2-5
土曜日が好きだった。土曜日は学校に行かなくていい。
天と会えないのは寂しいが、好きな本や漫画を読んだり、ライオンズの試合を観る。それだけで人間は幸せになれるのだ。
人間社会のストレスから完全に解放される。それが土曜日の良いところだ。
日曜日は駄目だ。翌日が平日なので憂鬱な気分になる。土曜日こそ至高。ゴッド。
だから、俺は土曜日に予定を入れたくない。天とデートするのも日曜日だ。
「お兄とのデート楽しいなぁ♪」
土曜日が好きだった。過去形です。
最悪な土曜日を経験することになりそうなので。
「おい、くっつくな」
「えーやだぁ」
最寄りの西武新宿線・上石神井駅から、乗換駅の高田馬場までの移動中だった。
そこまで混雑していない車内で、風花が腕を絡めてくる。暑苦しくもあり、薄ら寒くもあるという大変不思議な体験をしています。アンビリバボー。
「それよりもさ、お兄!」
「なんだよ?」
「今日の服どう? 可愛くない?」
あらためて観察してみる。
オフショルダーってやつだろうか。肩の部分が激しく露出している。
そして、スカート丈の短いワンピースによって、細い太ももが露わになっていた。
肌色が多い。ワンピースが黒なのでコントラスト的な意味でも目を引く。
実際、周囲の乗客たちがチラチラと風花のことを見ていた。もちろん全員、男です。
中には彼女と思しき女性から、「見すぎ!」と叱責を受けていたりする。
「…………」
こんなに可愛い子が男ウケを意識した服装で彼氏の気を引こうとしている。あの彼氏はなんて羨ましいんだ。そんな感じだろうか。
羨望の視線をもらっているところ大変申し訳ないが、ちっとも嬉しくない。
だって、妹ですもん。
妹の肌の露出が増えても興奮なんてしない。名状しがたい嫌悪感があるだけだ。
「ねぇねぇ? どうどう? かわいー?」
「……いいんじゃないか?」
それ以上に、言うことがないです。
「か・わ・い・い?」
それを言うまで終わらないってことか。
「……………………………………………………………………………………かわいい」
「いやっほおおぉぉぉう! 褒められたぁ! 嬉しいっっっ!」
ふざけるな。有無を言わせなかったじゃないか。喜んでるならいいけどさ、もう。
「あとあとぉ、フーのことは? 好き?」
「なぁ、この辺にしておこうぜ」
「なんで?」
「周りを見てみろ。大変なことになってる」
ダンダンダンダンダンダンっ!!
同じ車内の人間が壁を殴ったり、床を殴ったりと、精神錯乱状態になっていた。
「頭おかしいね」
「お前が言うな!?」
狂人界のレジェンドからは誰も言われたくないだろう。
「ふんふんふんふん♪ 浅草デート楽しみー」
「この状況でよく平然としているな」
今すぐにでも電車を降りたい。
奇人変人からすると、この惨状もありふれた日常みたいだ。
「そういえば……なんで浅草なんだ?」
場所もプランもすべて風花が企画している。最初に考えた『野球観戦』は見事に却下され、風花が取り仕切ることになった。
「この間、お兄のゲー見た時にさ。もんじゃ焼き食べたくなったんだよね」
「あ、なるほどね!」
よかった、よかった。ちゃんと狂った発想をしている。通常運転だ。
「ただ、もんじゃ焼きには謝っておけ?」
「ごめんなさい」
好物なのでやめてほしい。食べられなくなる。
「にしても浅草かぁ。小学校の遠足以来かもしれない」
「お兄は出不精すぎだよー」
「家、最高じゃん」
「それは可愛い妹がいるから?」
「うん、違う」
むしろ家に誰もいない方がいい。社会人になったら、即座に一人暮らしをする予定だ。
しかし、俺はこの化け物から逃げ果せることが出来るのだろうか……。
「ふふ、安心して? これからはフーと色んなとこ行けるよ?」
「わーい」
もうどうでもいいや。
「かみなりもーん!」
地下鉄に乗り換えて、揺られること数十分。東京の観光名所・浅草に到着した。
さすがは観光地、日本人のみならず外国人観光客も大勢いる。
「人、多いな」
「フー、はぐれちゃうかも! 手、つないで?」
