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【昭和実話】辞表を出すたび遠くの国へ飛ばされるんですが!?  作者: Ryoichi


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第009話_叩いて「キーン」なら合格、満席のおかげでファーストクラス

 試運転と起動は違う。試運転は工場が建設され、配管が1本1本繋げられ、単体機器が1台1台チェックされさらにフラッシングと呼ばれる配管、機器の清掃が行われていく、半年から1年かかる作業である。その配管溶接などから始めれば工事にのみ3~4年はかかる。


 それは長い長い期間である。遅々として進まないように見えるが月を追って見るとやはり進展はある。工事の最終工程で試運転部隊が現場に乗り込みフランジにパッキンを入れボルトナットを締めていく、気の遠くなるような作業だが1日に30箇所出来れば10日で3百箇所は出来る計算になる。


 ボルトナットを締めるとテストハンマーで叩いて締め具合を見て回る日々が続く。ボルトナットがちゃんとしまっているかの検査である。「キーン、キーン」と響けば合格「ボコ、ボコ」と鳴れば不合格である。


 ここまでの作業は中国では中国側が受け持っていた。我々はラインチェックと言って4千本からなる配管を1本1本追っていき、そのラインが何の意味を持つのかを確実に覚え、工事に間違いがあればその時点で指摘する。


 配管の確認と並行して機器の単体チェックを行う。上流側の分解炉は、鋼鉄製の内部に耐熱煉瓦が敷き詰めてあり、試運転の時は一度乾燥炊きを行う。


 高さ30メートルもあろうかと思われる壁に所々ガスバーナーが付いており、30分ほどで全てのバーナーに点火した後ゆっくりと内部温度を上げていく。それをまたゆっくり時間を掛けて冷ますのである。


 乾いた後の炉内は本当にからからの状態になっている。ちなみに正常運転時は1千2百度まで上げる。炉は数基あってこの1連の操作に数日かかる。


 ポンプ類では、我々試運転グループはポンプを水運転して回転数と圧力を見ながらポンプがどんな事態になっても壊れないようにセットする役目だ。メーカーのベテランと回る。確か荏原製作所の方だったと思う。


 計装機器の感度やバイアスを決めるのは我らスタートアップエンジニアの仕事である。それらは根気の要る地道な作業であるがかなりやりがいのある作業でもある。


 単体運転が終わると水運転を行う。洗浄もかねて水を循環するのである。


 そうして原料が来るのを待つのである。原料を導入する前には周到な準備が必要であるが、全てのユーティリティーと呼ばれるインフラが必要である。電気、燃料用ガス、計装空気、水、窒素等々である。


 今でも思う、もしアルジェリア赴任がなかったら私の道は全く違ったものになっていただろう。アルジェリアとの出会いはフランス語との出会いでもあった。赴任が決まったとき『ABCからのフランス語』という本を買っていった。


 毎朝、毎夕15分から30分間だけそれを日課としてやるのである。覚えた単語はなるべくアルジェリア人を相手に使ってみる。通じたときの喜びがまた学習意欲を駆り立てる。3ヶ月も過ぎた頃は片言を話すようになっており、日本でイラ、エラ、ヌザボンとやっていたオペレーション組を遙かに超していた。


 私は思う、語学は耳と勘と意欲である。


 耳が良くないと聞き分けられないから言い分けられない。


 次に相手が何を言いたいのか言葉だけでなく身体全体から発せられる表現(表情)を汲み取る感受性が必要だと思う。


 しかしもっと大事なのは意欲である。私はこの後アルジェリア人に技術指導をしたい、そして中国で見たようにその国の人間たちの発展に寄与したいという目標があった。しかもフランス語を学ぶ環境にある。


 このずっと後、国際協力事業団の係官たちと西アフリカやモロッコを回るのであるが、国の発展に寄与したいと言う思いはどこでも歓迎された。


 ちなみにABC……の入門書を3ヶ月で終えたあとはカセットテープ50巻の教材があり、前の持ち主はそれを持て余したようで、ほとんど新品同様のものを半額近くで買った。それからというものカセットテープを繰り返し繰り返し朝夕聞いた。


 これはかなり効き目があった。半年も過ぎる頃にはかなりの表現力が付いた。しかも仕事では使う単語が限られているからその専門用語と30程度の動詞で会話は成り立つ。とにかく動詞とその活用を徹底的に憶えた。そうこうしていくうちに過去形を憶え出す。そのあたりになると半過去と複合過去があるのが理解できた。理解というより暗記である。


 暗記するにはとにかく無理矢理アルジェリア人相手に話すことである。あっ、通じた、と思った瞬間、喜びとともに1語マスターしていった。


 最終的には1年3ヶ月滞在するのであるが、その頃には監視室からアルジェリア人運転員に電話で指示を出すなどを当たり前にやっていた。


 ところがである、フランスに来てクラスの選択をするという段になって入門講座から入ることになった。クラスのレベルは思った以上に高かったのである。話題にはエチレンプラントはない。諸事雑多のことが話題になると明らかに語彙不足である。


