1-5
「ふぅ、やっと帰ってこれた」
リオンが大量購入したコーラとポテチに圧迫されながら帰宅する。
自腹(謎のクレカを手渡された)なので止めはしなかったが、それを持つのが俺であることを失念していた。
リオンは実体化しないと、モノに触れることが出来ないらしい。
見えている俺たち双子は例外との事だけども。
「早速、実体化! きゅいーん! よーし、久々のコーラとポテチ!」
頭のリングと翼が消える。人間離れをした整った容姿は相変わらずだが、この状態なら海外の子供とかでギリギリ通せそうだ。
「夕飯前に菓子を食うな」
「へ? え、その……リオンも食べていいの?」
「そりゃ、リオンだけ仲間外れなのは気分悪いだろ。食材代も払ってもらったし」
「ゆ、雪月っ!!」
「うわっ、なんだよ!」
リオンがいきなり抱きついてきた。
ふわっと甘い香りがする。柔らかい感触に頭がクラクラした。
「根暗で捻くれてそうなのに、意外と良いところあるねっ!」
「貶すか褒めるか、どっちかにしろ!」
「褒めてるよ! リオンは、リオンに優しくしてくれる人が好き!」
「結局、都合のいい人間が好きなだけかよ! つか、いいかげん離れろ!」
こんな幼児体型なのに、体に当たっている部分が全部柔らかくて、もちもちしていて、邪な感情が沸々と湧いてくる。
天使に性別があるかは知らないが、肉体のベースが女性に近いのは確かだ。女嫌いを公言しているのに、女体には反応するのか。それは筋が通らない。
自分で自分が嫌になる。そんな自己嫌悪に陥っていると――――――
「リオン、お兄から離れて?」
『ひぃ!?』
風花の姿を見て、悲鳴が漏れてしまう。
目のハイライトが消え、口元は不自然に吊り上がり、頬をピクピク痙攣させている。
手には陸上スパイクが握られ、靴裏の鋭いピンが鈍く妖しく光っていた。
「リオンって、いま実体化してるんだよね?」
「えっ!? う、うん!? そ、そ、そうだけど!?」
「じゃあ、このスパイクで殴り続けたら……どうなるのかなぁ?」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!」
なにこの惨状。リオンが床に頭をこすり付けている。
対してメンヘラ女は「ストライク一個で即アウト判定だけどねぇ。リオンにはお兄との関係を進展させてもらったし、特別に許してあげようかなぁ」とブツブツ呟いている。
怖いです。これ、僕の妹みたいです。助けてください。
「お兄」
「はひ!」
やばい、こっち見たぞ。殺される。
「浮気はめっだよ?」
「ち、ちなみに、浮気のラインはどこからですか……?」
後学のために知っておきたい。この妹の地雷がどこにあるのか。
「別にラインとかないよぉー。常にフーのことを考えてくれればいいよ? 起きてる時も寝てる時も。一分一秒すべての時間でフーを想って? 愛して? だから、強いて言うのなら、フー以外のことを考えたり、意識したら、浮気だよね。まぁ? お兄は大丈夫だと思うけど。お兄はフーを愛してるもんね? フーが一番大切だもんね?」
「もちろんさ!」
これ以外を口にしたら、おそらく命はない。
「よかったぁ。そうだ、一応ね? ないとは思うけど――――もしもお兄が浮気したら、フーは浮気相手を消すよ。だから、お兄? フーを犯罪者にしないでね?」
「…………(絶句)」
初めて知りました。「殺す」より「消す」の方が恐ろしいんですね。
人類の滅亡を回避するため、風花と向き合うことにしたけど、それがなくてもこの妹はヤバすぎる。世のためにも縛り付けたほうがいい。
俺は人身御供だ。風花を釘付けにして、世界を、人類を守らなくては。
「じゃ、ご飯にしよー? お兄のカレー、楽しみだなぁ!」
『…………』
リオンと目を合わせて頷いた。これからの共同生活は想像以上に命懸けである。
俺たちは協力者だ。力を合わせて、怪物に対処をしよう。
「お兄、おにぃ、お・に・ぃ♪」
野菜を切っていたら、真横から視線を感じる。気になって仕方ない。
横目で盗み見ると、風花がこちらを凝視していた。とてもご機嫌そうである。
「なんだよ」
「お兄の指ってきれいだよね。色白くて、細くて。でも、男性的な力強さもあって。あぁ好き。切られる野菜が羨ましいよぉ! あぁ、フーも野菜になりたいぃ!」
「だ、大丈夫か?」
頭とか特に。
「大丈夫じゃないよ! お兄への愛で溺れそう! 人工呼吸して!」
「あはは、風花は面白いなぁ」
雪月はスルースキルを獲得した!
