お姫様と怖いもの
『知りたい、と思う…』
小さく繰り返すと、セシル様は頷いた。
「えぇ。恐れるだけでは、何も前に進みませんから」
その言葉は、すとん、と胸の奥に落ちた。
前世の私は、ずっと“怖い”と隣り合わせだった。
明日が来るか。
また痛い治療があるのか。
ちゃんと生きられるのか。
でも今の私は、“知らない”を怖がってばかりじゃだめなんだ。
『……私、頑張ります』
そう言うと、セシル様はふっと優しく笑った。
「その意気です。では次にいきましょう」
彼は机の上に新しい紙を広げた。
そこには複雑な魔法陣が描かれている。
「魔力には“流れ”があります。川のようなものです」
『川?』
「えぇ。せき止めれば暴れ、無理やり動かせば壊れる」
細い指先が魔法陣をなぞる。
「だから大切なのは、“流す”ことです」
動かすものでも止めるものでもなく、流れに任せる。
それはまるで、無意識に出てくる感情のようだと思った。
『……セシル様』
「はい」
『魔法って、気持ちみたいですね』
私の言葉に、セシル様は少し驚いた顔をした。
けれど次の瞬間、どこか嬉しそうに目を細める。
「鋭いですね」
ぱちん、と本を閉じる音。
「その通りです。特に光属性は感情との結びつきが強い。光魔法は“願い”に呼応します。守りたい、癒したい、愛しい。そういう感情に」
そこまで言って、セシル様は少しだけ言葉を止めた。
「……ですが闇魔法は逆です」
空気が、ほんの少し静かになる。
『逆?』
「怒り、悲しみ、不安、孤独。負の感情に強く反応する傾向があります」
胸が、ひくりと揺れた。
前世の最期を思い出す。
怖かった。苦しかった。消えてしまうのが嫌だった。
あの感情が、今もどこかに残っている気がして無意識に、自分の手をぎゅっと握る。
その時、手に触れていたインク瓶の周囲に、黒い靄のようなものが一瞬だけ揺らめいた。
『っ!』
慌てて手を離す。
インク瓶は何事もなかったように静止した。
部屋が静まり返る。
マリーが息を呑み、アルの表情もわずかに険しくなる。
レオは腰に刺さる剣に手をかけてこちらを見ていた。
けれどセシル様だけは、静かに私を見ていた。
「今の感覚、覚えていますか?」
怒られない。責められない。
それがわかって、少しだけ震えが収まる。
『……こわ、かったです』
正直に言うと、セシル様はゆっくり頷いた。
「では、まず最初の課題です」
彼は椅子から立ち上がった。
「自分の感情を知ること」
窓から差し込む光が、深緑色の髪を照らす。
「光も闇も、リリオール様の一部です」
その声は穏やかで、でもどこか力強かった。
「否定してはいけません」
陽の光に輝くエメラルドの瞳が私を見つめる。
受け入れなさい。そう言われた気がした。




