第014話_ある線を越えると女たちが出てくる。睫毛にマッチ棒が三本
いろんな国を旅行したが、なるべく道に迷う前に人に訊くことにしている。独身男性だったこともあって若い女性によく道を訊いた。この国では道を訊かれたら知らないと言ってはならないのではないかと疑うくらい、皆あっちだこっちだと教えてくれる。だから必ず3人以上に訊いて確かめないと安心できない。訊く度に方角が違い、何度も訊いた挙げ句また同じ場所に戻ってきたことも珍しくない。
旅行者に親切なのはいいが、知らないときもなにかをいうべきらしい。とまれ、すごい美人が一生懸命説明してくれる姿を見るとなんだか儲かったような気になったものだ。
外では他人の目があり親しげな素振りは見せないが、家の中では自然に、むしろ大胆に振る舞う。
同僚や部下といった職場の関係で男の家に招待されることがある。そんなときは女は誰1人顔を出さない。給仕さえ男がやって、女は台所に引っ込んだまま、最後の挨拶で妻が少しだけ顔を出すのが1般的である。
面白いことに、その男との関係がより親密になるとあたかもある線を越えたかのように1家を含め、親戚中の女たちが出てくる。しかもニコニコ嬉しそうに、興味深そうにこちらを見物にやってくるのである。
ある時結婚式の前夜祭に呼ばれたことがあった。それも女性ばかりの会にである。結婚式もここでは男と女の側は別々に祝う。そこにいた男は招待された外国人のみで、他はアルジェリア人の女ばかりである。僅か10畳ほどの部屋で、20人ほどの女性たちと人いきれでむっとする中を夜中2時頃まで彼女らの伝統的ダンスを踊ったものだ。そんなときの彼女らは生き生きとしていた。
さて1人になったときの彼女らはもっと大胆である。だからこそ戒律があるのではないかと思うくらいで、これだから男たちは気が気でなく、しかも女性達の外国人に対する興味は大きいので、特に警戒しているようにさえ思える。積極性さえあればいくらでも女は見つかる。自分がハンサムか、かっこいいかはあまり問題ではない。
しかしそれをいえば渋谷や原宿の喫茶店で外人の男が日本女性を漁り、女の方もそれを期待して集まる姿とあまり変わりはない。どの国でも基本は同じであるが、この国は他と違うと思うからこそ、予想に反すると驚く。
よくよく考えるとさして驚くにはあたらない。アルジェリアの女たちは気さくで付き合いやすかった。東洋人への神秘性も彼女らは感じていていろんな質問が来たが、概して日本人も普段の生活においては余り変わりないことを知った。
彼女らは日本以上の男尊女卑社会の中で封建的ともいえる暮らしをしていた。日本の報道を聞いては、自分たちとの共通点を見つけて親近感を持っている。
男と女が1緒の食卓で食事をしないことなど、子供の頃に鹿児島でそんな風習があったと聞いた気がする。家庭の中では男達は姉妹を守っているとはいいながら、むしろ監視している。
しかしそれは時代とともに変わりつつある。はじめてこの地を踏んでから10年の間に国の発展と同様、彼女らも随分変わってきた。開放的、活動的になった。きっとこれからも変わっていくことだろう。
アルジェリアの女たちの中に是非入れておきたいのがジェミラとナセラである。ジェミラとは、以前私が同居人と暮らしていた頃、その同居人に連れてこられて知り合った。その後彼女は何度か私のオランの宿舎を訪れた。宿舎といっても会社の借り上げ住宅である。2週間に1度くらい何の前触れもなく現れた。
彼女が来ると醤油を使った料理、たとえば肉じゃがとかを作ってくれとせがまれた。1度は休みの日に海辺の観光地に連れて行ったこともある。半日おしゃべりをして私が作る日本料理を食べた。夜のことは書かない。隣にムッシュニオや向かいにはもう1人ベルギー人がいたが、我々は彼らにお構いなしに自分のスタイルを通した。
あるときフランスで、いわゆる大人のおもちゃを買ったことがある。
それを彼女に見つかってしまった。
「それ何。」まずいと感じたがもう遅い。
「実はジェミラを悦ばそうとパリで買った。」
「えーっ。うれしい。ありがとう。」この反応は意外だった。
瞬間的にこれは男をよくするためのものではなく女を悦ばせてそれを男が楽しむものであることが理解できた。
その先は書かない。
毛布を引っ張り出しふたりで掛けて眠りについた。翌朝はおはようのキスで始まった。
ナセラと初めて出会ったのはオラン、アルズーの勤務を終えて1年も経っての話だ。三井物産の通訳コーディネイターをやっていた時日本企業も参加するある展示会で何人かの女性がコンパニオンとしてそこにいた。私が目をつけたその娘は彫りの深い顔立ちで整っており、鼻筋の通った美人であった。スタイルも良くすらりと伸びた脚はそこそこに長く足首はきゅっと締まっていた。
