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選ばれない思い

 レオンハルトの机は、放っておくと、すぐ紙で埋まる。


 だから朝は、机の間を何度も往復する。確認待ちを置いて、署名の済んだのを引き取って、また置く。片づけたそばから、次の束が来る。きりがない。


 外の冷えを引きずった靴が、床を濡らしている。窓際は、乾かしかけの手袋で埋まっている。冬は、紙が湿るから、嫌いだ。それだけで、こっちの仕事が増える。


 届いた郵便を、何通か、机の端へ寄せた。いつもの場所だ。あの人は、仕事の切れ目にまとめて開ける。それまでは、触らない。


 その中に、少し厚い封書が一通、あった。ほかと同じ袋で来た、ただの郵便のはずだが、妙に存在感がある。


 しばらくして、郵便へ手を伸ばした。一通ずつ、表を見て、いつもの手つきで開けていく。


 その手が、先ほどの厚い封書で止まった。


 表を見て、裏を返して、それきり、開けずに戻した。表を下にして、机へ戻す。


 ……珍しい。あの人は、後回しにはしても、開けずに伏せることは、あまりない。


 だから、それがなんなのか、気になった。手に取ることはしないが、差出人の名前が見える。


 連名だ。レナ、テア、グレタ、ソフィ。


 例の四人だと、すぐに分かった。事件のあと、調書が回ってきて、頭を抱えたのを覚えている。レオンハルトが配達を中止させ、強制帰還を命じた、という件。


 あのとき、机には、そのせいで未達になったもの、季吟に間に合わなかったものの一覧が届けられた。


 まるで、君のせいでこんなにも被害が出た、とでも言うような書きぶりに、一緒に目を通した自分は、つい、声を荒げてしまったのを、覚えている。

 

 彼は、興味関心がなさそうに一瞥だけして、すぐその後の四人の処遇について記した紙のほうを細かく読んでいた。


 その四人が、今、連名で、あの人宛に送ってくる。この時期に。内容は、だいたい、察しがつく。いや、そうであって欲しいと、願っている。


 中身を知ることは、できない。それでも、伏せられた一通が、急に、ただの郵便には見えなくなった。


 何も、聞かなかった。封書を一度見て、あの人を見た。もう、次の紙を読んでいる。


 私も、抱えた書類を持ち直して、次の机へ回った。


 机には、進退の審議の書面も出ている。朝に見た場所から、また動いている。紙の角が、柔らかい。


 午前の途中、別の件をしまうとき、それがまた出てきた。あの人が、期限の日付を見る。それから、伏せたままの封書を見る。


 しまうはずの紙を持ったまま、審議の期限を見る。伏せた封書を見る。もう一度、期限へ戻った。


 午後の便を、まとめる。行き先ごとに束ねていく。締めが、近い。


 手を動かしながら、机の端を見た。封書は、朝のまま、伏せてある。


 あれは、あの人宛だ。もう届いている。受け取った郵便から先は、届いた人だけが決められる。封を切って、中身を出さなければ、あれは、ただ、そのまま机にあるだけ。


 審議の期限を、思う。今から開けて出しても、通常の便では、もう間に合わない。


 そう考えていると、自然と束ねる手が、止まる。


 発送の札を、繰る。一枚目の到着欄を、指で追う。間に合わないと分かって、すぐ次をめくった。そちらも、間に合わない。


 一度戻した札を、また抜いて、指で日付を追う。次の束まで、開けてしまう。手が、止まらない。


 いつもの発送路へ、手が戻りかけた。そこで、ひとつ、思い出す


 冬は、まず使うことのない、道だ。着氷が出るから、外してある。


 もしかしたら。これなら、間に合う。


 札の端に置いた指が、そこから動かない。


「戻せ」


 目を上げた。何も、言っていないのに。もう、見抜かれている。……いつも、そうだ。


「……何を、でしょうか」


 しらばっくれてみる。彼は、何も答えない。


「誰か、一人なら」


 つい、沈黙に耐えきれず、そんなことを呟いてしまった。


 彼が、封書を取った。裏を返して、四人の名前を見る。それから、私の手の札へ、目を移した。


「マルタ」


 名を、呼ばれた。それで、分かってしまう。


「出さない」


 しばらく、札を握っていた。それから、棚へ戻す。きれいに入らず、一度、引っかかる。入れ直した。


 あの人が、次の紙を、私の手元へ寄せた。


「これも、頼む」


 いつもなら、はい、と返す。


 受け取った。紙の端に、指が、少し食い込む。返事は、しなかった。


 紙を揃える音が、自分でも、いつもより強い。


 あの人が、一度、こちらを見た。私は、見返さなかった。


 また、自分だけで、決めてしまった。


 昼の鐘が鳴った。


 書類を持って入るたび、封書は、同じところにある。机の紙は減っていくのに、あれだけ、残る。


 まだ、開けないのか。


 一度、向きが変わっていた。あの人が、手に取ったらしい。それでも、開いてはいない。


 中に、何が書いてあるのか。知りたい、と思う。


 手が、伸びかけた。封蝋の、手前で止まる。


 宛先は、私じゃない。


 指を引いて、別の書類を取った。


 そのまま仕事を続けているうちに、審議先へ向かう通常便の、締めが来た。


 郵便袋が、閉じられていく。最後の確認をする。四人の封書は、その中にない。


 革紐が締まり、そのまま便が出る。扉が閉じて、外の風が入り、紙の端を揺らした。


 郵便は、袋いっぱいに出ていって、あの一通だけが、残った。


 彼は、封書を手に取った。四人の名前を見て、親指が、封の縁に触れる。そこで、止まる。


 切らずに、机へ戻した。開けたいくせに。


 若い魔女が、書類を持って入ってきた。外套が濡れている。袖の先に、雫がたまっていた。


 机へ、落ちそうになる。


 とっさに、手が出た。封書を、雫の下から、退けていた。


 書類を受け取る。若い魔女は、礼を言って出ていった。


 手の中の封書を、見る。自分が読むでもないのに、雫から庇っていた。彼が開けもしない一通を。


 ……私は、何をしているのか。


 少し乱暴に、机へ戻した。


 一人帰るたび、部屋の声が減っていく。窓の外は、もう暗い。朝には紙で埋まっていた机も、板が見えるほどになった。


 残りを回収する。最後に、四人の封書だけが、残った。


 私は、手を伸ばさない。


 しばらく、どちらも、何も言わなかった。仕事を一つ終えて、筆を置く。それから、封書を取った。裏を見る。四つの名前。まだ、閉じている。


 もう一度だけ、聞いた。


「……こちらは」


 答えは、ない。


 少しして、封書を、私へ差し出した。


 受け取らなかった。すぐには。


 あの人の手だけが、二人の間に、残る。やがて、受け取った。


「処分しておけ」


 封書は、今、自分が持っている。返事が、出ない。


 彼は少し待って、それから、催促はせず、そのまま業務へと戻った。


 処分用の箱は、部屋を出た先にある。


 封書を持って、机を離れた。扉まで行って、開ける。


 そこで一度、手の中を見た。封蝋は、まだ、割れていない。


 あの人は、もう次の紙へ、手を伸ばしている。私が捨てるところを、見届けもしない。

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