第013話_「あなたの母国語に興味がある」——夏期講座にタダで潜り込む
Pauに来て1年以上経ったとき日本から連絡があった。
前の会社にいたときの上司からである。
一時中断していたアルジェリア人教育を再開するから来ないかという。自分のフランス語が試せる絶好の機会である。
技術指導を行い、そこを辞めてまたフランスに戻ったときの話である。フランスではバカンスの時期なのでひと月からふた月も空いてしまう。フランス語を磨こうにも授業をやっていないのである。
その代わりといっては何だが林間学校の夏期講座がある。
昨年の夏期講座では午前中の授業に加え午後は料理教室、コーラス教室、ダンス教室と参加し、おまけにPTT(郵政公社のようなところ)が社員の子供たちに行うヨットスクールにも参加した。
その味を占めてまたやってきた。
学校の事務局に顔を出し、途中から来て1週間ほど滞在の予定なんだが部屋は有るかと訊いてみた。
「でも1週間じゃあ語学研修は無理ね。」にべもない。
「実は去年もやってきて、とってもよかった。」懇願口調で訴える。
「で、フランス語に興味があるというわけ?」
「いやフランス語じゃあ無くてあなたの母国語に興味がある。」ものは言い様である。
受付の女子大生アルバイトと思われる娘はにやりとした。いやにこりと言うべきか……でも結局は受け入れてもらえず友達の部屋に転がり込んだ。
さてそこからどうするか。とりあえず午前中はどこかのクラスに潜り込んで授業を受ける。午後はまた各種趣味の講座に参加する。面白いのは出入りがノーチェックである。正規に金を払った参加者と元々Dijon大学の学生、それに非常にまれだが私のようにただで潜り込んだ者がいるのだが教室の出入り口にしろ各講座の出入りにしろ全く自由である。
とまれ何をしようが日本人は固まる。しかしよく見ると日本人だけでは無い。イタリア人はイタリア人同士、イラン人はイラン人同士である。どこの国の者達も夏期講座に参加するのは初級クラスか中級クラスであり、フランス語で意思の疎通が出来ない。あげくフラストレーションが溜まり「日本語が喋りた〜い」となる。
よって夜は誰かの部屋がたまり場となって鬱憤を晴らすのである。
その点友人はフランス語が出来るから皆のあこがれの的でもあった。彼が中心となって話すと人が集まる。私もその輪に加わった。そこにはまだ麻弓はいない。話が盛り上がった頃誰かが隣を覗いてみようと言うことになった。ベランダ越しに室内を覗くと誰かが寝ていた。
「おいおい、寝てるのを起こすなよ」別の誰かが囁く。
「大丈夫、私とおんなじツアーのコだから。」美佐子と呼ばれる若い女性は言った。大胆にもベランダ越しに戸をたたき、そのコを起こした。それが麻弓だった。
それを合図に皆麻弓の部屋になだれ込む。話の続きが始まった。たたき起こされた麻弓は眠そうにしながら立ち上がり、立ち上がったベッドのスペースに3人が座ったものだから行き場が無くなった。椅子に座っていた私は彼女を呼び寄せ私の膝の上に座らせた。
彼女にも女性特有の柔らかみのある肌と女の香りがした。
眠っていた私の中の嗅覚の何かが呼び覚まされた。
もう皆の話は上の空となる。やがて友人が言った。
「美佐子の部屋に行こうか。」
それを合図に私、麻弓、美佐子、友人の4人はもといた隣の美佐子の部屋に移った。
そこから先は書かない。4人が服を着て部屋を出たときには、夜はすっかり更けていた。美佐子だけを残し、それぞれの部屋に引き揚げた。
乱交では無かった。いわば2組のカップルのスワップみたいなもの。
寝ながら考える。近頃の女の子とはいったい……友人は言う「昔からそんなもんさ。旅の恥はかき捨て。」
麻弓は特に18、9歳である。そしてもう男を知っている。いったいいつ誰からそれを知ったのか。何人の男が彼女の前を通り過ぎていったのか。興味に駆られた。
それからというものほぼ毎晩、麻弓の部屋に通った。詳しいことは書かないでおく。
初めての晩から幾日かが経っていた。あと数日でここを離れる。麻弓ともおさらばだ。
そんなある日、日曜日がやってきた。夏期講座といっても日曜日はお休みである。私はDijonから南に数駅のところにあるボーヌに行って観光しないかと誘った。彼女からは2つ返事でオーケーをもらう。
「リョウイチさん、楽しみにしているわ。」2人は宿舎の寮から手を繋ぎ、駅に向かう。
「僕も楽しみにしている。」去年1度行ったけどワインのカーブ(酒倉)がいっぱいあって、主にブルゴーニュワインが飲める。
但し、その日はワインを飲む気にはなれなかった。顔を赤くして麻弓を抱きたくない。
それでも観光し、通訳してあげてワインの試飲を1度やったら気持ちがほぐれてきた。ちょっと大胆になる。近くの公園を通ったときフランス人がするように公衆の面前でキスをする。
