お姫様と侵入者
アステル様の金色の瞳が、まっすぐ私を捉えた。
どくん、と胸が鳴る。
昨日感じた、あの圧倒されるような魔力。
近くにいるだけで、胸の奥の闇魔法が落ち着かなくなる。
アステル様はふわりと目元を和らげゆっくりと口を開いた。
「本日の装い、とてもお似合いですね」
『え?』
思わず間の抜けた声が漏れる。
するとアステル様は少しだけ首を傾げた。
「雪の結晶の髪飾りも、ノルディアの景色によく映えています」
そう言われて、反射的に髪へ触れる。
セレナお姉様がつけてくれた髪飾り。
褒められると思っていなかった私は、どう返していいのか分からなくなった。
『あ、ありがとう…ございます?』
疑問形になってしまった。
しまった、と顔が熱くなる。
隣でエリオットお兄様が小さく吹き出した。
「お前なぁ…」
「ふふ」
驚いたことに、アステル様まで笑った。
昨夜見た完璧な微笑みじゃない。
少しだけ年相応の、柔らかい笑い方だった。
「リリオール姫は面白い方ですね」
『お、おもしろ……』
褒められているのか分からない。
困っていると、ルシウスお兄様が穏やかに口を開いた。
「妹は思ったことが顔に出やすいんです」
「えぇ、伝わってきます」
アステル様はそう言って、じっと私を見る。
その視線に、また胸がざわついた。
まるで見透かされているみたいで落ち着かない。
でも昨日みたいな“怖さ”とは少し違った。
「?」
不思議に思っていると、アステル様がふと目を細めた。
「疲れてはいませんか?」
『へ?』
「ノルディアの防寒具は重いでしょう。慣れないと疲れてしまいますから」
その言葉に、エリオットお兄様がぴくりと眉を動かした。
「妹のことをよく見てくれているようで、」
「先ほどから少し肩が下がっていますのでもしかして、と」
アステル様はさらりと言う。
言われてみれば確かに、慣れない服装で肩が凝っていた。
『よく見てる』
ぽつりと零すと、アステル様はなぜか少し嬉しそうに微笑んだ。
「観察は得意なんです」
和やかな空気に包まれ、会場に向かおうとルシウスお兄様が言った時だった。
――ぞわり。
胸の奥の闇魔法が震える。
反射的に廊下の窓へ視線を向けた。
白い雪。
吹き荒れる風。
遠くの尖塔。
その影に、一瞬だけ黒い外套が見えた気がした。
『っ!』
息を呑む。
「リリィ?」
セレナお姉様の声。
けれど返事をするより早く、アステル様の表情が変わった。
す、と金色の瞳が細められる。
今までの柔らかな空気が消えた。
凍った湖みたいな、静かな冷たさ。
「衛兵!!」
アステル様が叫んだその瞬間。
―ガンッ!!
轟音と共に窓ガラスが砕け散った。
『きゃっ!?』
吹雪が一気に流れ込む。
銀色の破片が宙を舞った。
黒い影が窓から飛び込んでくる。
「ごきげんよう、アルカンティア国第二王女殿下」
『え…』
窓のふちに乗り、私を見下ろす黒い瞳。
肌が裂けそうなほど鋭い魔力。
瞬間、ルシウスお兄様が私を抱き寄せた。
「リリィ、伏せろ!」
同時に、アステル様の周囲で白銀の魔力が爆発する。
――パキパキパキッ!!
空気そのものが凍りついた。
駆け付けた護衛たちの足が凍り付き動けない中、侵入者はひょいと避けて凍り付いた廊下の上に立った。
『……!!』
息を呑む。
速い。侵入者もだが、アステル様の魔法があまりにも強く速かった。
それでも侵入者はわかっていたかのように不敵な笑みを浮かべて私から視線をそらさない。
「まさか本当にいるとは思いませんでしたよ」
侵入者はくつくつと喉を鳴らした。
黒い外套の裾が吹雪に揺れる。
フードの奥から覗く瞳は、獲物を見つけた獣みたいにぎらついていた。
「“二属性持ち”のお姫様」
『っ……!』
背筋が凍る。
「貴様、誰の差し金だ」
エリオットお兄様が剣へ手をかける。
空気が張り詰めた。
けれど侵入者は笑ったままだった。
「俺は約束は守る男なので、それは教えられません」
次の瞬間、凄まじい殺気が廊下を満たした。
『…!』
思わず肩が跳ねる。
けれどその殺気は、侵入者のものじゃない。
アステル様だった。
「リリオール姫が狙いか」
静かな声。
けれど空気が凍る。
文字通り、廊下の床が白く染まっていく。
金色の瞳が、冷え切っていた。
「星冠の儀の前によくもまぁ」
ぞくり、と肌が粟立つ。
昨夜感じた“怖さ”の正体。
圧倒的な魔力を持つ者特有の、絶対的な威圧感。
侵入者もそれを感じたのだろう。
ぴくり、と口元が引きつった。
「…はっ、噂以上か」
それでも挑発するように笑う。
「ノルディアの化け物王子」
瞬間。
空気が、割れた。
――バキィンッ!!
侵入者の足元から巨大な氷柱が突き上がる。
「っ!」
侵入者は後方へ飛ぶ。
けれど避けきれない。
外套の端が凍り付き、砕け散った。
圧倒的だった。
速すぎて魔法が発動したのすら見えなかった。
「リリィ、こっちへ」
セレナお姉様が私を庇うように抱き寄せる。
けれど視線が離せない。
侵入者は窓枠へ着地すると、忌々しげに舌打ちした。
「面倒ですねぇ。王子殿下まで本気になるとは」
「当然でしょう」
アステル様は静かに一歩前へ出る。
その瞬間、吹き込んでいた雪がぴたりと止まった。
いや、違う。
凍っていた。
空中の雪片すべてが、静止していた。
『!』
息を呑む。
こんなの、魔法というより災害だ。
「アルカンティアの客人に手を出した時点で、あなたはノルディアへの宣戦行為をした」
穏やかな声音。
なのに、怖い。
侵入者も本能では理解しているのだろう。
額に冷や汗が滲んでいた。
けれど次の瞬間、侵入者の視線が、私へ向いた。
「ですが目的は果たせそうだ」
『え…?』
ぞわり、と胸の奥が冷える。
侵入者は笑った。
「その子は危険すぎる」
黒い瞳が、まっすぐ私を射抜く。
「闇と光を同時に宿すなど、存在してはいけない」
胸の奥の闇魔法が脈打つ。
「放っておけば災厄になる。だから今、ここで」
その瞬間。
「黙れ」
空気が震えた。
見たことない顔をしたルシウスお兄様の声だった。
いつもの優しい笑顔とは違う。
瞳に、冷たい怒りが宿っていた。
「今の言葉をもってアルカンティア国への宣戦布告ととる」
瞬間。
――ゴォッ!!
白銀の魔力が吹き荒れる。
吹雪みたいな冷気が廊下一帯を飲み込み、侵入者の身体を一瞬で凍りつかせた。
「が、ぁっ……!?」
今度は避けられない。
指先、腕、肩。
みるみる氷に閉ざされていく。
『アステル、様……』
怖い。
なのに、どうしてだろう。
今は少しだけ、その背中が頼もしく見えた。




