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【昭和実話】辞表を出すたび遠くの国へ飛ばされるんですが!?  作者: Ryoichi


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第010話_「給料に不満か」「いえ、もらいすぎです」

 なぜ会社を辞めたのか。未だに悔いはない。エンジニアリング御三家と言われ、今や東証1部上場企業である。


 第一に入社の時からいつか辞めようと思っていた。


 第二にアルジェリアでの待遇がひどかった。


 第三にアルジェリアでかなりフランス語ができてそれを見ていたアルジェリア人が「ムッシュー、あんたみたいにエンジニアで英語とフランス語ができればどこでも働けるよ。」


 決定打は中国の経験である。現地人に先輩技術者が技術を教え、それが評価された。


 その教えを目の当たりにしたおかげでアルジェリア人とは良い関係になった。


 ただ日本に帰るとそうではなかった。しばしば高圧的な態度を取るアルジェリアの上司が日本の上司に手紙を書き、それでたしなめられた。私の1年3ヶ月が評価されなかったような気がした。


 佐世保の実家に帰り、そろそろ潮時だと打ち明けたら、あんたの好きなようにしなさいと言われ、踏ん切りがついた。


 それから数週間経ってオペレーション部の部長に言った。


「あのー会社を辞めたいのですが……」

「え! ちょっと別室に行こう。……なぜ辞めたいのかね? 給料に不満でもあるのか?」

「いえ、もらいすぎです。」

「じゃあオペレーション部から他の部にでも移るか?」

「そんな問題ではありません。」

「あのなあ、先輩の中には一度辞めて次の年に帰ってきたのもいるぞ。1年やるからまた戻ってこい。」


 あくまで淡々と話を進める。


 しかし1年の猶予を貰っても仕方ない。ここは背水の陣を敷くしかないと思った。また戻れるとなるとどうしても甘えが生じる。しかも貯金はマンション1戸買うほどあり、10年以上暮らせる。


 高専をでてこの会社に入り5年が経つ。北京とアルジェリアの経験ができた。


 年も二五であと3年留学すれば二八である。



 パリで1泊してからは列車に乗り、夜行で翌朝パリから800㌖離れたPauに着く。アルジェリアで一緒に仕事をしていた通訳がそこにいたからである。なぜそんな辺鄙な場所を彼が選んだかというと、私の推測では大学都市であること、日本人がかなり少ないことであろうか。


 私が当初登録した入門クラスにも日本人は1人もいなくて全クラスを見ても5、6人といったところか。ここでは入学とは言わずに登録という。登録の時に彼に相談した。どのクラスが良いだろうか。


「それは入門クラスからがいいよ。」私はちょっと不満げだったがそうしてみて分かった。「えっこれが入門クラスか。みんなぺらぺらじゃあないか。」


 それもそのはず、イタリア人やスペイン人など同じラテン系の人々は単語の読み方さえ変えればかなりそれらしく通じる。


 後日それは誤りだと気づいたが、初めは焦った。


 最初の1週間は友人の通訳の部屋に寝泊まりしたがやがて知り合いの大家がやっている家の間借り先が見つかり、そこに引っ越した。


 部屋数は12、3はあると思われる。


 大きな家で、1階と2階が大家家族が住むところで3階は空き部屋、4階と言うより屋根裏部屋が私の部屋であった。


 4畳半ほどの小さい部屋であったが、私1人には居心地が良かった。ジャラジャラと重い鍵を4つ5つ持って生活するのはすぐ慣れた。


 ポーの暮らしは学生生活の大半を占めたが、正式に言うとポー文学部の外国人向け講座と言うことで大学入学とは違う。


 講座に登録と言うことで在籍し、学生証が発行され、滞在許可証を取ることが出来る。その証明書で学生食堂(学食)も値引きした金額で発券される。


 これはありがたかった。


 当時の生活費は食費、学費がほとんどで、月々5万円程度で足りていたと思う。これは日本にいるより安い。貯金が500万円程あり、さすれば10年は生活できる。フランス語をマスターするには2,3年くらいだろうから十分行けるだろうと踏んでいた。


 単語の語彙力を増すこと、表現力を学ぶことが私の最大の課題であったが、授業は文学部のカリキュラム中心だったので当然のようにカミュやサルトルが出てくる。


 彼らから逃れることは出来ないのだが、そこに出てくる諸々の表現は石油化学とは縁もゆかりもない。


 とはいっても表現力は増すし、理解力も高まってくる。朝に3時間ほど授業を行うと学食で食事をする。この時間が最も楽しい。


 当時のクラスメイトはナイジェリア人、スペイン人、デンマーク人、イギリス人、ノルウェー人(フランス人とのハーフ)、アメリカ人、インド人、カナダ人などなどいろんな国から来ていた。男女の割合も半々と言うところか。


