3
――翌日。時刻は夕方前。
空は雲1つない、これまでにないほどの晴れだ。
だが残念なことに、私の目の前にはそんな暮れなずむ空を覆い隠すほど鬱蒼と生い茂る森林が広がっている。
どこからともなく鳥の不気味な鳴き声が聞こえ、その度に私は小さな悲鳴を上げていた。
「ひぃっ!」
そして、私が恐怖に震えると、その度に背後からは深いため息が聞こえてくる。
「この前の森林でもそうだったが……毎度毎度、ちょっとの物音だけでよくそこまでビビられるもんだ。疲れてこないか?」
思いやりの欠片もないシシロウさんの言い草に、私の眉がピクリと跳ねた。
「怖いものは何度見ても聞いても怖いんです! ビビるのはしょうがないじゃないですか!」
私の怒声で鳥が羽ばたいて逃げた。
しかし、シシロウさんは怒る私に全く動じず、スキットルをぐびりと呷る。
「マルル……お前の母さんはそんなんでビビるタマじゃなかったぜ。そこはもうちょっと似ときゃあ良かったのにな。ま、その場合、デリカシーの無さも似ることになるだろうけどな」
そんな皮肉を言って高らかに笑うと、彼は私の隣を通り過ぎ、先行していった。
「デリカシー無しはシシロウさんの方です」
私は遠くなる彼の背中を睨みながら呟く。
すると、私の隣へと並んだタターソルさんが微笑みながら言った。
「まあ落ち着いてマルルちゃん。シシロウって、上機嫌になると人をからかうことが多くなるからさ」
「そうなんですか?」
それはまた、なんともはた迷惑な悪癖だなあ。なんて思う反面、意外な彼の一面に目を丸くする。
「酔っ払ってるせいだと思ってました」
「……まあ、それもあるけどね」
そう言ってクスクスと笑うタターソルさん。
結局のところ、彼は“上機嫌な酔っ払いおじさん”ということなのだろう。
僅かに整備された山道を進む中、私はふと思った疑問を尋ねた。
「……シシロウさんって、魔の神討伐のときもあんな感じだったんですか?」
「あんな感じって?」
「お酒飲んで、傍若無人に振る舞って、皮肉や軽口を言って……当時から勇者っぽくなかったのかなあ、って思いまして」
私の質問が意外だったのか、タターソルさんは「うーん」と唸り声を洩らしながら眼鏡を押し上げる。
「てっきり、リリーからそういう話は山のように聞かされていると思ってたけど」
「聞いたことがないから驚いてばかりなんですよ」
母から何度も聞かされていた思い出話は、よくあるような勇者伝説――おとぎ話のような内容ばかりだった。
シシロウさんは絵に描いたような素晴らしい勇者。
2年の旅の末、魔の神を倒して、めでたしめでたし。
他には母と父の馴れ初めも聞いたことはあるが、そんな程度しか話してはくれなかった。
「リリーは昔っから説明下手だったからな。エンスイさんが生きていたらもっと色々話してくれたんだろうけど」
思わず頭を抱えるタターソルさんを見て、なんだか申し訳ない。
「あの、ごめんなさい。お母さんが説明下手で」
「いや、それはいいんだ……じゃあせっかくの機会だし、シシロウたちとの旅路がどんなだったか、教えてあげるよ」
「本当ですか!?」
シシロウさんについての情報――それに、昔の両親の話が聞けるのはとても嬉しい。
目を輝かせながら私はタターソルさんの声に耳を澄ませた。
そのときだった。
「――おい。見えてきたぜ!」
前方を進むシシロウさんの大きな声が聞こえてくる。
私とタターソルさんは同時に正面を見上げた。
森林を抜け、開けた土地に佇む木造建築。
古さは感じられるが、それがまた美しいと思わせるほど、景観の立派な洋館がそこに建っていた。
都市部にあるお屋敷とも張り合えるような圧倒的な美しさに、私は思わず感嘆の声を洩らした。
「これまたとても素敵な宿ですね」
「山脈を越えるには必須の拠点でな。あの当時は毎日ほぼ満室の老舗宿だったんだぜ」
「こんな素敵な宿が……“呪いの館”と呼ばれているんですか……」
私はポツリとそんな独り言を洩らした。
私たちの目前に建つ洋館こそが、最近“呪いの館”と呼ばれている宿――よすがの宿だ。
タターソルさんの誘いを受けた私たちは、シシロウさんの鶴の一声で早速、この宿の魔法を調査するべくやって来ている。
魔法が存在し、魔の神が信仰されていた時代。
この山脈は重要な巡礼地だったらしく、その巡礼者たちが必ず泊まっていた……というのが、この宿らしい。
オラターンから馬車に揺られて半日近くでモーキンス山脈には到着したが、その麓からこの宿までは徒歩だったのが、苦労した。
しかも緩やかな傾斜とはいえほぼ登山と言っても過言ではなかった。
そうしてたどり着いた宿の外観の感想としては、ひとまず“素敵な洋館”という感じだ。
だが……本当にこの宿に“呪い”なんてものがあるのだろうか。
