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【昭和実話】辞表を出すたび遠くの国へ飛ばされるんですが!?  作者: Ryoichi


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第008話_帰国休暇の旅費六十万円、彼女ではなくヨーロッパを選んだ

 風呂はないからシャワーを使う。一棟に3、4台ある。基本的にはいつ使おうが誰が使おうが自由であるが、シャワーによっては着火に問題があり、途中で水になるときもあった。朝にシャワーを使っていると3交代で帰ってきた運転員に怒鳴られることもあった。ちなみに私も3交代はやったがそんな仕打ちを人にした覚えはない。


 共同便所もその清掃管理のことを考えると共同にするしかないのであろうが、便所に行くたびにいちいち服を着るのが面倒だった。


 20室が連なる長屋が何棟も並び総勢2、3百名もいたろうか。


 その各長屋に共用シャワー・共用便所が真ん中に、それに共用冷蔵庫が長屋の両端に1台ずつあった。ここには各自名前を書いてビールやワインを冷やしておくのだが、大酒飲みはしばしば他人の酒まで飲んでしまう。夜の7時過ぎは町の全ての店が閉まるのである。酒屋も例外ではない。自動販売機なんてあるはずも無く。宿舎の売店も開いてはいないし、第一酒はすぐ品切れになる。


 酒飲みは酒の盗みを犯罪とは思っていない。さすれば盗まれた者達は憤慨し、また他人の酒に手を出す。それが繰り返されるが、くだんの大酒飲みが時々少し大量に買って入れるので、そこで盗みの連鎖は一段落すると言うことが繰り返されていた。


 今思えばその冷蔵庫もフランスから取り寄せた1人か2人用の小さいもので現在主流の400リットルの三分の一もあったろうか。


 赴任して半年が過ぎた頃帰国休暇の時期を迎えた。当時帰国休暇を使い日本に帰国するか、でなければ航空券の代金分を現金で支給するというのがあって当時の金で60万円が貰えた。それで近場のスペイン、フランス、イタリアの旅をしようと思い、実はひと月も前から計画していて、そのためユーレイルパスという西欧共通鉄道パスを日本から送って貰っていた。これは1等車に乗れた。



 ヨーロッパ旅行とは1971年当時、一般の日本人にとっては、夢であった。しかしアルジェリアからであれば地中海を挟んだ隣国である。日本からだとまず成田を発って13時間のフライトを終えパリ、ロンドン、ローマに着いてからであるから旅費もかさむし、今みたいに往復10万円を切るツアーなんてなかった。


 最低でも40万円か60万円する時代である。初恵には悪いと思ったが約3週間の休暇と旅費支給の待遇は何物にも代えがたかった。


 コンスタンチンからアルジェに飛んでそこからスペインのマドリードに行く。その予定がアルジェの空港でのんびり昼飯を食べていて飛行機に乗り遅れた。


 乗り遅れたら航空券は買い直すしかないと思っていた私は目の前が真っ黒になった。


 とりあえず出発するゲートに行ったら私のボストンバッグが積み残されていた。あの頃のシステムは今と違い、一旦チェックインした荷物も搭乗前に搭乗者が移し替えることになっていた。そこで私の荷物だけが残ったのであるが、そのシステムに感謝した。


 とまれマドリードには行けない。そこで係官は粋な計らいをしてくれた。まずスペイン領のパルマ・デ・マリョルカ(Palma de Mallorca)に飛び、そこからマドリードに飛ぶという方法である。


 地獄に仏である。しかも航空券を買い直す必要がない。さらになんとかその日のうちには着けそうである。パルマがヨーロッパでも有名な保養地ということを知ったのはずっと後のことである。


 パルマに着いたらマドリード行きの便が出発間際で、私だけを待っているという、慌てて走った。夜にはマドリード空港に着き、空港で予約を取ったホテルまでタクシーで行く。


 この間フランス語を主に使ったような気がする。


 1日の疲れがどっと出たが、マドリードは夜が面白いらしい。


 当時は今と違い夜中の12時でも1時でも人々は街を散策し、レストランや酒場は開いていた。そんな話を聞き散策へと出たのだが、帰りの道順が分からなくなった。どこをどうして帰ったものかいまだに謎である。3日間ほどはプラード美術館やトレドなどの観光地を1人で廻り、スペインで買った靴が足に合わなくて痛い思いをしながらも歩き回った。


 スペインでの3日間を終え、パリにユーレイルパスで行く。列車はどこをどう通ったのか憶えていない。夜行列車であった。


 とにかく約20日間の行程は滞在に3、4日、移動に1夜を見ていた。


 パリでは市内観光バスツアーに乗る。今のように日本語の観光案内がなかったのでフランス語を選んだ。言っていることは何となく分かるが、詳細は分からない。一番よく分かったのが「On y va! オニヴァ=行きましょう」である。


 まあ分かってもあまりたいした問題ではないと思っている。昼間のツアーだったと思ったがムーランルージュに行った覚えがあることから夜のツアーだったかもしれない。ツアーの中にはイタリア人、スペイン人がいて、きれいなお姉さんから最後の別れ際にほっぺにキスされた覚えがある。


