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「奇跡から始まった、災難……?」
シシロウさんの勿体ぶった例え方に、私は思わず首を傾げる。
これは彼の悪い癖かもしれない。
傍聴者がどれだけ真実を急いで苛立っていようとも、まるで真綿で首を締めるようにじわじわと、だが確実に相手を論破する。
それを信念とするかの如く、彼は謎を解くのだ。
「誰か、丸い玉みたいなもん持ってないか?」
突然の要求にモウルさんは「えっと」と、慌てふためいた様子で室内をきょろきょろ見回す。
「あ、ガラス玉で良いなら私、持ってます」
タターソルさんにお願いしてトランクケースをベッド横に運んでもらい、そこから4個のガラス玉を取り出した。
受け取ったシシロウさんは感謝――などはせず、逆に訝しげに私を見た。
「……なんでお前がこんなもん持ってんだよ」
「え? だって、ガラス玉ってキャンディみたいでカラフルだったり透明だったりで美味しそうじゃないですか」
私の言葉が予想外だったのか、明らかにシシロウさんが引いている。
まさかのタターソルさんまでも、不思議そうに私を凝視していた。
「……まさか。これ、舐めてんじゃねえよな……?」
「な、舐めませんよ! さすがにガラス玉は甘くないじゃないですか!」
「そこは“食べられない”って否定しろよ……ったく」
最後にそうぼやいたシシロウさんはソファーから立ち上がると、ガラス玉をそっと床に置いた。
すると直後――。
ガラス玉はゆっくりと、静かに、勝手に動き出したのだ。
「えっ!? 動いた!?」
「あ!」
私とモウルさんがほぼ同時に驚く。
ガラス玉はゆら、ゆらと、一つの方向へ転がっていった。
「ど、どういうこと……なんでしょうか?」
状況が呑み込めず困惑する私に、タターソルさんが説明する。
「丸いものって、傾斜があると上から下へと転がっていくものだよね?」
「は、はい」
「ガラス玉が転がる……それはつまり、この宿が傾いているからだと、シシロウは言いたいんだよ」
「え? この宿傾いてるんですか? 実感はないんですけど」
「元々山中ということもあるし、多少の傾きもあると思う。だけど近年……おそらくは温泉が湧いたという5年前の地震が原因で、更に宿が傾いてしまったんじゃないかな。それも――この部屋が特にね」
最高級客室だというこの部屋は、宿の2階最奥に位置している。
後でタターソルさんから聞いた話だと、この部屋は下階――1階部分がない。
代わりに木柱で支えられたテラスのような建築形式……いわゆる“ピロティ”になっているのだという。
「大方、風景重視で増築された部屋なんだろうが……その建築形式が、よりいっそう部屋を傾かせる原因になったんだろうな」
右往左往しながら転がっていたガラス玉は、吸い込まれるように部屋の奥――壁際に辿り着いたところで止まった。
「……や、宿が傾いている。という事実はわかりました。ですが、それとお客様がたの体調不良と一体どんな関係があるのでしょうか……?」
シシロウさんが説明した部屋の傾きと結論が結びつかず、納得がいかないといった顔をしているモウルさん。
だがそれは私も同感だった。
今の時代……山酔いやカビが体調不良に関わるとは、普通は誰も知らない。
だから、部屋の傾きと体調不良の因果関係なんて知っているわけがないのだ。
国宝級の古時代の文献を読み漁ったシシロウさんだからこそ成せる“技”なのだ。
タターソルさんも詳しいってことは、おそらく彼もそういった文献を読んでいるのだろう。
不意にそう考える私を尻目に、シシロウさんは引き続き話を進める。
「――マルルは船に乗ったことがあるか?」
と、意外な質問が飛んできて、私はきょとんとした顔をした。
「え? 当然じゃないですか。故郷は島国なので」
「じゃあ船酔いになったことは?」
「ありますよ。乙女なので言いたくはありませんが、気持ち悪くなってゲ~ゲ~吐きまくってましたよ」
素直に答えた私に、シシロウさんは僅かに苦笑を洩らしてから、説明を再開する。
「船に乗ってると波に揺られるが、そのせいで平衡感覚がわかんなくなって、脳が混乱する。それで酔っちまうんだとよ」
船酔いの要因は他にもあると文献には記載されたようだが。
つまり、シシロウさんが言いたいのは、平衡感覚が――脳が混乱して起こる“船酔い”が、傾斜のあるこの部屋のせいで起きてしまっているらしい。
「そんなまさか……私は長らくここに住んでおりますが、そういった酔いなど起こしたことはありません」
「それも船酔いと一緒で個人差があるんだよ。ましてや船上と違ってこの程度の傾きなら……不調になる人間はまあ少ないだろうがな」
事実、宿泊客が体調不良を訴えた人数は2年間で20人。
閑古鳥が鳴いていたとはいえ、悪評が広まるまでは年間400人ほど宿泊していたらしく、となれば、単純計算では20人に1人が体調不良になっていたことになる。
