↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
38/64

届けると言うこと

 階段を上がるごとに、寮の音が減っていった。


 一階では、食器の触れ合う音がしていた。厨房の戸が開くたび、湯気の匂いが階段の下まで届く。

 

 二階では、閉じた扉の向こうから、話し声が漏れていた。誰かが笑い、誰かがそれに答えている。


 言葉までは、聞き取れない。


 三階まで来ると、それも聞こえなくなった。


 階ごとに、空気が冷えていく。窓が北向きになるのは、この階からだ。踊り場の窓は、下の二枚より小さかった。冬の光は、そこから短く入って、廊下の途中で力を失っている。


 両側の扉は、どれも閉じていた。いくつかの扉には、木札が下がっている。配達中。不在。戻りは夕刻。


 住人が、自分で掛けていったものだ。いちばん奥の扉にだけ、札はない。


 その扉の前の封筒も、積まれたままだった。数が増えたかどうかは、確かめなかった。いちばん上の封筒の、折れた角も、昨日のままに見えた。


 昨日、長く座っていた壁際が見えた。石の床の、その一角だけ、埃の乗り方が薄い。


 今日は、そこへは座らなかった。


 クラリスが扉の前へ立つ。まだ叩かないうちに、内側から声がした。


「短くして、ください」


「昨日の続きで、よろしいでしょうか」


「要点だけで」


「承知しました」


 立ったまま、話す。


 鞄の中で、四通目は、昨日と同じ場所にある。向きも、変えていない。


「八通、届けられませんでした」


 扉の向こうで、間があった。


「……八通も?」


「はい」


「同じ日に?」


「同じ夜です」


「どうして、届けられなかったんですか」


 クラリスは、一件ずつは説明しなかった。


「一人は、町の病院へ移されていました」


「病院に、行ったんですか」


「門までは、行きました」


 夜の病院は、門から先へは入れなかった。受付の窓口で、その日の移送名簿を見せてもらった。指で追って、二度、上から下まで確かめた。


「名簿に、お名前がありませんでした」


「間違いじゃ、ないんですか」


「同じことを、伺いました」


 名簿にないなら、この病院へは来ていない。あるいは、名簿に書かれる前に、別の場所へ移された。窓口の人は、どちらとも言わなかった。言えることが、なかったからだ。


「移された先が、分かりませんでした」


 もう一通のことも、話した。


「一人は、夜のうちに、別の場所へ動いていました」


「家に、いなかったんですか」


「家は、開いていました」


 戸に鍵は掛かっていなかった。声をかけて、返事がないのを確かめてから、中を覗いた。人のいる部屋の匂いは、まだ残っていた。


「暖炉の灰に、火はありませんでした。落としてから、時間が経っていました」


「……それで、どうしたんですか」


「近くの家を、回りました。二軒で、話を伺えました。どちらも、どこへ動いたかまでは、ご存じありませんでした」


 残りのことは、まとめて言った。


「お名前までは分かりましたが、ご本人の確認まで、至らなかった方もいます」


「時間が、足りなかったんですか」


「はい」


「それで、戻った」


「戻りました」


「手紙を、持ったまま」


「はい」


 声が、少し硬くなった。


「……それなら、私と同じじゃないですか」


 クラリスは、すぐには否定しなかった。


「似ています」


「何が違うんですか」


「戻ったあとのことを、まだ、お話ししていません」


「戻って、それで終わりですか」


「いいえ」


 クラリスは、翌朝のことを話した。


 八通を机の上へ並べた。受付帳を開き、一通ずつ、届かなかった理由を記録した。


「移送先が分からないものと、転居先が分からないものと、ご本人を確かめられなかったものを、分けて書きました」


「同じじゃ、ないんですか」


「探す先が、違います」


 病院を照会すればよいもの。ギルドで転居記録を当たるもの。近隣へもう一度伺うもの。分け方が違えば、次にどこを確かめるかが変わる。


「分からないものは、分からないと書きました。書けない欄は、空けたままにしました」


「空けて、いいんですか」


「埋めるほうが、よろしくありません」


 受取人がいなかったことと、こちらが探し切れなかったことは、同じではない。


 同じ欄へ入れれば、どちらも同じ理由で届かなかったことになる。


「配達不能、とは、書きませんでした」


「では、何と」


「未達です」


「違うんですか」


「配達不能は、届ける方法がない、という意味です」


 それは、こちらが決めることではない。


「未達は、まだ届いていない、という意味です」


「……それだけの、違いですか」


「はい」


 受付帳の欄は、それで埋まった。


「失敗として、記録しました」


「記録しただけ、ですか」


「その日は、記録までです」


「それで、何か変わったんですか」


「あの夜、八通を届けられなかったことは、変わりません」


「なら」


「翌日、どこから探し直せばよいかは、分かりました」


「……それだけ?」


「それだけです」


 一拍、置いた。


「たいへん、不十分でした」


 クラリスは、それを立派なことのようには言わなかった。


「ですが、不十分であることと、何もしないことは、同じではありません」


「その八通は、どうなったんですか」


「少しずつ、減っています」


「届いたものも、あるんですか」


「はい」


 病院を照会して、移された先が分かったものがある。次の町まで追って、そこで渡せたものがある。しばらくして、自分から家へ戻ってきた受取人もいた。届いたものは、棚から減った。控えは、配達済みの側へ移した。