「それにしても……僕らが泊まった頃よりも外観は綺麗になっているけど、改装でもしたのかな」
タターソルさんに言われ、宿の壁をよく見ると、確かに新しそうな木材が張られていた。
「一時は、閑古鳥が鳴いてた潰れかけ宿だったのに……改装したってのか?」
「そうなると経営が回復したことを気に入ったのかもしれないね」
シシロウさんとタターソルさんがそれぞれそんな会話をしていると、宿の正面にある両開き式の扉がゆっくりと開いた。
中からは、苦笑交じりの初老男性が姿を現す。
いかにも支配人と言った風貌の彼は、まさにその身なり通りの人物なのだろう。
だが汗っかきなのか、しきりにハンカチで汗を拭っている。
私たちの前に立った彼は、深々とお辞儀をして歓迎してくれた。
「ようこそ、“よすがの宿”へいらっしゃいました。私は支配人のモウルと申します。こちらは従業員のサザイです」
支配人――もとい、モウルさんの隣にやって来た青年は軽く頭を下げる。
私と同じくらいの年頃だろうか。もっさりとしたマッシュルームヘアで、一向に口を開く気配がない。
他の特徴といえば、古びた丸眼鏡をかけており、たまに鼻筋を押さえながら眼鏡の位置を直していた。
2人の挨拶を受け、私も釣られるように頭をぺこぺこと下げた。
「こ、こちらこそ! 今晩はよろしくお願いいたします!」
何故か緊張してしまい、声が大きくなってしまう。
続けてタターソルさんも軽く会釈し挨拶すると、いつものように爽やかな笑顔を浮かべた。
「お久しぶりです、モウルさん――と言ってもあれから20年も経ってしまっていますが……覚えていますか?」
20年。
確かにその年月の経過は決して短くない。何せ少年だった2人が“おじさん”と呼ばれるまでに成長しているのだから。
だがモウルさんはしばらくの沈黙のあと、2人を思い出したのか、途端に表情を明るくさせた。
「ええ勿論ですとも! お久しぶりです、勇者様、白魔法使い様」
彼はもう一度深く腰を折り曲げる。片やサザイさんは軽く会釈するだけ。
……なんだか対照的な二人だ。
「元勇者と、元白魔法使いな。つか、名前で呼んでくれって」
「も、申し訳ございません……名前の方は少々、忘れてしまいまして」
「僕はタターソル・ショワン……それで、彼がシシロウ・アルダ。彼女はマルル・ボワットと言います」
何度も頭を下げて謝罪するモウルさんに、タターソルさんはそう紹介した。
と、シシロウさんは口角を吊り上げて言う。
「名前は憶えてなかったのに、よく俺らのことを元勇者だってわかったな。多少面影は残っていても、タターソルなんか、だいぶ様変わりしてるだろうに」
モウルさんはハンカチで汗を拭いながら答えた。
「……はい。ゆう――シシロウ様のお噂はよく耳に入っておりましたので。いつかこの宿のよろしくない噂の真相を求めやって来るのではと、思っておりましたので……すぐに察することができた次第です」
どうやらモウルさんはシシロウさんが“世界各地で魔法を否定して回っている”ことを知っているようだ。
……そんな噂が広まってたんだ。やっぱり元勇者だし、当然と言えば当然か。
なんてことを考えていると、急にモウルさんの視線が私に向いた。
彼は僅かに首を傾げて言った。
「ところで――お嬢さんはもしや……」
さすがは支配人。察しがいい。
私はどこか得意げな顔をして、答えようとした。
「はい。実は私――」
「シシロウ様のご息女ですね! いやはや、まさかシシロウ様がご結婚して、こんなご立派なお嬢さんがおりましたとは驚きました」
声を上げて笑うモウルさんに、私は目いっぱい首を左右に振って言った。
「ち、違いますよ!」
「じゃあ、まさかタターソル様の方で?」
「それも違います!」
タターソルさんならまだしも、シシロウさんの娘と思われるのは少しばかり心外だった。
私は彼みたいにだらしなくはないんだから。
「私はその勇者御一行のエンスイとリリーの娘です!」
「え? そっち? ああ……そうですか」
急に反応がイマイチになる。
間違いなくうろ覚えなのだろう。
明らかな愛想笑いが私の心を抉る。
「お、おほん。まあ、このような場所で立ち話もなんでしょう。まずはお部屋へご案内いたします」
ばつが悪くなったのか、モウルさんはそう言って忙しなく私たちを中へと導く。
「さ、どうぞどうぞ」
……父さんと母さんはそんなに認知度低かったってこと?
悲しい事実を知った私は口をへの字にさせながら、宿に入った。
「――どうしたんだい、シシロウ?」
「タターソルも気づいてるだろ? この気配……」
「まあね。 けど……まだ動くときじゃないよ」
「ああ、わかってる。だが、気を抜くなよ?」
「りょーかい」
二人がそんな会話をしているなどつゆ知らず。
私の後に続いてシシロウさんとタターソルさんは宿の中へと入っていった。