後で分かったことだがベルベル人の血統だという。肌の色は日本人よりやや色白で髪は茶色、僅かにウエーブしていて目も茶色である。挨拶をしたら気軽に挨拶を返してくれた。1言2言話をしてこちらに十分好意を持っているのがわかると自宅の電話番号を訊いた。どうゆう訳か待ってましたとばかりにそれを伝えてくれた。
後で言うにはその電話に男が出たら何にも言わずに切って欲しいという。きけば兄弟がいてそういったはなしはきょうだいに知れるとすごく叱られるという。その時はお互い仕事だったから長話もせず後日連絡すると言って別れた。
次の日早速電話してみた。運の良いことにナセラが電話に出た。
「おはようナセラ。今日の調子はどう?」
「ええ、普段と変わらず良いわ。あなたは?」
「ボクも普段と変わらずさ。相変わらず客の所に何軒かアポが入っていてその通訳だ。ボクがいないとそれこそ話にならない。さて、今度の休みはあいてる?」
ナセラは喜々として答える「もちろんよ。楽しみにしてるわ」
そして時間と場所を伝え、待ち合わせをすることにした。その日はすぐにやってきた。何を彼女が着てきたかは思い出せない。ただ明るい生地のスーツに体の線をやや見せながらスリムな肉体を思わせた。
2人でアルジェ近郊の海岸線に行ってみた。途中色々おしゃべりをする。饒舌ではないが寡黙でもない。私にフィーリングが合っている。昼ご飯を食べて少し休む。
休んだら散歩に出かけることにした。人影はまばらで私たちを好奇の目で見る人もいない。首都アルジェの郊外でありシーズンには少し早かったかも知れない。
彼女はそこに知人の部屋があるといってそこに行くことにした。海岸線の別荘地といったところか。部屋に入ったら中はこじんまりと片付けられていてベッドが2つ有った。
「この部屋悪くないわね」ナセラが言った。
「うん悪くない」ぼくもいった。
しばらくためらった後ボクは言った「ナセラ……キスして良いかな?」
「良いわよ」彼女は唇をボクのほっぺに近づけた。
「そうじゃない、唇と唇で」今度はちゃんと唇に少し強引なくらい彼女は唇を押しつけ、キスをしてくれた。
その日はそこまで。あまりがっつくと足元を見られ『体だけ求める男』と思われそうでいやだった。
帰りの車では往きの時程饒舌ではない。ただお互いの気持ちを確かめ合ったと思った充足感があった。よくよく考えるとナセラはそこに泊まりたかったようだ。部屋の鍵を友達から借りてなんてよほどの覚悟だ。
私がアルジェに滞在したときは車が自由に使えるわけでもなかった。だから誰かの車を借りるかその同僚を誘って出かけるしかない。そんなわけで次の週は若い独身の駐在員を誘ってナセラとデートをすることにした。
2人が3人になれば煩わしくもあるが話題が増える。その彼は典型的な1流商社マンでユーモアもあるしカラオケも達者である。「悪の十字架や恐怖の味噌汁、はたまたシューマイ好きのおじいさん」の話をしてくれたのも彼であった。
話は弾む。私としても彼とナセラに対する気晴らしを提供する様な気持ちで2人を合わせた。
カフェに入る。そこで見つけたマッチを取り上げ、「知ってる? 日本人はだいたい睫毛にこのマッチ棒を1本から2本くらいしか載せられない。それがたくさん載せられる人は睫毛の長い美人だと言うことだ」
そしてナセラはどうか、やってみた。3本載った。両目合わせて6本である。以前から睫毛の長い美人とは思っていたがその一端は数値化された。
帰途につく前に宿がないか探したが休日は何所も混んでいて空き室はなかった。仕方なく彼の運転でナセラを助手席に座らせ私は後ろの席に着いた。帰路ずっと後ろの席から、前にいるナセラの首筋や耳を彼に気づかれないよう右手で触り続けていた。時々くすぐったいのかナセラはころころと笑った。
運命は3度目に訪れた。いつものように待ち合わせをして海岸の保養地に行き昼食を摂った。メインはステーキでそれに野菜がつく。忘れてはならないのは前菜のスープ「ショルバ」である。飲み物はビールといきたいが車の運転があるしナセラの前で赤い顔を見せたくはない。
食事の後しばし休憩し午後は散歩をしておしゃべりをした。
ナセラは自分の国をあまり好きではない。できれば外国人と結婚して外国に住みたいようなことを言っている。
それはあまり歓迎できたことではないが、多くの女性がそう思っていることは聞いたことがある。私には彼女と結婚することは想像できなかった。夕暮れ時になって2人は宿に戻った。
友達から借りた部屋に戻る。いや、もしかしたら父が持つ別荘のマンションかもしれない。そんなことはどうでも良かった。私の価値観は女性の優しさ、誠実さ、それに賢さである。美しければなお良いし肉体が良ければもっと良い。
『誠実さとは約束を守ること。賢さとは約束をしないこと』というジョークをフランスで聞いたことがある。なるほど、人生はそうかもね。
どちらから言い出すともなく服を脱ぎ始めた。ところが途中で彼女は歯を磨き始める。