「頼む、それは待ってくれ……」
難易度としてはキスと同じくらいキツイ。どっちもS級レベルだ。
「手汗とか気にしないよ?」
「それは心配してない。妹と手を繋ぐのに緊張とかしないから」
問題はそこじゃないんです。
「えー、ぶーぶー。じゃ、腕組んじゃおー」
「その方が助かる」
あくまで感覚の問題なんだけど、風花の方からくっついてくる分には、天災として割り切ることができる。
キスや手繋ぎはこっちが主体者になるというか……うん、きつい。
「とりあえず、仲見世通りいこ!」
「りょーかい」
ここまで来たら覚悟を決めるか。デートではなく、観光として楽しもう。
「せっかくだし、食べ歩きでもするか?」
「お兄が食べたい!」
「昼間だからな? 落ち着け?」
「夜なら食べてもいいの!?」
「日本語って難しいな」
というよりは、受け取り側に問題があると思う。
「あ、お団子あるよ。お兄」
「なんだと!」
「お兄って甘いの好きだよねー。だけど、食べ過ぎはめっだよ? 今週、何回もコンビニ行ってたでしょー。フー、知ってるんだからね?」
「あぁ、ここ数日はストレスがヤバかったからな」
そりゃだって、兄の行動を逐一把握している妹がいたら無理もない。
しかし、今は団子だ。風花の言う通り、俺は甘党である。幼少期からずっとそうだ。
誕生日のケーキに付くプレートクッキー(雪月&風花お誕生日おめでとう、とチョコで書いてある)はいつも俺が食っていた。
毎回、風花が譲ってくれたのだ――――あれ、つまりそういう事なのか?
「もしかして、風花にも人の心があるのか?」
「あるよ、そりゃ! そこを疑ったことは一度もないよ!?」
「風花の良心聞いてくれ! 兄へのストーカー行為をやめるんだ!」
文字通り、良心に訴えてみることにした。
「良心は別人格じゃないからっ! いや、ね? 良くないことだって、フーも分かってるんだよ……? でも、しょーがないじゃん! お兄への好きが止まらないのっ!」
「…………」
そんないじらしい事を言われると反応に困ってしまう。
「ってことで! これからもストーカーの妹をよろしくね?」
「自分で言うなよ、自分で……もういい、団子買う」
子供の頃を思い出したせいか。風花に強く当たることが出来なくなってしまった。
兄妹ってのは積み重ねた歴史があり過ぎる。切っても切れない関係だ。
団子に舌鼓を打って江戸風情を味わい、俺たちはそのまま浅草寺まで移動した。
きちんとお参りを済ませて授与所の前まで戻ってくる。
「お兄は何を願ったの?」
「言ったら怒るから言わない」
「大丈夫だよ~。怒らないから言ってみ~?」
「――――風花が他の男と結ばれて、幸せになりますように」
「……パ・リーグTV解約するね」
「うそつき!」
ほらな、絶対に怒ると思ったんだよ。
ライオンズの試合が観られなくなると死んでしまう。やめてください。
「お兄はすぐに意地悪言うんだからー。ちなみに、フーが何を願ったか知りたい?」
「いや、大丈夫」
何となく想像つくから。
「だーめ! ちゃんと聞いて?」
「はい、お好きにどうぞ」
抵抗するだけ無駄なので早くも降参する。
「えっとね。まずはお兄と手を繋げますように、お兄とキスできますように、お兄と……は、恥ずかしいから言わない! あとあと、結婚できますように。それと、お兄と色んなところにお出かけしたい。お兄と旅行したい。お兄と温泉に行きたい。ついでに混浴とかしたい。お兄と相合傘したい。お兄と海に行きたい。お兄とお祭り行きたい。お兄と花火したい。お兄と肝試ししたい。お兄と文化祭回りたい。体育祭でお兄と二人三脚したい。お兄と修学旅行を楽しみたい。お兄とハロウィンでコスプレしたい。お兄とクリスマスを過ごしたい。お兄と初詣したい。お兄に特別なチョコ渡したい。お兄と誕生日を祝いたい―――――――最後はやっぱり、お兄から告白されたい!」
「なんとまぁ!」
想像以上だった。こりゃ、たまげた。
こんなに沢山だと神様もパンクしちゃうんじゃないかな。
ねぇ、神様? 願いって一個までですよね? この願いは全部無効ですよね?
