↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「獣臭い令嬢」と婚約破棄されましたが、王国の魔獣はぜんぶ私に懐いています 〜辺境で預かり屋を始めたら、討伐一筋の辺境伯まで懐いてしまいました〜  作者: 鈴宮ひなた


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
43/60

第43話 あたしが騎士をやめた理由

 翌る日の王宮は、紙の匂いがしました。


 騎士団の詰所の奥に、納めの帳面だけを積んだ部屋があるのです。香料、蝋燭、馬具、飼い葉。王宮に入る品はすべてここで検められてから納められます。控えの帳面は十年ぶんが棚に眠っておりました。


 紙の匂いにも層があります。いちばん上は、新しい墨と、昨日今日めくられた頁の匂い。その下に、埃と、乾いた革の綴じ紐。いちばん底に、長いあいだ誰にも開かれなかった紙が出す、かすかに酸い匂いが沈んでおりました。古い帳面ほど、底の匂いが濃いのです。鼻で棚を端から辿れば、どの帳面が最近めくられたのかは、頁を見なくても分かります。


 「香料の検収はこの棚。年の若い順に右からだよ」


 マルタ様が迷いなく棚を叩かれるので、案内に立った若い騎士の方が目を丸くしていらっしゃいました。


 「あの、副官殿は、なぜ配置を」


 「いいから、そこの梯子を押さえな。あんた、さっきから五回も戸口の上官の顔色を見たね。数えてたよ」


 若い方はそれきり黙って、梯子を押さえてくださいました。


 窓の外の庭では、荷車の上にノクスが伏せています。詰所の騎士の方々が遠巻きに三人、様子を見にいらしては戻っていかれました。


 「あの、あれは……繋がなくてよろしいので」


 「繋いだら外すよ、あの仔は。伏せてるうちが平和なのさ。あんたたちが騒がなきゃ触りゃしないよ」


 マルタ様の一言で、遠巻きの輪がもうひと回り広がりました。


 わたくしたちが洗っているのは樽の行方です。香料の樽がいつ、どこから、いくつ王宮へ入ったのか。あの方が残していかれた一言の、裏を取るためです。


 帳面は正直でした。アーレンス香料商会。月に二樽、ときに三樽。検収の判はどの頁にも綺麗に並んでおります。


 検収の帳面は、読み方に順番があります。まず品名。次に量目。それから納めた者の署名と、検めた者の判。最後に、余白です。余白は、帳面の中でいちばん正直な場所です。書くべき欄が無かったことが、そこに書かれるからです。わたくしは頁を繰るたび、欄より先に余白を見るようにしておりました。