なんと良い習慣を持った娘だ! そしてそこで発見したことがある。見た目にはほっそりと痩せた美人だと思っていたのが、全く違ったのである。
私は驚いていった「ナセラ、スリムで痩せているかと思ったらナイスバディーだね」
「私はね、着痩せするたちなの」
歯を磨き終えると、彼女はベッドに可愛く潜り込んできた。
そのあとのことは書かない。気がつけば、窓の外が白み始めていた。
その後ほどなく私はパリに戻った。そこから3日に1度くらいナセラに電話した。彼女はいつも魅力的で私とパリで会いたいといった。
「うちに来れば、いつでも泊めてあげるよ」
「うんそうするわ。楽しみに待ってる」
あるとき自分の体に異変を感じた。これはまずい。
すぐ近くの病院に行き、診てもらうと性病の1種と診断された。
その日ナセラに電話した。
『もしもし、ナセラ?』
「あらどうしたの」
「……正直に言うよ。実は性病にかかった。」
彼女はそれを聞いて慌てて言う。
「Ryo、私そんな女じゃないわ! 絶対に信じて」
「いやそうじゃあないんだ。聞いてくれ、アルジェに来る数週間前僕は西アフリカにいた、そこで感染したらしい。ナセラのせいじゃないんだ明日にでも病院に行ってくれ。」
ナセラは言われたとおり次の日病院に行った。
「陰性だったわ」
「そうかそれは良かった。ごめんな」
「良いのよ、気にしてないから。それより今度パリに行くけど、会える?」
「もちろん。僕のアパルトモンにおいでよ。泊めてあげるから」
「きっとよ。」
それから数週間して彼女はパリにやってきた。
勤めている学校が夏期休暇に入ったらしい。私の記憶が正しいとすれば彼女は小学校の先生である。
そして彼女は本当にやってきた。オペラ座近くの4つ星ホテルのロビーで彼女と待ち合わせをした。
彼女はそわそわしていて何となく落ち着かない。自分が場違いと感じているようだ。私の方はこういったホテル内を闊歩する商社マン、一流メーカーのエリートサラリーマンのお世話をしているので水を得た魚の如くだ。
彼女は革のジャンパーを着てやってきた。ちょっとボーイッシュである。
「ここに来る前にメトロで変な男にあったの。千フランあげるからやらせろと言うのよ、馬鹿にしてるわ。」
「そうかあ、パリにはいろんな人間がいるからな。気をつけた方が良いぞ。でも良いお小遣い稼ぎになるだろう。」
とからかう。
「何言ってるの、ほんとに払う気ないんだから。それに私そんなに軽い女じゃないわ。」
そこから私のアパートまで20分掛けてパリのメトロを使い私のアパルトモンapartementというよりステュディオstudio(ここではワンルームマンションのこと。)降りた駅はプラス・デ・フェート。パリも北の方にある。そこから歩いて2分の所に私の住まいはあった。
木の階段を上り5階まで行く。部屋は8畳くらいの広さだがここを借りている名義人は私の友人で、もう長いことアフリカにいる。荷物がそのままだから実際使えるスペースはその3分の1もない。しかし私自身はベッドとスーツケース1つあれば生きていける身分なので特に不自由はない。
部屋に入ったらコーヒーを沸かし、ひとしきりおしゃべりをしたら寝ることにした。久々の再会とあって彼女もはしゃいでいる。
そしてこれからという時に電話が鳴り響いた。それは私のガールフレンドからのものであった。取る前から分かる。1瞬躊躇したが覚悟を決めて受話器を取る。
「もしもし私ですが」Oui ?
「ああ、私よ……」Ah, c'est moi.
「悪いけど今寝てる、明日かけ直すから。」Excuse-moi, je suis endormi. Je te rappellerai demain.
そう短く言って電話を切った。
ナセラは何も言わなかった。ただ彼女はそのやりとりのわずか3秒で全てを悟ったかもしれない。こんな時間に電話を掛ける女、しかも彼は明日電話するという関係。女は勘が鋭い、何年も経ってから考え直すとあの瞬間ナセラは瞬時に分かっていた。
かかってきたのが女であること。しかも夜の10時頃に馴れ馴れしくかけてくる人物……明日、この男が電話を掛ける相手……それでも私たちは何事もなかったかのように振る舞った。
その先は省く。ただ最後に彼女が言った『ありがとう。』Merci. という1言だけを憶えている。
翌日ナセラは出かけたがお昼前にまたパリの街で会うことにした。ナセラのことを思う。おかしな娘だ。日本人が良いのかボクが良いのかアルジェリアがいやなのか、とにかくアルジェリアの外に出たがっている。このままナセラを日本に連れて帰るとどうなるのだろう。まず自分が回教徒に改宗しなければならないらしい。仏教の男が回教徒の女とは結婚できないと聞いた。
それは仕方ないとしても1日5回のお祈りと食事制限はどうしても受け入れられそうにない。特にハムベーコンの類は口にできないし我慢できないのはトンカツとカツ丼が食えないことだ。




