下
お読み頂きありがとうございます。
この物語はコロナ禍の最中、少しずつ心の整理としてまとめながら温めていた作品でした。
過去に人生相談をされて上手く伝えられなかった事や、私自身が過去の自分自身にこういう言葉をかけてあげたい、こういう風に考えたら良いよって伝えてあげたいってのも、これを書いた理由の一つです。
……しかし内容は生死観、思想的な事。目に見えないからこそ伝え方が難しい。軽く話せる内容じゃないよなぁと葛藤もありました。
べつに自分の考えが正しいなんて思っていないし、考え方を押し付けるつもりもない。
正直「あー、こんな事書いて大丈夫かな」って思う気持ちも……ちょっぴりあります。
でも身近な人を看取って、目が覚めたんです。このままじゃ駄目だって。
沢山失敗して後悔して来たからこそ、身近な人を亡くしたからこそ、改めて今後の人生について考えました。そうすると、文字や数字で、誰かの言葉で、夢や現象や映像で、沢山の導き、沢山のメッセージががある事に気付きました。
それからは「今何もしないまま、このまま死んだら後悔だらけで成仏出来る気がしない。死ぬ気でやれば何でも出来るんじゃない? じゃあやれー!」と自分に喝を入れ、バケットリスト(死ぬまでにしたいことリスト)を書き殴って、色々と挑戦し始めて思ったのは“やれば出来る”です。
何かに挑戦する時、現実世界では時間やお金の面等を考えると、時に一歩踏み出す事に勇気がいると思うのですが、意外と何とかなるもんです。自分が本気なら大抵の事は何とかなる。
これを書いたのも完全に私の自己満足ですが、もしも誰かの役にたてたなら、理不尽だったりしんどかった過去の私も救われるんじゃないかなと思っています。なんならそれすらネタにしちゃえってね(かなり脚色はしてますが)。タダでは起きないぜぇ(ΦωΦ)フフフ……
色々と書きたい事があり過ぎてテンのセリフがめっちゃ長くなってしまいましたが(しかも口が悪いw)、透子とテンの物語を最後まで見届けて頂けると嬉しいです(*^^*)
穏やかな川の流れを前に、テンと透子は互いに息をついた。
「一区切りついた様だな」
「……なんか……凄かったね。色々と」
「ま、反面教師にはなったな」
「とんでもない教師も居たもんだよ」
「そうだな。だからこそ、だよ。――透子、“人は誰でも誰かの先生”だって事は、よく覚えとけよ」
「……んん? 意味わかんない。どゆこと?」
透子はテンの言葉の意味が解らず、眉を寄せてテンを仰いだ。
「ほれ、“人のふり見て我がふりなおせ”って言う、ありがたーい先人のお言葉があるだろ?」
「うん?」
「他人の良い行いも悪い行いも自分の言動を見直すきっかけになるし、同じ様に自分の言動も誰かの見本となって見られている」
「……うん」
「何かを教えるという意味では、周りは自分の師であり、自分も誰かの師である」
「師。自分も誰かの先生」
「因果応報って聞いたことあるだろ? 挨拶を大切にしたり、掃除やゴミ拾いをして皆が気持ちよく過ごせるようにしたり、困っている人を助けたり。例え人から見えなくても、そういったちょっとした心配りがいずれ別の形で自分に還ってくる。良い師というのは、そういう事を自然と出来る人々だ。自分が尊敬する人、皆から好かれる人が普段からどんな振る舞いをしているかを参考にすると良い。逆に場を荒らしたり、人の嫌がる事をすれば罰が当たる。それも結局は自分の行いが巡り巡って還って来た事だ。過去の行いが現在へ、現在の行いが未来へと反射して還ってくる」
まるで、指輪のお婆さんが心を尽くして家族を支えた様に。毒虫りんごのおじさんが、自分の欲望の為に沢山の人を苦しめた様に。
「しかし光ある所に影もまたあるのと同じで、誰しもがいつも正しいとされる選択が出来る訳でもなく、物事はいつも順調に進む訳でもない。時に行き詰まる事もあるだろうが、そこをどう乗り越えるかが肝心だ。“陰極まれば陽が生じ、陽極まれば陰が生じる。”陰陽は均等にバランスを保っており、それぞれ重要な役目がある。人も動物も植物も、陽の光の中だけでは生きられないだろう。陽で活動して、陰で休む。静と動、夜と昼、女性と男性。どちらが欠けてもこの世界は成り立たない」
テンについて来いと促され、坂道をズンズンと歩みを進めるので、透子は小走りで後に続いた。
「陰は悪い印象を持たれやすいが、陰が無ければエネルギー切れを起こしてしまう。植物は冬の間、休息期間を取り芽吹きの時期に備えるだろう。そして春はいよいよ種から芽を出し力強く天へと伸びてゆく。この時沢山の養分を必要として、膨大なエネルギーを使う。同じ地に生きる人間も例外では無く、疲れやすくなったりバランスを崩しやすい。心と体を労り栄養と休息を取って、力強く美しく成長する植物達の様に、人も時に休む時間が必要だ。疲れている時に無理すると、大抵ろくな事にならないもんだからな。……そして休んでいる間は自己内省が起こりやすい。時に焦りや不安といった焦燥感に苦しむ事もあるだろう。ただな、ちゃんと動けるタイミングはやって来る」
坂を登った先は、様々な種類の花が咲き乱れる花畑だった。肌を撫でる様な風が吹き、色とりどりの花々がそよそよと揺れている。
「“種智を円かにせんことを”」
「え?」
「種智とは人間が本来持っている仏の知恵のこと。円かにとは穏やかなさま、円満なさま。人は本来誰しも慈しみの心、慈愛の心の種を持って産まれてきた。しかしその心の種を育て立派な花を咲かせる為には、土壌を安定させる必要がある。どんなに美しく見えたとしても、根が張れなければ倒れてしまう。土が乾いていたら枯れてしまう。花は豊かな土壌があってこそ美しく咲き誇る。そうして華やかに、或いは慎ましく、とりどりに咲く花畑の中でどんな花を咲かせるのかは己の心次第。豊かな土壌を作るのに大事なのはまず、自分を満たす事」
