お姫様と旅支度
ノルディアへ向かうことが決まってからの王宮は、どこか慌ただしかった。
「北はまだ冷えますので、防寒具を増やしたほうがよろしいかと」
「こんな防寒具でリリィ様が風邪でも召されたらどうする、五日も滞在するんだぞ」
『五日”も”ではなく、五日”だけ”よアル。そんなやわな身体はしていないから安心してちょうだい』
「何をおっしゃいますか、こういうことは先の先を見据えて準備するものですわ」
アルとマリーの過保護な言葉に私は苦笑いを浮かべ、ベッドの上に並べられたマントを見比べていた。ノルディア国は年中雪の降る銀世界。
絵本の中では“白銀の国”とだけ書かれていた場所。
実際にはもっと厳しい土地なのだと、お兄様が言っていた。
『……ほんとうに雪がいっぱいあるの?』
「えぇ、この時期でも山間部は人が立ち入れないほどの雪が残っていますよ」
レオが荷物をまとめながら答える。
「アルカンティアとは気候がかなり違いますから。風邪を引かないようにしてくださいね、姫様」
『だから大丈夫だって…』
子ども扱いされた気がして頬を膨らませると、レオが小さく笑った。
「そういう顔してると、またエリオット様に子どもだって言われますよ」
『レオもそうやって揶揄うのね!』
抗議すると、部屋の扉がノックされる。
「リリィ、入るぞ」
返事をする前に扉が開き、エリオットお兄様が姿を見せた。
今日も騎士服姿で相変わらず毎日訓練を欠かさずしているようだ。
『お兄様、レディの部屋にそうずけずけと入るものではありませんわ。ノックの意味、わかっていらっしゃいます?』
「返事待ってたら日が暮れる。それにデビュタントも迎えていないレディなど知らん」
(デビュタントを迎えていないのはお兄様も一緒でしょう?)
今にも飛び出しそうな拳を必死に抑える。
当然のようにソファへ腰を下ろしたお兄様は、テーブルの上に置かれていた旅程表を手に取る。
「出発は三日後。馬車で国境まで向かって、その後はノルディア側の迎えと合流する」
『遠いのね』
「帝国内とはいえ別の国だからな」
ぱらり、と紙をめくりながら足を組んだお兄様は紅茶を一口啜った。
「まぁお前は初めての国外だし、浮かれるのも無理はないか」
『浮かれてなんて』
「浮かれてるな」
『浮かれてない!』
即答すると、お兄様は呆れた顔をした。
お兄様に向かい合うようにソファーに座るとマリーが紅茶を出してくれた。
「ほら、顔に書いてある」
『お兄様の意地悪!』
じたばたすると、レオが後ろで肩を震わせている。
『レオ!』
「失礼いたしました」
振り返り見たレオは笑いを必死にこらえ全然反省していない顔だった。
「で、リリィ」
ふいに、お兄様の声色が少しだけ変わる。
「ノルディアでは、あんまり一人で動くなよ」
『え?』
予想外の言葉に目を瞬かせる。
「アルカンティアとは違う。お前が“光と闇の二属性持ち”だって話は、もう帝国内に広がってる」
その言葉に、部屋の空気が少しだけ静かになった。
「友好的なやつばかりじゃないってことだ」
お兄様はそれだけ言って、視線を逸らした。
私はぎゅっと膝の上の布を握る。
わかっていたことだ。
王宮の外へ出れば、もっとたくさんの人がいる。
絵本みたいに優しい人ばかりじゃない。
“特別”は、憧れだけじゃなく恐れも呼ぶ。
『…うん、気をつける』
小さく頷くと、お兄様は少しだけ安心したように息を吐いた。
「ならいい」
その時だった。
コンコン、と再び扉が叩かれる。
『どうぞ』
「失礼いたします。セシル様がいらっしゃいました」
『うそ、もうそんな時間?』
慌てて時間を確認すると授業の時間になっていた。
旅支度に夢中になってしまっていたと慌てて髪を整える。
「セシル…あぁ、宮廷魔法師の」
『私の魔法の先生よ、とっても素敵な方なの』
「…はっ、宮廷魔法師なんてなよなよした細い奴ばっかだろ」
騎士団と魔法師団はいつもいがみ合っている。
剣や拳で戦う騎士と知識や魔法で戦う魔法師は馬が合わない様子。
騎士団に所属するお兄様も宮廷魔法師たちのことをあまり好いてはいないよう。
『お母様にルシウスお兄様、セシルお姉様は魔法が得意だけど?』
「僕は宮廷魔法師が好かないだけで魔法を好かないわけじゃない。あいつらいっつも僕のことを魔法でバカにして…」
わなわなと怒りに震えるお兄様は個人的に魔法師と何かあったらしい。
触らぬ神に祟りなし、触れないでおこうと決めた。
『私は授業なので、失礼しますお兄様』
「いや、僕も行く」
『…はい?』




