6
「――マルルの具合はどうだ?」
「本人はのぼせたと言っていたけど、上半身の火照りや発汗は特にないようだから……冷え逆上せでもなさそうだね」
そう言うとタターソルさんはベッドで眠る私に布団を被せる。
「今日の道中での疲労が溜まったのかもね」
「ああ、そうかもな」
突然の体調不良。目眩、頭痛。
それはまるで、この部屋の“呪い”のようだった。
だが、2人の会話にその単語は全く出てこない。
彼らはもとより“呪い”を――魔法を信じていない。
だからその言葉は決して口には出さないのだ。
「……そろそろ夕食だろうが、その前に一杯どうだ?」
そう言うとシシロウさんは栓の開いていない酒瓶を鞄から取り出す。
もしかしたら彼の鞄の中身は全て酒なのかもしれない。
すると、タターソルさんは吐息交じりに肩を竦めた。
「止めておくよ。それと、シシロウが異常なザルだからと言っても、空きっ腹は体に障るんだから……ほどほどにしておかないと」
シシロウさんは顔をしかめながら栓を開けると、瓶のまま酒を煽った。
「そんなことよりも……宿内探索はどうだった? 何か発見はあったのかい?」
タターソルさんの言葉を聞いたシシロウさんは、おもむろに瓶から口許を離した。
「ああ。清掃中なのが10人、厨房に5人、やけに若い衆がゴロゴロいたぜ。そっちの方はどうだったんだ?」
彼の視線が酒からタターソルさんへと移る。
すると、タターソルさんは静かに窓を見つめた。
「久しぶりに見たキーモンス山脈の夕焼けは絶景だったよ。けどまあ……あちらこちらで獣が殺気立っていたようでね。ゆっくり見ていられなかったよ」
そう言って軽く笑ってから、タターソルさんは真面目な顔を向ける。
「ああでも、一つ気になることがあってね」
「なんだよ?」
「外を散策していたときなんだけど、シシロウ……もしかして君――」
――と、そのときだった。
コンコン。
扉を叩く音が聞こえた。
2人は一瞬だけ顔を見合わせた後、タターソルさんが返答をする。
「はい。どうぞ」
ゆっくりと開く扉の向こうには、モウルさんとサザイさんを含めたスタッフの姿。
その手には夕食らしきパンやジビエ料理などが盛られた皿があった。
「お食事をお持ちしました」
「ああ。テーブルに適当に置いといてくれ」
シシロウさんの言葉を受け、モウルさんたちは静かに部屋へ入る。
食材が焼けたいい香りが室内に広がっていく。
「あ、あの……」
と、テーブルに食事を置き終えたモウルさんが、意を決したように口を開く。
「先ほど言っていたこと……そろそろ教えていただけませんか?」
「さっき言ったこと?」
シシロウさんはとぼけた声を出して小首を傾げる。
おそらく、モウルさんの口から“その単語”が出るのを待っているのだろう。
案の定、彼は耐えきれず言った。
「の、“呪い”についてです。言っていたじゃないですか、原因がわかったって……!」
部屋中にモウルさんの声が響く。
急いているような彼の声に、どんな感情が含まれているのか。
そんなことなど知る由もなく。シシロウさんはいつものように、強気に口角を吊り上げた。
「そんなに知りたいのか? 意外だな。アンタは現状維持の方がいいと思ってるようだったからな」
「な、何を言っているんですか……当然宿の悪評判など無いに越したことはありませんから、原因があるのなら、早々に改善しないと」
モウルさんの表情がみるみるうちに曇っていく。
というよりも、酷く青ざめた顔に変貌していった。
「だがな……ここには具合が悪くて寝てるヤツもいるから、場所を移した方が――」
「――いえ、私なら、大丈夫です」
そう言いながら、私は目を開けた。
実はちょっと前から、目は覚めていたのだ。
ただ、まだ少し気分が優れないため、寝ているフリをしていた。
……決して、20年前の思い出話とかしないかなあなんて、心待ちにしていたわけじゃない。
起き上がる代わりに手を振ってみせる私を見て、シシロウさんは「本当に大丈夫か?」なんて心配をしてくれた。
「はい、大丈夫ですので……ここで話をしてください」
というよりも、ここでしてくれないと私が“呪いの原因”について聞けなくなってしまう。
すると、シシロウさんはため息交じりに、視線を合わせずに言った。
「……じゃあ、安静にしとけよ。絶対、一歩も、動くんじゃねえぞ」
「はい」
……私、そんなしょっちゅう暴れる人間と思われてるのかな?
と、思いつつもそれ以上の反論などはせず。大人しく、耳を傾けた。
「なら、教えてやるが……まずはタターソル、お前が話せよ」
「え、僕が?」
意外な白羽の矢が立ち、タターソルさんは面食らった顔をする。
だが、すぐに軽くため息をつくと、ゆっくりと語り始めた。
「このよすがの宿を訪ねる前、僕はいくつか憶測を立てていました。有力なのはそのうちの3つ」
そう言ってタターソルさんは指先を立てて“3”を表すと、続けて人差し指だけを出す。
「まず1つ。山の上は空気が薄い……つまり、客たちは“山酔い”に掛かっていたという公算です」
――山酔い。
専門的には高山病とも呼ばれているそれは、高い所への急激な移動によって起こるものだ。
主な症状は目眩、頭痛、吐き気などといったもので、客たちが起こした症状とも一致する。
「山酔いをわかりやすく言うなら、空気が足りなくて引き起こす症状なんだけど……山酔いには個人差があり、基本は標高の高い山で起こりやすくなると言われています」
ちなみに、山酔いは標高2000メートル以上で発症しやすくなる――と、古い文献には書かれているのだという。
「でも、ここは峠の宿……そこまでの標高はないから、山酔いする人はまずいないでしょうね」
タターソルさんの意見に同調するように、モウルさんが大きく頷く。
「はい。山酔いの知識は私もありますが……創業200年の中で宿泊客が山酔いになったという記録は残っておりません」
それから、タターソルさんは2つ目の指を上げる。
「続けて2つ目の原因は宿内に発生しているカビによるもの。これも目眩や頭痛といった症状が出る……だけどこれの確度は低いですね。カビが原因ならば他に咳やくしゃみ、喉の痛みといった呼吸器系の症状も出る――と、文献にはありましたから」
これもまた、モウルさんの話によれば呼吸器系の症状を訴えた人は誰もいなかったと補足された。
と、ここでシシロウさんが口を挟む。
「そもそも、旅館内は主人の日頃の心がけなのか、掃除はしっかりしてるみたいだからな」
彼の言葉を聞いて、私はふと、先ほどシシロウさんが窓枠をかなり真剣に見ていたことを思い出す。
あれってただ呆然としてたんじゃなく、窓枠の埃やカビを確認していたんだ。
……私はてっきり、睡魔と戦っているのかなと思ってました。
「……山酔いもカビも違う。では、呪いの原因はその3つめ、ということですか?」
モウルさんの震える問いかけの後、部屋に奇妙な沈黙が流れた。
タターソルさんが静かに眼鏡のブリッジを押し上げると、呼応するようにサザイさんもまた鼻筋を押さえながら眼鏡を上げ直す。
みんなの視線がシシロウさんに集まったところで、彼は手にした酒瓶をサイドテーブルに置く。
それから、いつものようにアメジスト色の瞳を輝かせ、シシロウさんは不敵に口角を吊り上げて言い放った。
「これは“呪い”でも、ましてや“魔法”でもねえ――言うなれば、奇跡から始まった災難ってところだな」