「その、満たすって……具体的には何をすれば良いの?」
「そうだな。透子はどういう時に幸せを感じる?」
「幸せ? ……うーん。うーんと……好きな物、美味しいものを食べた時……とか?」
「では、それはどんな時か。何を食べた時か、どんな場所で、誰かと共になのか」
テンに言われ、透子は自分の誕生日の事を思い出した。
透子は母子家庭で育った。親戚も居ない、母と二人きりの家族。
誕生日は毎年二切れのケーキと、母の手作り料理が並んでいた。
友人がホールケーキを食べたり、豪華な食事を食べに行ったと聞いて羨ましくてしょうがなかった。透子は外食なんて数えるくらいしか行ったことが無い。
けれど思い返せば……母が忙しい仕事の合間を縫って用意してくれた料理が、透子の好物ばかりだったこと。
足りない事ばかりに気を取られていたけれど、本当はその想い出が、その時の気持ちがとてもかけがえのないものだったのだと、今ならわかる。
「自分を満たすとは、自分の心の声に正直である事、幸福で心を満たす事。成功等の大きな幸福も大事だが、誰かと共に楽しい時間を過ごしたり、綺麗な景色を見て感動したり、動物と触れ合って癒されたり。そんな日々のささやかな幸福が積み重なり、人は安心感や幸福感を覚えるものだろう。逆に何事も我慢しすぎる、自分を誤魔化したり嘘をつき続け不満や不安が少しずつ蓄積すると……いずれ心を壊してしまう」
心当たりのあり過ぎる言葉に、透子はゆっくりと深呼吸をした。
「何かを選択する時、自分の心の声に正直であれ。日々をどういう気持ちで過ごすのか、周りにも……自分にも、どういう気持ちで接するのか。そうやって自分の事も他人と同じ様に大切に扱い心が満たされているからこそ、周りを見渡す余裕が出来る。すると……自分がどれだけ周りに助けられて生きてきたのかがわかるはず。そうしたらその時はこれまでの生活の中で誰かに助けてもらった分、今度は自分が誰かを助ければ良い。何気ない優しさや気遣いが、誰かの心を癒す事もある。助け、助けられ、そうして日々を誠実に生きていれば、ただそこに居るだけで誰かの光になったりするんだよ」
さっき透子が指輪を見つけたようになと、テンは続けた。
見返りを求めていた訳では無いけれど、お婆さんの『ありがとう』の言葉が嬉しかった。
誰かの役にたてた事、喜んでもらえたら事で、自分には良いところなんて何もないと思っていた透子の心を温かくした。
しかし同時に現世での事を思い出し、透子の心は重く沈んだ。
「テンさん。あのね、わたし……お母さんとケンカしたの。……言い過ぎちゃった」
「そうか。透子、自分が悪いと思ったら、心を込めてちゃんと相手の目を見て謝れ。……相手が許すかは別問題だけど、それでも言葉に思いがこもっていれば、いつかは伝わる」
「……うん」
「生きていりゃーな、無意識にでも傷つけられることも、傷つけていることもあるんだよ。言葉の受け取り方は人それぞれだから、誤解されたり本当の思いが伝わらない事もある。……それでも時に、伝えるべきこともあると、俺は思う。傷付くこと、失敗を恐れて何も言えなくなるなんて勿体無いよ。むしろ自然体で少し位わがままを言ったり、自分の意見を言える方が人は好感を持ちやすい。“嫌われないようにしなきゃ”なんて、難しく考えなくて良い」
「そう、なの?」
「嫌われないようにと、好かれようとする程不思議と上手く行かないもんだ。誰かが無理して成り立つ関係など、いずれは破綻する。後味悪いだけで誰の為にもならん。……身を持って体験したからこそ言える事だがな」
説得力あるだろ? とテンは苦笑いで言った。
「失敗は成功のもと。失敗や苦労があるからこそ、そこから学ぶ事がある。生きていりゃーな、黒歴史の五つや六つや七つや八つ、大抵のやつはあるもんだ。そこから学び、同じ過ちを繰り返さぬ様に気を付ける。年の功ってやつだな。……それに失敗も苦労も無く、全てが順風満帆な人生なんて退屈過ぎてつまんねぇだろ」
「……それでも順風満帆な人生の方が良い。穏やかなほうが良いじゃん。それに、八つは流石にありすぎじゃない? それならテンさんもさ、黒歴史山程あるんだ? 何ていうか、その……やんちゃそうだもんね!」
テンは透子の視線から逃れる様に目を反らした。
「ま、まぁ、なんだ。他人の人生が順風満帆に見えるとしても、遅かれ早かれ皆それなりに乗り越えるべき山はあんの。時にそれは黒歴史かもしんねーけどな。失敗しても回り道だとしても、苦労を超えたからこそ大きな幸福が待っているものなのだよ」
「苦労はやだ。楽して生きたい」
「甘い、甘いぞ! 若者よ、人生とは山あり谷あり、試練無き人生などない! そしてその試練を乗り越えてこそ、人を大きく育てる。泥臭く、人間臭くあがいて生きてこそ人生だ。…………わかったかい? お嬢さん」
「……わかったけど、そのドヤ顔やめてよね」
小憎たらしい笑みを浮かべながら、テンが透子の腕を肘で小突いた。負けじと透子もやり返すと互いにムキになり、しばらくくだらない小競り合いが続いた。
「若者よ、やりおるな」
「年下相手にムキになってんじゃないよ」
「……負けられない闘いが、そこにある」
「だからなに格好つけてんの」
ふう、と一息つくと、テンは透子に問いかけた。
「透子、タイムリミットが近付いているみたいだ。――現世に戻るつもりはあるか?」
透子は自分の両手を見るが、確かにここに来た頃よりも体の輪郭が薄くなっている。
急に現実に引き戻された様で、透子は直ぐには答えられなかった。
「……わからない……。戻っても、居場所があるのかな。わたしが生きる意味なんてあるのかな」
透子の父親は、透子が産まれて直ぐに事故で亡くなった。
母は写真を見るのが辛いのか、父の写真は無く、透子は父親の顔を知らない。
