届かなかった数
灯りは、消えていなかった。
朝のローデンへ戻る。
着陸場の石畳へ降りた瞬間、膝が折れた。
箒の穂先が、地面を擦る。
クラリスは片手をつき、しばらく息を整えた。
鞄の、届かなかった側は、軽くならなかった。
顔を上げる。
店の窓だけが、まだ黄色い。
朝の明るさの中で、その灯りは頼りなく見えた。
それでも、消えてはいなかった。
扉を押すと鈴が鳴り、机に伏していたノエルが跳ね起きた。筆を握ったままで、頬には帳面の罫線が一本ついている。
「クラリスさん!」
クラリスは返事をする前に暖炉を見た。
昨夜にはなかった薪が入り、低い火が残っている。机の上には、新しい受付票が三枚あった。
一番上の一枚に、グラウゼ村の名がある。
「これは」
「夜中に、来ました」
ノエルが頬を手の甲でこすった。罫線の跡は消えない。
「閉鎖前に村を出た方です。ご家族が、まだ村に残っているそうで。居場所が分かったら知らせてほしい、と」
「受けましたか」
「はい」
受付票を取る。
差出人の名、連絡先、探している者の名。必要な欄は埋まっていた。受付時刻を見ると、クラリスが村を飛び回っていたころだった。
「そうですか」
票を机へ戻し、暖炉へ目をやる。
「火は」
「絶やしていません」
「……そうですか」
箒を壁へ立てかけ、鞄を肩から下ろした。留め具を外しながら、言う。
「五十四通、届けました」
ノエルの顔が少し、明るくなる。
「六十二通のうち、です」
その目が、開いた鞄へ落ちた。
しばらくして、顔が上がる。
「……八通」
「戻りました」
届かなかった八通を机へ出すと、ノエルは受付帳を引き寄せ、筆先にインクを含ませた。
「お願いします」
「こちらは、町の病院へ移されたとの証言があります。移送先は不明です」
ノエルが記録するあいだに、次の封筒を手に取る。
「不在。近隣への確認済み。転居記録はありません」
返事のなかった家、夜のうちに別の場所へ移された者、本人確認まで至らなかった者。分かっていることを伝えるたび、ノエルの筆が帳面を進んでいった。
やがて、机の上にはマーサ・ケルンの封筒だけが残った。
宛名は、昨夜と変わっていない。
「本人受領、未了」
ノエルの筆が止まった。
「未了、ですか」
「はい」
「配達結果は、どう記録しますか」
「未達です」
ノエルは一度だけクラリスを見る。
「失敗で、記録しますか」
「してください」
筆先が再び動き、最後の欄にも未達と書かれた。
クラリスは記録を終えた封筒を持って立ち上がり、棚のいちばん下へ向かった。配達困難、と自分で書いた木札の奥へ、順に納めていく。
町の病院へ移された者には、移送先照会と記した札を添えた。転居先の分からない者には照会日を書き、マーサ・ケルンの封筒には新しい札を一枚差す。
本人受領未了。
その下に、日付と時刻を書いた。
「八通です」
帳面を見ながら、ノエルが言う。
「はい」
「次は、どうしますか」
「病院を照会します。ギルドで転居記録も確認してください。ほかは、分かるところから追います」
ノエルは頷き、帳面へ書き足した。
「マーサ・ケルン様は」
クラリスは、棚に入れたばかりの封筒を見る。
「待ちます」
「はい」
その一言も、帳面に残った。
五十四枚の受領票を机へ広げ、端を揃えて束ねる。
ノエルが横で数え直し、最後の一枚を重ねた。
「五十四です」
「合っています」
「中央局へ送るんですか」
「ええ」
送付票には、受領五十四件、未達八件、受領票五十四枚添付とだけ書き、署名した。
ノエルが、その紙を横から見る。
「ずいぶん、簡単ですね」
「記録がお好きでしょうから」
五十四枚の束を封筒へ入れる。
「これだけあれば、十分でしょう」
封を閉じた。
中央局へ、その封筒が届いたのは、閉鎖から二日後だった。
「グラウゼ村の件です」
職員が机へ書類の束を置き、テオ・ランズは手元の記録から顔を上げた。
「閉鎖報告でしたら、もう回ってきていますが」
「受領記録が添付されています」
「何件ですか」
「五十四件です」
ランズの手が止まった。
「……すみません。もう一度、お願いします」
「五十四件です」
封を開き、一枚目を取る。
受領者名、本人確認、受領時刻。必要な欄は埋まっていた。
二枚目にも不備はない。続けて何枚かを抜き取り、署名と確認欄を見比べる。筆跡も時刻も違うが、どれも正式な受領記録だった。
「未達は、何件ですか」
「八件です」
「受領記録の不備は」
「照合済みです」
「代理受領は、含まれていますか」
「ありません」
ランズは束を机へ戻した。
その右には、グラウゼ村の閉鎖処理記録が置かれている。
配達不能地域。
閉鎖処理完了。
刷られた文言を見てから、もう一度、五十四枚の束へ目を移した。
「これを完了処理へ回したのは、どなたですか」
職員が手元の記録を確かめる。
「通常処理です。閉鎖確認後、そのまま」
「そうですか」
ランズは受領記録を一枚取り、本人確認欄を見る。
もう一枚。
同じだった。
「差し戻してください」
「理由は」
五十四枚の束へ手を置く。
「記録が、合いません」
「ですが、閉鎖は完了しています」
「ええ。ですから、合わないんです」
職員が黙った。
ランズは閉鎖処理記録を指で押さえる。
「こちらには、配達不能地域とあります」
次に、受領記録へ目を向けた。
「こちらには、五十四件の本人受領があります」
「……完了処理は」
「確認が済むまで、止めていただけますか」
職員が二つの書類を見比べる。
「誰に確認を」
「まず、起案時の資料をお願いします。最初のものから、全部」
職員はしばらく立っていたが、やがて書類を抱えた。
「分かりました」
「ありがとうございます」
職員が出ていく。
ランズは残った受領記録を一枚取り、本人確認欄へ目を落とした。




