第004話_配管から小鳥の巣、新入社員の冗談で開けたら圧縮機は逆回転
さてここらで石油化学工場の中心となるエチレンプラントの試運転について述べてみたい。工場とは何か、そして建設試運転がどのように行われるかが我々の仕事の本質であり、一般の人には想像もつかない世界に違いないと思う。ここでプラントと工場は同じ意味であることをまず言っておきたい。
LPG工場の試運転の詳細は、はっきり言ってよくわからない。しかし私が以前いたエチレンプラントよりおそらくずっと簡単だと思う。
LPGは基本的に分離、精製が工場の役割なのに対し、エチレンプラントは、高温による熱分解、大型のコンプレッサー(圧縮機)による圧縮、蒸留塔による分離精製があって、工場内で使用する流体の圧力は真空から高圧蒸気の120キログラム毎平方センチまで、温度も800度を超す高温からマイナス190度を下回る温度までを扱う。
それよりまず運転と試運転はどう違うのか。たとえば新車の運転、試運転と違うのは、工場を形成する機器の製作や、据付、配管敷設などの一連の建設が終わった時点でも完成とはほど遠く、本当に工場が稼働するまでには、長い準備と気の遠くなるような作業が必要なことだろうか。
基礎工事から始まって大型機器の据付、何10トンからの機器が見たこともないような大型のクレーンで引っ張り上げられ、据え付けられる様は圧巻である。
一方、埋設配管、空中配管、電気機器やケーブル、計装配管敷設等の配管工事、電気・通信工事、保温工事、塗装工事はそれに比べ地味で、延々と続くが、これが終わりに近づいてきた頃、試運転部隊が赴任する。私も以前この部隊にいたが、いってみれば建設部隊は車のメカニックチームで、試運転チームはドライバーのようなものである。
実は現地に乗り込む数ヶ月前から日本では試運転に向け準備が始まっている。工場の仕様、性能から始まって、原料、製品の製造量と品質、電気、水、熱源、空気、窒素等の用役(ユーティリティーと呼ばれる)まで、それらを調べ、何度も足を運び頭にたたき込む。何カ月ものトレーニングと打ち合わせ、講習があり、どの機器でどんな反応や分解、分離精製が起こっているかを知るのはまだほんの入り口でしかない。
また試運転は特に手順が大事であり、計画段階から綿密なスケジュールを立てておかないと必要なときに必要な人材、道具、材料が揃わないと大きなロスがでて、時にはそれが工期に間に合わないといった深刻な事態を引き起こす。
工期が遅れるとどうなるか。ごめんなさいで済むことはまずあり得ず、違約金の支払い、工期延長による滞在の延長とコストの増加、代金支払いがそれに伴い延期されやがて大赤字となって跳ね返ってくる。
工場試運転では、水と電気が大事で、工場に供給する電気の大型発電所を起動するとなると、スイッチ入れて終わりではない。発電機のタービンを回すためには蒸気が必要で、蒸気を造るために純水が要る。純水を造るために熱源となる蒸気や電気が必要で、そうなると堂々巡りだが、そのために仮設の純水プラントを設置して、少しずつ純水を造っていく。その純水がボイラー供給水となって高温高圧の蒸気に変わり、発電機のタービンを回す。
そうやってボイラー工場を起動し、発電所を軌道に乗せると、ようやく仮設ではない、本来の純水プラントが稼働する。その頃には空気を分離して液体酸素や窒素工場も動き出して役者は揃ってくる。据え付けられた機械を1台1台テスト運転しながら、運転条件をセットしていく。
インターロックといって、安全のためモーターやポンプ、タービンが過負荷で焼き付いたり壊れたりする前に機器を停止する装置がある。機器やシステムによっては、その条件が複雑で、これこれが揃わないと機械が動かなかったり、逆に動いている機器が止まったりする。大型の機器になると、そうした条件が重なり、理解していないとなぜ動かないのか、なぜ止まったかがちんぷんかんぷんである。
配管は図面で何度も見て、数百本から数千本の配管の種類と大きさ、役割を憶えたつもりであるが、現場でそれを1本1本確認し、つながりの機器の位置、配管上の弁の位置と種類、計装機器の種類、位置、役割を頭に入れる。なぜそうした綿密なチェックが必要なのか。