幼い頃、スーパーマーケットで楽しそうに買い物をする家族を見て、透子は「どうしてうちはおとうさんがいないの?」と母に聞いた。
その時の母の顔が、とても悲しそうだったのを覚えている。夜中に隠れて泣いているのを知ってしまったから……それ以上は、父の事を聞けなかった。
毎日疲れた顔をしていても弱音を吐かない母に、本当は母にとって自分は重荷なのではないかと思う事もあった。
母を悲しませたくない。自分で何でも出来るようにならなくっちゃ。
誰に強制された訳でもないが、手のかからない、聞き分けの良い子は大人達が喜ぶから。いつの間にか“良い子”と呼ばれる事が当たり前になっていた。
期待、羨望、嫉妬、嫌悪。周りからの期待が大きくなる程、注目される程、人と違う程、負の感情も向けられるものだ。
早く堕ちてこないか、引きずり下ろしてやると目を光らせ、少しのミスも許さない。弱点を見つけたら徹底的に攻撃する、そんな人々の視線に怯えていた。
――本音を隠す事、言いたいことを我慢する癖が付いたのはいつからか。上手く笑えなくなっていたのはいつからか。……それは透子にもわからない。
『あー、ダル。あいつと一緒の班とか最悪。マジうぜぇ』
『ねー。ちょっと勉強出来るからって調子に乗んなよって感じ』
『さっき1組の男子があいつの事カワイイとか言ってた〜。笑顔キモいし根暗じゃん』
『あのツンとした感じが良いんだよ。あのお高くとまった顔を歪ませたい……的な?』
下品な笑い声は廊下まで響いていた。耳にこびり付いたその笑い声が、いつまでも頭の中に響いて消えない。
聞こえるか聞こえないかのひそひそ話。故意にそらされる視線。
仲の良かった友達もよそよそしくなり、気付けば教室の中で透子は孤立していた。
存在しているのに、確かにそこに居るのに、誰も見向きもしない。
賑やかな教室で、自分の周りだけがまるで音が無いようだった。
朝起きるとお腹が痛い。明日の事を考えると頭が痛い。次第に学校へ行けなくなっていた。
「意味のない事など、一つもない。……一つもないんだ」
「だとしても、納得なんか出来ない。人より苦労をしなくちゃいけなかったり、他人を貶めた奴がその事をすっかり忘れて幸せになって、やられた方がずっと苦しめられるなんておかしいよ。本当に、その事に意味なんてあるの」
テンの言葉に透子は怒りで震える声を抑えられなかった。
こんなに苦しい思いをしなくてはいけない人生なんて、そんなの――。
「――お前、悔しくねえの?」
「え?」
「お前の人生は、何も知らねえ赤の他人に好き勝手言われて、メソメソ泣いてるだけなのかよ。それで終わりか?」
「なっ……!」
テンのあまりの言いように、透子は言葉を失った。
「世の中には、生きたくても生きられない者もいる。過酷な状況下でも必死に自分の人生を生きようとしている者もいる。――俺は、思うんだよ。自ら人生を終わらせる選択をするのはもちろん自由だ。逃げたくなる気持ちもわかる。けどな、死ぬ勇気があるんなら、その前に一度くらい死ぬ気で何かしてみろよ、ってな」
「……それは、わかってるよ! だけどそんなに単純じゃない。何も知らないくせに、人がどう感じるか考えもせずに人を批判したり、偏った見方をしたり。そして声の大きい者程皆の注目を集めるから、皆そいつらの言葉を鵜呑みにしたり、自分には関係無い、関わりたくないと無視するんだ。皆自分が楽しければ、自分に被害が及ばなければ真実かどうかも関係ないんだよ。良い人ぶったって簡単に手のひらを返して裏切ったり、心配する振りして面白がったり! 本当は皆自分勝手で、自分さえ良ければいいんだ! だから……人と関わるのは、もう疲れた」
「……透子、お前の言いたいことはわかった。ただな……例え“一人でいい”と思ったとしても、社会生活を送るには無理な話だ。そもそも人間も集団の中で生きる動物に過ぎない。完全に切り離されて生きるなんて無理なんだ。……けれど、トラウマ、心の傷が深い程、他者との関わりを避ける様になる。皮肉な事だがそういった防衛本能が無ければ、生物はこれ程までに繁栄して来なかったんだから、臆病になる事も自分を守ろうとする事も仕方がない。……もうこれ以上傷付きたくないと思うのは当然だ」
テンは空を見上げてそう言った。
――テンにも、もう傷付きたくないと、そう思う時があったのだろうか。
「けどなぁ。その他大勢にどう思われるかなんて、自分じゃどうにもならん事を気にしてたって仕方ないだろ。仮に何か言われたとしても『お前は何様だ』って思っときゃ良いんだよ。他人が言うだけ言って何かしてくれんのかって、そうじゃない。自分の人生を他人の言動や機嫌に振り回される筋合いは無いだろうが」
「う……うん」
「他人の粗探ししているだけの奴だって結局の所は、満たされない自分の内面を他人を見下す事で埋めようと依存しているだけだ。自分より幸せそうな人が許せない、人の人生が気になってしょうがないんだな。意地になってそこに対峙しても負の連鎖を生むだけで、疲れるだけだろ」
「うん」
「そして物事の本質は目に見えるものばかりでは無い様に、“幸せそう”に見える人だって、内面では様々な葛藤を抱えながら日々必死に生きているのかもしれない。そもそも、一生懸命何かに取り組む人や苦労を知っている人は、人を馬鹿になんて出来ないはずだ。……だからこそ同じ時間を使うなら、誰かを応援したり、自分の好きな事、得意な事、やりたいと思う事をとにかくやってみろ。そうしたらそのうちに、そんな他人の薄っぺらい言葉なんてどうでもよくなる。そこを乗り越えたら、強くなれる。ちゃんと成長してんだよ」
「……はは。薄っぺらいって」
「有益な助言ならまだしも、人の人生に余計な口出しするなんて厚かましいとも言えるな。総じて余計なお世話ってもんだ」
テンは真剣な顔をして、改めて透子に向き合った。