 そんな挨拶があること自体まだ知らなかった。


 足が痛いにもかかわらずとにかく歩いた。


 パリでは当時東京銀行があり、ヨーコちゃんからお金を送って貰うことになっていたので60万円相当のフランスフランを1部現金で、残りはトラベラーズチェックで受取った。


 予算で見ていた旅費の倍は有る。とはいっても豪遊する気にはなれなかった。私にとってはアルジェリアはストレスの溜まる場所ではなかった。


 ただあるとすればコクゾウムシの入ったご飯と瓶の底に澱が溜まっているビールくらいであった。


 アルジェリアにいた反動で豪遊して大金を遣った者も何人かいたが私には関係ない。


 確かに反動はある。アルジェリアでは例えばビール1つとっても静かに、底の澱を浮かせないように注がなければ腹を壊して下痢をするのが、フランスでは適度に泡立たせたビールが出てくるとかアルジェリアのクロワッサンがまずいとかジャムは甘ったらしすぎて自家製のジャムを食べていたとか、ちょっとしたことの違いが積もり積もっていくのであった。


 ルーブルはじめベルサイユ宮殿などおよそ観光客の行きそうなところは大抵行った。あの頃は『ミロのヴィーナス』も触ることが出来たし多くの絵画が壁1面に飾られていて、1週間見ても見飽きないほどのものが展示されていた。


 パリを離れたのは三日ほど経った夕刻である。


 夜行寝台列車の1等車に乗ってイタリアに向かう。深夜何時頃だったろうか起こされて、スイスとの国境を越えるのにパスポートの提示がいるという。これも地続きのヨーロッパならではのことかと思い直した。


 朝、目が覚めるとそこはベニスである。水の都そしてベネチアグラスがある町として私は認識していた。そうだ革製品に良いのがあるとの評判だ。


 早速靴屋を探す。そこで買い求めた靴のすばらしいことこの上ない。言わば1歩1歩足を愛撫されているような心地よさである。


 スペインで買って今まで履いていた靴には何の未練もなく捨てた。それからというもの歩くのが大好きになりあちこち歩き回った。


 ディナーセットの陶器一式を買い、それがイタリア様式でなくイギリス様式だというのが分かるのに5年以上かかった。姉たちにはそれぞれベネチアングラスのセットを送った。


 片言のフランス語はスペインでももちろんフランスでもイタリアでも役に立った。イタリアではベニスからフィレンツェ、ローマを巡りフランスのマルセイユに戻ってきた。


 マルセイユでの大仕事は車の購入である。18万円ほどの予算で車を購入し、そこから船でアルジェリアに渡る。車はフォルクスワーゲンの10年落ちといったところか。買うに当たっては車検証に当たるCarte griseを警察に行って取らなくてはならない。急いでいるのに係官の女性は何を思ったか中国に行くにはどうしたら良いかと聞いてくる。


 どうやら日本人と中国人の区別がついていないようである。


 私の中国の経験から、招待状が要ると言った。


 そこからフェリーの船着き場までどうやって行ったのか全く記憶にないが、フェリーに車を乗せると扉が閉まった。


 地中海の船旅とわくわくしていたのが実は日本の中古船を使ったフェリーで手荷物の多いアルジェリア移民達の安い交通手段であると知ったのはその後ずっと経ってからである。


 船に乗ると何となく懐かしい、しかも扉には「押」「引」とある。船室の窓は擦りガラスではあるが障子のデザインである。


 私は一等の個室である。と言っても狭い。


 とりあえず荷物を置いたらレストランに行く。私は地中海のクルーズ気分でそのレストランでスープドポワソン(soupe de poissons)を注文し、他にサラダとメインディッシュを頼む。


 しかしスープの一口目を口に入れたとたん船がぐらりと揺れだした。


「こっ、これはいかん、俺は船には弱かったのだ」


 食事は全部キャンセルして急いで部屋に引き返しベッドに横になる。それでも気分の悪さはどうしようもない。


 買った車のことや、ウイスキーを5本ほど船の売店で買うこと等、明日の朝まで寝ていられない。おまけにイタリアのナポリでオメガの時計とか言われて自分のシチズンと交換したまでは良かったが数時間で停まってしまった。


 よって今何時か分からない。船窓から時々外をうかがうとまだ明るい。船に乗ったのは確か11時頃だったので感覚的には午後の6時頃か。


 それからうとうとした頃には外は暗くなっていた。何度も窓と売店の間を往復し、ようやく店が開くと用意していた5リットルのタンクに詰め直したがこれがいけなかった。全て同じウィスキーを買えば良かったのに1本アニスのお酒55が混じっていた。それでも酒であれば何でも良いと言ってミスターホンダは貰ってくれた。


 車を買ったことは伏せておいたがしばらくして会社にも知れ渡ることとなる。事務局から呼び出され罪人扱いされたときはがっかりした。


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