4-3
母親を憎んでいる。
幼稚だと自覚しているが、『母』という言葉すら使いたくない。他の家のごく普通の母親たちには申し訳ないが、その単語だけでも嫌な記憶が蘇ってしまう。
親父も、俺たち兄妹も、母親から捨てられた。
一発屋の親父がTVに呼ばれなくなり、家計が火の車だった時期のことだ。
金の切れ目が縁の切れ目。あの女は家族を切った。
そして、離婚間際に言い放った言葉がある。俺はそれを忘れないし、絶対に許さない。
「双子じゃなければね。雪月だけでよかったのに」
小学生の子供にそんな最低な事を言えてしまう人間なのだ。
その日から母ではなく、明確な敵となる。
母を一人の女と認識したことで女そのものも嫌いになった。
最近は奏さんや恵さんのおかげもあって、女性全般への嫌悪は薄まっているけど。
何はともあれ、あの日あの時に俺は一つの誓を立てた。
だから、あいつを――風花を生半可な気持ちで受け入れることは出来ない。
「ねぇ、雪月。今週ずっと変じゃない?」
「……そうか?」
体育の授業中だった。種目はバスケ。俺と天のチームは早々に敗退したので、体育館の端っこで決勝戦をただ呆然と眺めていた。
今日は金曜日。あの箱根旅行から五日ほど経過していた。
あれから風花とは口を利いてない。以前までのような距離感に戻っていた。
能天気なリオンも、さすがに「どうしたの?」と心配している。兄妹喧嘩というわけでもないので、仲直りってのも違う。
普通に会話するくらいなら構わないんだけどな。風花の方が俺を避けていた。
こうして戻ってきた平穏な生活。もちろん不満はない。心は穏やかだ。
だけど、なぜか釈然としない。
「そうだよ! だって、ボクに全然セクハラしないじゃん!」
「セクハラされたいのか?」
「の、のーこめんとっ!」
目を不等号みたいにしていた。え、超カワイイんだけど。
焦って手をバタつかせるのも萌える。もしかして満更でもなかったのか。
「とりあえず結婚するか?」
「軽いよ!」
「まぁ、冗談だ」
相変わらず、天との会話は楽しいな。
「……やっぱおかしい」
「へ?」
「いつもの雪月だったら、そんな簡単に引き下がらないよ」
えー、そんなこともないと思うけどな。
あまり自覚がなかった。たしかに風花とのことは頭にあるけどさ。私生活に影響が出るほどのことじゃない、と考えている。
「そもそも、男同士で結婚できないだろ?」
「今更、それ言うの!?」。
「――――結局さ、俺みたいな人間は常識の外にはいけないんだよ」
天に話しているようで自分自身に伝え聞かせる言葉だった。
たまにおかしいとは言われるけど、最後のラインを超える覚悟も度胸もない。
「雪月がどうしてそんなこと言うのか……正直ボクには分からない。でも、少なくとも、雪月はもっと面白い人間だよ! 今はなんか枯れてるっ!」
「枯れてる、か」
そうなのかもしれないな。
ここ最近の日々は騒がしいし、鬱陶しいし、面倒だったけど、だからこそ全力だった。
その原因が急に取っ払われたのでバランスがおかしくなっている。
「ボクが好きな雪月はね。とにかく面白くて、ボクをいつも楽しませてくれるんだよ!」
「……今の俺はつまらんか?」
「うん、つまんない!」
「ハッキリ言うなぁ。そんなとこも好きだけど」
一ノ宮雪月がつまらないのは問題だ。腐っても芸人の息子だぞ。
「あぁ、分かった。分かったよ! 今から奇声を上げて体育館を一周してやる!」
「ごめん、それはやめて!?」
「そうだ。さっきの『ボクが好きな雪月』って、もう一度言ってくれないか? しっかりと録音してヒーリングミュージックにする。天で癒されたい」
「だいぶ気持ち悪いよ!?」
まだ本調子じゃないけど、要望通りもっと天を困らせてやる。覚悟しろよ。
――これ以上、心配をかけるわけにもいかないからな。
「雪月くん、話があるんだけど!」
「すごいデジャブだ」
昼休みになって、お隣の奏さんから語気強めに宣言をされる。
「ちゃ、ちゃんと話は聞くから。だから、な? その日本刀を下してくれ?」
「わかった」
突き付けられた日本刀は机の中に戻される(もうツッコミません)。
クラスメイトは何もなかったように振舞っていた。このサイコパス共がっ!