「透子。認めたくないだろうが、皆それぞれの使命を果たすためにあえてその環境を選んで産まれてきた。乗り越える試練が大きい程、同じ位幸福があるはずなんだ。だからこそ苦しくて辛くて、どうしようもないと思っても足掻いて、終わらせるのは最終手段にしろってな。――どうせ、皆いつかは死ぬんだ。それなら恨み、辛み、嫉みを抱えて生きるより、自分で今の運命を変えてやるくらいに思って生きてみろよ!」
「か、簡単に言わないでよ!! …………そんな風に生きられたらって、わたしだって、わかってはいるんだよ! ……だけど、また同じ事を繰り返したら? 周りが何も変わらなかったら? 怖かった事や嫌だった事なんて、そう簡単に忘れられない……!!」
それぞれの使命を果たすために、あえてその環境を選んで産まれてきた。
……例えそうだったとしても、心の傷は癒えることなくじくじくと痛んでいる。
母以外と話さない毎日の中で、誰も居ない昼間の部屋に独り。外からは、楽しげにはしゃぐ声が聞こえた。
皆なぜそんなに楽しそうなんだろう。なぜそんなに幸せそうなんだろう。
自分には何が足りないのだろう。自分は、何のために生きているのだろう。
……周りに上手く馴染めない自分は、この世界に必要とされていないのではないか。
『――どうしてわかってくれないの?』
ささいな事で母と喧嘩した。口をききたくない。顔も見たくない。――もう、何もかもうんざりだ。
家から飛び出しアパートの階段を駆け上がると、最上階の手すりを掴み真下を覗き込んだ。
すると何処からか、はらりと白い何かが舞い落ちる。……その白いハンカチを取ろうと手を伸ばし、そのまま――。
あれは事故だった。
しかし落ちる瞬間、透子は思った。思ってしまった。『これで、楽になれる』と……。
「……俺だって、何も簡単に言っているんじゃない。矛盾にもがき苦しんだからこそわかんだよ。恐怖や苦しみを味わった事がある者にしか、理解できない感情はある。そういった背景を少しでも理解しようとする、歩み寄ろうとする者ばかりなら、世の中もっと平和になるんだろうけどな。……けどな、誰かに何かを期待している時点で、それは自分の人生を生きていると本当に言えるのか?」
「え……?」
「人はつい誰かや何かに期待したり、求めたりしがちだ。それが悪い訳では無いけれど、依存になるまで固執するのは苦しくなるだけだ。――透子、自分を一番幸せに出来るのは誰でもない、自分自身だ。そして、自分を守る最後の砦も自分自身。その座を自分以外の誰かに譲っちゃいけない。その人の人生はその人にしか歩めない。自分の人生の主人公は、自分だから」
“自分の人生の主人公は、自分だから”
テンが透子の手首に巻いたハンカチに触れる。すると――過去の情景が、透子の中に流れて来る。
風景が、感情が、透子には鮮明に視えた。
小雨の降る夜の歩道橋。行き交う人々がそれぞれの家路へ向かうのを、手すりに寄りかかりながらただただ眺めていた。
『はは……ダセェな』
青信号に変わり動き出した車のエンジン音に、青年の独り言は掻き消された。
カジュアルな服装に、ハイトーンカラーの無造作ヘア、そしていくつかピアスを開けた……一見チャラそうな青年だ。
しかし、雨に濡れ覇気もなく項垂れた姿は、今にも消えてしまいそうだった。
存在しているのに、確かにそこに居るのに、誰も見向きもしない。
いつも明るく仲間の中心に居る様な人物だからこそ、普段の姿を知る者もこれが彼だとは気付かないだろう。
憎しみや怒り、悲しみがぐちゃぐちゃに入り混じる。
こんな感情を、どうやって吐き出せばいい? 何にぶつければいい?
舐められない様に、傷付かないように。外見を派手に取り繕ってみても、内面は変わらない。
満たされない想いを、心の隙間を埋めてくれる何かを……ずっと、ずっと探していた。
信じていた人から裏切られた事を知り、人生に絶望した青年。
両親の離婚。恋人と友人の裏切り。先輩からの理不尽な嫌がらせに、しつこく付きまとうサークルの後輩、身が入らなくてクビになったバイト。……何もかもが、上手く行かない。
張りぼての自分には、安心出来る居場所も、何もない。
嘆いた所で現実が変わらないのはわかっているが、疲れ果て、とにかく何も考えたくなかった。
そんな時、横断歩道で落とし物を探す女性を見つけた。
存在しているのに、確かにそこに居るのに、誰も見向きもしない。
……泣きそうな顔で必死に探す姿が、何だか自分にとても似ていると思った。だから放っておけなかった。
拾って渡すと、とても嬉しそうに笑うから。
――何故か、自分の方が救われた気持ちになった。
雨なのか、涙なのか。女性が差し出した真っ白なハンカチが、頬を流れ伝う滴を拭い取る。
それから二人は連絡を取り合い、ちょくちょくと会うようになった。
狭いアパートの一室に、スーツ姿に整えられた黒髪、そして塞がりかけているピアスホール。一見すると眼光の鋭い、意志の強そうな青年が居た。
腕の中ですやすやと眠る安心しきった赤ちゃんの寝顔を、青年は最愛の女性と共に眺めていた。
『もう時間か。ほ~ら透子、一緒に会社に行くか〜? ……あー、柄にもなく緊張してきた……。なぁ俺、変じゃねぇ? ネクタイこの色で良いかな』
『……ふふ。うんうんバッチリ、似合ってるよ! ほら、今日の為に頑張ってきたじゃない。大丈夫大丈夫!』
『……おう。よっしゃ、じゃあ行ってくる!』
『はーい、行ってらっしゃい!』
独りじゃない。守りたい者が出来た。
誰かと分かち合う事で、苦労は半分、喜びは倍にとは言ったもんだ。意見の対立はあるものの、そこは互いに譲歩すれば良い。
共に生きるとは、そう言う事だろう。
上辺だけの関係は要らない。無理して付き合う関係も要らない。自分が本当に大切にしたいものが何か、わかったから。
何故自分は何もないと決めつけて居たのだろう。何もないと、可能性がないと誰が決めた?
