配達完了です
中央郵便局監察課に、一通の照会状が届いたのは、それから三日後のことだった。
差出人は、ローデン外れの私設郵便屋。
テオ・ランズは、その封を切った瞬間、指先が止まった。
中に入っていたのは、灰色の確認票の写しと、短い一枚の照会文。
『発行申請者欄が空欄のまま角印が押された確認票について、発行経緯の開示を求めます。同様の様式は、他にも複数枚、当店にて処理済みです。必要であれば、すべて提出いたします』
署名は、クラリス・ヴェイン。
テオはそれを持って、マルタの部屋へ向かった。
マルタは、机の上に広げた発行台帳から顔を上げた。
しばらく、無言で照会文を読む。
「……揃いましたね」
マルタは言った。
独り言に近い声だった。
「揃った、とは」
「以前から、妙な符丁が発行記録に混じっていました。あなたが見つけたものと、同じ系列です」
マルタは台帳を閉じた。
「これで、確認が取れます。誰が、いつから、この様式を横流ししていたか」
「担当者は」
「まだ、言えません」
マルタは短く答えた。
「ですが、あなたの手元にある符丁と、この照会状にある日付を重ねれば、絞り込めるはずです」
テオは頷いた。
それから、少しだけ躊躇って言った。
「あの郵便屋がいなければ、この照会状は届かなかったと思います」
「……そもそも、照会送る権利を持たせていないのですが」
マルタは短く答え、それ以上は言わなかった。
だが、台帳を引き出しへしまう手つきは、いつもよりわずかに速かった。
東通りのラント乾物店は、その日も店を開けていた。
だが、店先の古い張り紙は、いつの間にか剥がされていた。
行方の分からぬ縁者を探すお客様のご相談も承ります。
その文字は、もうどこにもなかった。
噂は、静かに、しかし確実に町を回った。
ラントの旦那が、娘を探すふりをして、実は昔から何人もそうやって「見つけて」きたらしい。
中央局に睨まれているそうだ。
豆の量り売りは変わらずいいが、店の奥の相談事は、もう誰も持ち込まなくなった。
良い評判は、悪い評判より軽い。
軽いものほど、風に飛ばされるのも早い。
ローデン外れの私設郵便屋には、その日、珍しく午前から客が来ていた。
クラリスが扉を開けると、見覚えのある女が立っていた。
髪を後ろでまとめ、袖口をまくっている。
指先には、細かな傷。
「マレア・ユストです」
女は言った。
名乗るまでもないのに、わざわざそう言った。
「存じています」
クラリスは答えた。
「郵便ですか」
「いいえ」
マレアは、小さな包みを差し出した。
「お礼です」
「料金は、いただいております」
「それとは別です」
クラリスは包みを見た。
布の結び方が、几帳面だった。
仕事の手で結ばれた結び目だった。
「開けても?」
「郵便屋さんに、そんなこと訊かれるとは思いませんでした」
マレアは、少しだけ笑った。
クラリスは包みを開けた。
中には、薄い革の郵便鞄用の当て布があった。
肩から下げる部分、いつも擦り切れる場所に合わせて、丈夫な革が仕立ててある。
「仕立組合の見習いの練習台にしました」
マレアは言った。
「腕は悪くありません。もうすぐ、独り立ちさせる子です」
「いい仕事です」
クラリスは、それを鞄に当ててみた。
ぴったりだった。
測ってもいないのに、ぴったりだった。
「測りましたか」
「見ればだいたい分かります。長年、人の肩を見てきましたから」
クラリスは、少しだけ黙った。
それから、鞄に当て布を留めた。
「たいへん、結構です」
「よろしいですか」
「よろしくはありません」
クラリスは、いつもの調子で言った。
「ですが、受け取ります」
マレアは、声を出して笑った。
その笑い方が、初めて店に来た日とは、まるで違って見えた。
「あの手紙は、どうなりましたか」
マレアが訊いた。
「配達不能のまま、中央局にたたきつけてやりました」
「私が読まなかったから、ですか」
「読む必要のない手紙でした」
クラリスは言った。
「あなたが読みたくなれば、いつでも当店に戻せます。読みたくなければ、そのままにします」
マレアは、店の奥の棚を見た。
薄布に包まれた一通が、まだそこにある。
「しばらくは、そのままにしていてください」
「承りました」
マレアは扉へ向かい、途中で一度だけ振り返った。
「郵便屋さん」
「はい」
「私、今の名前で、ちゃんと生きてるように見えますか」
「ええ。そう、見えます」
「そう答えてくれるって、知ってて訊きました」
マレアは、そう言って笑い、外へ出た。
扉の鈴が鳴る。
いつもより、少し軽い音だった。
ノエルが店に来たのは、その日の二番鐘の後だった。
机の上には、いつもの依頼票と、新しい当て布がついた郵便鞄がある。
「新調したんですか、それ」
「頂き物です」
「いいなあ」
ノエルは鞄を撫でた。
クラリスは、帳場の端にある紙片を取った。
店でしてよいこと、してはいけないこと、まだ題名のない紙。
鉛筆を持ち、新しい行を足す。
八、脅されても、料金表は閉じない。
ノエルは、それを読んで少し笑った。
「難しいです」
「ええ」
「でも、分かる気がします」
クラリスは鉛筆を置いた。
「今日は依頼がありません」
「暇ですか」
「暇です」
「珍しいですね」
「珍しくはありません。時々あります」
ノエルは椅子に座り、依頼票の空欄を眺めた。
白い紙。
まだ何も書かれていない。
けれど、これまでのように、怖い白さではなくなっていた。
窓の外で、風路の観測針がわずかに震える。
誰かの手紙が、また、どこかから飛んでくる合図だった。
クラリスは、その揺れを見た。
「配達中」
小さく呟いて、彼女は箒に手を伸ばした。
配達不能の判は、今日もどこかで押されている。
それでも、届けられるものは、届ける。
ローデン外れの小さな郵便屋は、今日も開いていた。




