起案日
列は、捌いても捌いても短くならなかった。
差出人を確かめ、宛名を写し、本人限定かどうかを訊き、代わりに受け取れる者がいるかを訊く。
添付物があれば別に記し、連絡先を控える。一通あたり、急いでも同じだけの手順がかかる。
手順を飛ばせば、飛ばした分だけ後で誰かが困る。列は、捌いた先から、末尾がまた伸びていた。
一人では、追いつかない。
「クラリスさん。私も、手伝います」
ノエルが、机の向こうから顔を上げていた。手は止まっている。だが、迷って止まったのではない。許可を待って止まっている。
「順番だけ、間違えないように」
「はい」
「分からないものは」
「空欄。勝手に埋めない」
クラリスは、それ以上何も言わなかった。
ノエルはもう一枚の受付票を引き寄せ、列の側面へ回った。
最初に来たのは、昨日の老婆だった。薄い封筒を、両手で持っている。
「差出人のお名前を」
「ハンナ・ロエル」
「宛名は」
「孫だよ。ミロ。グラウゼの、ロエルの家の」
「ミロ・ロエル様、で写します。お名前だけだと、同じお名前の方がいたときに困るので」
老婆は少し困った顔をしたが、頷いた。
ノエルは宛名を写し、それから封筒を見た。透かさなくても、便箋ではないと分かる軽さだ。
「連絡先は」
「連絡って、あたしに何を連絡するんだい」
「届いたか、届かなかったか、です」
老婆は、しばらく黙った。
「……届いたら、それでいい。届かなかったときは、聞きたくないね」
ノエルの筆が止まった。以前なら、ここで気を利かせて何か書いた。今日は書かない。
「連絡不要、と記します。よろしいですか」
「ああ。それでいい」
隣の列を捌きながら、クラリスはそのやり取りを聞いていた。
ノエルは老婆の代わりに「きっと届きます」とは言わなかった。
言えないことを、言わなかった。よろしい。
列は昼まで続いた。
六十二通。
差出人と宛名の写しが、六十二枚たまった。産まれたばかりの子のための産着。
何年も会っていない兄への、厚い封筒。名前だけの宛名。連絡不要の、薄い一通。
写しを重ねていくと、グラウゼ村にいる人間の輪郭が、封筒の側から浮かんでくる。
会ったことのない村の人間が、六十二人分、机の上に積み上がっていた。
最後の一人を送り出すと、店は急に静かになった。ノエルが、写した束を胸に抱えて息をつく。
「これ、全部、届けるんですか」
「届けられる分を、届けます」
クラリスは、棚から中央局の正式通達を取り出した。グラウゼ村への風路閉鎖。
昨日、マイアが口にした告示の、大本になる文書だ。
町の掲示に回る前の、原本の写しが、私設郵便屋にも一部届く。
届くだけは届く。読むかどうかは、こちらの勝手だ。
発行日を見る。昨日。
その下に、起案日がある。
クラリスの指が、そこで止まった。
「ノエル」
「はい」
「今日は、何日ですか」
ノエルが日付を答える。クラリスは、起案日と、その日付を、頭の中で並べた。
「起案は、四日前ですね」
「そう書いてあります。それが、何か」
「病が確認されたのは」
ノエルは、マイアの言葉を思い出す顔をした。
「……三日前だって、マイアさんは」
クラリスは通達をもう一度見た。発行は昨日。起案は四日前。病の確認は三日前。
「病が確認される前に、閉鎖を起案していますね」
ノエルの手から、束が少しずれた。
「先に、決めてたんですか。病が出る前に」
「そうとは限りません」
クラリスは、通達の番号を指でたどった。番号には、関連する文書の綴りが紐づいている。
中央局の書式は、そういうふうにできている。追放される前、飽きるほど扱った。
番号を追うと、四日前の日付の、別の一枚に行き当たった。グラウゼ村の診療所からの、予備報告。
原因不明の発熱者が複数。感染性の疾患である可能性。
「病が出る前ではありません。病の兆しが出た日に、閉鎖の準備を始めています」
「じゃあ、間違ってないんですか」
「この時点では」
クラリスは正直に答えた。
何事も起きてから慌てて動くより、兆しの段階で最悪を想定するほうが、備えとしてはまともだ。
中央局のこの判断を、腹立たしいとは思わなかった。
思わなかったが、もう一枚の欄が、目に留まった。
起案書には、決まった様式がある。閉鎖のような重い判断には、発行前にもう一度現地を確かめる欄があった。発行前、現地状況再照会。日付と、確認者の署名を入れる欄。
空欄だった。
クラリスは、通達番号に紐づく綴りを、もう一度たどった。予備報告のあとにも、グラウゼ村からは報告が届いている。
発熱者の数。診療所の手当て。住民をどう分けて隔離したか。
日付は、予備報告より新しい。届いてはいる。
届いてはいるが、閉鎖の判断について、それを読み直した記録がない。
再照会の欄は、最初に起案したときのまま、空いている。
最初に書いた文書が、そのまま昨日、発行されていた。
「……確認していませんね」
クラリスは、小さく言った。
「何をですか」
ノエルが覗き込む。クラリスは、空欄を指で示した。
「最初に決めたあとの、グラウゼ村を」
「その、あとの報告っていうのは」
「届いています。数も、隔離の様子も。ただ」
クラリスは、空欄と、新しい日付の報告を、並べて置いた。
「決めたあとに来た報告を、閉鎖の判断に、誰も突き合わせていない」
ノエルは、二枚を交互に見た。
「読んでない、ってことですか」
「読んでいないわけではないでしょう。受け取った記録はあります」
クラリスは通達を閉じた。
「読んだ人と、判断する人と、発行する人が、別なのです。誰かの机には届いている。ただ、届いた先が、閉鎖を決めた机ではなかった。それだけのことです」
「それだけ、で」
「それだけで、足ります」
クラリスは、六十二枚の写しを、宛名の並びで揃え直した。
閉じるのは明日の朝。今日のうちに村へ入れれば、まだ間に合うものがある。
間に合うものがあるうちは、まだ配達不能ではない。
「中央局は、村の明日を、正しく見ました」
クラリスは、誰にともなく言った。
「見たあと、村の今日を、もう一度は見なかった」
同じ日の午後。中央郵便局監察課の机で、テオ・ランズは、一冊の綴りを開いていた。
私設郵便屋についての照会記録を追ううちに、グラウゼ村の閉鎖通達に行き当たった。番号をたどると、いつもの綴りに、いつも通りの順で、文書が並んでいる。予備報告。起案。発行。処理として、どこも間違っていない。
ただ、予備報告と起案のあいだの日付に、村からの続報が挟まっていた。発熱者の数。隔離の状況。日を追って、細かくなっている。誰かが受け取り、誰かが綴りに綴じた。受領印も、きちんと押されている。
閉鎖の起案書だけが、その続報の前で止まっていた。再照会の欄は、空いたままだ。
テオは、続報の束を、起案書の隣に並べてみた。
誰も、読まなかったわけではない。読んで、綴じて、印を押した者がいる。
ただ、読み直して判断に戻す欄が、どこにも用意されていなかった。用意されていない仕事は、誰の担当にもならない。
テオは、綴りを閉じた。
閉じてから、もう一度開いて、続報の日付を書き写した。
誰に見せるとも、まだ決めていなかった。
『風待ちの魔女郵便』という別の物語も投稿開始しました。
そちらは完結済みのため、1日に数話ずつ放出していきます。
13万字ほどあります。よろしくお願いいたします。