雨に濡れ、ただ運命を悲観していた頃の自分とは違う。守りたいものの為ならどんな困難も乗り越えられそうな程、強くなれた。
だからいつか、この子にも伝えたい。
困難に立ち向かう時、時に迷い、悩み、苦しく思う事もあるかもしれない。
それでも自分の可能性を信じること、幸せになることを諦めなければ、周りの世界も変わるんだと。
そして何より。
――産まれてきてくれてありがとう、と。……そう、伝えたい。
「…………お父さん」
透子は涙が止まらなかった。
ずっと知りたかった事の答えが、ようやくわかった。
父親の居ない家。一人で遣り繰りする母親と、気力も無く、パジャマのままベッドに横たわりながら何も出来ない自分。
空っぽで、悲観的で、ちっぽけな自分が嫌いだった。
自分は一体何者なんだろう。自分は一体何のために産まれてきたのだろう。
これで良いのだろうか? これが本物なんだろうか? ここが自分の居場所なんだろうか?
失敗したくない。後悔したくない。幸せになりたい。
変わりたいのに変わらない。変わりたいのに、変われない。
こんな矛盾を抱えたまま、いつまでも満たされない心を抱えながら、なんとなく生きていくのだろうか。
そう思うと、迷子になった様な気持ちになる。いつになったらこの迷宮から抜け出せるのだろうか、と。
誰かがここから連れ出してくれるのを……ずっと、ずっと願っていた。
それでも、誰かが自分の人生に責任を持ってくれるわけではない。
進むべき道を教えてはくれても、その先は自分の足で歩かなければならないから。
誰かが変えてくれるのを待っているだけでは駄目なのだ。
自分の人生の主人公は、自分自身だから。
「透子、父さんはお前の人生を共に歩む事は出来ないが、いつだって透子が透子らしく生きられる事を願っているよ。それは、母さんも同じ気持ちなはずだ」
「うん、うん……」
「……苦しみから逃れたくて現世から飛び出したのに、もう一度その苦しみに立ち向かわなければならないっていうのは、本当にきついよな」
「……うん……」
「透子。本当に辛くて苦しい時の乗り越え方、知りたいか?」
「うん、知りたい。教えてお父さん!」
透子は聞き逃すまいと、テンを正面から見上る。そんな真剣な透子の目を、テンも真っ直ぐに見つめ返した。
大きく息を吸い込み、テンは腹の底から辺りに響き渡るような声量で叫んだ。
「自分を褒めて褒めて褒めまくれ!! 動ける元気があれば、運動して汗かいて、そして美味いもん食ってとにかく寝ろ!!」
「………………は、はぁ?」
「ほれ、言霊ってあるだろ? 自分がどう言葉を扱うかによって、人生が変わると思え。何より自分の発した言葉を一番聞いているのは自分自身だ。言葉とどう向き合うかによって人生も変わる。それならいい言葉を使ったほうが良いだろ? ……ああそれと、動けるなら軽く運動して汗を流すといい。運動は、“運を動かす”って書くだろ。行動するにも体力がいる。体を動かしてエネルギーを創り出す事で、物事を動かす力もつくぞ。後はとにかく飯食って何も考えずに寝る!」
「……え。ええーー!? なんか、当たり前すぎない?」
「そりゃそうだ。人間だけでなく、この世に生きる者たちは皆そうやって命を繋いできた。いいか透子、長く言い伝えられている事、続いている事にはそれなりの理由がある。当たり前と思う物事の中にこそ大きな意味があるもんだ。そもそも、お前が当たり前と思うことは、本当に当たり前なのか?」
透子はテンの言葉の意味が解らず、首を傾げた。
「生きていること、生かされていることを、“当たり前”だなんて思うなよ。この世に産まれ、この世の一部として生きている事がどんなに特別な事なのか。誰一人として保証された明日なんて無い。今この瞬間だって、あらゆる事情で死が訪れるかもしれない。寿命、病気、災害、事件、事故。誰もがいつ、人生が終わるかなんてわからないだろ?」
「…………う、ん」
「人生が一瞬で変わることだってあるんだ。それなら何事も無理だと、出来ないと諦める前にまずはやってみる。物事にはタイミングも重要だ。一度“これだ”と決めたら、まずはあーだこーだ考え過ぎずに、とにかくやってみろ。やってみて違うと思ったらその時は方法を変えれば良い。軸が定まっていれば、方法は変わっても根本的な想いは変わらないだろ。小さな一歩で良い、形からでも良い。――全ては、その一歩から始まる」
「全ては一歩から、始まる」
「なぁ透子。一生の内に自分にしか出来ない事をやって、誰かを喜ばせたり幸せな気持ちに出来たなら、その人生はとても価値のある生き方だと思わないか? そしてその誰かってのは、“自分も含めて、誰か”なんだよ」
テンは透子の澄んだ瞳を見つめて問う。その瞳の輝きが、いつまでも曇ることのないように願いを込めて。
「透子、お前はどう生きたい」
「考えろ。どこで誰と、どんな風に生きたいか。そうすれば自ずと、今からどう行動すればいいか見えてくるはずだから。“意識が変われば行動が変わる。行動が変われば人生が変わる。”……現状を何かや誰かのせいにして生きるのは楽だけどな、今のままじゃ不満なんだろ? じゃあ、自分で望む未来を歩きたいなら、考えて考えて考え抜いて、行動してみろ。道に迷った時は、周りに聞け。だけど最終的な判断は自分で決めるんだよ。自分の歩む道を誰かに委ねるんじゃなくてな、自分で選び取って進むからこそ、後悔無く生きられるんじゃないか?」
自分で決める。自分で選び取る。それはとても自由で、とても不安定。それこそ失敗もあるかもしれない。
けれど確かに、誰かから定められた人生をただ生きるなんて、そんなものは自分を生きているとは程遠い。
誰にどう思われようとも、不格好でも、失敗したとしても。
大空を自由に飛ぶ鳥の様に、思い切り羽を広げて飛び立ちたい。
一度きりの人生を、思うように、生きてみたい。
“生きたい。”