彼女は大変悦び、キスを返した。教会でのパイプオルガンには暫し足を止め聞き入った。
時刻は5時を回ったろうか。近くにホテルをとった。今思うとそのまま泊まれば良かったのだが月曜日からの授業のことが頭にあった。私の授業ではない、麻弓の授業である。ホテルは夫婦が経営していてそんな雰囲気だった。
「明日の朝早いもので、今のうちにホテル代払っておきたいのですが、良いですか。」
「もちろんですとも。」と言って料金を受け取り鍵をくれた。
部屋に入ると荷物を置いた。そこから先は省く。
鍵を返しホテルを出た。帰りの電車の中ではずっと手をつないでいた。やがてDijonに着き最高に楽しかった日も終わった。私も明後日旅に出る。
麻弓とは明日の晩が最後だ。
そして明日はすぐやってきた。部屋に入ろうとすると別の女の子が、あら! と声を掛けてきた。とっさに考え、「ああ、麻弓さんの部屋に忘れ物をして。」ドアをわざとノックする。ドアが開くとわざとらしく「忘れ物をして……」と話しかけ抱きしめた。これが大切な忘れ物である。
その晩のことは書くまい。
「またどこかで会おう」それから2、3度どこかの国から絵はがきを送った。
それから1年が経った。
アルジェリアはスイスの企業と契約しオラン近郊のアルズーで仕事をしていたとき日本に帰る機会が出来た。ロンドンから家族の不幸を知り、佐世保に戻りそこからまたアルジェリアに行こうとした寄り道での新大久保駅である。Dijonで分かれたのがほぼ1年前である。あれから何度か文通したがここ数ヶ月はお互い連絡しなかった。それが突然の再会である。
私も夢みたいであったが麻弓はもっと驚いたに違いない。
この駅にしたわけはまず新宿の隣で、かなりこじんまりとした駅である。次にラブホテルが多いことでもあった。
会った瞬間お互い顔を見合わせた。
その瞳の奥にある情欲を見た私は手を取って駅を出た。
近くのホテルに入った。あとは書くまい。ホテルを出るころには、1年ぶんの空白がどこかへ行ってしまったような気がした。再会を願って別れ、翌日は飛行機に乗り日本を後にした。
それからさらにまた1年半の月日が経った。私はアルジェリアからフランスに戻り、通訳の仕事にありついて西アフリカに入り浸っていた。そんなある日、もし日本に行くのなら、そこで仕事をお願いしたいんだけど、と言う話があって渡りに船、久々に日本に行こうと言う気になった。
狙いはもちろん麻弓である。前回カメルーンから電話したときは元気そうだった。でも女はしばしば会って、愛してやらないと離れていく。
最初から最後まで友達の場合は、つまり肉体関係がなければ何10年も続く。
麻弓も結局はそうなるのだが、とりあえず私は若い肉体、しかも精神的にも愛し合える肉体がほしかった。
日本に着いたらまずは電話をする。麻弓は驚いた。
とりあえず会うことにはなったが今ひとつ歯切れが悪い。やはり長くほっといたのが良くないと思った。
会ったのは麻弓の通勤途中の駅だったか、いや、確か新橋駅近くのジャズ喫茶であった。なんとそこで演奏するジャズドラマーの猪俣猛さんにドラムを習っているという。ジャズは嫌いではない。特にドラムスはスカッとする。その演奏を聴きながら彼女の手を握る。
やがて休憩時間となり猪俣さんが客席を廻り私たちの席にもやってきた。簡単な自己紹介をして西アフリカの絵葉書を見せる。ジャズのルーツなのかどうかはよく分からないがかなり興味を持たれたようで、「チュニスの夜」という曲を聴かせてくれた。ドラムスがどんどん鳴り響く曲で、いっぺんですきになった。
2時間も居たろうか、演奏は終わり外に出た時間は夜の9時頃、少し中途半端である。私は決心し、彼女をビルの陰に引き込んでキスをした。そこからタクシーを呼んで近くのラブホテルに行った。彼女は早速コートを脱いだがその後どうしたことか脱がない。
「どうしたの。」
「だってあれの日なんだもん。」
「僕は気にしないけど。どうせ最後にシャワー浴びるし。」
「そうね、じゃあいいわ。」彼女は吹っ切れた。
1年半前と何かがちょっと違う。少し彼女は太ったかなとおもう。
そこから先は書かない。
この1年半何があったのか。誰かと肉体関係があったのか。でもこうして私と会えるということは恋人ではない。じゃあ遊んでる?
残念なのはフランス語はからきしダメである。ディジョンに夏期講座で行ったのは遊びだったようである。
とはいっても麻弓はまだまだ魅力的であった。愛を確かめ合うと言うより喜びに再び火が付いたといった方が正しいだろうか。
それからさらに1年が経ち結婚して欲しいという話をしたが彼女の返事は貰えなかった。それが麻弓を見た最後であった。