「……人工呼吸、して?」
しかし、まわりこまれてしまった!
「まずはゆっくり着実にな? 風花のことを丁寧に知っていきたいんだよ。急ぎ過ぎて、大事なことを見落としたくない…………だから、な?」
雪月は『風花処理レベル1』を獲得した!
「お兄ちゅきぃ!」
「ちょっと待ってろよー。もう少しで出来るからなー」
昨日までの日々が懐かしい。
一人黙々と準備する夕餉。風花に支度が整ったことを伝えても無視され、俺の食事が終わるタイミングを見計らい食卓にやってくる。
それもそれで寂しかったが、今は絶対にやり過ぎだ。
「もっと構ってよ~! えい!」
「ちょ、ばか! 包丁、扱ってるんだぞ!」
風花が後ろから抱きついてくる。けど、あれだな。リオンとは違って、風花からの抱擁だと何も感じないな。
「くんくん、フー以外の事考えてない?」
「か、考えてねーよ!」
なんかよく分からない匂い(?)を嗅ぎ分けている。
この妹、どんどん人間離れしていくな。
「というか、ほんとに危ないから――――――痛っっ!」
「お、お兄っ!」
「あー言わんこっちゃない。絆創膏取ってくるから、一旦離れてくれ」
揉みくちゃになったタイミングで指先を軽く切ってしまう。思った以上に出血しているが慣れたものだ。かれこれ何年も包丁を扱っているからな。
「ご、ごめん! ごめんね、お兄……」
「大丈夫だ。次から気を付けてくれればいいよ。じゃあ、いいか?」
「だめっ!」
移動したいのに、風花が頑なに離れようとしない。
「だめって言われても……」
「フーのせいだからっ! フーが責任取る!」
「ちょ、ちょ、待て待て待てっ!?」
手をがっしりホールドされる。
この時点で何をされるか想像がつく。だが、静止の声は届かなかった。
風花は躊躇うことなく、俺の指を口に咥える。
「衛生観念! 汚いって!」
「ほんなことらい。おにーのふぁいえき、おいちい」
「……っ!」
なんだよ、この光景は。妹が自分の指を咥えている。おかしい、おかしいぞ。
唇をすぼめて、ちゅーちゅーと血を吸い出し、舐るように舌を這わせる。
指先が温かくなって、ピリピリしてきた。それは痛みによるものではなく、認めたくはないが、快楽に近しいものだ。夢中になって指を舐める表情も官能的で艶めかしい。
脳が麻痺しているのかもしれない。妹から『エロさ』を感じている。
「ひたくらい?」
「だ、大丈夫だ……」
やめろと言いたいが、なかなか言葉に出来なかった。
目先の快楽から逃れられない。そんな自分の短絡さに絶望しながらも、指先の温もりに意識が集中してしまう。
「――――これで、よし」
血を吸い終わったみたいで、風花が指から口を離す。どれくらい経ったのか。既に時間の感覚はない。湿った指先は外気に晒されて、急速に熱を失っていく。
その温度の変化に名残惜しさを感じてしまう自分が嫌になる。
「お兄、可愛い……」
「はぁ!?」
「気持ちよさそうな顔してた」
「し、してねーわ!」
断固として認めたくない。妹の前でそんな醜態を晒してしまった事実を。
「ううん、してたよ? すっごいエッチで、かわいい顔」
はぁはぁと荒い息で顔を近づけてくる。
「近い、近いって!」
「フーもえっちな気分になってきた――――お兄しゅき、しゅきぃ、しゅきぃぃぃ!」
「ちょ、落ち着け! リオンもいるんだぞ!」
居間でゲームしているリオンに助けを求める。
目が合う。ニコっと笑う。親指を立てて、玄関の方に向かっていく。
「待て、リオン! 薄情もの!」
やばい、発情した妹と二人放置される。
肉食動物と同じ檻に入れられた草食動物の気分です。
「ねぇ、お兄……? フー、ね? 今、すっごく濡れてるよ……?」
「やだぁ! 助けてぇ! そらぁ!」