その言葉が透子の中でストンと腑に落ちた。
そうだ、自分は生きたかったんだ。
共に泣き、共に笑い、励まし、励まされ、喜びを分かち合い、助け合って。そうやって、生きたかったんだ。
ぽとりぽとりと透子の涙が地面に落ちると、そこから水たまりが広がり、透子の目の前には小さな池が出来た。
水面ににょきりと伸びた茎、その頭に何かの蕾が現れたかと思えば。――ぽん! と音をたて花が開く。
それは池の中心に浮かぶ、大きな大きな蓮の花。真っ直ぐに伸びた美しい白い花の中心、蜂の巣に似た花托の上に、誰かが座っている。
光を纏い、神々しくも、人の形をした誰か。その誰かは、女性とも男性ともつかない不思議な声音で透子に語りかけてきた。
〘――大局を観よ〙
「たい、きょく?」
「……大局とは、物事の全体的な状況に対する判断の事。将棋の棋士は数手先を読んで一手を打つ。あの様に、盤上の流れを見て先を読む事、あらゆる可能性を考え視野を広く持つ事を言う。似た様な意味で“俯瞰して見る”と言う言葉がある。こちらは鳥が空から地上を見渡す様に、物事を遠くから眺めるというものだ。近すぎると一点に意識が行きやすいが、離れて見渡すことで物事の側面、全体像が見えて来る。……問題解決の糸口は、そうしてあらゆる可能性を考える事、少し離れた視点で物事を捉える事で見えて来る事がある」
光の人型は、水面に向け撫でるように手をかざす。すると……池の水面に、ある光景が映し出された。
ベッドに横たわり、チューブに繋がれた昏睡状態の透子。
その隣で祈るように目覚めを待っている、母の姿が視えた。
〘現世と幽世を繋ぐは鏡。――鏡はありのままを映す〙
ありのままを映す。
目の下には隈を作り、疲れた顔で透子に寄り添う母から後悔の言葉と共に、涙が溢れた。
『透子、ごめんね。ごめんね……』
そうだった。……残された側は……そんなに簡単には忘れられない。
もう会えない父を想い、涙する母の背中を知っていたのに。自分が再び同じ思いをさせているのだと気付いた透子は、目の前の光景に胸がきゅっと苦しくなる。
『ねぇ……透子、飛び降りたんだって……』
『わ、私ら別に虐めたわけじゃないし、悪くないよねっ?』
『だよねっ。気付いたら来なくなっただけだし、関係無いでしょ』
対してクラスメイトの様子が映し出されたが、何も変わる様子の無い彼等に、透子はむしろスッキリした。
上辺だけの関係は要らない。無理して付き合う関係も要らない。自分が本当に大切にしたいものが何か、わかったから。
『……ふざっけんな!! あんたらが透子を追い詰めたんだろ! 無視だって立派ないじめだ!! 透子はね、誰かを見捨てたりしない! いつも一生懸命で、優しくて、人の事ばっか心配して……。何で、何で透子がこんな目に遭わなくちゃいけなかったの……?』
『……俺は、後悔してる。冷やかされるのが嫌で挨拶しか出来なかったけど。もっとちゃんと、話せばよかった』
「結葵? 佐藤君?」
明るくて活発な結葵とは、たまたま委員会が一緒だった。クラスも違うし、すれ違えば挨拶と軽い世間話をする程度の仲だったが、人懐っこくて太陽の様な彼女が透子は好きだった。
佐藤君は隣の席で、確かに挨拶程度だったけれど。透子が落とした消しゴムを拾って渡したときの、弾ける笑顔が印象的だった。
誰も自分の味方なんて居ないと思っていた。独りぼっちだと思い込んでいた。
透子自身も周りが見えていなかったのだ。
こうして、自分の為に誰かが怒って泣いてくれる。その事実が、とても嬉しかった。
「透子、まだ間に合う。母さんとの関係も、透子の人生も、ここから幾らでもやり直せるよ」
テンの言葉に透子は涙を拭いて頷いた。
心配をかけてごめんなさい。想ってくれて、ありがとう。そう自分の口で伝えたい。
〘全身全霊で生きよ〙
「え?」
「……魂は核。純度を上げる為に様々に学び輪廻転生を繰り返し、その輝きを増していく。肉体は魂の器。数多の先祖から受け継いで来た記憶を使い繁栄させ、また後世へと受け継いで行く。全身全霊で生きるとは、心と体で感じ、今を生きる事」
「全身全霊で、生きる」
光の人型は透子に何かを差し出す。恐る恐る両手を広げると、コロンと透子の手のひらに緑の実が転がった。
〘何人たりとも汚せない、光はそなたの中にある。全身全霊で生きよ。――お行きなさい〙
光の人型はその姿を球状に変え、弾ける様に消えていった。同時に周囲を春風の様に暖かい風が駆け抜ける。
とりどりの花びらが舞い、肩まである透子の髪もはらりと舞い上がった。
「お父さん。……わたし、お母さんに会いたい。心配してくれる皆に、ごめんなさいとありがとうを伝えたい」
小学生の頃、熱を出して学校を休んだ。
電話で急遽仕事を休むと伝える母が、申し訳なさそうに電話越しの相手に頭を下げていた。電話からは相手の不満そうな声が漏れ聴こえている。
電話を終えた母に透子が声をかけると、ただ母は「大丈夫、心配ないよ」と笑っていた。
「お母さんは生活の為に今まで必死に働いてきたけど、いつも疲れた顔をしてた。そんなお母さんにわがままを言って困らせたくなかったけど……本当は、お互いに本音を言えない事が少しだけ淋しかった。帰ったら、お母さんにわがまま言って、お母さんのわがままも聞くの。一緒に料理を作って、一緒に出かけたい。今なら、そう言える気がする」
少しだけ大人になった今の自分なら、母ともっと支え合っていけるはず。
透子の決意を聞いて、テンは大きく頷いた。
二人は透子が目覚めた川縁に戻ってきた。
川の流れは変わらず穏やかだ。いつか再び透子がこの場所を訪れた時、川の流れはどんな景色を見せるのだろう。
「先程受け取った緑の蓮の実。それを川に投げ入れるんだ」
テンに言われた通り、実を川の水の中にそっと投げる。
水に触れた途端、まあるい葉っぱが次々と浮かび上がり、川の中に蓮の葉で囲まれた円が出来た。