どうかお願いです! これらの願いを叶えないでください!
切実に! 明るい未来のためにも! 俺には天って心に決めた人がいるんです!
「これでも控えめにしたんだよ?」
「お、まじか」
控えめって言葉を教えてあげないと駄目じゃん。
「てかてか! おみくじしようよ、お兄!」
「なんかオチが読めるぞ」
どうせ、俺は『凶』なんだろうな。
受け取ったおみくじを憂鬱な気持ちで開いてみる。
「大吉だ!」
「まさかの大吉だと……?」
双子揃っての大吉だった。通常であれば上々すぎる結果である。
「結婚・付き合いは『全て良いでしょう』だって! お兄は?」
「……同じく」
「よし、結婚しよう!」
「だから法的に無理だって!」
なんだろう。良い事しか書いてないのに、今の状況だと素直に喜べない。
大吉を引いたのに微妙な気分だった。嬉しくない大吉は凶よりも複雑である。
「今日は良い事ばっかり! こんな幸せでもいいのかなぁ」
「お前が幸せならもうそれでいいよ」
俺は幸せになりたいわけじゃない。欲しい人間が掴み取ればいいのだ。
「えー、お兄も幸せにならなきゃ駄目だよ」
「俺の幸せねぇ」
どんな未来だったら、俺は幸せだと感じることができるだろうか。
いかにも幸福そうな妹をジーっと観察する。
「ちょ、お兄!? なになに!? そんな見つめないでよ!?」
腕を前に真っすぐ組み、内股でモジモジとしている。
「うーん、まぁ、大丈夫だろ」
「な、なにが?」
「俺は俺で幸せになるからさ。だから、お前は好き勝手に、自由にしてればいいよ」
「なんなのそれー!! じゃあ、フーがお兄を幸せにするからいいもん!!」
ぷんすか怒っている。突き放したように聞こえたのだろうか。
そういう意味で言ったわけではないが、弁明すると恥ずかしい発言をすることになる。なので、このまま勘違いさせたままにしておこう。
「はいはい。次はどこ行く?」
「話逸らした! もぉー、とりあえず押上まで歩く感じで!」
「おっけー」
頬を膨らませる風花をなだめつつ、俺たちは隅田川方面へと歩き出した。
「くんくん、天の匂いがするぞ!」
「お兄も頭おかしくなった?」
「違うんだって! まじまじ!」
この香りは間違いない。何度も何度も何度も嗅いだ匂いだ。
周囲をきょろきょろと見渡す。どこにいるんだ、愛おしい人よ。
「――お、いたぞ! おーい、天!」
「え、ほんとだ!? お兄、さすがに気持ち悪いよ!?」
俺が天の存在を見誤るわけがないだろう?
「あれ、雪月!?」
「よっ! 奇遇だな、天!」
あぁ、私服姿も可愛いなぁ。普段は見られないキャップ姿にときめくぜ。体のラインを隠すダボっとしたスウェットに膝上のハーフパンツ。超ボーイッシュだ。
白く細い生足が眩しい。舐めたい。スカート姿も見てみたいでちゅ(幼児退行)。
やっぱり、俺は土曜日が好きだ。天使と出会うことが出来たから。
言うまでもなく『天使』ってのは天のことだからな? 我が家に寄生するアレのことじゃないぞ?
