅びようが究極的にはどうでもいいんだよね。別の知的生命体が生まれるでしょ。いつかは」
地球の誕生からは四六億年。その中で人類の歴史はたった二◯万年。
有名な話だ。科学的に証明されてはいないが、人類以外の知的生命体が存在していた可能性も否定できない。
「そもそも天使って何なんだよ?」
「生命萌芽のメタファー? 拡張性が概念化したもの? 神を補助する存在って言えば、サルにも分かりやすいのかな」
「ちょくちょく見下してくるのやめろな?」
こいつからすれば、人間と類人猿に大きな差はないのかもしれないが。
「んで、この場合の『神』とは?」
俺個人の見解だが、たぶん神はいるんだと思う。だけどそれは、象徴的で、宗教的な、人間が考えるような存在ではない。
もっとこう、言葉に出来ない。語れない。そういう何かだ。
「君らの言語体系の限界内で説明すると、『神秘』とか『奇蹟』かな? より俗的に表現すればプログラムじゃない?」
「プログラム?」
「そうそう。君らがこうして生きていること。それ自体」
「やばい、ちっとも分からんぞ」
「そこに至っている人間もいるんだけど――まぁいいや。話が逸れているね。つまりは、神や天使からするとホモサピエンスに執着する必要がないってこと」
諦めたような顔が悔しい。
いつか俺にも分かる日がくるのだろうか。いや、そもそも『分かる』ものではないのかもしれないけど。
「たしか与党と野党があるんだよな。今の人類を推進する側と、地球そのものに投資する側だったか」
「君らは使い勝手がいいんだよね。そこそこ知性があるから、リオン達も交渉が出来る。与党の『人類ハッピー党』。略して『人ピ党』からすると、今の人類と癒着していた方が都合がいいんだよ」
「おっと、政党名が狂っていて説明が入ってこないぞ」
ヤバい葉っぱとか吸ってそう。こいつらが同陣営であることは、人類にとって明らかにマイナスだ。
「野党側は『人類から地球を守る党』。略称は『Earth党』だね」
野党も野党で大概だった。この手のネタは危ないから止めた方がよくない?
「とにかく、君らはリオン達に利用されていればいいの。Earth党が政権取ったら、間違いなく人類は淘汰される。彼らの目的は地球の延命だから」
「でも、現人類を推進する側が多数なんだよな? どうして政権交代の危機に?」
「長くやってると汚職と腐敗が進んでいくんだよねー。現人類の誕生から二◯万年、今の体制が続いてるからさー。これを俗に『二◯万年体制』って言うんだ。テストに出るからちゃんとメモした方がいいよ」
「でねーよ」
人類を下等生物扱いしてくるのに、天使の政治もロクでもないな。
「んで、そのトドメがリオンの汚職なんだろ? 一体、何をやらかしたんだ?」
「そのぉ、あのぉ、君たちの脳の報酬系を弄っちゃったんだよねぇ……」
「ん?」
こいつは何を言っているんだ。とんでもないことを口走ったような。
「地球上のほとんどの生命が『グルコース』、簡単に言うと『糖』を求めて活動しているんだけど、君らは異常に糖を求める設計になってるんだよね。リオンが弄ったせいで」
「え? はぁ? えと、何が目的で?」
雑学の本に「砂糖には麻薬と同じくらい中毒性がある」と書いてあった気がする。
その脳の設計に目の前の天使が介入しているらしい。
「いやさ、甘いものって美味しいよね? それを過剰に求める生物は、いつかきっと自然界にない濃度の糖を生成できると思ったんだよ。目論見は成功! 君たちは素晴らしい。このポテチもコーラも、過剰に糖を求める性質の賜物だよね!」
「お菓子やジュースを得るため、恣意的に人間の機能を弄ったと?」
「そういうこと! その副産物として、文明もすごく発達しちゃってもう」
「シンプルに疑問なんだが、それって天使的にOKなのか?」
「もちろん駄目だよ! 政策として決まったこと以外で不当な介入は禁止!」
ふむふむ、なるほどなぁ。
「それってやばいんじゃないの?」
「やばい! バレたら大問題だよ! 党は解散に追い込まれるんじゃない?」
「その証拠となるデータが風花の中に隠されている、と」
「うん!」
「よーし、ちょっと歯を食いしばってくれ」
「暴力!? ちょ、待って! リオンは君らの進化に寄与した存在だよ!?」
何してくれとんねん、この天使は。え、なんか嫌なんだけど。このポンコツのおかげで人類は発展してきたってこと?
見方によっては人類の創造主みたいなものじゃないか。
「もういいや。過ぎたことを言っても仕方ない」
「前向きでいいね! リオンはそういう素直な子が好きだよ――――操りやすくて」
やっぱ殴った方がいいのでは?