円の中の水は凪いでおり、まるで鏡だ。その水面は不思議な事に……ベッドで眠る透子が映っていた。
「現世と幽世を繋ぐ水鏡だ。……ここを通れば、現世に帰れる」
現世に帰ると言うことは、つまり――。
「ここで、お別れだな」
もう一緒に居られないと思ったら途端に淋しくなって、透子はテンの袴の袖を握り締めた。
「ね、お父さん。また、会えるよね……?」
「そうだな。……透子が会いたいと思ったら、会えるかもな」
テンの答えは曖昧だった。
――確かにこんな風に、共に過ごせるのは二度と無い奇跡なのかもしれない。……それでも。
「……うん、会いたい。また、お父さんに会いたい! ……あのね、わたし……悩んでいる人や困っている人の話を聞いて、一緒に何が一番いい方法なのかを考えてアドバイス出来る様な人になりたい。まだどういう仕事をしたいかとか、どう生きたいかはっきり決まったわけじゃないんだけど。だけど、それだけは決めたの。お父さんと次に会う時は、『私良くやったでしょ?』って報告出来る位立派になってみせるから!」
「……そうか。うん、凄く良いと思う。大丈夫、透子なら出来るよ」
「へへ。そう思えたのは、お父さんのおかげなんだよ! これからはお母さんも、関わる誰かも、……わたし自身ももっと大切にしていこうって思えたの。お父さんはずっと、わたしの事を見守ってくれていたんだよね。……お父さん、ありがとう!」
透子はそう言って心からの笑顔を向けた。そこにはもう、死の影を纏わせた暗い顔の少女はどこにも居なかった。
そんな透子の姿をテンは眩しそうに見つめる。
「……透子。完ぺきじゃなくて良い。無理して頑張らなくても良いけどな。頑張らなくても良いけど、腐るなよ。世界は自分が見方を変えれば必ず変わる。休んでも良い。逃げたって良い。だけど今は辛くてもお前が幸せを諦めなければ、周りの世界も変わるんだ。自分には無限の可能性がある。演じた自分では無い、ありのままの自分で愛されると、自分は無条件に幸せになると信じること。――大丈夫、信じていれば、変わるから」
「透子、まずは肩の力を抜いて。顔を上げて背筋伸ばして、胸張って生きろ! いつか辛かった事も、遠い過去の話に出来るくらいに生きて、いつか父さんにもどんなに素晴らしい人生だったか聞かせてくれよな!」
透子は泣きながら、何度も何度も頷いた。
「透子。産まれて来てくれて、ありがとう。いつも側には居られなくても……ちゃんと、想ってるよ」
テンは透子を勇気づけるように、背中を押した。テンの感情が、透子には伝わってきた。
……例え、側には居られなくても。
君と君の周りが笑顔で溢れていますように。君の未来が明るいものでありますように。
誰よりも、君の幸せを祈るよ。
「まずは肩の力を抜いて。顔を上げて背筋伸ばして、胸張って生きろ! 自分は大丈夫だと、幸せになると、それだけは忘れるな! 透子、母さんの事、よろしくな! ……母さんが待ってる、――行け!!」
「うんっ! お父さん、ありがとう!」
「ああ、幸せになるんだぞ、透子!」
「絶対また会おうね! またね、お父さんっ!」
「ああ、またな!」
テンの姿を目に焼き付け、透子は振り返らずに水鏡の中に勢い良く飛び込む。
一瞬の衝撃の後に、再び揺らめく水の中で漂っている様な、浮遊感を感じた。
優しく温かい、不思議な感覚。揺りかごに揺られた赤ちゃんの様に、眠気がやって来る。
透子の意識はゆっくりと、遠のいてゆく。
――愛してる、と。
透子の意識が途切れる寸前。父の声で、確かに、そう聞こえた。
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目を覚ますと、透子は病院のベッドに横たわっていた。
横たわったままきつく抱きしめられると、母の涙が透子の頬を伝う。母越しに病室の白い天井を見上げながら、透子は帰って来たんだと実感が湧いた。
三階から落ちた事が嘘の様に怪我は軽く、透子はあっという間に退院する事となった。
その後。母と、沢山話をした。
今までの確執を取り去るかの様に、互いの想いを話し合った。
学校の事、将来の事、そして…………父の事。
「そうだったの。透也が……」
アルバムを広げながら、母と二人で語り合う。透子は一枚の写真に目が留まった。
その写真には、若かりし頃の清楚な母と……一見派手でチャラそうな青年が、同じ様な笑顔で幸せそうに並んで映っていた。
……テンの顔に見覚えがあると思っていたのは、自分の顔が父似だからかもしれない。
「……ねぇお母さん、二人全然タイプが違うと思うんだけど、どんなきっかけでお父さんを好きになったの?」
「そうだね。……透也が居なくなった事を認められなくて。思い出すのが辛くて。……透子にはお父さんの話をしなかったね」
両親の写真を見せながら透子が問いかけると、母は痛みを堪えるようにごめんねと小さく呟いた。
「透也――お父さんと一緒に居た時間は、たった三年とちょっとだった。出逢いはお母さんが大学生の頃、バイトで失敗した帰り道の横断歩道で、つまずいて転んだの。雨が降っていたし、皆急いで通り過ぎていく中でね、携帯電話を落としちゃったのよ。疲れてたし、暗くて見つからなくて泣きそうだった。――そうしたらお父さんが、一緒に探してくれたの。……ふふ、正直始めはこんな派手な人とは合わないだろうなと思ったんだけどね。一緒にいる内に気付いたら大切な人になっていた。ご縁って不思議だね」
「うんうん。…………ん? え、それだけ?」
「そう。それだけ。…………でもね、嬉しかった。皆が通り過ぎて行く中で、お父さんだけが気付いて立ち止まって、一緒に探してくれたの。もう“それだけ”で、十分じゃない?」
「…………そうだね。“それだけ”で十分だね」
写真の中の父を優しい眼差しで眺める母に、父への想いが感じられた。
