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隔てた道の先

 残る二箇所は、同じ経路上に連続してある区間だった。


 どちらか一方が読めても、もう一方が塞がっていれば、経路そのものが使えない。


 一箇所目は、灰梟亭を発った翌朝に確認した。


 小さな丘陵地帯で、風路の痕跡自体は薄いものの、うっすらと白い筋が丘の向こうまで続いているのが見えた。


 念のため観測針をかざし、震えが途切れないことを確かめる。


 低空を三度往復し、痕跡が丘の反対側まで繋がっていることを確かめた。


 半刻ほどの作業だった。


 思ったより早く済んだことに、クラリスは少しだけ気を緩めた。


 その油断を、すぐに後悔することになる。


 問題は、最後の一箇所だった。


 クラリスは箒を止め、眼下に広がる谷を見下ろした。


 白い筋が、谷の途中でぷつりと消えている。


 消えているのではなく、途切れている、というべきかもしれない。


 崖の一部が、何年か前に崩落したのだろう。旧い道の名残が、崩れた岩の下に途切れたまま沈んでいた。


「……これは、駄目ですね」


 クラリスは短く呟いた。


 目を凝らし、崩落地点を大きく迂回する形で、周囲に別の筋がないか探す。


 一度目は見つからなかった。


 風が強く、遠くの淡い光が霞んで見えにくい。


 クラリスは高度を落とし、崩落地点の縁に沿って、もう一周した。


 目だけでなく、岩肌の色が変わる場所、草の生え方が不自然に途切れる場所にも注意を払う。


 風路が消えた土地には、そういう小さな痕跡が地表に残っていることがある。


 二度目、谷の反対側の斜面に、ごく細い光の筋を見つけた。


 途切れがちで、注意していなければ見落とすほどだった。


 観測針をかざすと、先端がかすかに、だが確かに震えた。


 崩落前からあった、支線の痕跡だ。


 クラリスはその筋をゆっくりとなぞるように飛び、途切れていないことを確かめた。


 途中、風向きが急に変わり、箒が大きく傾いだ。


 谷底からの吹き上げが、想像より強い。


 クラリスは高度を上げ、体勢を立て直した。


 手のひらに、じわりと汗が滲んでいる。


 支線の痕跡は、崩落地点を大きく迂回しながら、谷の奥へと続いていた。


 距離は、本線の三倍近い。


 地図にない土地を、勘だけを頼りに飛ぶことになる。


 クラリスは一度、痕跡から外れ、上空で止まった。


 この先を確かめずに戻れば、灰梟亭には「駄目でした」と告げることになる。


 確かめて、もし途中で途切れていれば、今日一日を無駄にすることになる。


 どちらにせよ、確かめるしかなかった。


 クラリスは再び痕跡をたどり、谷の最奥まで飛んだ。


 痕跡は、細くなりながらも、最後まで途切れていなかった。


 距離は伸びる。


 時間もかかる。


 だが、通れないわけではない。


「よろしい」


 クラリスは小さく呟き、灰梟亭へ戻った。


「本線は崩れています。迂回路を使います。到着が半日遅れますが、期日には間に合います」


「半日、か」


 ハンスは腕を組んだ。


「間に合うんだな」


「はい」


「分かった。任せる」


 クラリスは、その日のうちに迂回路を三度飛んだ。


 一度目は、道筋を確認するため。


 二度目は、危険箇所に印をつけるため。


 三度目は、実際に先触れの書状を運ぶため。


 店では、ノエルが一人、依頼票を前に座っていた。


 いつもなら、日暮れ前には戻ってくる。


 今日は、日が傾き始めても戻らなかった。


 空が赤く染まる頃には、暖炉の薪を足す手が、何度も止まった。


 窓の外を見る。


 空には、何もない。


 もう一度、依頼票に目を戻す。


 灰梟亭、ハンス・ヴォルフ様。


 商団先触れ、迂回路にて確認中。


 ノエルは、その文字をただ眺めることしかできなかった。


 できることは、何もない。


 それが、一番落ち着かなかった。



 その頃、クラリスは三度目の飛行に入っていた。


 崩落地点の近くを通る際、突風に煽られて右腕を岩壁に擦った。皮膚が擦り切れ、薄く血が滲んだ。


 箒が一瞬、大きく流された。


 クラリスは体勢を立て直し、そのまま飛び続けた。


 止まっている時間はなかった。


 鞄の中の書状だけは、両手で守るように抱えていた。



 日がすっかり落ちてから、クラリスは店に戻った。


 ノエルがすぐに気づいた。


「腕、血が」


「かすり傷です」


「かすり傷で、そんなに滲みますか」


「滲んでいるように見えるだけです」


 クラリスは外套の袖を軽く払った。


 ノエルは、それ以上追及しなかった。


 追及しても、答えは変わらないと分かっていたからだ。


 先触れは、期日の三日前に、灰梟亭へ届いた。


 ハンスは書状を受け取ると、しばらく無言でそれを読んでいた。


 それから、深く息を吐いた。


「間に合った」


「配達完了です」


 クラリスは、いつもの調子で言った。


 ハンスは、礼を言おうとして、少し迷ってから、結局こう言った。


「腕、大丈夫か」


「さて」


「隠すつもりなら、もう少し上手くやれ」


 クラリスは、その指摘に何も返さなかった。


 半月後、商団は予定通りローデンに到着した。


 十五部屋、まとめての宿泊。


 荷駄の数も、先触れに書かれていた通りだった。


 商団長は、宿の前でハンスに深く礼をした。


「先触れが届いたと聞いて、正直、驚きました。あの経由地は、今年に入ってから三度、郵便が滞っています」


「うちの郵便屋が、腕のいい奴でな」


 ハンスは、少しだけ得意げに言った。


 その様子を、宿の裏口から荷物を運んでいた下働きの少年が見ていた。


 少年は、その晩のうちに町中でその話をした。


 灰梟亭の旦那が、私設郵便屋のことを自慢していた、と。


 噂は、また一つ、ローデンの町を巡り始めた。


 数日後、灰梟亭から宿の朝食一式が店に届いた。


 パン、燻製肉、林檎の砂糖煮。


 礼状は、短かった。


『世話になった。次も頼む』


 クラリスはそれを帳簿に挟み、備考欄に短く書いた。


 灰梟亭、配達完了。礼状代わりの朝食一式。


 ノエルは、その備考欄を横から覗き込んだ。


「商団長さんも、驚いてたそうですよ」


「どこで聞いたのですか」


「宿の下働きの子が話してるのを、古本屋の奥さんが聞いて、私が聞きました」


「随分と、遠回りな伝達です」


「町なんて、そんなものです」


 クラリスは、それ以上何も言わず、帳簿を閉じた。


 窓の外では、右腕の包帯の下で、擦り傷がまだ薄く疼いていた。


 それでも、届くべきものは、届いた。


 それだけで、十分だった。


「評判など、存じません」


 クラリスは、誰にともなく呟いた。


 噂は、彼女の与り知らぬところで、今日も少しずつ広がっていた。

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