表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「獣臭い令嬢」と婚約破棄されましたが、王国の魔獣はぜんぶ私に懐いています 〜辺境で預かり屋を始めたら、討伐一筋の辺境伯まで懐いてしまいました〜  作者: 鈴宮ひなた


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
15/32

第15話 この暴走は、誰かが起こしました

 朝、囲いの中には二頭いました。


 ウォクスは柵ぎわで日を浴びていて、フルグは奥で寝ています。角の先が藁に埋まって、腹がゆっくり上下していました。二頭とも、匂いはまだ甘いままです。


 水を替えて、藁を足して、台に帳面を広げました。


 「はい、これ」


 マルタ様が紙を一枚、台の上に放ります。街の掲示を写してきたものだそうです。


 ――昨夜、村を襲いし危険個体は、魔獣管理局の指揮により速やかに鎮圧されたり。


 「鎮圧」


 「そう書いてある」


 「昨夜、管理局の方はいらっしゃいましたか」


 「一人もいないよ」


 マルタ様は台の縁に腰かけて、実に楽しそうな顔をなさいました。


 「でね。村の連中がもう怒っててさ。三十人が松明持って立ってたんだ、誰が何をしたかなんて全員が見てる。今朝から井戸端で『鎮圧されたのは俺たちの目か』ってのが流行ってる」


 「そうですか」


 「あんた、悔しくないのかい」


 「掲示は掲示ですので」


 わたくしは帳面のほうへ向き直りました。マルタ様が「つまんないねえ」と仰います。


 昼前に、レオンハルト様がいらっしゃいました。


 その方は台の横に立たれました。わたくしは帳面を開いて、頁を三つ並べました。


 「ご覧いただけますか」


 「なんだ」


 「日付です」


 いちばん左が七年前の秋。王都の厩舎に運び込まれ、三日で連れ出された十四番の仔。


 真ん中が、ウォクス。


 右が、フルグ。


 「この三つに、同じ匂いが書いてあります」


 「甘い花か」


 「はい。焦がした蜜のような甘さに、底の金気。同じ書き方をしているのは、同じ匂いだからです」


 レオンハルト様は頁を追われました。


 「ウォクスは、管理局が捕らえてから三日吠え続けました。フルグは、管理局の検分の翌日に駅から逃げています」


 「検分の翌日」


 「マルタ様に伺いました。駅には三頭おりました。検分を受けたのも三頭です。逃げたのは一頭だけです」


 「三頭のうち一頭」


 「はい」


 わたくしは炭を置きました。


 「獣は、薬を自分では飲みません。甘くしてあるということは、飲ませるために甘くしたということです。煮詰めてあるということは、工房で作ったということです。……そして三頭のうち一頭だけが選ばれたということは」


 言いながら、少し息を吸いました。


 この先を言葉にするのは、初めてです。


 「――この暴走は、誰かが起こしました」


 ティムが手を止めました。


 「え。じゃあ、村の柵が壊れたのも」


 「起こした人がいます」


 「誰が」


 「存じません」


 「なんで分かんないのに言えるの」


 「分かることだけを言っております」


 わたくしは頁の端を指でなぞりました。


 「わたくしに分かるのは、この三頭が同じ匂いをさせていたことと、その日付がどこに寄っているかだけです。誰がやったかは、匂いには書いてありません」


 マルタ様が低く口笛を吹きました。


 「……七年前は、あの局長はまだ下っ端だよ」


 「はい」


 「じゃあ七年前に薬を煮てたのは、別のやつだ」


 「そうなります」


 レオンハルト様が、短く仰いました。


 「蜜か」


 「いいえ。蜜でしたら、蝋の匂いが残ります。これは花を乾かして、煮詰めたものです」


 「花の名は」


 「まだ分かりません。ただ、甘さの奥に樹脂がありません。この辺りの花は、乾かすと必ず樹脂の匂いが出ます」


 「――この領の花ではないな」


 その方は、頁から目を上げられました。


 「乾かして甘くなる花は、南だ。冬が来ない土地でしか咲かん」


 「南」マルタ様の声が、少し低くなりました。「……南で、工房を持てる家といったら、そう多くないですよ、閣下」


 「言うな」


 「言いませんけどね」


 マルタ様は肩をすくめて、それきり名前を口にしませんでした。


 午後、わたくしは立ち上がりました。


 「フルグが逃げてきた道を、見てきます」


 「いまからかい」


 「日が暮れると匂いが落ちますので」


 駅と村のあいだには、水場がひとつあります。荷を引く騎獣は必ずそこで飲みます。三頭のうち一頭だけを選ぶのなら、水ではなく、その仔の桶に入れたはずです。桶なら、いまも残っています。


 台に手をついて足を踏み出したところで、地面が横に傾きました。


 「おっと」


 マルタ様が肘を掴んでくださいます。


 「昨夜の今日でしょうが。耳、まだ鳴ってるんじゃないのかい」


 「少しだけです」


 「歩いて一刻半だよ、あそこは」


 「では、急ぎます」


 「聞きなさいって」


 そのときティムが、空を見上げて言いました。


 「ねえ姉さん。ノクスってさ、なんでいつも屋根の上なの」


 わたくしは顔を上げました。


 黒い影が、屋根の東の端に伏せています。朝からずっとそこです。荷車ほどの大きさの獣が、屋根板の上で身を縮めて、いちばん端に寄っている。


 「近づきたくないのかな」


 「……いいえ」


 わたくしは、風を確かめました。


 今日は西風です。あの仔は東の端にいます。


 昨夜、村では風が村から吹いていて、あの仔は暗がりの風下に座っていました。使者が来た日は東風で、あの仔は西の柵の外にいました。屋根の上にいるときも、必ず、わたくしのいるほうから風が吹く側です。


