↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
24/64

小さな祝い

 その日、ローデン外れの私設郵便屋の前に、新しい看板が掛けられた。


 といっても、文字は変わっていない。


 配達困難郵便、承ります。


 配達不能印の押されたものも、ご相談ください。


 変わったのは、板そのものだった。


 半年前からずっと使っていた板は、雨風で反り返り、隅が欠けていた。


 新しい板は、木目もまっすぐで、角も立っている。


「これ、いつの間に」


 ノエルが指差すと、クラリスは帳簿から顔も上げずに答えた。


「灰梟亭のハンス様から戴きました」


「もらったんですか」


「宿の改装で余った端材だそうです」


「端材って言うには、立派すぎませんか」


「端材と申し上げていましたので、端材です」


 ノエルは、それ以上追及しなかった。


 追及しても、答えは変わらないと分かっていたからだ。



 夕方、店には珍しく誰も来なかった。


 クラリスは帳簿を開き、この一月の記録を見返していた。


 旧ミルゼ村、アスケル、グレイン染織工房、北区仕立組合、灰梟亭。


 配達済みの控えは、棚に入りきらなくなっていた。


 新しい棚を、そろそろ考えなければならない。


「クラリスさん」


 ノエルが、外から戻ってきた。


「古本屋さんから、これを」


 小さな籠を差し出す。


 中には、林檎が五つ入っていた。


「果物屋ではなく、古本屋からですか」


「古本屋さんの旦那さんの、従兄弟が果樹園をやってるらしくて。お裾分けだそうです」


「なぜ、当店に」


「『いつも世話になってるから』って」


 クラリスは、林檎を一つ手に取った。


「世話をした覚えはありませんが」


「本を届けたことがあるじゃないですか。前に、絶版の本を探してほしいって」


 クラリスは、少し考えて、思い出した。


 三週間前の依頼だった。


 配達不能ではなく、そもそも郵便の依頼ですらなかった。


「あれは、郵便の仕事ではありません」


「でも、見つけたのはクラリスさんです」


「見つけたのは、古書組合の伝手です。私は、その伝手を繋いだだけです」


「それを、世話になったって言ってるんだと思います」


 クラリスは、林檎を籠に戻した。


「筋が通りません」


「筋が通らなくても、林檎はもらえます」


 ノエルは、澄ました顔で言った。


 クラリスは、それに何も返さなかった。



 その週の終わり、店にイレーナが顔を出した。


 前回と同じ、旅装束に立派な箒。


「また来たのか、って顔してるな」


「そのような顔はしておりません」


「してる」


 イレーナは、断りもなく椅子に座った。


「灰梟亭の件、聞いたよ。監察課でも、ちょっとした話題になってる」


「良い話題ですか、悪い話題ですか」


「半々ってところ」


 イレーナは肩をすくめた。


「『あの店に頼めば何とかなる』って評判と、『規則を無視した実績を、どう扱えばいいんだ』って戸惑いが半々」


「戸惑わせて、申し訳ありません」


「謝る必要はない。あんたは何も変えてない。ただ、飛んでるだけだろ」


 クラリスは、その言い方に、少しだけ目を細めた。


「よく分かっていらっしゃいます」


「そりゃ、二回も来れば分かる」


 イレーナは、店の中を見回した。


 新しい看板、増えた配達済みの控え、机の上の林檎の籠。


「繁盛してるな」


「繁盛、というほどでは」


「半年前は、客が一人もいなかったんだろ」


「否定はしません」


「それが、今は看板を替えてる」


 イレーナは、椅子から立ち上がった。


「うちの部署が困ってる間に、あんたはちゃんと稼いでる。それでいいんじゃないか」


「困らせるつもりは」


「ないんだろうな、たぶん」


 イレーナは、扉に手をかけた。


「今度、うちの上の方でも、あんたの名前が出るかもしれない。良い意味でも、悪い意味でも」


「覚悟しておきます」


「覚悟したところで、どうにもならないと思うけどな」


 イレーナは笑って、店を出ていった。


 鈴の音が鳴る。


 クラリスは、その音が消えるのを待ってから、林檎を一つ、ノエルに渡した。


「食べますか」


「いいんですか」


「五つは、多すぎます」


 ノエルは林檎を受け取り、齧った。


 甘い匂いが、店の中に広がる。


 クラリスは、新しい看板を、店の外から一度だけ見た。


 配達困難郵便、承ります。


 配達不能印の押されたものも、ご相談ください。


 文字は変わっていない。


 板だけが、新しくなった。


 半年前、この看板の前を、誰も足を止めなかった。


 今は、看板を見て、依頼を持ち込む者がいる。


 噂を聞いて、確かめに来る者もいる。


 林檎を届けに来る者もいる。


 クラリスは、それを特別なこととは思わなかった。


 ただ、届くべきものが、届くべき先に届いている。


 その積み重ねが、いつの間にか、看板の板を新しくしただけのことだった。


「クラリスさん」


 ノエルが、齧りかけの林檎を持ったまま言った。


「また明日も来ます」


「わざわざ言わずとも、店は開いています」


「偶には、また明日ね、くらい、言ってくれてもいいじゃないですか!」


 クラリスは、それに何も返さなかった。


 ただ、帳簿を閉じ、机の上に残った林檎の芯を片づけた。


 明日の依頼票は、まだ白いままだった。


 白いままでいい。


 必要なら、また埋まる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。