「あれ、雪月くん!? え、雪月くんってグループに入ってないよね……?」
『奏!?』
「って、ええ!? 風花もいる!?」
天の隣に見知った女性の姿がある。先日から友達(仮)になった奏さんだ。当然、彼女も私服姿である。白のニットに桜色のロングスカート。朗らかで春を感じた。
けど、あれですな。天の可愛さの前では虚無に等しい。
「えっと、雪月と風花ちゃんは兄妹でお出かけ?」
「そんな感じかな」
「お、お兄がどうしてもって言うからねっ! 私は仕方なくっ!」
どうして外部に対して見栄を張るのか。ブラコンを必死に隠そうとするのは、これまでの痴態を知る俺からすれば滑稽以外の何物でもない。
「雪月くん」
「ひっ!」
無感情な声で奏さんが囁く。
「この間、シスコン卒業しようって話したよね……? なんで私に相談しないの……! デートくらい付き合ってあげるから」
「その使命感なんなの!?」
俺ごときのために貴重な高校生活を無駄にしないでほしい。
「お兄と奏、近いよ?」
『っ!?』
慌てて離れる。あーやばいやばい。風花の目から光が消えた。
これ以上は奏さんに危険が及ぶ。ぶるぶる。
「天、ちょっと抱きしめさせてくれ」
「ふぇ!?」
あー癒される。天がいてくれれば、あの怪物とも立ち向かえる。
「まぁ、夏野君はいいけどさー」
「風花ちゃん!? お兄さんを止めてくれないかな!?」
「俺と天の関係はちゃんと公認だからな」
「ボクは許可してないよ!?」
うふふ、休日に天と会えるなんて最高だ。俺たちは赤い糸で結ばれている。まさか浅草で偶然――ん?そういえば気になる事が一つあった。
「なんで天と奏さんは一緒にいるんだ?」
『そ、それは……っ!』
二人は気まずそうに顔を見合わせる。
その反応ですべてを察してしまう。俺もバカじゃない。つまり、二人は。
笑って祝福してやるのが大人の対応なんだろうな。
だけど、それが大人になるってことなら――俺は一生、子供のままでいい!
「天 頼むよぉ! 悪いところは直すからぁ! お願いだから捨てないでくれぇ!」
一ノ宮雪月(16)大号泣。恥も外聞もない。プライド? 知ったことか!
天を失いたくない。どんな手を使ってでも縋りついてやる。
「違うんだって! ボクと井上さんはそういうんじゃないよ! クラスの集まりで一緒になっただけで! 今は皆からはぐれちゃって……」
「クラスの集まり?」
えーなにそれ、俺知らない。
「お、お兄……」
やめろよ、その泣きそうな顔。
俺は孤高の男だからな。下手な慣れ合いはしないだけだ。人は俺をロンリーウルフと呼ぶ。好物はビーフジャーキーです。
「雪月くんがクラスメイトと交流するいい機会だと思ったんだよ? だから夏野くんにも相談してたんだけど、土曜日は絶対に外出しないって……」
「うぐぐぐ」
色々と気を遣わせてしまったみたいだ。居たたまれない。
「そうだ! せっかくだし、雪月くんも風花も合流する? 飛び入り大歓迎だよ!」
「え、と、それは」
ちらりと風花の顔を盗み見る。兄妹だから、だろうな。
すぐに分かった。このまま二人で居たい――そう顔に書いてある。
「ごめん、奏さん。本当に気持ちは嬉しいんだけど今日はちょっと。次はこういう場にもちゃんと顔出すからさ」
奏さんが気遣ってくれているのはよく分かる。天も口には出さないけど、クラスメイトと俺が交流するようになれば、楽な場面も多いんだと思う。
いい機会だからな。奇しくも風花との血縁関係がバレてしまった。俺が今のままだと、風花にも迷惑が掛かるかもしれない。
変わろうとする努力くらいはしないとな。
「また、その顔っ!」
「え、顔?」
奏さんが頬を赤くしている。ついこの間もこんなことがあったな。
「な、なんでもないっっ!」
「えと……なにか不手際があったなら謝るけど……?」
「そ、そういうんじゃないから! とにかく、雪月くんは気にしないの!」
釈然とはしないが、気にするなと言うのなら……まぁ、うん。
「あ、井上さん! みんな花やしきにいるって!」
「分かった! 今すぐ合流しよ!」
「じゃあ雪月と風花ちゃん、また学校でね!」
「あ、あぁ、またな。天、愛してるぜ」
「だから、そういうの禁止っ!」
天は耳まで赤くしていた。あの耳たぶ美味しそう。はみはみしたい。
「風花またね! あと……その、雪月くんも!」
奏さんは逃げるように去っていく。どうしたんだろう、まじで。
「…………」
人数が減って急に静かになった。いや、違う。風花がやけに大人しい。
俯いたままで何もひとつ言葉を発さない。
「どうした、風花?」
「むぅ」
「いたっ! ちょ、どうした! 何でつねってくるんだよ!」
顔を上げたかと思うと、不満そうな顔で脇腹の肉をつまんできた。
せめて何か言ってくれよ。無言のままじゃ分からない。
「一旦、プラン変更! まずはご飯を食べる!」
「別にいいけど。なんだよ、いきなり?」
「知らない! お兄のバカ!」
「えぇ……?」
妹心というのは、よく分かりませぬ。