 十日ぶん、思い返しても一度も外れていませんでした。


 「姉さん?」


 「……この仔は」


 声が、うまく出ませんでした。


 「わたくしに、自分の匂いを届けないようにしているのです」


 ティムが屋根を見上げました。


 「なんで」


 「わたくしが、匂いで診るからです」


 いつからでしょう。わたくしが誰かの匂いを剥がすたび、この仔は自分の一枚を邪魔にならない場所へ運んでいたのです。


 屋根の上で、板が軋みました。


 黒いものが、下りてきました。


 軒を伝って、地面に降りて、四つの足が土を噛みます。ノクスはまっすぐこちらへ歩いてきました。


 三歩手前で止まって、それから――前脚を折りました。


 肩が下がります。胸が地面につきます。


 伏せたまま、動きません。


 「……閣下」マルタ様の声がします。「これ、あたしの目がおかしいんですかね」


 「黙っていろ」


 わたくしは、意味を測りかねていました。


 この仔が自分から近づいてきたことは、これまで一度もありません。柵の外か、屋根の上か、暗がりの風下か。届きそうで届かない場所にだけ、この仔はいました。


 鼻先が、伸びました。


 わたくしの手の甲を、押しました。一度だけです。


 「――ノクス」


 尾が、一度だけ土を打ちました。


 わたくしは膝をついて、それから、黒い背に手を置きました。厚い毛です。日に温められて、内側まで熱がこもっている。


 「乗れって言ってるよ、姉さん」ティムが震える声で言いました。「たぶん」


 「……そのようですね」


 脚をかけました。背の高さはわたくしの胸ほどあります。毛を掴んで、体を引き上げて、肩の後ろにまたがりました。


 ノクスが立ち上がります。


 視界が、一気に上がりました。


 走り出した瞬間に、匂いが変わりました。


 風が正面から来ます。ノクスは風上へ向かって走っていて、つまり、わたくしはこの仔の匂いの中にいました。


 初めてでした。


 雨のあとの岩の匂い。夜の下草。古い血の名残りが、ほんの少し。それから、屋根の上でずっと日に温められていた毛の匂いです。日向の匂いでした。


 街道の柵が飛んでいきます。畑が流れます。ティムの叫ぶ声が後ろへ千切れて、聞こえなくなりました。


 わたくしは毛に顔を伏せました。


 十年、王都の厩舎で十四頭の匂いを覚えて、誰にも訊かれませんでした。「獣臭い」と言われて、そのとおりなので否定しませんでした。


 その匂いを、この仔はずっと、届かないところへ避けていたのです。わたくしの邪魔にならないように。


 いま、全部が届いています。


 風が目に入って、視界が滲みました。風のせいです。たぶん。


 丘を登ります。ノクスの背が波打って、四つの足が土を蹴るたび、体ごと押し上げられます。頂上で、この仔は速度を落としませんでした。


 水場は、丘の裏の窪地にありました。


 桶が三つ並んでいます。左の桶の縁に、指を触れて嗅ぎました。


 甘い。


 いちばん端の桶だけです。真ん中と右は、水と苔の匂いしかしません。


 草むらに、硝子の破片が落ちていました。小さな瓶の首です。拾って嗅ぐと、鼻の奥に貼りつくような甘さが来ました。煮詰めたものが乾いて、瓶の内側に膜になっています。


 わたくしは布に包んで、懐に入れました。


 匂いは、硝子にも残ります。


 顔を上げると、ノクスが窪地の縁に立って、わたくしのほうを見ていました。風上に立ったままです。


 「……戻りましょうか」


 丘の上まで登り返したところで、この仔が足を止めました。


 わたくしも、街道のほうを見ました。


 夕日の中を、馬車が一台。


 黒塗りの、大きなものです。四頭立て。前後に騎馬が付いていて、その数がおかしい。荷を守る数ではありません。人を守る数です。


 扉に、紋章が入っていました。


 辺境伯家のものではありません。ガルド領のどの家のものでもない、見たことのない紋です。


 ノクスの喉が、低く鳴りました。

お読みいただきありがとうございます。


あの黒い仔がずっと屋根の端にいた理由を、ここまで引っ張らせていただきました。近づかないことが気遣いである、という愛し方をする獣を、一度書いてみたかったのです。乗せるというのは、この仔にとっては匂いを全部渡すことでした。


なお当預かり屋、藁は毎朝入れ替え、干し肉は一頭あたり日に三度が相場でございます。ブックマークや評価をいただけますと、おおむね二頭ぶんの藁代に化けて、次の仔の寝床になります。ノクスの分は、本人(本狼)が「要らん」という顔をしておりますが、いちばん食べます。


南から来たあの馬車が誰を乗せているのか、辺境伯領ではまだ誰も知りません。次回、預かり屋の門を先にくぐるのは街の商会です。ご相談は、門から一歩も出なくなった荷役獣について。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