第54話 危険個体登録、第四条
執行は三日後。そう言い渡された、一日目の朝です。
王都の夜明けは、辺境より低いところから白みます。屋根の上のノクスは、ひと晩じゅう、王宮の方角を向いておりました。下りては来ません。わたくしも呼びませんでした。
「読み上げるよ、預かり屋さん。危険個体登録制、全四条」
卓に写しを広げて、マルタ様が仰いました。
「一条、危険とされた個体は登録する。二条、登録個体は移動を制限する。三条、登録の届け出は管理局が受ける。そして四条――登録個体の処分の可否は、魔獣管理局長がこれを判断する」
「判断、ですか」
「そう書いてある。書いてあるだけかどうかを、これから確かめに行くのさ」
ティムが、火を落とした竈の前から訊きました。
「判子を押した人が、判断した人ってことじゃないの」
「いい質問だね。世の中には、判子だけが歩く紙ってものがあるのさ。今日はそれを、王様の前でひっくり返しに行く」
庭では、レオンハルト様が礼服の留め具と格闘していらっしゃいました。黒地に銀の、辺境伯の正装です。
「うちの閣下の正装は、三年に一度の眺めだよ。目に焼きつけておきな」
「お似合いです」
「……行くぞ」
ティムには留守を頼みました。預かり中の仔たちの世話は、待ってはくれませんので。
王宮の広間には、陛下がいらっしゃいました。段の下に、ルーペルト大公殿下。その横で、後任の管理局長が、書類を胸に抱えて立っておいでです。
「読み上げよ」
陛下が短く仰って、局長が執行状を広げました。
「危険個体登録第四条に基づく。対象、黒狼種、雄。上顎左に、折れた牙。当該個体の処分を可と判断する。魔獣管理局長の判による」
「伺います」
わたくしは前へ出ました。声は、まだ張っておりません。
「局長様は、その仔をいつご覧になりましたか」
「……書類は、整っております」
「いつ、どこで、ご覧になりましたか」
「判断に必要な記載は、すべて揃って――」
「獣は、見たのか」
レオンハルト様でした。マルタ様が小さく「三語」と数えられました。局長は、答えられませんでした。
「では、伺い方を変えます。あの仔の目は、何色でしょう」
「……は」
「目の色です。処分を判じられた獣の、目の色を伺っております」
局長は、大公殿下のほうをご覧になりました。答えを、そちらに探されたのです。
「陛下。いまのが答えでございます」
わたくしは、段の上へ申し上げました。
「第四条の判断が誰のものか、この広間の全員が、いま見ました」
「局長。そなたに問う」
陛下の声は、低いままでした。
「第四条の判は、そなたの判断か」
「……判は、押しました」
「押したことと判じたことは、違う」
局長は、書類を抱え直しただけでした。
「重ねて申し上げます」
わたくしは、執行状の一行を指しました。
「上顎左に折れた牙、とございます。ですが、この記述に合う獣は、いまの王国のどこにもおりません。あの仔の折れた牙は、幾月か前に、わたくしが抜きました。日付は帳面に残っております」
広間の文官の方々が、顔を見合わせました。
「この文言は、三年前の管理局の簿冊と、一言一句同じでございます。この判は、獣を見ずに、古い紙を写して押されたものです。第四条のいう判断は、ここのどこにもございません」
「抗弁する」
レオンハルト様が、一歩前へ出られました。
「辺境伯として」
「レオンハルト・ガルド辺境伯。エルナ・ウィスタリア。マルタ・レンツ」
大公殿下が、初めて口を開かれました。名前は、いつも正確でいらっしゃる方です。
「書式に瑕疵があるなら直させよう。判は、押し直せばよい。三日の期日は変わらぬ」
「殿下、それでは――」
「だが、別の道もある」
殿下は段を一つ下りて、わたくしの前に立たれました。近くで嗅ぐと、この方ご自身は、香を身につけていらっしゃいません。
「エルナ・ウィスタリア。王宮の香の管理官になれ。おまえの鼻が香を検めるなら、香は二度と汚れぬ。さすれば、黒狼は見逃そう」
「お断りいたします」
「即答だな。アーレンス侯は言ったそうだ。装置に、同意は要らん、と」
殿下は、笑いもなさいませんでした。
「私は違う。装置は、同意があったほうがよく回る。だから、こうして訊いている」
「わたくしは、装置ではありません。それから、あの仔は、取引の札ではありません」
「あれは、よくできた道具だ」
殿下は、静かに仰いました。
「道具に罪はない。持ち手が悪かった、それだけのことだ。正しい持ち手に渡せば済む」
――道具。
「道具では、ありません」
声が、広間に響きました。わたくしの声です。自分でも驚くほど、張っておりました。
「あの仔には、痛かった夜があります。折れた牙があります。それでも、人をひとりも傷つけずに生きてまいりました。道具は、痛みません。殿下、あの仔は、痛むのです」
誰も、何も仰いませんでした。わたくしは息を整えて、頭を下げました。
「声を張りました。ご無礼を、お詫びいたします」
「無礼ではない」
陛下でした。
「査問を開く。三日目の朝、証と証人をもって、この件を検める。執行は、査問の裁の後とする」
大公殿下は、深く一礼なさいました。
「けっこうでございます。査問の場で、第四条は生き返りましょう」
帰りの道で、マルタ様が指を二本、立てられました。
「二日だよ、預かり屋さん」
「はい。証と、証人ですね」
「証はあたしが揃えてある。樽の控えに、谷の台帳に、焼印の写し。それにハンスの爺さんの帳面だ。問題は証人だよ。うちの証人ときたら、肝心なことを一言も喋らないんだから」
マルタ様は、レオンハルト様とわたくしを順に見て、それから空を見上げました。
「どっちのことだい、って顔をしないでおくれ。三人目だよ。いちばん黒いのさ」
預かり屋に戻ると、ティムが門を開けてくれました。
「姉さん、どうだった」
「査問になりました。三日目の朝です」
「……それって、いいこと?」
「執行が止まりました。その分の二日を、いただいたということです」
「じゃあ急がなきゃ。夕餉はできてるよ。冷めないうちにね」
屋根の上で、ノクスが立ち上がりました。夕暮れの風は、王宮のほうから吹いてまいります。あの仔は鼻先を上げて、長いあいだ、その風の匂いを確かめておりました。
「寝ろ」
レオンハルト様が、通りすがりに仰いました。夜なべを、見抜かれていたようです。
「一語」と、マルタ様。
わたくしは荷を置いて、まず帳面を開きました。二日は、思うより短いのです。
わたくしは、人さまの前で声を張らずに生きてまいりました。張らずに済む言い方が、たいてい一つはあるからです。けれど今日は見つけられませんでした。道具、という言葉にだけは、静かな言い方が見つからないのです。
閣下の抗弁は三語でした。マルタ様が数えておられました。三語で足りるのですから、わたくしの長口上は、まだ修業が足りません。
次回、査問の支度をいたします。いちばん大事なことは、わたくしが決めるのではありませんでした。