 そんなことからフランス語は再スタートした。


 初恵とは何がうまくいかなかったのかいまだに分からない。確かに半年目の帰国休暇には日本に帰らず、いわば初恵を選ばずにスペイン、フランス、イタリアを旅したあげく車を買ってマルセイユからアルジェリアに持ち込んだ。


 その時パリから1度初恵に電話した。お互い安否を気遣う程度のもので、たいした内容ではない。


 その頃パリから日本に電話するにはPTTといって日本の電信電話局に行かなければならない。大変に億劫であった。


 1度は結婚の約束をしたものの、日本に帰ってくる数ヶ月前からもう別れ話が郵送で来ていた。一向に要領を得ない。


 もともと自分を表現するのに長けた娘ではなかったので勝手にこちらで推測するしかなかった。帰ったら案の定私を避けて逃げ回る。


 彼女が現れそうなところには顔を出した。お茶の会に行ってもほとんど口をきかずダンスクラブでは一緒に踊るのを断られた。なんとか会って話をするところまでこぎ着けたが、もう何も期待してはいなかった。初恵はぽつりと言う。


「私一生結婚できないかもしれない。」


 何があったかしれないが相談して貰えない私には何も出来なかった。


 車に戻り彼女を送る。


「最後にキスしてもいい?」


 彼女は驚いたように私を見て、かぶりを振った。彼女を近くの駅に送り、それが彼女を見た最後であった。


 比紗絵は相変わらず快活であった。私の帰国時にミスターホンダといっしょに車で迎えに来ていた。1年3ヶ月ぶりである。


 修さんは一時スキクダに来ていたから数ヶ月ぶりである。


 しかしこうして誰かが迎えに来てくれるのは嬉しい限りである。


 修さんが車を運転し私は助手席にいてあれこれ話をしたが、後ろにいる比紗絵とは話が遠い。私は信号待ちを利用して一旦外に出て後ろの席に移動した。


 比紗絵は嬉しそうである。アルジェリアのことや今の日本のことや話が弾む。ふと気づくと私の手は比紗絵の手を包んでいた。彼女は何も言わない、思い切ってキスをすると彼女は待ってましたとばかりに応えてきた。


 その積極性に私は圧倒されながらも3度ほどキスをした。それ以上は頑なに拒まれた。いずれにせよ、この娘に手を付けたことに変わりはない。


 次の週末の約束を取り付けた。修さんは相変わらず何もなかったかのように運転し、私にしばらく車を貸してくれることになった。


 これは大変ありがたかった。私たちの逢瀬にはもってこいである。


 次の週末はあっという間に来た。


 品川のプリンスホテルである。品川駅で待ち合わせ、ホテルのレストランで夕食を済ませる。心なしか比紗絵は弾んでいて、私は気が昂ぶっていた。食後のコーヒーを飲んでいるときに中座して、部屋を予約した。


 週末と言っても混む時期ではない。勘定を済ませ室に入る。


 入るとすぐにくちづけをした、くちづけのあと比紗絵は急にまじめになり「私のこと好きですか。」とたずねてくる。その気迫に少し押されながらも「ああ、好きだよ。」と言って再びくちづけをした。


 あとは書くまい。この頃の私は経験に乏しい。次に時計を見たときには、とうに日付が変わっていた。


 週に2度ほど会うようになると東京に出るのは億劫になる。


 彼女は佐倉に親と住んでいるから船橋と佐倉の間にあるラブホテルが逢瀬の場所になった。


 会う度に互いのことが分かってくる。そのあたりのことも省く。


 あるとき比紗絵は手紙をくれた。一緒になったらどうなるのだろうという期待のこもった手紙であったが、私の旦那さんがたとえ高専卒でも良いと言ったことが書かれていた、その中に潜在的な学歴主義社会の臭いをかぎ取った私は微かな嫌悪感を抱いた。


 私自身そうした劣等感は持っていない積もりであるが、周りがどうしてもそうなってしまうのは仕方のないことである。しかもこれから一生付き合っていくのに自分の旦那は学歴がこうだから出世しないとか、周りと比べてこうだとかいったことが常につきまとうのである。確かに今の会社は学歴社会の臭いがするが、一生いるわけではない。とはいうものの比紗絵とともに会社を飛び出す気はなかった。


 彼女とはとても楽しい日々ではあったが比紗絵に別れを告げる。私がフランスに行くことを打ち明けると「1年待ってから私も行っていいかしら。」と訊くので申し訳ないがそれは出来ない、正直言って性格が合わないと断った。


 学歴のことについても何も言わなかった。


 比紗絵と別れて3日後にはフランス行きの飛行機に乗った。


 パリ行きの航空券はアルジェリアで支給されたものを持っておりそこらのディスカウント店で買ったものと違う。JALのCAから告げられた。


「お客様、誠に申し訳ありませんが、ただいま満席ですのでファーストクラスにご搭乗頂いてもかまいませんか。」えっパリまでファーストクラス。運が良い。隣の客といろいろ話をしていると妙に話が合う。


「伊藤忠ですか。」と訊かれたので、「東洋エンジニアリングです。」と答えたら、なんとその重役だという。偶然とは恐ろしいものだ。飛行機がパリに着いたら「頑張って。」と励まされた。


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