「まだ、残っているものも」


「あります」


「いつまで、探すんですか」


「届くか、届かない理由が確かになるまでです」


 しばらく、返事がなかった。


「戻って、よかったと思いますか」


 クラリスは、すぐには答えなかった。


 鞄の留め具へ、手を置く。中には、今日持ってきた四通目がある。


「よかったことには、できません」


「どうして」


「あの夜、届けられませんでしたので」


 扉の向こうが、黙った。


「……でも、戻らなかったら」


「届かなかった理由を、持ち帰れませんでした」


「それなら、戻ってよかったんじゃ」


「いいえ」


「どっちなんですか」


「どちらも、残ります」


 クラリスは、短く並べた。


「届けられなかったこと。戻ったこと。戻ったあとに、記録したこと」


 どれか一つで、ほかが消えるわけではない。


「私は、失敗して、戻りました」


 少し、間を置いた。


「それから、次の手紙を受け取りました」


 返事が、遅れた。


「……怖く、なかったんですか」


「何が、でしょう」


「また、飛ぶのが」


「怖くなかったとは、申しません」


「それでも、飛んだんですか」


「次の宛先が、ありましたので」


「また、届けられなかったら」


「その時に、考えます」


 扉の向こうで、息を吸う音がした。


 けれど、言葉は続かなかった。


 クラリスは、鞄から四通目を出した。


 紙の擦れる音が、廊下へ響く。


「こちらも、次のお手紙です」


「お受け取りに、なりますか」


 長い、沈黙があった。


「……返事は、書けません」


「手紙を受け取ることと、返事を書くことは、別です」


「母は、待ちます」


「すでに、待っていらっしゃいます」


 責めるつもりは、なかった。事実として、置いた。


「読んだら、もっと待たせます」


「読まなくても、待っていらっしゃいます」


 扉の向こうは、黙った。


 クラリスは、封筒を扉の下へは入れなかった。扉の前にも、置かない。


 手に持ったまま、待った。


 踊り場の窓が、どこかで鳴っている。建て付けの緩んだ枠を、風が押しているのだろう。その風は、廊下の端まで来て、封筒の角を揺らした。


 指で、押さえる。


 封筒は、軽い。便箋が数枚しか入っていない重さだ。それを片手で持ち続けていると、腕の付け根より先に、指先が冷えてくる。持ち替えて、もう一方の手で持った。


 廊下の光が、床の上を少し動いた。


 下の階で、扉の開く音がした。誰かが出て、しばらくして、誰かが戻る。階段を上がる音が、二階で止まった。三階までは、上がってこない。


 扉の内側では、床板が一度も鳴らなかった。


「……置いて、いかないんですか」


「お渡ししていませんので」


「受け取らなかったら」


「持ち帰ります」


「また、来るんですか」


「必要でしたら」


「毎日ですか」


「そうなるかもしれません」


「……そんな仕事、ありますか」


「私の仕事です」


 しばらくして、鍵の内側で、金属が擦れた。


 一度、音が止まる。


 クラリスは、待った。急かす言葉は、足さない。


 もう一度、鍵が動いた。


 留め金が外れ、蝶番が短く鳴った。


 扉が、封筒一枚を渡せるだけ、開いた。


 隙間から、部屋の空気が流れ出した。廊下より、冷えていた。長く暖を取っていない部屋の匂いがした。


 見えたのは、暗い室内と、扉の縁を掴む指と、袖口だけだった。細い光が、廊下の床へ落ちている。その光の幅は、封筒の幅と、そう変わらなかった。


 クラリスは、封筒を差し出した。


 手が伸びる。封筒の手前で、一度、止まった。


 クラリスは、押し込まなかった。差し出した高さも、変えない。


 やがて、エヴァの指が、封筒の端を掴んだ。


 少しのあいだ、二人で一通を持っていた。それから、クラリスが指を離した。


「確かに、お渡ししました」


 扉が閉まる。


 鍵が、もう一度、掛かった。


 扉の前で待つ必要は、もうない。


「本日の配達は、以上です」


 返事は、ない。


 階段のほうへ、歩き出す。


 数歩進んだところで、背後から、封の端を破る音がした。


 足を止める。振り返りは、しない。


 しばらくして、扉の向こうから、声がした。


「……毛布」


「はい」


「まだ、あるって」


 クラリスは、知っていたとは言わなかった。


「そうですか」


「送れるって、書いてあります」


「必要でしたら、お返事に、なさってください」


「書けません」


「本日は、書かなくても、よろしいのでは」


 沈黙があった。


「手紙は、もう届きましたので」


 クラリスは、そのまま階段を下りた。


 二階では、また話し声がしていた。一階では、食器の音がしていた。寮の外へ出ると、風が正面から来た。


 四通目は、届いた。


 返事は、まだない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。