礼知らずとは、言わせん
最終審議の卓に、その封筒があった。
四人の連名陳述書。その封筒だけには、見覚えがある。自分の机に一度来たものだろう。処分しておけ、と言ったはずだったが。その上に、マルタ課長名義の提出書が重ねてある。
まったく、とんでもないことをしてくれたものだ。命令違反は立派な処分対象になるではないか。
審議官は三人のみ。真ん中の女が提出書を持ち上げる。
「こちらの内容、目を通させていただきました。随分と大事にされている様で」
何が、とは言わない。自分の事か、はたまた、郵便魔女たちの事か。
「さて。何とも答えられんな」
「うふふ、噂通りね。これでも褒めてるのよ? こんな物が届くなんて、普通じゃありえない」
女は所々、詳細をぼかして話を続ける。面倒な女だ。こちらの出方、受け取り方、そういった類のものから、こちらを値踏みしていることを隠そうともしない。
「こんな物は芝居に決まっている。その男が我が身恋しさに指示したのじゃろうて」
右の白髪の審議官が、頁を繰る手を止めずに言った。
「君のことは事前に色々聞いておる。たいそう誠実な男だと。それが、こんな手を使うとは……。残念で仕方がないのぅ」
弁明など、何の意味があるだろうか。届いてしまった時点で、こちらにはどうしようもできない。
今更それは違う、部下が勝手にやったことだなどと、つまらない言い訳をするような人間に、身を落としたくはない。
「たいへん不愉快なものですな」
だらだらと長い弁明は好まないが、不快感を伝えることぐらいは、容赦いただきたいものだ。
「……。あなたに有利な内容ばかり、とは言えないものだったわ」
中央の女はこちらから視線を外さずに、静かに話しかけてくる。
「戻ると決まったとき、安心した、なんて子がいたのは本当のようだけど」
一度短く、言葉を切って。
「自分は、まだ行ける、届けるべきだと主張した子がいたのも、本当なのよねぇ……」
左の若い審議官が口を開いた。
「少なくとも、この一人は、飛べると判断していた。本人が、そう書いていますね? 私は、そちらを重く見るべきかと」
まっすぐこちらへ顔を向ける。
「飛べると言っている魔女を、引き戻す。越権だという声も出るでしょう。安全のため、と言えば聞こえは良くなるのでしょうがね?」
「聞こえの良さなど、どうでも良い」
「へぇ……。」
中央の女がこちらを見る目が、少し和らいだように思えた。
「大事なのはその結果だろう。あの日の判断に間違いはなかった。今でも私はそう考えている」
「わからない人ですねぇ、だからその判断を、あなた一人で下せることが問題だと言っているんでしょう!?」
「それは別の争点だ」
「それが、全くの別物とは言えなさそうなのよねえ……」
少し、黙った。
真ん中が当時の記録を卓へ並べた。あの日の風速。気温。四人の位置。それから、風標の停止時刻。指で停止時刻を押さえる。
「風標が止まったのは、あなたが四人を戻した後。あなたが指示を出したわけではない。そうよね?」
「当前だ」
「そこが不思議なの。結果として、あなたの判断は正しかったように見える。他の誰より、判断が早かった。まるで、未来でも見えているように」
「……何が言いたい」
女の審議官は、こちらから目を逸らさなかった。
が少し間を置いて、それから、提出書の手続き欄へ目を落とす。こちらの問いに、応えるつもりはないらしい。嫌な女だ。
「もっとも、この提出には、瑕疵があります」
若い一人が遮り、老人が続ける。
「差出のマルタ・キールは中央局の職員じゃ。こちらの提出は、そちが彼女に任せたのかのう。加えて、正規の郵便経路を通っていない。私設の郵便屋が運んできたと、聞いておる」
「手続き上の瑕疵を理由に、この陳述書を正式資料から除外できちゃうのよね」
最初の審議官が、卓の上のそれをこちらへ少し向けた。
