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配達困難郵便、承ります

 半年後。


 クラリス・ヴェインの店には、客がいなかった。


 辺境町ローデンの外れ。

 石畳が途中で土の道に変わる、その少し手前に、彼女の郵便屋はあった。


 間口は狭い。

 窓は一つ。

 扉の上には、手書きの看板が揺れている。


 配達困難郵便、承ります。

 配達不能印の押されたものも、ご相談ください。


 看板の文字は、クラリス自身が書いた。

 まっすぐで、愛想がなく、少しだけ字の間が詰まっている。


 店の中には、仕分け棚が三つ。

 古い地図が壁一面。

 風路の観測針が窓辺に一本。

 そして、帳簿が一冊。


 クラリスは、その帳簿を見下ろしていた。


「……慈善事業ではないのですが」


 帳簿の赤い数字は、慈善事業の顔をしていた。


 暖炉には火がない。

 茶葉の缶は軽い。

 店の奥に吊るした郵便外套は、中央局時代のものではなく、自分で仕立て直した深緑の古着だった。


 局章はない。

 認可印もない。

 ただ、袖口だけは丁寧に直してある。


 郵便屋が袖をほつれさせていては、手紙が不安になる。

 そう言ったら、町の仕立屋には笑われた。


 不本意である。


 クラリスは帳簿を閉じ、窓の外を見た。


 道行く人は、店の看板をちらりと見る。

 けれど、入っては来ない。


 当然だった。

 中央局から追放された魔女の店である。

 しかも扱うのは、配達不能とされた手紙ばかり。


 普通の者は、赤い判が押された時点で諦める。


 普通でない者だけが、この扉を叩く。


 そのとき、扉の鈴が鳴った。


 からん、と頼りない音が店内に落ちる。


 入ってきたのは、若い女だった。

 年は二十前後だろうか。町娘らしい薄青の外套を着て、両手で小さな封筒を握っている。


 封筒の角は、何度も握られたせいで少し丸くなっていた。

 目元は赤い。

 ここへ来るまでに、何度か泣いた後の顔だった。


「こちらで、配達不能の手紙を……その、見ていただけると聞いて」


「配達困難郵便です」


 クラリスは訂正した。


 女は瞬きをした。


「え?」


「不能ではありません。困難です。困難であれば、まだ仕事になります」


 女は、困ったように封筒を見下ろした。


「では、配達困難の手紙を、見ていただけますか」


「もちろん」


 クラリスは椅子を示した。


「ただし、泣くなら封筒から離れてください。涙は紙に染みます」


 女はますます困った顔をした。


 失礼。

 今は、泣いていなかった。


 クラリスは小さく咳払いをし、手袋をはめた。


「拝見します」


 女は封筒を差し出した。


 表には、丁寧な字で宛先が書かれている。


 北方高地、旧ミルゼ村。

 リディア・アウル様。


 そしてその上に、中央局の赤い判が押されていた。


 宛先照合不能。

 認可風路なし。

 配達不能。


 クラリスは、赤い判をしばらく見つめた。


「婚礼の知らせに配達不能印ですか」


 封筒の裏には、薄桃色の封蝋が押されている。

 祝い事に使う、二羽の小鳥の印だった。


 クラリスは淡々と言った。


「中央局らしい、たいへん格式ある祝辞ですね」


 女が、少しだけ目を丸くした。


「……怒ってくださるのですか?」


「事実確認です」


 クラリスは封筒を裏返した。


「あなたのお名前は」


「エマ・リースです。リディアは、私の母です」


「ミルゼ村は、現在の郵便台帳にはありません」


「隣のオルガ村に統合されたと聞きました。でも、母はまだ、山の上の家にいます。昔の村に」


「中央局では、そういう場所を存在しないことにするのが得意です」


 エマは何か言いかけて、やめた。


 クラリスは壁の地図へ向かった。

 新しい中央局発行の風路図。

 その下に貼った、二十年前の古い支線図。

 さらにその隅に、手書きで補った山間部の風路記録。


 ミルゼ村の名は、新しい地図にはなかった。


 古い地図にはある。

 山の尾根の上、小さな点。

 そこへ向かって、細い支線風路が伸びていた。


 クラリスは観測針を手に取る。

 細い銀の針は、風路に残る魔力の向きを拾う道具だ。


 窓を開けると、冷たい風が店へ入った。

 観測針の先が、わずかに震える。


 北。

 少しだけ、上。


 クラリスは目を細めた。


「風標は死んでいます」


 エマの顔が曇る。


「では、やはり」


「ですが」


 クラリスは観測針を戻した。


「風路はまだ死んでいません」


 エマが息を呑んだ。


 クラリスは封筒を、もう一度見た。

 古い村名。

 古い支線。

 古い登録名。

 中央局が嫌うものばかりだ。


 だが、嫌われるものは、消えたものと同じではない。


「婚礼はいつですか」


「四日後です」


「北の山は」


「今夜から荒れるそうです。三日は、風路も峠道も使えないだろうと」


「では、明日では遅いですね」


 クラリスは店の奥へ向かった。


 壁にかけた外套を取り、袖を通す。

 古い革手袋を締め、腰の郵便鞄を確かめる。

 箒は扉の横に立てかけてある。


 中央局の認可箒ではない。

 古い民間用を、自分で何度も調整したものだ。

 乗り心地は悪い。

 愛想もない。

 クラリスにはよく合っている。


 エマが封筒を握りしめた。


「あの、お代は」


「戻ってからで結構です」


「よろしいのですか」


「よろしくはありません」


 クラリスは封筒を受け取り、郵便鞄へ入れた。

 いつも通り、折れない位置に。

 雨に濡れない場所に。

 落下しても最初に守られる場所に。


「ですが、今は届ける方が先です」


 エマが、唇を噛んだ。


「母に、伝えたいんです」


「でしょうね」


「町に出てから、ずっと、手紙を書くのが遅くなって……結婚のことも、直接言いに帰るつもりだったんです。でも、仕事が休めなくて。風路が閉じているなんて、知らなくて」


「言い訳は、受取人にどうぞ」


 クラリスは外に出た。


 空は曇っていた。

 北の山並みには、薄い雲が引っかかっている。


 普通の郵便魔女なら、行かない空だ。


 中央局なら判を押す。

 配達不能。

 認可風路なし。

 宛先照合不能。


 クラリスは箒にまたがった。


「クラリスさん」


 エマが扉口で呼んだ。


「母は、まだそこにいるでしょうか」


 クラリスは、少しだけ振り返る。


「それは私の仕事ではありません」


 エマの顔が強ばった。


 クラリスは続けた。


「私の仕事は、手紙を受け取る人まで運ぶことです」


 風が、外套の裾を揺らした。


「受け取るかどうかは、お母様の仕事です」


 エマは、今度こそ泣きそうな顔をした。


 クラリスは見なかったことにした。

 封筒が濡れてはいけないので。


 箒の柄を握る。

 足元に、風が集まる。


 町の上を流れる風路は、まだ太い。

 だが北へ向かうほど細くなる。

 やがて、中央局の地図からは消える。


 それでも、消えたことにされた空と、本当に死んだ空は違う。


 クラリス・ヴェインは、その違いを見ることができた。


「配達困難郵便、承りました」


 小さく呟いて、クラリスは空へ上がった。


 風標の消えた村へ向けて。

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