第8話 うちは並んだ順だ
視察の翌々日、日暮れ前に屋台へ戻ると、白線の内側に人が並んでいた。
開店前の列。初めてのことだった。先頭は仕事上がりらしい探索者が三人、その後ろに買い物袋を提げた主婦がひとり、背広がひとり。数えて七人。まだ暖簾も出していない。
「悪いが、火が入るまであと十分かかる。座れる人は座って待っててくれ」
言いながら、頭の中で段取りを組み替えた。
七人。雑炊はすぐ出る。丼は焼きに時間を食うから、注文をまとめて一気に焼く。定食の魚は焼き上がりまで八分、なら最初に火に乗せる。先に全員の注文だけ聞いて、出す順番は俺が決める。待たせる客には茶と、時間の見当を先に言う。「あんたのは五分後だ」と言われた客は、五分待てる。何も言われない客は、二分で苛立つ。
向こうで千人の列を回してた頃と、やることは変わらない。列の長さを見て、鍋の中身と手数を割り付ける。それだけの話だ。
暖簾を出す前に、木札を一枚増やした。本日の品と、出せる数と、売り切れ時分の見当。列に並ぶ人間が一番知りたいのは値段じゃない。自分の番まで残ってるかどうかだ。先に書いておけば、無駄に並ばせずに済む。
火が入って、最初の五人を七分で捌いた。主婦は品書きの前でしばらく迷って、遠慮がちに訊いてきた。
「これ、持ち帰りって、できるのかしら。うちの人と娘の分」
「できる。容れ物代で十円もらうが」
「じゃあ、角猪の生姜焼きを三人前。……あの、変な肉じゃないのよね?」
「変な肉だ。ただし、うまい変な肉だ」
主婦は笑って、三人前を提げて帰った。ああいう客が明日も来るかどうかで、店の寿命は決まる。探索者は仕事場が近いから来る。主婦は、うまくなきゃ二度と来ない。
途中で、装備のいい男が列の脇から直接カウンターに来た。見覚えのある型の防具だ。久保田のやつとは、値段の桁が二つ違う。
「B級の登録証がある。先に頼めるか。急いでてな」
「うちは並んだ順だ。等級は関係ねえ」
「……時間がないんだが」
「なら雑炊にしとけ。並んでる間に炊ける。列の最後尾で五分だ」
男は登録証を出しかけた手を止めて、少しの間、俺の顔を見ていた。それから何も言わずに最後尾へ回った。
五分後、雑炊をかき込んで、男は「悪かったな」とだけ言って金を置いた。
「あんた、いい装備だな。B級ってのは、階層でいうとどの辺まで潜る」
「中層の主戦力ってところだ。……なんだ、探索者に興味があるのか」
「客の仕事場には興味がある。中層帰りの腹の減り方と、浅層帰りの腹の減り方は違うんでな。次から顔を見て火加減を変える」
男は変な顔をして、それから初めて笑った。翌日から、そいつは並ぶ側の常連になった。列ってのは、守られてるところにしか人は並ばない。
◇
仕込みの方は、別の問題が起きていた。
素材の持ち込みが、捌き切れなくなってきたのだ。夕方の仕込み中に三組がばらばらに来る。そのたびに手を止めて、肉を検分して、値をつける。ありがたい話だが、このままだと仕込みが夜に食い込む。
「大将、それ、俺がまとめるっす」
丼を待ちながら久保田が手を挙げた。
「持ち込みたい奴の連絡、全部俺が受けるっす。で、時間決めて、まとめて持ってくる。夕方五時、一日一回。査定は大将がやって、金の受け渡しと帳面は俺がつける。手数料とか要らないんで。あ、でも賄いは食いたいっす」
「賄い付きの番頭か。安い買い物だな」
「番頭。番頭っすか、俺」
久保田が妙に嬉しそうに背筋を伸ばした。
その日のまとめ持ち込みに、見慣れない魚が一匹交ざっていた。体長六十センチ、全身が瓦みたいな硬い鱗で覆われている。鎧魚。ダンジョンの地下水路に湧くやつで、向こうじゃ川筋の兵の貴重な蛋白源だった。釣った本人も持て余していたらしく、久保田の帳面には「値段不明・大将判断」と書いてある。番頭の判断は正しい。
「これ、包丁が通らなくて、みんな魔石だけ抜いて捨てるんすよ」
「鱗と鱗の継ぎ目に、刃を寝かせて入れるんだ。見てろ」
出刃の先を継ぎ目に当てて、滑らせる。二枚目の鱗の下から、白い身が現れた。力はいらない。場所だけの仕事だ。周りで見ていた探索者たちから、妙な感嘆の声が漏れた。
「肝は捨てるなよ。湯引きして塩を振ると、酒飲みが泣く味になる。骨は焼いて出汁だ。鱗は」
「鱗も何かになるんすか」
「向こうじゃ鎧の補修材だった。こっちじゃ、まあ、ゴミだな。全部使える魚ってのは滅多にいない。八割使えれば上等だ」
その晩の定食は鎧魚の塩焼きになった。皮目の脂が炭に落ちるたび、じゅ、と音がして、列の会話が一瞬止まる。焼き魚の音は、どこの世界でも人を黙らせる。
久保田は帳面を広げて、初仕事の記帳をしていた。誰から何をいくらで買ったか、一行ずつ、定規で線まで引いて。眼鏡の相棒に書き方を教わったらしい。番頭の帳面は、初日から几帳面だった。
◇
同じ夜、機構県支部の会議室では、次回遠征の予算会議が続いていた。
スクリーンに映る予算表の、装備更新費の欄には赤い増額の矢印が並んでいる。討伐数は予算の言葉だ。矢印は誰も削らない。
議題の最後、企画管理課長の柴田は、赤ペンで一つの費目を消した。遠征時食糧環境改善費。若手隊員の連名で上がってきた要望書に基づく、温食提供設備の試算だった。
「討伐装備の更新を優先します。食事は各自携行で十分でしょう。ええ、前回もそれで戦果は出ておりますので」
要望書を出した若手隊員は、会議室の末席で自分の靴先を見ていた。
「よろしいですか」
渉外課の小野寺が手を挙げた。遠征後の体調不良報告がこの半年で三倍に増えている、装備より先に食事環境の検証を、という趣旨を、数字を三つ挙げて二分で述べた。
柴田は眼鏡を直して、穏やかに応じた。
「貴重なご意見です。ただ、体調管理は個人の責任範囲かと。ええ、規則にもそうありますので」
議事録には「所管外の発言あり」とだけ残った。数字は三つとも、残らなかった。
散会の後、第一討伐部隊長の鏑木蓮司は、廊下で部下を一人呼び止めた。
「桜台の駅前に、ダンジョン産の肉を出す屋台があるらしいな」
「はい。探索者の間で評判の。確か、店主は元機構の」
「知っている」
鏑木は歩調を変えずに言った。
「桜台の屋台の件、調べておけ」