答は簡単、それを把握しないと運転や起動、停止ができないからである。工場の中で起こる反応とその条件は厳密に守る必要がある。そうでなければ品質の合致する製品はいつまでたっても製造できず、原料は毎日数億円の単位で大気に焼失していってしまう。
現場を憶えるだけではない。配管や機器の中を原料、副原料、中間品から最終製品までが流れる前に清掃しなければならない。数千メートルに及ぶ配管の清掃は気の遠くなるほどの作業である。しかしその作業は豪快でもある。
圧力タンクや蒸留塔につながった配管は、次の機器に接続する手前で切り離され、仮の弁をつけたり、ベニヤ板、段ボール紙を何枚か重ねて蓋をする。その塔槽類に空気で圧力をかけていく。3キロから5キロ(現在の圧力単位では0.3〜0.5MPa)の圧になったところで弁を一気に開くと内圧放出とともに中の埃、泥、異物からありとあらゆるものが出てくる。
ベニヤ板、段ボール紙の場合は、それらが内圧ではじける大音響と共にゴミが出てくるが、ゴミ、埃どころではない。置き忘れの道具や、小鳥の巣と共に親鳥、雛、糞、衣類、石、缶、鉄板の破片と何でもござれである。
我々はそれをエアーフラッシングと言っていたが、水を使用した洗浄もある。油でのフラッシングもあって、これは主に大型圧縮機の駆動部、潤滑部で行う。空気で清掃しても大気中の水分は残るから、乾燥作業も必要となる。特に運転中、温度が零下になる精製セクションの後行程では、乾燥しないと水分が氷になって詰まってしまう。
こうした作業に4、5ヶ月から半年を費やす頃には、機器、配管から弁の位置まで体が憶えてしまう。安全弁の動作チェックでは実際レバーを引いて安全弁を噴かせるが、この音がまた耳をつんざくほどの轟音である。
配管のほとんどは地上から5、6メートルないし7、8メートルほどの高架であるが、そうしたところには必ず点検用の通路がある。ところが建設中であったり、滅多に操作しない弁のところには通路はない。そんなときは配管を伝って行く。しばしば這って行く。
80メートル、90メートルの蒸留塔にも登る。おそるおそるてっぺんに辿り着くと、あまりの見晴らしの良さに、降りるのがもったいなくて、回りを飽きずに見たものだ。
紙飛行機を飛ばしてもなかなか地上に着かないのが嬉しい。
そのうち空に同化したような気になり、そのままふわりと飛んでいけるんじゃないか、という気分になる自分が恐ろしくもあった。
そうこうしている頃にはプラントも形を整え、機器単体の試運転から小システムへ、さらに中システムの稼働となる。水だけで循環運転したり、油や中間製品をドラム缶で注入しての運転を行うこともある。分解炉は数10メートルの高さに及ぶ炉の中に、特殊な加熱分解用コイルがあり、そのコイルの中を最初の原料が流れる。
炉は火をつければ終わりではない。建設後に数日をかけてゆっくり乾燥焚きを行う。炉の中のバーナーも数10本あり点火の順序と要領は大事である。
この分解炉で、はじめに高温蒸気と混ざった原料が高熱で分解され、水素、メタン、エタン、エチレン、プロピレン、ブタジエン等とプラスチックの原料が造られ、重質分を除いたガス分がメインコンプレッサーで圧縮され、冷却されると液化する。それを蒸留していくと炭素数の大きい炭化水素から分離されていき、最後はエチレン、メタン、水素と分かれていく。エチレンはポリエチレン、塩化ビニールといった代表的なプラスチックの原料である。
一気に述べてしまったが、原料が投入されてからはじめての製品がでてくるまで、うまくいってもおよそ1週間がかかる。この間、12時間の交代勤務を行い、途中何度か昼夜の勤務を交代するが、そのときは18時間勤務となる。
原料を投入した時点では、分解炉を通った分解ガスと呼ばれる複合製品は重質分を除き、全てフレアースタックに送られ、燃焼して大気に放出される。このときの炎の高さは百メートル前後にも達し、この世のものとも思えないほどの、大きな松明のようである。
