第007話_オルリーは羊の匂い、着いた宿舎はご飯にコクゾウムシ三十匹
当時オペレーション部の部長であった芳夫さんから呼ばれ話があって、アルジェリアの長期出張を告げられた。期間は一年、赴任までは2週間くらいしか余裕がなかった。
この間まですぐ側でアルジェリアプラントのオペレーショングループがフランス語教師を呼んでイラ、エラ、ヌザボンとかやっていたのを冷ややかな目で見ていた私にお鉢が回ってきたという感じであった。
海外は歓迎だがこうも早急に話しが来るとやや戸惑う。初恵のこともあったがまだ結婚する気にはならないので連れて行く気はない。
私は当時23歳で、身を固めて落ち付く気はさらさらない。
それを言うならば入社したときから5年から7年いれば別の世界で別のことをやりたいとも思っていた。
会社員は好きではない。束縛が大きい。何かと言えば「業務命令」だとか、会社の意向では……とか辞令とかいって煙に巻く。
アルジェリアにいた前田主査はそれをよく使った。こちらがそれに従わないと今度は「始末書だ!」と言い出す。
そのほかいろいろな制約が私から自由を奪っていった。皆は気を遣う「メンタルな面は大丈夫なのかい」意味がよく分からないが、どうやら女性関係の整理は出来たかと言うことらしい。
初恵は最初から連れて行く気はないし、その他取り巻きの女性達は友達ですらない。
とまれアルジェリアに行くことは決まった。友人の一夫さんが彼のでっかい愛車セドリックで成田まで送ってくれた。私の隣には初恵が座っている。彼女の手を握りながら残り1時間ほどの時間を惜しんだ。
夕べも最後の一日をともにした。そのことは書くまい。
セドリックのゆったりした後部座席で賢一さん、初恵、私と座り、私の利き手の左で彼女の右手のひらを弄んだ。時々私を見る。切なさを感じたが、どうしようもない。
成田に着くと握手し、手を振って別れた。
スーツケースとバッグを持ち、まずはエールフランスで成田からアラスカまで飛ぶ。当時直行便はなく、必ずアラスカで1旦降りるかアエロフロートではモスクワで給油のために1度降りるかといった便しかなかった。
だから成田を朝に発ってアラスカを回ってパリに着くと時差の関係もありその日の夕方になっている。とは言っても夏であるからまだ明るい。夕刻になって着いたパリは異国であった。
これがあの花の都パリか。吸っている空気からして違う。メトロには電車が静かに走っている。見るとタイヤを付けて滑るように走っている。それにしてもこの空気は何だろう。辺り一面香水の香りが漂う空間に異国の香りを感じた。
1泊して翌日にアルジェリア行きとなる。
当時アルジェリアのスキクダの現場に近かったのはコンスタンチンまたはアンナバ飛行場である。パリの南端にあるオルリー空港はすでに搭乗者たちの熱気でむんむんしている。家畜のような異様な匂いがするだけでなく皆そわそわしているのである。
対するシャルル・ド・ゴール空港はヨーロッパ各地に行く便がほとんどなのでそういった熱気はない。
あとで分かったのであるが、臭いは彼らが羊を食することと関係がある。そわそわするのは座席が指定されておらず、早い者勝ちだからである。しかもしばしばオーバーブッキングである。ダブルブッキングは同じ席に2名以上の搭乗者が登録されているときであるが、指定席はないから座席数以上にチケットを発行していれば何人かは乗れない。
そんな信じられないことが起こるのがこの国の怖さである。1、2時間遅れるのは当たり前である。出発後に引き返してくる便もあるし、出発しない便もある。
だから並ばないし、割り込むし、あとからチケットのみカウンターにおいてチェックインを始めるとスーツケースが列の後ろの方から運ばれてくる。これは良い方法だと思った。
スーツケースを前へ前へ進めたがるのが人情であるが、大事なのはチェックインのチケットを受け取ってもらえるかどうかだ。特に複数人数でやる場合は1人はカウンターを攻め、1人は荷物の監視が出来る。