……確かに、少ないと言えば少ない方、なのかな。
「で、ですが! 地震が起きたあとに建物はくまなく調べましたが異常ありませんでしたし、傾き程度が“呪い”と呼ばれる原因になるなど……!」
モウルさんは強い剣幕で、シシロウさんたちの憶測を否定する。
彼にとって地震は、温泉を生み出した奇跡の恵みだ。そう簡単にそれが原因だと思いたくはないのだと、私は思った。
だが、シシロウさんたちの予測は私と違っていた。
「嘘だな」
「嘘……?」
シシロウさんに断言され、モウルさんは思わず素っ頓狂な声を上げる。
「半年前、あんな綺麗に外装工事をしたってんなら、宿の傾斜に気づかないわけがないと思うんだがな」
続けてタターソルさんも口を開く。
「逆にフロントは古臭くて不気味……いかにも呪われてそうな雰囲気でした。入口でそんな光景を見たら、大抵の人は“呪い”は本当ではと、先入観を抱いてしまいますよ」
「で、ですから、それは工事費用が足りなくて……」
「そのわりに、綺麗過ぎるんだよな。古臭い見た目にしては、さっきも言ったが埃どころかカビ臭さすらなかった」
モウルさんの顔色が、よりいっそう青白く変わっていく。
それはまるで、驚いていると言うより、迫られたときの犯人の顔のようだった。
「なんなら半年前の工事の際、あえて絶妙な傾斜を造り出し、ここを“呪いの部屋”として改装した公算もあるぜ」
一歩、シシロウさんがモウルさんに迫る。
だが逃げるように一歩、モウルさんは後ずさる。
「更に付け足すならば、露天風呂途中にある休息所……確認したところ、基礎もしっかりしていて、傾斜もほとんどありませんでした」
ほぼ水平状態の休息所で休憩し、平衡感覚を整えた客が呪いの部屋へと戻ったら――酔いやすい人はその微量な傾斜に不調を起こしてしまうかもしれない。
そうタターソルさんが説明する。
……そっか。さっき私が体調不良を起こしてしまったのは、それが原因だったのか。
「モウルさん……貴方がそんな悪評を利用した売名行為をする人だとは信じたくはありませんでした。ですが、これはもう本人から認めてもらうほかには――」
「証拠は……証拠はないでしょう!? 実際にそんな症例があったとしても、ガラス玉が転がった程度で私がそんな行為をしただなんて言われたくはありません!」
と、モウルさんが怒鳴り声を上げた。
突然の怒声と変貌に、私は体が跳ね上がるほど驚いてしまう。
純粋に、彼を怖いと思ってしまった。
だが、シシロウさんたちは相変わらず驚く様子も見せず、言った。
「確かに泣き落とせるような証拠はねえが……俺は最初っからアンタを疑ってたんだぜ?」
「なっ……!?」
「なんせアンタは俺らの名前を憶えてなかったくせに、なぜか“元勇者が世界各地で魔法を否定している”って噂は知っていたからな」
確かに、魔法を否定しているときのシシロウさんは、決して自分が“勇者”だと名乗らない。
先日、彼の正体に気づいた人はいたが、それはあくまでも偶然。
世界各国で魔法を否定して回っている人物=元勇者とは、そうそう結びつかないとのことだ。
ターソルさんが静かに眼鏡を押し上げる。
「モウルさん……貴方はおそらく“例の連中”から予めその噂を聞いていたのでしょうね。だから名前を忘れていたにも拘わらず、元勇者を見て直ぐに魔法を否定しにやって来たと思った」
徐々に荒くなるモウルさんの呼吸が、ベッドで寝たままの私の耳にも届く。
……つまり、モウルさんはわざと“呪いの館”を造り出し、悪い噂を広めていたってこと?
それで“呪い”――魔法目当てでやって来た宿泊客によって利益を得ていたってこと?
頭が上手く回らず、痛くなってくる。
だが、モウルさんが悪いことをしていたことだけは、とりあえず理解できた。
「まあ、俺にしてみりゃ売名行為でとやかく責めるつもりはねえ」
そう言ってシシロウさんは腕を組み、強気に笑う。
「僕は“六国家連盟魔法管理機”の仕事として、彼を検挙しなくちゃいけないけどね」
タターソルさんの穏やかな、けれど拒絶を許さない宣言に、モウルさんの顔から生気が消える。
「俺が聞きたいのはな――アンタを唆し“呪いの館”を造らせ、その噂を広めた“例の連中”についてだ」
シシロウさんの声が、一段と低く、鋭くなる。
――“例の連中”とは、一体?
そう言えばこの宿に来る直前でも、似たような話をシシロウさんたちはしていた。
なんて、私が呑気に考えていた、そのときだ。
無表情だったはずのサザイさんの口元が、わずかに歪む。
そして、次の瞬間。
――ガキィイン!!
耳を突き刺すような激しい金属音が部屋に響き渡った。
気づけば、シシロウさんとサザイさんが至近距離で剣を交わし、火花を散らしている。
「え、え……?」
先ほどまでの「気弱な従業員」の面影はどこにもない。
サザイさんの射抜くような眼光が、シシロウさんの剣を受け止めていた。




