休日の過ごし方
ある日の早朝。それは本当に偶々の出来事で。
溜まっていた配達がひと段落付き、急ぎ対応しなければいけないものも、ない。言うなれば、やることが無くなってしまった状況である。
ここ最近は少し、名が売れたのか、朝からお客様が来て、その日のうちに配達に出てしまうことが多かった。
あまり、気にしてはいなかったがここ最近働きづめだったのは間違いない。視線は自然と、二人の局員へと向いた。
「……本日は、お休みにしましょうか。」
「ええ! 良いんですか!?」
「……クラリスさん、変なものでも食べました?」
エヴァは嬉しさを隠さず、笑顔でこれからどうするか思案しているように見える。
それに比べて、この愛弟子は。些か、師匠への敬意と言うものが足りていないのではないだろうか。
「少し、働きづめでしたから」
あとはご自由に、また明日。それだけ言って、背を向ける。
どれ。久しぶりに帳簿の確認でも。そうやって手を伸ばした先。ノエルの小さな手が蓋をした。
「今、クラリスさんは何と」
なるほど? なかなかできる弟子ですね。
昨日の記録を、確かめようとした。
「何度見ても変わりません!」
棚の在庫を、数えようとした。
「それは、私の仕事です!」
箒に、触ろうとした。
「クラリスさん!!」
名前だけで、止められ、手を、引っ込めた。
……休みの日というのは、たいへん、難しい。
仕事なら、次にやることが、いつでも、一つはある。届いていない手紙がある。整えるべき記録がある。手を止めてしまえば、その分だけ、どこかで誰かが待ってしまう。
今日は、少しそれらから解放され、手だけが、余る。
ノエルは、朝から機嫌がよくない。いや、朝からと言うより、ここ最近と言う方が適切だろうか。一緒に見たあの景色。あまり、お気に召さなかっただろうか。
「……お茶を、淹れましょうか」
「いいです」
「薪なら、私が――」
「私が、やります」
少し、冷たくあたりすぎ。それくらいは、私にも分かるんですけど。
でも、休みの日くらい、休んでほしい。私は、前から、ずっとそう言っている。それなのにクラリスさんは、ちっとも手を止めようとしない。それが、とっても面白くない。
ノエルの膨らんだ頬をみて、しばらく、考えた。
何度考えても、休み方は、思いつかなかった。だから、本当に偶々だった。
「ノエル。出かけませんか」
少し驚いたような顔でこちらを見る。少し、不躾ではありませんか。
「どこへ、ですか」
……たいへん、難しい質問である。考えてみても欲しい。目の前の愛弟子のキラキラと輝く子の瞳の前で。何も考えていない、など口に出せるだろうか?
「行けば、分かります」
外套を、取った。
ノエルは、少しのあいだ、私を見ていた。それから、上着を、取りに行った。
町の道なら、知っている。
どこに何屋があるか。道順も、裏道も、混む時間も。配達で、何百回と歩いた道だ。目を閉じても、歩ける。
だが、休みの日に、どこへ行けばいいのかは、知らない。
出かける相手が好きなもの。喜ぶこと。知っている様で、何も知らないのか。
……師として、たいへん、よろしくない。
とりあえず、大通りへ出た。人が、多い。郵便鞄を持っていないからか、少し、落ち着かない。
菓子屋の前を、通ったとき。
配達で、何度も来た店だ。主人の名前も、焼き上がる時間も、裏の勝手口も知っている。
でも、中で菓子を食べたことは、ない。
ノエルが、店先の硝子を、見た。並んだ焼き菓子を、目で追っている。
危うく気づかないまま、通り過ぎるところだった。
ノエルは、何も言わず。ただ、私の隣に、並んだ。
扉を、押す。
中はいつもと変わらず、甘い匂いがした。
「おや、クラリスさん。配達お疲れ様です」
主人が、奥から言った。
「……いえ。その、今日は買い物に」
言ってから、妙な間が空いた。この店で、そう伝えたのは、初めてだったから。
値札を、見た。高いのか、安いのか、普通なのか、判断がつかない。
郵便料金なら、一区画いくらか、すぐ出る。箒の修繕費も分かる。宿代も、配達先で泊まるときの相場なら、分かる。
菓子の相場は、知らない。
硬貨の計算は、できる。ただ、これに、この金額を払うのが、普通なのかどうか。その経験が、ない。
注文するのに、妙に慎重になった。値のことを、主人に確かめようとして、やめた。それは、たぶん、客のする質問ではない。