「とにかく、そのデータが野党側に流出したらやばいと」
「そういうこと」
「だったら、風花の中に隠しておいた方がいいんじゃないのか?」
「結局のとこ、人間って死ぬでしょ? その後、天国に送られるんだけどさ。天国にいる検問官に見つかったらジ・エンド。その前に回収する必要があるんだよ!」
その辺の設定は聞かない方がよかったかもしれない。死後の壮大なネタバレだ。
「はぁ、そうかよ。あらためて、自分の使命ってやつが分かったよ」
「そういうことだから引き続きよろしく……と、そうだ! もう一個だけ、事前に伝えておきたいことがあるんだよね」
「まだあるのか」
「野党側の天使が介入してくる可能性があるかもっ! リオンの動きが不審すぎるから、マークされているっぽいんだよね」
「つまり?」
「君たち二人の周りでトラブルが起きるかも」
「……勘弁してくれ」
妹との恋愛でも手一杯なんだ。これ以上、要素を増やさないでほしい。
「一応、表立っての介入は出来ないはずだよ。ただ、傀儡の人間を差し向けてくるかも」
「むしろ人間の方が怖いけどな。リオン含め、天使ってのは質が悪い」
自分たちでやり合うんじゃなくて、俺ら人間たちに代理戦争をやらせている。
巻き込まれる方の身にもなってほしい。
野党側に付いた人間がまともであることを祈るばかりだ。
「いやいや、そんなことないってば! これでもリオンは君らを尊重しているんだよ? やろうと思えば、風花の貞操を無理矢理にでも――――」
「やめろ。それ以上言ったらタダじゃ済まないぞ」
自分でも驚くくらい冷たい声が出た。
本気でリオンがそれをやろうとしたら、俺はどんな手を使ってでも阻止する。
そう、どんな手を使っても。
今の状況は、俺にとって好ましいものではない。それでも、風花の幸せを壊すような真似は絶対に許さない。
「……ごめん。例え話でも口にすべきじゃなかったね。そこは信じてほしい。君らの意志に背くようなことは誓ってしないから」
「あぁ、そうしてくれ」
このお調子者を嫌いになりたくない。
「話は分かった。警戒しておく」
「うん、よろしく頼むよ」
周囲の様子には気を配っておこう。急に接触してくるやつは危険かもしれない。
天以外は信用できない。天だけは俺を裏切らないと分かっている。愛し合う二人は神や天使にも引き裂けないからな。俺と天は常に運命共同体だ。大好きだよ。
「んでさ、リオン。昨日も言ったけど、夕飯前にポテチ食うな」
「大丈夫だいじょーぶ! 雪月の作るご飯は美味しいから別腹だって!」
「っっ!」
不意打ちだった。そんな笑顔で言われたら、そりゃ照れるよ。
「あれれー? もしかして雪月ぃー? 照れてるぅ?」
「て、照れてねーよ!」
「このこの~、可愛い奴だなぁ~」
「おい、やめろ! うっとうしい! 抱き着いてくるな!」
後ろから腕を回してくる。
実妹の柔らかさには欲情しないが、リオンのそれには反応をしてしまう。風花の方が大きいはずなのに本能とは恐ろしいものである。
「はーい、ストーップ」
『へ?』
部屋に風花が入ってきた。まさかのタイミングだ。
いや待て。いくらなんでもタイミングが良すぎるぞ。これは偶然なのか?
「ずーっとカメラで見てたよ? もぉ、身体接触は駄目だってぇ――ね、リオン?」
『ひぃ!?』
リオンは身の危険を感じて、俺は部屋に監視カメラがある事実に戦慄をして、二人とも素っ頓狂な声を上げてしまう。
「フーも大人だからね? お兄の部屋でリオンがくつろいでいることには怒らないよ? ほんとうだよ? お兄の匂いに包まれていいのは、フーだけ……とかも思ってないよ? それにお兄以外の雌犬の匂いが付くのは嫌だなぁ……とかも考えてない。だって、リオンって天使だから両性具有なんだよね? じゃあ、ギリギリセーフかなぁ。可能であれば、メスの部分を何とかしてほしいけど、身体的な特徴は仕方ないもんね。それを無くすって大変なことじゃん? リオンも痛いのはいやだろうし。うんうん、フーって優しいなぁ。だからね? こんなフーが譲歩しているんだからさ? 節度は守ってほしいな?」
リオンは半泣き状態で床に頭をこすりつけていた。
感情のない瞳で凝視されると、人間も天使も関係なく立っていられない。
「ま、待ってくれ……か、カメラって……お前なぁ? ぷ、プライバシーが……」
「会話は聞いてないよ? プライベートは尊重してるよぉ」
その考え方であるのなら、部屋にカメラを設置したりしないと思います。
「か、カメラも止めていただけませんかね……?」
「うーん、それは嫌かな? お兄もフーの部屋にカメラつけていいよ?」
「いや、俺はいい」
それで喜べるのは変態だけだ。というか、いつから仕掛けられていた?
だってその、さ? 俺も男なわけで――ねぇ? やめよう、考えたら生きていけない。
「えー、お兄を想ってあんなことやこんなことしてるのにぃー」
「…………(絶望)」
天、助けて。怖い、俺もう無理。天、そら、そらぁぁぁぁぁぁぁぁあああ!
さっきの発言を取り消したい。もしかしたら、ウチの妹は幸せになっちゃいけない人間なのかもしれない。こいつの幸せは周囲の日常を完全に破壊する。
「は、話し合おうぜ? カメラはやっぱり、な? 風花を嫌いになっちゃうぜ?」
「むむむー、お兄に嫌われたくはないよぉー」
「うん、だからな?」
「じゃあ、交換条件ってことにしよ? 今週末、二人でデートしたい」
「お安い御用だよ」
まんま文字通りである。カメラを回収してもらえるなら、それくらいは余裕だ。
「やったぁ! おにいとデート♪ おにいとデート♪」
「ははは……」
とりあえず機嫌が直ったのだろうか。
これで後はカメラを取り外してもらえれば一件落着か。
「あ、リオン」
「うへっ! な、な、なにかなっ!? 風花っ!?」
「――――あとで、フーの部屋に来て?」
「命だけは!」
「ふふ、大丈夫だよぉ? まだツーストライクだからね。命までは取らないってぇ」
スリーストライクになると、どうなってしまうんでしょうか……?
リオンが「助けて!」と懸命に視線を送ってくるが、何もすることもできない。
ごめん、俺は無力だ。
その日の夜。両耳をイヤホンで塞ぎ、ガンガンに音楽を流しながら眠った。
隣の部屋から漏れてくる声を聞くのが怖すぎたので。




