第17話 危険個体登録制のお知らせ
翌朝には、同じ紙が街じゅうに貼られていました。
『危険個体登録制のお知らせ
一、当領内において魔獣を保有し、または預かる者は、個体ごとに魔獣管理局へ登録すること。
一、登録には登録料を要する。
一、未登録の個体はこれを危険個体とみなし、管理局がこれを接収する。
一、登録の可否は、管理局長がこれを判断する。』
「四条目が本体だね」
マルタ様が紙を指で弾きました。
「一から三までは飾りだよ。可否は局長が決める。つまりあの人が首を横に振った獣は、その翌日から危険個体さ」
「登録料は、おいくらなのでしょう」
「一頭で牛が一頭買える」
「牛」
「牛だよ」
ティムが指を折りはじめました。
「姉さん、うち何頭いるんだっけ」
「今お預かりしているのが五頭です。ノクスを入れて六頭ですね」
「牛六頭」
「牛六頭ですね」
ティムが両手で顔を覆いました。わたくしも、少し覆いたくなりました。
昼過ぎに、管理局の馬車が来ました。
降りてきたのは局長のボルグ・ハイデン様と、帳面を抱えた書記の方が二人です。局長様は柵の前で足を止めて、柵の中は見ずに、書記の帳面を覗き込みました。
「五頭ですな」
「六頭です」
「六頭目はどれです」
「屋根の上です」
局長様は屋根を見ませんでした。
「黒狼種は登録できません」
「理由を伺っても」
「危険個体です。書類にそう書いてあります」
「どちらの書類でしょう」
「王都の分類表です」局長様は帳面を閉じました。「種で決まっております。個体は関係ない」
「では、その表をお書きになった方は、ノクスをご覧になりましたか」
「見る必要がありません」
なるほど、と思いました。そういう仕組みなのだと分かってしまうと、腹の立てようもありません。
「では、ひとつだけ伺わせてください」
「手短に」
「あの子は、この三月で何人に怪我をさせたと書いてございますか」
局長様が書記の帳面をめくらせました。
「記載はありません」
「では、何人を助けたとは」
「そのような欄はありません」
「……欄が、ないのですね」
「ありません」
局長様は、頼んでもいないのに帳面を開いて見せました。
「私はこの三年、危険個体の判定を積み上げてまいりました。ご覧なさい。辺境の記録としては前例のない数です」
開いた頁に、数字の列が並んでいます。左が月ごとの判定数でした。
その右に、もう一列あります。
「こちらの列は」
「備品の受け入れです。管理局の消耗品ですな。紙だの、灯油だの」
「……そうですか」
左の列と右の列は、月ごとにきれいに揃っていました。判定が七件の月は、受け入れも七。十二件の月は、十二。紙と灯油の消費が、危険個体の数と毎月そこまで一致するものでしょうか。
わたくしは何も申し上げませんでした。帳面の頁の匂いだけ、覚えておきました。古い紙と、鉄の錆と、それから、うっすら甘いものが挟まっています。
「話を戻します」局長様が帳面を書記へ渡しました。「屋根の上の個体は接収します。今日でなくて結構です。手続きを踏みますので」
ティムが息を呑む音がしました。
「接収したあとは、どうなさるのですか」
「処理は管理局が決めます」
「処理」
「危険個体ですので」
「ティム。少し、下がっていてくださいますか」
「でも姉さん」
「大丈夫です。まだ、書類の話ですので」
わたくしは柵に手を掛けました。掛けただけです。それ以上のことは、この方に言っても届きません。
――そのときでした。
「登録は、こちらでやる」
声は門の外からしました。
レオンハルト様が馬を降りて、街道をこちらへ歩いてきます。
その後ろに人がついてきていました。街の方々です。掲示を読んで、管理局の馬車を追って、そのまま集まってきたのだと思います。二十人、いえ、もっといました。
「辺境伯。これは管理局の管轄です」
「知っている」
レオンハルト様は柵の前で足を止めて、それから局長様ではなく、街の方々のほうを向きました。
「この預かり屋の獣は、全頭、俺の名で登録する。登録料も俺が払う」
「閣下、それは」
「屋根の上のも登録する」
「あれは種で危険個体です」
「なら、俺の領には危険個体が一頭いる」レオンハルト様が仰いました。「それだけのことだ」
局長様の口が半分開きました。
レオンハルト様は続けました。街の端まで聞こえる声で、ゆっくりと。
「北の谷で、うちの隊二十人が槍を構えて動けずにいた。そこへこの人が一人で入っていった。俺の部下は一人も欠けていない。そのあと村がひとつ、獣に踏まれずに済んだ。……この人を危険と呼ぶなら、俺の領には危険しか残らん」
誰かが手を叩きました。
一人が叩くと二人になって、それから思ったよりずっと多くなりました。ティムが跳ねています。わたくしは何と申し上げればよいか分からず、帳面を胸に抱えたまま立っておりました。
「閣下」マルタ様が指を折っています。「今ので四十語を超えました」
「マルタ」
「はい、四十二語。年内ぶんです」
局長様は帳面を書記に渡して、馬車へ戻りかけて、それから振り返りました。
「月が変わるまでに登録なさい。一頭でも漏れれば、その一頭は接収します」
「かしこまりました」
「……あなたは、獣に情を移す人だ」局長様はこちらを見ずに仰いました。「そういう者は、管理者に向きません」
「わたくし、管理者ではありませんので」
馬車が街道を下っていきました。
屋根の上で、ノクスは一度も動きませんでした。唸りもしません。ただ、馬車が見えなくなるまで顔だけをそちらへ向けていました。
「……あの子、分かってると思う?」マルタ様が屋根を見上げます。
「分かっていると思います」
「なにを」
「自分の話をされていた、ということは」
その日の夕方、街道をもう一台、馬車が上がってきました。
管理局のものではありません。四頭立ての、黒漆の一台です。扉に紋章が入っていました。
「……あれは」マルタ様の声が変わりました。「アーレンス侯爵家だ」
馬車は預かり屋の前で止まりませんでした。従者の方が一人だけ降りて、封書を差し出して、それきり戻っていきます。
宛名を読みます。
『魔獣預かり屋 エルナ・ウィスタリア殿』
名指しでした。ウィスタリアの名を書いていただいたのは、屋敷を出た日以来です。
封蝋を割ると、中は紙が一枚きりでした。
『明後日、そちらへ伺う。個体をひとつ預けたい』
署名は、一語だけでした。
――アーレンス。
お読みいただきありがとうございます。
条文というのは、たいてい最後の一条が本体です。一から三までは読ませるために書いてあって、四条目だけが効きます。ボルグは獣を見ませんが、書式のことはよく知っている人です。
そして辺境伯が本作最長の台詞を吐きました。マルタの数え方が正しければ、次に喋るのは来年です。
次回、紋章入りの馬車が街道を上がってきます。降りてくるのは、獣にも人にも名前で呼びかけない方です。