「ここだとアレだし、静かなとこに行こっか?」
「了解だ」
いつも食事を共にする天に断りを入れて、奏さんと一緒に教室を出た。
「えーと、話って言うのは?」
なんとなく想像はついているけどね。
「最近ね、変な事ばっかり。いつの間にか雪月くんと仲良くなってるし、転校生は一日でまた転校しちゃうし」
鳳凰院飛鳥こと恵さんは転校したことになっていた。
転校初日だけ登校し、翌日は俺と学校をサボり、翌日には転校。そんな暴挙が許されるのかは知らないが、事実そういうことになっている。
もしかしてあれか? この学校、教師陣もサイコパスなのか?
「俺と仲良くなったのも変な事なのかよ」
「そりゃ、そうだよ! 隣の席を見て『あ、この人とは仲良くならないな』って真っ先に思ったもん!」
「奏さんっていちいちヒドイよな。なに、俺のこと嫌いなの?」
「べ、別に! 雪月くんのことなんて嫌いじゃないんだからねっ!」
「それ、ツンデレとして成立してなくない?」
ただ『嫌いじゃない』という事実を伝えている人だった。
「そのツッコミ力に惹かれたのかな。だって、日本刀持っている女の子ってさ。シンプルに頭おかしいでしょ? でも、それすらも笑いに変える力があるっていうか」
「ここにきて、そこ言及する!?」
かれこれ一巻も終わるぞ。日本刀の件はあくまでギャグとして処理していた。
あ、もちろん頭おかしいと思っていますよ、はい。
「あとはうん……あの顔かな」
「顔?」
「雪月くん、すっごい優しい顔をする時があるの。いつか分かる?」
「すまん、覚えがない」
前に奏さんがそんなことを言っていた気がする。あとは風花からも指摘されたっけ?
だけど、その表情を自分自身は見ることが出来ないわけでさ。
「あれはお兄ちゃんの顔だよ。風花を想って『やれやれ仕方ないな』って。呆れと深い愛と――それが羨ましかった。私は一人っ子だし」
「完全に無意識だな……それ」
なにその恥ずかしい表情。
呆れの部分は納得できるけど、もう一方はどうなんだろう。
「じゃあ、根っからのお兄ちゃんだ」
「兄に資格はないからなぁ。分かんないけど」
気が付いたら兄と妹だった。何か特別なことをしたわけじゃない。
生まれてからずっとそれが当たり前の事で。
「と、とにかくね! 私は、その雪月くんが好きなのっ!」
「うぇっ!? す、好きって……えぇ!?」
どういう意味で言っているんだ。いくら何でも勘違いをしてしまう。
「ち、違うから! あくまでその時の表情が!」
「それ、俺は喜んでいいのか……?」
「し、し、知らないっ!」
そう言って、プイっと顔を背けてしまう。
よく分からないけど褒めてくれてはいるんだよな。
「まぁ、その、ありがとう。あいつじゃなくて、奏さんが妹だったらな」
そのほうが俺にとっても――そして、風花にとっても良かったのかもしれない。
「な、なっ!? それはつまり、私が好きってこと!?」
「はぁ!? 何故その結論に!?」
論理が飛躍しすぎだ。むしろ逆じゃないか。
妹にしか見えない的なのって、よくある男側の断り文句というか。そういう意図で発言したわけじゃないけど。
「だって、妹しか愛せないんでしょ! 雪月くんは!」
「んなことないわ!」
「雪月くんは『妹』が好きなんじゃないの? だから、風花を……」
あいつの嘘設定で面倒なことになっている。まぁ、仕方ないよな。その嘘に乗っかると決めたんだから。
でも、一つ誤解を解いておきたい。
「俺は『属性』で人を好きになったりしない。仮に奏さんが妹だったとして、それで好きになることはないよ。きっと、それは――――」
風花も一緒だと思う。
あいつだって『兄』だから、俺を好きになったんじゃない。そんな偽物の想いだったのなら、あの時あんな顔をしなかったはずだ。
間接的にでもあいつの想いを否定しないでやってほしい。
「だからごめん。さっきのやつは取り消しで」