 「……綺麗すぎるね」


 マルタ様が頁の端を指で撫でられました。


 「検収ってのはさ、通らない日があるから検収なんだよ。十年、一度も突き返してないなんて、そんな検めがあるかい」


 「一度だけ、あります」


 棚のいちばん左、古い帳面の余白に細い書き込みがありました。量目は合う。匂い、疑わしい。差し戻しを具申する――署名は、レンツ。


 わたくしは顔を上げました。


 「マルタ様」


 「……あー。見つかっちまったね」


 マルタ様は梯子の途中で頭を掻かれました。


 「あたし、ここにいたんだよ。王宮騎士団に。検収係を二年やった」


 「初耳です」


 「言ってないからね」


 戸口に立っておられたレオンハルト様が、腕組みのまま少しだけ顎を引かれました。ご存じだったのだと思います。


 「八年前だよ。香料の樽を開けたら匂いが違った。量目は寸分も違わない。けど、香のいちばん下に妙な甘さが混ぜてあった。安い蜜を焦がして薄めたみたいなやつがね」


 わたくしの帳面の、あの行と同じものです。わたくしは口を挟みませんでした。


 「匂いで、お気づきになったのですか」


 「鼻は普通だよ。ただね、封蝋を切った最初のひと呼吸だけ、樽は正直なんだ。二年も開け続けてりゃ、香の順番くらい覚えるさ」


 「それで、突き返そうと」


 「水増しだと思ったのさ。高い香料に安い混ぜ物をして目方を揃える。よくある手だよ。だから上官に言った。突き返せってね」


 「そうしたら」


 「量目は合っている、と言われたよ」


 マルタ様は梯子を降りて、古い帳面を机に置かれました。


 「二度目に言ったら検収係を外された。三度目に言ったら辺境の警備へ回された。……三度、数えたんだよ、あたしは。向こうも数えてたわけだ」


 「それで、騎士をお辞めに」


 「飛ばされたんじゃないよ、やめたんだ。……まあ、順番としては、飛ばされてからやめたんだけどね」


 若い騎士の方が梯子を押さえたまま、身動きできずにいらっしゃいました。マルタ様はその方の肩を叩かれました。


 「あんたは運がいいよ。いまの上官は、顔色を見る値打ちくらいはあるだろ」


 「は、はい」


 「で、辺境へ行ったらさ。無口な若いのがいてね。討伐のたびに、獣の数と部下の名前だけは間違えないんだ。あたしは数を数えるのが好きだからさ、ここは長くいられると思ったんだよ。その若いのが領主になって、物好きにも、あたしを副官にした」


 レオンハルト様は何も仰いませんでした。ただ、視線が一度だけ余白の署名の上を通りました。


 「マルタ様。その混ぜ物は、水増しではなかったのだと思います」


 「だろうね。八年経って、やっと腑に落ちたよ」


 マルタ様は余白の書き込みを指の腹で叩かれました。


 「安く上げるための混ぜ物なら、匂いなんてどうでもいいはずさ。けどあれは、香のいちばん下に隠すために混ぜてあった。……出どころも、たぶん同じだ。あんたの帳面の、あの甘いやつとね」


 「はい。同じだと思います」


 「よし。なら、ついでだ。数えようか」


 マルタ様が帳面を三冊、机に並べられました。


 「二樽の月と三樽の月がある。三樽の月だけ、頁の隅を折っていきな。あんたもだよ」


 「じ、自分もですか」


 「検収係の見習いだと思えばいいよ。筋はよさそうだ。顔色を数えられるやつは、樽も数えられる」


 蝋燭が一本短くなるまで、三人で頁をめくりました。折り目は七つになりました。


 数えるあいだ、わたくしは自分の帳面を開きませんでした。先に答えを持って数えると、数のほうが答えに寄ってくるからです。折り目がいくつになるかを知らないまま、ただ三樽の月だけを折っていく。七つ目を折り終えて、それからようやく、厩舎で写してきた紙を懐から出しました。


 「三樽の月は、この三年で七度です。それより前には一度もありません」


 「七度だね。……あんたのところの厩番さんは、獣たちが荒れた月をいくつ数えてたっけ」


 「七度です」


 「数まで重なったよ。偶然って言葉は、何度目まで使っていいんだったかね」


 「三度までだと思います」


 「だろうね」


 部屋の蝋燭が半分ほどに短くなっておりました。わたくしは、いちばん訊かなければならないことを最後まで残しておりました。


 「マルタ様。あなたに、量目は合っていると仰った上官の方は――いま、どちらに」


 マルタ様はすぐにはお答えになりませんでした。帳面を閉じて、埃を払って、それから笑っていない目で笑われました。


 「出世したよ。騎士団を抜けて、お屋敷勤めの筆頭さまだ」


 「どちらの、お屋敷ですか」


 「大公家。……王弟殿下の、家宰さまだよ」


 レオンハルト様が戸口で身体の向きを変えられました。


 「……役職ごと、洗うか」


 「洗いたいねえ。けど閣下、大公家の帳面はこの棚には無いんだよ」


 マルタ様は、棚のいちばん上の何も置かれていない段を見上げられました。


 「あたしの三度目はさ。……まだ、終わってなかったのかもしれないね」

マルタ様は数を数える方です。語数も、樽も、顔色を見た回数も。数えるというのは忘れないということなのだと、今日あらためて思いました。八年前の帳面の余白に、あの方の三度目はちゃんと残っておりました。


帳面というものは、書いた者が居なくなった棚の上でも、ずっと数え続けているのです。


次回、夜の谷へ参ります。牧のブルーノ様が仰っていた、あの声の主を確かめに。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。