「そのうえで、あなた自身に聞きたいの。この陳述書を、進退審議の資料として扱うことを、求めるのか」
卓が、静かになった。
陳述書へ目を落とした。
処分しておけ。一度は、そう言った。
「内容に、虚偽は」
「……今のところ、認められていないわね」
「では、そちらで決めればよい」
「……本当にそれで」
「構わない」
審議官が一度だけ顔を上げ、書記へ何か指示する。陳述書は、資料として残ることになった。
更迭は一旦、見送られた。安全規律の案は、修正のうえ審議を続ける。今日この場での判断は先送りになるようだ。
礼は言わず、それでも形式上一礼だけして審議室を出た。
扉が閉まると、廊下は静かだった。壁沿いに椅子が並んでいる。座らなかった。一度だけ、息を吐いて、そのまま歩いた。
数日ぶりの自席は変わらないように見える。机上に積まれた書類の束を除けばの話だが。外套を掛ける。その、いつもの釘も、そのままだ。
椅子へ座る。一番上の書類を取った。
「次は」
マルタが少し遅れて書類を持ってきた。
一件目は、添付が二枚足りなかった。次は署名の場所が違う。三件目は、照会先が古い。
彼女の持ってきた紙を返す。
「二枚、足りない」
「……申し訳ありません」
「きちんと目を通してから持ってこい」
「はい」
それだけ伝えて、別の書類を読んでいる途中だった。何の前触れもなく、さり気無いように。
「……あの女は」
彼女の手が止まる。
「息災そうであったか」
一瞬、深いため息をついてから、彼女は口を開いた。
「ええ。」
ペンが、止まる。本当に、一瞬だけ。
「そうか」
また、書いた。
それから、また時間が経った。マルタが一度出ていって、戻ってくる。別の職員が、決裁の紙を置いていく。
茶を口にした。冷たい。少し、顔をしかめた。
「私じゃありませんからね」
「分かっている」
処理の済んだ書類を彼女が取りに来た。抱えて、出ていこうとする。
その背中へ、別の紙を見たまま、言った。
「マルタ課長」
「はい」
「私のために下げる頭の分を、君の給金に入れた覚えはない」
彼女は、ゆっくりと振り返る。
「……今さら、何を言ってるんですか」
少し、間があった。
「だったら、捨てろなんて、言わないでください!」
すぐには返さなかった。
紙の端を揃えた。
「それ、やめてください」
「何がだ」
「余計に腹が立ちます」
手を止めた。
引き出しから一枚出す。机へ置いた。
マルタが見る。
「……まさか」
「書け」
「今の話のあとに?」
「今の話とは、関係ない」
「でしょうね!」
用紙へ目を落とす。命令違反。資料の持ち出し。私設便への持ち込み。書いてあることに、目新しいものはない。ひととおり見て、それからひったくるように取って、自分の席へ帰っていく。
少しして、離れた机から声がした。
「一枚で、いいですか」
「十分だ」
「もう、知りませんから!!」
仕事へ戻った。
審議で読み上げられた名前が、まだ耳に残っている。机の帰投記録を繰る。グレタ。帰投時刻。確認印。次の頁に、レナ。その次に、テア。ソフィ。みな、同じ欄に、まだいる。
記録を、何枚か繰る。
その中に、別の名前があった。
エヴァ・リュット。
頁を戻す。
撤退。帰投。復帰。その下に、いまの配置がある。
一度、次の紙へ送った。
戻した。
マルタは自分の席で始末書を書いている。ペンが、止まっていた。
「マルタ課長」
顔は、上げない。
「今度は、何ですか」
「リュットは、いるか」
そこで、ようやく顔を上げた。
「……エヴァ・リュット、ですか?」
「そうだ」
「照会室に、いると思いますけど」
少し、間を置いて。
「呼んでくれ」
マルタがこちらを見た。今度は何を始めるつもりなのか、という顔だ。けれど、聞かなかった。
「……分かりました」
立って出ていく。
礼知らず、とは言わせん。君がそのつもりなら、こちらにも、考えがある。