ノエルが、横で、こちらを見て、それから木苺の乗ったものを、一つ選んだ。
どれが良いのだろうか。思えば、こういうものを手に取るのは、貰い物が殆どである。案の一つずつを、目で追った。どれも、選ぶ理由が、思いつかない。自分が何を好むのか、分からない。
だから、ノエルとは違うものにした。それだけが、基準だ。
「……これを、一つ」
言うのに、少しかかった。
席に、着いて、食べてみた。
美味しかった。
それ以上の感想は、出てこない。
ノエルは、実に美味しそうに食べている。頬を、少しふくらませて、それから、飲み込んで、また一口。普通に、楽しそうだ。それだけで、少し安心できる。
「クラリスさんも、一口、食べます?」
「……ええ。」
押し切られて、木苺のほうを、一口もらう。
美味しかった。
やはり、それ以上は、出てこなかった。
私は、菓子より、こちらを見る、愛弟子の表情を見ていた。ノエルが食べているところを見ている時間の方が、おそらく長かったように思う。
店を、出て、そこで、また困る。
一軒目までは、何とかなった。その先を、考えていなかった。
ノエルは、急かさない。
二人で、歩いた。
いつもは、宛先しか見ていない町だ。
服屋。雑貨屋。本屋。露店。小さな広場。
全部、知っている。何も、知らない。
どの店の戸を叩けば、誰に手紙が渡るかは、分かる。だが、休みの日に、どこへ入れば、ノエルが喜ぶのかは、分からなかった。
ノエルが、雑貨屋の店先で、足を止めた。
「入りますか」
ノエルは、頷いて、店の扉を開けてくれる。
入って思ったのは、いちばん、分からない店だということ。
なくても困らないものが、大量に並んでいる。
髪留め。小物入れ。飾り。香り物。硝子の、置物。
用途の分からないものも、たくさんあった。
小さな硝子の、猫のようなものを、手に取った。中身は、詰まっている。入れ物ではない。留め具も、ない。
「これは、何に使うのですか」
「使う、と言うより飾る、でしょうか」
「……飾る」
棚へ、戻す。ノエルは、見ているだけで楽しそうだった。棚から棚へ、順に、覗いていき、その度にいろんな表情を見せてくれる。
それで、また少し、安心した。
ノエルが、髪留めを一つ、手に取って、しばらく眺めて、戻した。
香り物を一つ、手に取ってみた。嗅いでみたが、何に使うのかは、分からず、結局戻す。
自分が連れ出したはずだった。だが、だんだん、ノエルの方が、先に歩くようになった。
「あっち、行ってみませんか」
「この先にも、お店、ありますよ」
素直についていく。
……計画がうまくいかず、案内されている。恥ずかしながら、こういう事は上手では、ないようです。
露店で、串に刺した、知らない食べ物を買った。
美味しかった。ノエルが、笑った。
道端の、妙な品物を、二人で見た。少し、休んだ。発着場でなら、いくらでも立っていられるのに、腰を下ろすと、手が、余った。人の多い道を、歩いた。
大きなことは、何も起きずに、ただ、ゆっくりとした時間が流れていく。
今日が、うまくいったのかどうか、判断がつかない。
仕事なら、結果は、はっきりしている。
届いた。届かなかった。時間内だった。危険だった。線を引いて、済んだかどうかを、確かめられる。
だが、今日は。
ノエルは、笑っていた。菓子も食べた。店にも入った。串のものも、食べた。
それを一つずつ、数えてみても、楽しかったのかどうかは、出てこなかった。
二人で、局へ戻る道を、歩いていく。思えば、いつも一人で店に残してしまっているからだと思い至ったのは、この頃だった。
少し、疲れていた。
飛行とも、配達とも、違う疲れ。どこへも、何も届けていないのに、いつも以上に疲れていた。
「また、行きましょうね」
少し間を置いて、答えた。
「……はい」
そこで、やっと分かった。
今日は、悪くなかったらしい。
店に戻るとエヴァが、奥から出てくる。
「おかえりなさい」
「ただいま、戻りました」
配達から帰ったときと、同じ言葉。
ノエルが、隣で、普通に靴を脱いでいる。もらった包みを、大事そうに、抱えている。
私は、今日買ったものを、机へ置いた。
何かを届けたわけでは、ない。仕事をしたわけでも、ない。
それでも、一日は、終わっていた。