何事もきっかけなんて、ほんの些細な事なのかもしれない。それでもその些細なきっかけが、後に人生を変えることがあるということを透子は学んだのだ。
母はもう一枚写真を取り出し、透子の持つ写真にピタリとくっつける。
少し大きいセーラー服を着た少女とその母親が、どこかよそよそしい様な、硬い表情で写っている。
……それは中学の入学式に撮った、透子と母の写真だった。
母が写真をツンツン突くので、何かと思いよく見ると……。透子の隣に寄り添うように、白い光が浮かんでいた。
「あれ、この光の玉、何? えー、こんなの写ってたっけ!?」
「……見えないだけで、娘の晴れの日に会いに来ていたのかもね。あの人、ああ見えて寂しがりやだから」
「寂しがりやかぁ。んと、あとは面倒見が良くて、心配性?」
「ふふ、そうそう」
「そっか。じゃあ、お父さんが安心出来るようにしっかり生きなきゃね」
透子が写真の中の父を見つめながらそう言うと、どこからか『違うよ』と声が聞こえた。
「…………あ、違った。そうだね、お父さんが教えてくれたのは、『まずは肩の力を抜いて。顔を上げて背筋伸ばして、胸張って生きろ』だった!」
「…………そう。そうだった、あの人は確かにそう言っていた。いい子で居なきゃって、もがいて無理していたのをすくい上げてくれたのは、透也の言葉だったのに。――お母さん、忙しいを言い訳にして、沢山大事な事を忘れちゃってたんだね。いつもイライラして、ちゃんと透子の気持ち知ろうとしていなかった。…………今までごめんね、透子」
「ううん。お母さんが今まで頑張っていた事、わたしちゃんとわかってるよ。わたしこそ、心配かけてごめんなさい」
「……いいの。貴方がこうしてここに居てくれる。“それだけ”でいいの」
そう言って涙を流しながら、母は透子の肩を抱きしめる。
その確かな温もりに、透子も自然と涙が流れた。震える母の背中に手を回し、しっかりと抱きしめ返した。
『二人、仲直り出来たんだ! よかったね〜!』
開けた窓の外からふと、軽やかな子供達の笑い声が聞こえた。
それを聞いた透子と母は顔を見合わせると、同時に声を立てて笑った。
窓辺には、産まれたばかりの透子と両親、三人で写った唯一の写真が飾られている。
その隣に寄り添う様に、花瓶に飾った赤い千日紅と下に敷いた白いハンカチが、柔らかな風を受け優しく揺れていた。
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腹に宿りて十月十日。
その御魂、祝福を授かり己の使命を全うせんと、この地に降り立った。
光を放ち、自分は此処に居ると全身全霊で鳴き叫べ。
その魂の輝きは、光の柱となり天にまで届くだろう。
天の導きはいつでも貴方と共にある。
貴方がいつか気が付くように、ひっそりと。だけど確かに貴方のそばに、貴方の中に、共にある。
だからどうか、忘れないで欲しい。
例え道に迷っても、例え困難にぶつかったとしても、貴方には乗り越え前進する力がある事を。
魂を磨きあい、共に乗り越える仲間がいる事を。
永く永い時を経て、貴方に受け継がれて来たのだから。
今を生きる、貴方の為に。
貴方がこの世に産まれた祝福を。貴方がこの世を生きる、祝福を。
生きとし生けるものたちへ。この佳き日に心からの祝福を。
この作品を見つけて、ここまでお読み頂きありがとうございました(*^^*)
〚十月十日〛、いかがでしたでしょうかー!? ドキドキ……(´・ω・`)
物語を通して、私が伝えたかった事が伝わっていると嬉しいなぁ。
心と体が疲れている時程、正常な判断は出来ないものですね。言わないでいい事も言っちゃったりして後から後悔したり、人の言葉がいつも以上にダメージクリティカルヒットしちゃったり。
どんな人だって、疲れていれば前向きな考えが出来ない事もあると思います。そんな時もある。
とことん悩んで疲れ果て気持ちが落ちて、どん底だと思っても。もう無理と思っても、転機は来ます。私がそうでした。そして人はいつだって変われるとも思うのです。
辛かったり、悲しかったりした事も、いつか貴方が大きく花開く為の養分になるんです。
だからどうか、試練を乗り越えた先に見える景色を、貴方自身で見て欲しいです。
私が現実的な面で心がけているのは、めっちゃ落ち込んだとしてもひとまず現在の状況や事実はそのまま現在点として置いといて、ではそこからどう改善するか、少しでも好転する様な行動を心がける。一つずつ着実にタスクをこなす。何も考えず本読んだりゲームしたり映画観るとか、とりあえず外出する時間を少しでもつくる。苦手な事や出来ない事も多いのですが、まあしょうがない、人間だもの! と時には開き直る。ちょっとした事でも褒める、ご褒美あげる、甘やかすw
寝るのが一番良いのですが、寝付けない場合は軽運動したりツボ押ししたり、好きな香りを活用したり、横になってヒーリングミュージック聞くとかしてますよ〜。
精神状態で生活が物凄く左右されるので、気分転換、発想の転換で山を越える事を心がけています。
私も一人の主人公として、自身が紡ぐ物語を誰かに届ける事、めっちゃ生きてるぞー!! って気持ちになる位、誰かが本気で泣いて笑える物語を創りたい。
それが本当に私のやりたいことだったんだなと思って、創作活動を始めました。
私がこれを書いた意味が、きっとあると信じて。
貴方がこれを読んでくれた意味が、いつかきっとあると信じて。
貴方が自分らしく生きられますように。素敵な人生でありますように。
ここまで読んでくださった貴方に、地球の片隅より愛を込めて、心からの祝福を贈ります(。・ω・。)ノ♡
続きや次回作は活動報告にてお知らせ致しますので、よろしくお願い致します(*^^*)
最後まで読んでくださり、本当に本当に、ありがとうございました!
令和八年・五月
龍福 芽依