それが少しずつ後工程に送られ、それらから少しずつ副製品が分離されていくに従い、炎の大きさも次第に小さくなっていく。最後にエチレンの品質が合格に達し、製品タンクに送られる瞬間は、運転員達が集まるコントロールセンターで歓声が沸き起こる。だがそれはうまくいっての話である。
原料投入から、初めての製品が出来るまでは全くいろんなことが起こる。ちょっとした小さなポンプが1台動かないだけで、もう製品は出来ない。電気、蒸気、水、計装用の圧縮空気、冷却水、その他あらゆる副原料、添加物、触媒のどれが欠けても製品、副製品はうまくできない。緊急停止はいつでもやってくる。それは1つの赤ランプと、けたたましい警報から始まる。
1つのランプが点滅し始めると、瞬く間に数10のランプが点灯し、やがてコントロールセンターの10数面のコントロールパネル一杯、一斉に点灯し、騒然となるのに1分とかからない。
はじめは頭がカーとなって一体なにが起こったのか、どうすればいいのか分からず、あたふたするのみであるが、そんなことが何度も続くと、原因と対策を考えるまでもなく、自然と体が動いている。
しかしそれが頭で理解して、体がついていけるようになるためには、場数を踏むしかない。ある現場では電気、水、ガス、蒸気が隣接した顧客のプラントから供給されていたが、それらが順番に毎日ストップするため、こちらのプラントもそのあおりを受けて緊急停止する日々が続き、スタートとストップを繰り返しへとへとになってしまった。
製品の品質が合格となってからも気は抜けない。いつ、どんな原因で止まるか分からないのは述べたが、それ以上の課題は、工場の能力を実証する試験の準備があるからだ。それを保証運転という。いわば工場の卒業試験みたいなものであるが、契約により、決まった量の原料に対し、それだけの製品を製造しなくてはならないと決まっている。
ある一定時間の注入原料の積算量と製品の産出量を流量計から読み取り、これでいけるとなれば保証運転の宣言を行い、数日間の保証運転を行う。このとき工場はまさにフル稼働であるが、その活気と緊張感は何度やっても慣れることはない。絶えず計器に目を見張り、数時間おきに現場をパトロールして異常がないか、ガス漏れや計器の故障がないか目を光らせる。
さてそうした作業は、プラント建設会社だけでスタッフを揃えることは不可能で、日本の同種プラントを持つ工場の運転員に協力して貰い試運転を行うが、明らかに彼ら運転員は人種が違うといっても良いだろう。
彼らはすでに稼働し、商業運転をしているプラントの定常運転には長けているが、臨機応変な事態への適応力に欠けた者が多い。それでも、半年も準備で現場にいると、だんだん適応してくるが、借りてきた猫のままで、最悪の場合、お帰り願うことになる者もまれにいる。
同じ工場に5年もいると、その工場の隅々までを知った気になって、実際普段の運転では運転記録用紙に1本の線がすうーとどこまでも引かれるほど、微動だになく、神業に近い調節をする運転員もいるが、そうした人々を何々セクションの神様と呼び奉り、本人もまんざらではない。
あるとき、そうした中に圧縮機セクションの神様と呼ばれる運転員がいた。神様と呼ばれるほど何10年もやっているわけではないが、ある建設現場の試運転で、その工場の心臓部とも呼ばれる主圧縮機の運転方法を巡り、我々の取り扱い方法が間違っていると蕩々と皆に話していたものだ。
それを伝え聞いた私の先輩は、そこで言ったものだ、「圧縮機メーカーはM社だけではない!」そこには日本の代表的メーカーが作った機械に対する盲目的な信奉と、自分の勤務する工場に導入された機種しか知らないある運転員の、無知と傲慢さを痛烈に皮肉った彼1流のユーモアが溢れていた。
世界を股に掛ければ、いろんな国のメーカーの製品を扱うことになる。それらの英文取扱説明書をじっくり読み、しばしばそうしたメーカーから派遣されるエンジニアとディスカッションして手直しや改造をさせたりしてベストを追求する本物のプロ魂を見た気がした。
先輩にしてみればこのプラントでさえ、いったん軌道に乗せれば、3人で起動、運転が出来るという。確かに分解セクション、圧縮セクション、精製セクションと各セクション1人ずつでいけそうな気がする。いやいやそれを2人でやって、あとの1人は交代要員か。
