↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「獣臭い令嬢」と婚約破棄されましたが、王国の魔獣はぜんぶ私に懐いています 〜辺境で預かり屋を始めたら、討伐一筋の辺境伯まで懐いてしまいました〜  作者: 鈴宮ひなた


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
52/60

第52話 処分簿の、十七頭目

 悲鳴は、谷の奥の窪地からでした。


 日の落ちかけた坂を下ります。松明は低くしました。窪地の底に人がひとり座り込んでいます。クルト・アーレンス様です。外套の裾を握りしめたまま動けずにおいででした。


 囲まれているのです。


 痩せた仔が七頭。窪地の縁にぐるりと立っています。鼻先は底の一点へ向いていました。牙は見えません。ただ立って嗅いでいる。それが囲まれた側にはいちばん怖いのです。


 わたくしは窪地の縁の、風下の一点を選んで膝をつきました。上から入ると、仔たちの輪を背後から破ることになります。破られた輪は、締まります。風下から声だけを届ければ、輪は動きません。松明はレオンハルト様に預けて、五歩下がっていただきました。火の匂いは、この仔たちにとっては谷の夜番の匂いだからです。


 「た、助けてくれ……私は、何も」


 「動かないでください。声も、いまの半分に」


 「く、食われる」


 「食べません。この仔たちは、匂いを確かめているだけです」


 「に、匂い……」


 「風下から失礼しました。いちばん上に濃い香水。その下に樽の木。いちばん底に――甘い。焦がした蜜のような。底に金気。……あなたの外套の匂いです」


 「な、なんだと」


 「この仔たちが敵だと教え込まれた匂いです。あなたはいま、ご自分の荷の匂いに囲まれています。脱いでください。手袋も上着もです」


 「ぬ、脱いだら、どうなる」


 「あなたが、あなたの荷物ではなくなります」


 クルト様は脱ぎました。外套も手袋も上着もです。震える手で全部落としました。それから申し上げたとおりに、上から土を三度かけました。


 「風下へ、ゆっくり。目を伏せて、歩幅は半分に」


 「は、半分……」


 「そうです。お上手です」


 一歩ごとに輪がほどけていきます。仔たちは追いません。土をかぶせた外套の周りへ集まります。鼻先をそこへ並べるだけです。


 窪地の縁で、レオンハルト様がクルト様の襟首を受け止められました。


 「歩けるな」


 「……ひ、一人にしないでくれ」


 「歩け」


 マルタ様が縄を出しながら、ため息をつきました。


 「命の恩人に縛られるんだ。世話のない話だね。ほら、手をお出し」


 「私は、命じられ……いや」


 クルト様の喉が一度、上下しました。


 「……樽は、私が作らせたものではない。窯は、別の場所にある」


 「どこだい」


 「……言えば、私が、消される」


 「もう半分消えかけたじゃないか。獣に、じゃないよ。あんたの取り引き先にさ」


 クルト様は、それきり何も仰いませんでした。


 夜の谷は静かでした。松明は三本に減らしました。火は小さく保ちます。風は東からです。仔たちの息の数が、数えられるほどでした。


 「休め」


 レオンハルト様が、わたくしの松明を取り上げて仰いました。


 「見張りは、代わる」


 谷の奥に、板葺きの小屋がありました。樽が積んであります。それから壁の棚に、帳面がひと綴り。


 戸を開けた途端に、匂いが層になって押し返してきました。いちばん上は樽の木と、こぼれた香料の甘さ。その下に、人が寝起きした油と煙。その下に、湿った紙。そしていちばん底に、あの行です。ここは、香を混ぜた場所ではありません。混ぜた樽を、置いていた場所です。窯の匂い——火にかけた金気の匂いが、どこにもありませんでした。