宿舎はアビタシオンと呼ばれる1棟20名ほどが住む長屋で、1室が約3畳の狭い部屋である。ベッドは軋みロッカーは鍵がかからない。唯1鍵がかかるのは自分のスーツケースである。それに確か粗末な机と椅子があるだけの部屋であった。
それが数10棟並ぶ。1応金網で囲われ、入口には門番がいる。
朝食にはご飯と味噌汁がありおかずがある。目玉焼きや卵焼きがある。
パンはあるがジャムはない。お偉いさん方々にはクロワッサンがあるが我ら兵卒にはない。同じ社員で待遇が違うのはおかしいと思い平気でそのクロワッサンを食べたがフランスのものとは格段に味が落ちた。オムレツらしきものがあるが、卵のほうは何の味も付いてはいない。
ずっと後で食堂名物のおばあちゃんコック長に訊いたことがある。彼女曰く、「1口に卵焼きといっても醤油味、塩味、砂糖味と好みは千差万別だからね、味を付けられないのさ。」その味の付かない目玉焼きを何度食わされたことか。少なくともホテルの卵焼きは何らかの味が付いていると思う。ちなみにハムはない。牛肉のソーセージならある。
売店が一応あるが、売っている石けん、シャンプー、歯磨き粉のたぐいは全てアルジェリア製で色は毒々しく香りがきつい。
楽しみの食事であるが、これがひどい。コクゾウムシが1椀の中に30匹はいる。
おまけに人参、ジャガイモ、大根の皮はむいていない。手抜きとしか思えない。メニューに選択の余地はない、あるとすれば食うか食わないかである。皆一様に痩せた。
そんな中でも2人だけ太って帰った人たちがいる。
1人は後で述べるがミスターホンダである。もう1人は現場監督の猛者と言ってもいい人であった。
朝は8時から夕方5時まで仕事をする。帰ってくると食事とシャワーを済ませたあとはじぶんの自由時間である。大半の者は誰かの部屋に行って飲んで話をして、歌ってあと何日で帰れると数え合っていた。こっちでは大牟田万歳と言い、あっちでは北海道万歳と言っている。それぞれ出身の事業所で固まっていた。
1日の日程は朝6時半頃に起床し7時頃朝食を済ませ8時前には現場行きの大型バスで現場に乗り込む。現場では点呼を済ませ現場のあちこちに散って作業を開始する。私は当初現場事務所のスタッフだったため、現場に行くことはほとんどなく、事務所での雑用や弁当の手配などをやらされた。
私の上司はちょっと人を食ったようなところのある星子さんという人だった。
あるとき彼は言う、「君ね、あるカップルが食事をしていて彼氏の方は目玉焼きを白身だけ残して食べたんだ。女の子がなぜそんな食べ方をするのと訊くと彼は言った『ぼくはキミ(君/黄身)が好きなんだ!』」
その手の駄洒落を乱発する人であった。ただ英語はよく出来た。それでまた人を煙に巻く。
「英語には大きなものにMが使われる。マックスとかマジェスティーとか、そう思わんかね。」
すかさず私も茶々を入れた。
「ではマクドナルドは何ですか。」
「そりゃあ君ぃ、ビッグマックがあるじゃあないか。」
ここら辺になるともう意味不明である。
今だったら言っただろう、マックスにはミニマムがあり、メジャーにはマイナーがある。云々
アビタシオンの各室には両開きの小さな窓と蛍光灯が1つある。それにガーガーとすごい音がするエアコンである。夏は30℃以上ある部屋はエアコン無しでは過ごせない。部屋の仕切はベニヤ板1つなので隣の話し声が筒抜けである。作業着が2着ずつ支給され、それを着回して1年を過ごす。冬は防寒着が支給されるのでそれを着る。
1日あたり210ディナールの現地手当が支給され、月額6百ディナールであるが、よほど酒たばこを飲まない限り半分は余る。いや私はほとんど使わないのである。その代わり会社に内緒でよく2泊3日の旅をした。水曜日の夕方からコンスタンチンやアンナバに行くのである。片言のフランス語で十分旅は出来たし、なんと言っても仕事を離れた開放感があった。
現場の入口でタクシーを捕まえスキクダのバスターミナルへ向かう。
そこからバスでコンスタンチンなどに約2時間かけていくのである。そこで1泊し翌日もっと南の街へ向かう。