彼の話は続く。「エチレンプラントが石油化学の中心にあるから、エチレンプラント関係者は特別なエリートと思っているようだが、うちらから言わせればどうってことはない。どこにでもある機器の集まりだよ。いつぞや設計のチーフとやらに話を聞きに行ったことがあるんだが、勿体ぶってこうのたまいた。
『君ねえ、エチレンプラントにはレットダウンという蒸気の減圧システムがあってねえ』とか言うもんだから、『そんなもん、工場に行けばどこにだってあるわい』と言ったらな、えらく機嫌悪うしてもうて、ほんでな、緊急停止がかかったらインターロックがどうのこうのとうるさいもんやから、アホかいな、アンモニアプラントのインターロックいうたらエチレンプラントの比やないでぇ、もうアホくさくなったんで、話そこそこで帰ってきてもうたわいな」といった具合である。
この会話は知る人ぞ知る某上場企業社長(東洋エンジニアリング)の若き日の失敗談でもある。
さて保証運転も終わり、顧客の承認を得たならば、試運転部隊はいよいよ帰国の運びとなるのだが、この日が来るのを、あるメンバーは2年待ち、あるメンバーは半年ということもあるが、皆1様に嬉しく、晴れ晴れとしている。
ところが皮肉なもので長い間活躍した有能な人間ほど必要とされ、引き続きコンサルタントとしてあと1年残って欲しいとか顧客に要請されることがある。こうなるとむげに断るわけにもいかず、2、3人を残して帰ることになる。
いざ帰るとなるともう少し居たい気もする。日本では絶対あり得ない気候、風土それに午後5時になればちゃんと宿舎に戻れて寝るまでに5時間ほどが自由に使えるという時間の流れが日本での慌ただしさと喧騒感を忘れさせてくれる。
そうかと思えば工場は出来たが原料が来なくて1時帰国したのは以前私がいた中国での出来事だ。もっとひどいのはある現場で、コンプレッサー(圧縮機)の能力が上がらず、いつまでたっても製品ができない。
ある日、新入社員が、「このコンプレッサー、逆にでもまわっとんのとちゃいまっかー」と冗談に言って顰蹙を買っていたのが、ある日とうとうたまりかねて開けてみたらやはり逆回転していて、運転部隊は即帰国、代わりに工事部隊が戻ってきて配管を接続し直したという逸話もある。
簡単に工事の手直しというが、高温高圧用の配管は頑丈で、工事も大がかり、しかも図面で綿密に計算されているはずだからそんなことがあろうはずがないというのがそこにいた者達大半の見方であったのだが、これが見事に裏切られたこともあったらしい。
しかしその程度で済めば、あとで笑って済ませられるが、人身事故であれば悲惨である。私の目の前で起こったこともある。ほんの4、5メートル長の圧力容器の内部検査だったが私より4、5年上の先輩が横に空いたマンホールに這って入ったものの、まだ足首がマンホールの外にあるとき、酸素欠乏で中で倒れてしまった。
足首だけがマンホールの外に出ている。まずは大急ぎで走って事務所に戻り丹ちゃんが倒れた! と年輩の先輩が大声で叫んだところが足首を引っ張っても、2人がかりで引くがびくともせず、そうこうしているうちに人だかりができた。
酸素欠乏といっても倒れた直ぐに空気供給配管の弁を目1杯開けたためともともと窒素の充満度が低く、気絶程度で済んだようだが、105分ほど経って日本人のスタッフが意を決し、その圧力容器の中に入って彼の体を持ち上げ、同時に足を引っ張ったらするりと外にでてきた。
顔は土気色で血の気はなく、もうだめかと思った。彼は当時新婚早々で、彼の妻はこの地、北京の房山に1緒に来ており、なんといたましいことに等といろんな想像が頭の中を巡ったものだが、幸い助かり、後遺症もなく、2、3日したらまた働きだした。
回転機に巻込まれたり、高い塔の上で足場に命綱をかけて作業していたら、その足場が仮止めされていただけで、作業員は足場と共に落ちて死亡などというものもある。今から考えれば危険に満ちていたのだろうが、エチレンの精製セクションをパトロールするとき、ひんやりとした塔槽類の間を何ともいえないほのかな匂いが漂い、それがあの時代の思い出となって焼き付いてしまった。