 みんなよく喋る。しかもどうでも良いことをもったい付けて喋るものだから呆れてものも言えない。先生から言われた、「リョウは話さないの?」


「興味ないね」本当に興味の持てないどうでも良いような討論内容が多すぎた。


 それでも3ヶ月が過ぎた頃には通常の会話は出来るようになっていた。


 それはある日突然やってくる。語学の壁を1つ1つ乗り越えた瞬間である。話をしていて相手の言うことが分かるようになった瞬間とか買い物をしていてとか授業の中で先生の話を聞いていてとか、ちょっとした瞬間に分かってくるのである。そうしてフランス留学3ヶ月は過ぎていった。


 6月になると早いものでバカンスが始まる。そこで車を買うことにした。当時小さなコミュニティー誌に中古車売買の欄があってそこに何台か掲載されている中から選んでコンタクトを取る。


 私が選んだのはプジョー204という小型車であった。フランスだからもちろん左ハンドル車だが、それはすぐ慣れた。


 燃費はリッターあたり10㎞といったところか。12,3年は経っている車であるが当時1800フランと日本円にしては10万円程度であるから高くはない。早速それに決め、手続きを行った。


 ところで運転免許証であるが、日本の国際免許証を取得し、それをフランスで切り替えると正式なフランスの免許証が発行され、これはなんと更新無しで一生使える。


 その他保険のことや車関係の部品のことなどが勉強できた。


 その次に来るのが車の運転ルールである。特にルールを教えてくれることはなく小冊子もない。信号は日本とほとんど変わらないがロータリー交差点が頻繁にある。慣れないとどちらが優先か迷うのであるがこれも慣れるとどうと言うことはない。


 後は3車線で真ん中の車線が共有というものである。つまり登り、下りの追い越し車線が共通なのである。さすれば正面衝突はないのかと思うがヨーロッパ滞在中そんな危ない場面にであったことが無い。


 アルジェリアを去ってからはフランス南西部のポー(Pau)に戻った。ポーはパリから600㌖南西に下ったボルドーから、さらに200㌖南に下った小さな大学都市である。そこからさらに200㌖東に行くと航空機産業のあるエアバス社で有名なトゥールーズがある。


 年中暖かく、5月にはバイヨン、ビアリッツなどの大西洋海岸が海開きをし、ヌーディストたちが華麗に闊歩する。同じ時期にまだピレネー山脈ではスキーが楽しめる。ピレネーの山中には観光立国アンドラがあってここもすばらしい。


 ヌーディストと言わずあちこちの海岸がそうなのだから特にヌーディストという意味はない。中学生の女の子を持つフランス人の家族と大西洋側の海岸バイヨンヌに行ったことがある。14、5歳の可愛い子である。胸はかなり豊満で目のやり場に困ったことがある。


 さて技術指導の職であるが、東洋エンジニアリングを辞めポーで1年ほどが経ったときスキクダでの技術指導にと昔の上司から声がかかった。


 初版では3度目のアルジェリア滞在記を書いたが、ここでは主にアルジェリア東部のスキクダを舞台に描く。


 2度目のスキクダでは結局会社と意見が合わず最後は辞表を出した。会社側の見解はアルジェリア人に工場の運転は任せておけない。全面的に日本人オペレータがやるべきだと言うもので、それに対し彼らの教育をやってきた私の意見は食い違った。


 なるべく通訳などを活用し、彼らを育て、OJT(オンジョブトレーニング=業務をやりながら育てていく。)そして日本人はその監督に当たるべきだというものである。


 そうした方法をとらないといつまで経ってもアルジェリア人は育たない。とは言え日本人の運転員の大半が彼らアルジェリア人を「アルちゃん」と言って半ば馬鹿にしたような者がほとんどであったから最初から無理がある。


 辞意を伝えたとき私の上司でもない部長さんはこういった。


「君ぃ、今後三井では働けなくなるぞ。いいのか。」


 どうも勘違いしているらしい。三井グループは大きいがそれが人生の大半と思う人と何百万もの会社の中の1社としか思わない私の考え方には大きな差があるが、話して分かる相手ではない。しかもそれが脅しになると思っているらしいことが滑稽であった。


 日本人同僚にしてもそうだ。最初、俺たちは会社を辞めてやる、さすれば会社側も考えが変わるはずだとか大きな声で言っていた連中は私が辞めることを知って逆に私を非難した。


 私にとっても彼らとの別れは全く未練がない。


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