お姫様と化け物王子
「アステル様、殺してはなりません」
静かな声が響く。
ルシウスお兄様だった。
その言葉に、アステル様の魔力がぴたりと止まった。
侵入者の身体は胸元まで凍りついたまま。
あと少し力を込めれば、命さえ奪える状態。
それでもアステル様は振り返らなかった。
「どうして」
白い息が零れる。
「聞きたいことがたくさんありますので、そのあとのことはまた後程」
笑顔を浮かべるルシウスお兄様だがその声はひどく冷たかった。
怒っている。静かに、深く。
侵入者もそれを感じたのだろう。
凍りついた顔を引きつらせながら笑う。
「ははっ、怖いですねぇ」
「当然でしょう」
アステル様は淡々と返した。
「私の客人に刃を向けたのですから。衛兵」
アステル様が短く呼ぶ。
ようやく氷から解放された護衛たちが慌てて駆け寄った。
「地下牢へ。尋問は後ほど行います」
「はっ!」
拘束用の魔道具が取り付けられていく。
侵入者は抵抗しなかった。
いや、できないのだろう。
全身が凍りつき、魔力まで封じられている。
けれど連行される直前、侵入者は私を見て、にたりと笑った。
「逃げられませんよ、お姫様」
『っ』
息が詰まる。
「あなたみたいな存在を、恐れる人間は必ず現れる」
ぞわり、と背筋が冷えた。
「黙れ」
エリオットお兄様が侵入者の喉元に剣先を向けながら言い放った。
「それ以上喋るな」
エリオットお兄様から出るただならぬ気配に衛兵たちは青ざめながら侵入者を連れていく。
廊下に残ったのは、張り詰めた空気だけだった。
しん、と静まり返る。
「リリィ」
優しい声が静寂を切り裂いた。
振り返ると、セレナお姉様が心配そうに私を見ていた。
「怪我は?」
『だ、いじょう、ぶ』
答えながらも、声が少し震える。
怖かった。
けれどそれ以上に、頭から離れない。
前世の絵本には、こんな話はなかった。
『……っ』
不安で胸がいっぱいになった瞬間。
ふわり、と冷たいものが頬へ触れた。
『え?』
顔を上げるとアステル様だった。
いつの間にかすぐ目の前に立っている。
白い手袋越しの指先で、頬についたガラス片を取ってくれていた。
「怪我をしています」
『へ…?』
アステル様の指先を見ると、小さく血が滲んでいた。
気づかなかった。
『あ…』
「申し訳ございません」
『そんな!かすり傷です、これぐらい普段している怪我に比べたらかわいらしいものです!』
そういうとアステル様は寄せていた眉の力を抜いた。
その表情は、さっきまでとはまるで違った。
どこか困ったような。
心配しているような顔。
「怖がらせてしまいましたね」
『え?』
「私の魔力です」
静かな声だった。
「よく、怖いと言われるんです」
胸の奥が、ちくりと痛んだ。
確かに怖かった。
圧倒されるくらい強くて、冷たくて。
近くにいるだけで息が詰まりそうになる。
『でも』
気づけば口が動いていた。
『アステル様、助けてくれた』
金色の瞳が、わずかに見開かれる。
『だから、怖いだけじゃないです』
そう言うと、アステル様はしばらく黙っていた。
やがてふっと、ほんの少しだけ笑った。
昨夜見た完璧な笑みじゃない。
今朝の柔らかな笑みとも違う。
力が抜けたみたいな笑い方だった。