 「台帳です。この谷の、受け入れの台帳」


 「灯りを寄せるよ。読んどくれ」


 「……三年前。受け入れ、十六頭」


 頁のあいだに管理局の判定簿の写しが挟んでありました。前の局長ボルグ・ハイデン様のお名前で――危険個体、十七頭。


 「十六と、十七だ。一頭、足りないね」


 「はい。足りません」


 写しの端に、細かい字の書き添えがあります。わたくしは、声に出して読みました。


 「十七頭目、黒狼種、雄。移送の檻の格子を折って逃走。格子に、上顎左の、牙の先が残る……」


 声が、最後まで保ちませんでした。


 書き添えの下に、あとから押された判がひとつ。


 「処分済、だと」


 レオンハルト様が、低く仰いました。


 上顎の左の牙。辺境で開業して間もない頃に、わたくしが抜いた牙です。折れて膿んで、あの仔をずっと痛がらせていた牙。あれは檻の格子の値段だったのです。


 戸口に、ノクスが立っていました。


 呼んでおりません。いつからいたのかも分かりません。黒い体が灯りの際で止まりました。首だけが、朽ちた檻の列へ向きます。


 歩きます。いちばん奥の檻の前で止まりました。格子の匂いを一度だけ嗅いで、離れました。


 それきり、わたくしの斜め後ろに立って、動きません。


 「六年前、王都の厩舎でこの仔の房が空いた朝のことを、覚えています。帳面には、移送と、それだけ。行き先は誰も教えてくださいませんでした。……移送の先で三年、この仔はどこかの檻にいて、それから判定を受けたのです。その先が、ここです。教えられなかったはずです。この谷は、帳面の上に無い場所ですから」


 「……台帳の上じゃ、この仔は三年前に死んでるってことかい」


 「はい。判をひとつ押すだけで、紙は生きている仔を死んだことにできます。けれど、逆はできません」


 「だが、立ってる」


 「はい。立っています。この仔は、証人です。生きてここにいることが、そのまま証拠になる仔です」


 朝の谷を、端から歩きました。檻の数を数えます。空の檻も数えます。水場はひとつ。壊れかけの樋がふたつ。直せるものは直しました。


 数えるときは、必ず二度数えます。一度目は東から、二度目は西から。数が合えば、それが数です。合わなければ、どちらかの途中で何かを見落としています。檻は二十二。辺境の谷と同じ数でした。偶然だとは思いません。同じ手で、同じ図面から作られた場所なのです。


 「谷の仔は、十五頭です。閲兵で保護した一頭を足して、十六。台帳のとおりです」


 「ウェスペルは」


 「どの頁にも、おりません。逃げた仔と、逃がされた仔。帳面の外が、二頭です」


 「樽は、数えるかい」


 「数えます。ふた組に分かれましょう。マルタ様は、騎士の方と外をお願いします」


 朝のうちに、王都へ使いを立てました。クルト様の身柄と、台帳と、樽。騎士たちが荷を検めるあいだ、わたくしは谷の水場を直しておりました。


 昼前に、街道から早馬が一騎、上がってきたのです。


 管理局の使いでした。馬を降りもせず、書き付けを読み上げます。


 「危険個体登録、第四条により、黒狼種一頭の回収を通告する。可否は、局長が判断した」


 「その仔を、ご覧になってのご判断ですか」


 「……局長が、判断した」


 「判断なさった方は、檻の格子に残った牙のことを、ご存じですか」


 「局長が、判断した」


 「三度、同じお答えですね。……承りました」


 早馬は、来た道を戻っていきました。


 ノクスは、わたくしの横に立ったまま、遠ざかる土埃を見ています。


 尾は、動きませんでした。

判はひと押しで、生きている仔を紙の上で死なせることができます。その紙の上の死から三年、あの仔は北の谷で、それから辺境の屋根の上で、毎晩ちゃんと生きておりました。


十六と十七のあいだの隙間を埋めたのは、判ではありません。寝藁と、水と、抜いた牙がひとつです。


次回、尻尾を切る方のお話です。切られた尻尾の行方より、切った手のほうを、どうぞ見ていてください。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。