どこが濡れているのか怖くて聞けない。聞いたら終わる。
無理だって。本当に無理。はじめては好きな人(天)って決めているんだ。
「――――只今帰りました……いや、『ただいま』の正式なやつ!」
咄嗟の判断だった。
風花と互いを突き飛ばしあって、ほんの一瞬にして物理的な距離を空けた。
「ん、なんだー? 珍しいな、雪月と風花が一緒にいるなんて」
「それより親父。そのギャグつまらんから、金輪際やらないでくれ」
「何だと! 面白いだろ! 三日三晩考えたんだぞ!」
「芸人人生、ほんとにお疲れさま」
「勝手に引退させるな! ばかやろう!」
芸人なのに間が悪い。いや、この場合はいいのか。サンキュー親父、助かった。
我らが双子の父。一ノ宮太郎。職業はお笑い芸人。
数十年前に『あぱダンス』という意味不明なギャグで一世を風靡した一発屋芸人。
キー局の番組出演はほぼ皆無で、たまに呼ばれても「あの芸人は今」枠である。地方での営業や仕事がメイン。そういう仕事柄、家にいる時間もバラバラだ。
「あ、そうだそうだ! 玄関で銀髪のかわいい子ちゃんと遭遇したんだった!」
「えへへ……つい、玄関でばったり」
親父の後に続いて、リオンが居間に戻ってきた。気まずそうにしている。
実体化中のため、親父にもしっかり認識されていた。
「この子、どっちの知り合いだ?」
今日まで俺と風花が一緒にいる事はほとんどなかった。それもあって、共通の知り合いという発想はないらしい。
風花に目で合図を送った。上手いこと誤魔化してくれ。
「……ん(俺の方を指さす)」
「はぁ!?」
おいおい、無茶ぶりが過ぎるだろ!
「雪月の知り合い……だと? まさか誘拐したのか!? この恥知らず! お前みたいなバカ息子に、俺の跡は継がせないぞ!」
「一発屋の跡なんて継ぎたくないわ! だから、違うんだって。えーと、その、幼い外見だけど、海外からの留学生で。そんでウチのクラスになって、まぁ、そんな感じだよ」
「もしかして、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国から?」
「イギリスでいいだろ、そこは!」
そして、天界からです。こじれるから言わないけど。
「うむ、留学生か。釈然としないが、そういうことにしておこう。あらためまして、雪月と風花の偉大な父です。ゴッドファーザーです。お名前を聞いても?」
いちいち突っ込むのが面倒なので放置します。
「リオンはリオン!」
「ほうほう、リオンちゃんか。ちなみに雪月とはどういう関係なの?」
余計なことを言うなよ。目で威圧しておく。
「雪月専用の淫乱肉奴隷です!」
「ふざけんな!?」
考え得る中で最悪な回答じゃないか。笑ってんじゃねぇ。
「雪月だけズルいぞ! 俺も混ぜてくれ!」
「誤解だっての! 仮にも芸人なんだから、スキャンダルを気にしろよ!」
「安心しろ。俺レベルじゃ記事にもならん。うぅ……ひぐぅ……うえぇ…………」
「マジ泣き!? 父親のマジ泣きとか見たくないんだが!?」
カオスだ。カオスすぎる。誰かなんとかしてくれ。
助けを求めて、これまで静観していた風花の方に顔を向ける。
「……ぷい」
しかし、顔を逸らされてしまう。兄好き好きの態度はどこに消えたのか。
ふぅ、なるほど。親父の前ではいつも通りってことね。
ブラコン全開な様子を肉親の前では見せたくない。そんなところだろうか。
「あぁ、もう! とりあえず飯作るから! 座って待ってろ、全員!」
夕食はいつも以上に賑やかだった。
ボケ倒す三流芸人、空気を読まない天使、ツッコミに回るしかない俺。一方で風花は、昨日までのように大人しかった。
――――もしかして、全部が夢だったんじゃないか?