元はと言えば俺の発言が原因だ。冗談でも口にするべきじゃなかった。
妹だから、兄だから、そんなの風花にはハナから関係ない。
あいつの想いを矮小化することで、正面から受け止めることを避けようとしていた。
それはただの逃げでしかない。
「風花が羨ましいなぁ」
「え?」
奏さんは顔を伏せて、ボソッとなにかを呟いた。
「なんでもない! じゃあ本題だけど! そんなお兄ちゃんは、しっかり仕事してる!? 今週になってから風花の様子がずっとおかしいよ!」
やっぱりその話だよな。天だって俺の変化に気が付いていた。奏さんが親友である風花の違和感を見逃すはずがない。
「どんな感じなんだ?」
「その、無理に表情を作っているというか」
「そうか」
好意を寄せる相手から拒絶されて平然とはいられないよな。
「たぶん、雪月くんが原因だよね?」
「あぁ、そうだな」
俺があいつを傷つけた。言い訳なんてしない。
「私に手伝えること、ある?」
「ごめん。これは俺にしか解決できないことだからさ」
申し出は嬉しいが今回の件では人を頼れない。
風花を傷つけたのは俺であり、風花が好きな相手も俺なのだから。
「うん、そうじゃないかって思ってた。じゃあ、余計なお世話なのは百も承知だけど……風花をお願いね? 私の親友を泣かしたら許さないからね?」
「善処する」
詳しい事情は聞かないでくれる。その気遣いも有難かった。
「ま、『お兄ちゃん』なら大丈夫だよね!」
「どうだろうな」
この場合、兄だからこそ難しいのかもしれない。
「何があっても私がフォローするから! その辺は安心して!」
「――――そのさ、本当にありがとな。奏さんが風花の友達でよかったよ」
風花はいい友達を持ったな。こんな面倒見がいい人、いないぞ。
どんな結末になったとしても、彼女がいてくれるのなら大丈夫だと思えた。
「だからっ! その顔、反則! 何も言えなくなっちゃうっ! 文句は沢山あるのに!」
「えーと、ごめん?」
「悪いと思ってないでしょっ!」
「バレたか」
俺の表情一つで右往左往するのが未だに理解できない。
「もぉ! 雪月くんのくせに生意気! 私、すっごく不満です!」
「どうしろと……」
そんな子供みたいに拗ねられても困る。
いや、さ? 風花の癇癪と比べたら可愛いものだけどね?
「な、ならそのっ! お詫びとして! どこかに遊びに行こうよ、今度!」
「別にいいけど?」
「軽っ!」
「それくらいはなぁ? 世話になってるし。他のメンバーは天とか風花でいいよな?」
それ以外に知り合いがいませんので。
「あ、あのあの、えと、違くてっっ! そ、その、二人でっ!」
「え、二人!? それってつまり……」
そういうこと、だよな?
デートというか、ランデヴーというか、逢引きというか。
「変な意味じゃなくてね! ほら、雪月くんプロ野球好きなんだよね!? 私、ちょっと興味があるっていうか――――」
「よし、行こう! チケットは用意する! ユニフォームも余ってるのがある!」
そういうことなら大歓迎である。
むしろ、二人きりの方がマンツーマンで解説がしやすい。ライオンズの伝道師としての職務を全うしようじゃないか。
「え、う、うん? 一応これって……結果オーライなのかなぁ……?」
久しぶりの現地観戦。考えただけでもウズウズする。だめ! 声、出ちゃう!
「アアア、ライオンズ! ライオンズ! ライオンズ!」
「あ、失敗したかも」
奏さんが頭を抱えていた。
さてそうと決まれば、観戦スケジュールを立てないと。そのためにも目下の問題を解決する必要がある。
やることは一つ。今日、風花と話をする。
奏さんにここまで言わせてしまった。答えを先送りにしてもいられない。五日間、自分なりに悩んで考えたことを正直に話そう。
何があっても風花を支えてくれる人がいる。その事実が俺に勇気をくれた。