電気を消して布団に入る。
今日の出来事を振り返ってみるが、後半はあまりに現実感がなかった。双子の妹からの告白、天使の登場、人類滅亡の危機、何もかも嘘みたいで。
でも、親父の帰宅後は風花と会話をしていない。いつもの現実だ。
だからこのまま朝になってしまえば、すべてが元通りになるんじゃないだろうか。
冷静に考えて、俺たちが結ばれる未来は――――
「お・に・ぃ♪」
「……はぁ」
パジャマ姿の風花が部屋に入ってくる。その腕には枕が抱かれていた。
「ねぇ、お兄。一緒に――」
「寝ない」
「えー、ひどーい!」
くねくね、ふにゃふにゃ、俺の知っている風花ではない。
「やっぱ、夢じゃないんだな」
「夢のような日々だよ! 明日からフーとお兄が過ごしてゆくのは!」
想像したくない。俺たちの関係が行き着く先、その未来を。
実の兄妹で恋愛をする。簡単には受け入れられない。
人類が滅んでしまう。そのインパクトで天秤がつり合っている。
「お兄、大好き!」
「正直さ、俺には分からない」
風花を恋愛的な意味で好きになれるのか。その答えは俺の中にはない。
考えたことも、考えようと思ったこともないのだから。
「大丈夫、安心して! 絶対にフーを好きになるよ! ううん、させてみる!」
「安心していいのか、それ……」
「だから、一緒に寝よ?」
「断る。初日からぶっ飛ばし過ぎだって」
「いけずぅ!」
高校生の妹と同衾とか、考えただけでも悪寒が走る。
「心の準備がいる。急には無理だって」
「徐々に慣らしていく感じ?」
「それで頼む」
慣れるのかは知らんけど。
「もぉー、仕方ないなぁ。じゃあ、今日はこれでおしまいっ――――ちゅ」
「っっっっ!?」
風花の顔が近づいたかと思うと、頬に温かいものが触れた。
指を当てると、わずかな湿り気がある。つまり、そういうことなんだろう。
「ば、ばか! おま、お前っ! 何やってんの!?」
「ふふ、照れちゃって!」
「照れじゃない! 怒りだ、これは!」
「妹のほっぺチューだよ? 嬉しいくせに~~~」
「ちっとは自重してくれ」
「無理ですぅ! 積年の想いを受け止めて(ハート)?」
幼少期の抑圧が反動として現れる。そういった類の話かもしれない。
お菓子を禁止されると、逆に甘いものへと惹きつけられてしまう。人は手に入らないものに憧れる。
だけど、もしも、それを手に入れることができる状態になったら?
狂ったように求めてしまうのではないだろうか。
「じゃ、お兄! おやすみ!」
「…………おやすみ」
とにかく、これだけは間違いないだろうな。
俺が愛した日常は戻ってこない。




