第7話 おかわりは規約違反ですか
視察ってのは、書類を眺めに来るもんだと思っていた。
翌日の夕方に現れた小野寺は、開口一番、列の人数を数え始めた。
「十七時十分、待ち三名。提供までの時間を計ります」
ストップウォッチまで持っている。俺が丼を出すたび、手帳に数字が増えていく。
列に並んでいた久保田が、直立不動になっていた。
「き、機構の人すか。俺、なんも悪いことしてないっす」
「存じています。買い取りの件の聞き取りは、後ほどお願いするかもしれません」
「か、買い取り。あれ、駄目なやつなんすか。大将が捕まるやつなんすか」
「久保田。飯が冷める」
「食うっす」
現金なもので、丼が来たら黙った。小野寺がその食いっぷりまで手帳に書いている。何の数字になるのかは知らんが。温度計を汁に差していいかと訊くから、どうぞと返した。八十二度、と読み上げる声に、少しだけ感心の色が混ざった。
「配膳温度の目安をご存じですか」
「知らんが、火傷せずに一気に飲める温さってのがある。汁は熱すぎても残される」
「感覚で八十二度を出してるんですか」
「毎日出してりゃ、手が覚える」
質問は仕入れに移った。ここからが、まずかった。
「仕入れ台帳を見せてください」
「ない」
「では納品書の控えを」
「市場の分はある。箱に入ってる」
「箱」
「その箱だ」
レシートを突っ込んである缶を見て、小野寺の眉間に皺が寄った。悪気があって溜めてるわけじゃない。読めるし、覚えてる。先週の玉葱の値段も、今日の米の残りも、全部頭に入ってる。ただ、紙をまとめて誰かに見せる形にしたことがないだけだ。
「では、口頭で。昨日の提供数は」
「丼が十一、雑炊が四、炊き込みが十三、汁物が九。茶はただだから数えてない」
「一昨日は」
「丼八、雑炊五、定食六。鎧魚が売り切れて、後の三人には角猪に替えてもらった」
小野寺のペンが、俺の顔と手帳の間を二往復した。
「台帳、頭の中にあるんですね」
「千人分の飯を紙で数えてたら、向こうじゃ夜が明ける」
「肉と茸の納品書は」
「あれは納品書がない。探索者から直接買ってる」
手帳の上で、ペンが止まった。
「ダンジョン産素材を、直接買い取って、提供している」
「ああ。角猪と、茸をいくつか」
「下処理は」
「全部こっちでやる。血抜き、毒抜き、加熱。向こうで十年やってた仕事だ」
小野寺は何かを書きかけて、書かずに手帳を閉じた。閉じ方が、ぱたん、じゃなく、そっとだった。閉じ方ひとつで、事の重さが伝わった。
その時、腹の音が鳴った。
俺のじゃない。小野寺の腹だった。本人は聞こえなかった顔で手帳を開き直したが、続けてもう一度鳴った。
「あんた、今日、何食った」
「職務中です」
「訊いたのは飯の中身だ」
「……ゼリー飲料を、一本」
「昨日は」
小野寺は答えなかった。答えないのが答えってこともある。目の下の隈と、締めた覚えのなさそうなベルトの穴を見りゃ、大体の察しはつく。
「まあ、座れ。話は食ってからだ」
「視察中の飲食は」
「視察だろう。うちの商品を検査しないでどうする」
麦飯と、野戦スープを出した。
干し肉と屑野菜の、向こうで千人に出してた汁だ。疲れた腹に脂は重いから、表面の脂は引いてある。麦飯は消化に時間がかかるぶん、腹持ちがいい。徹夜明けの身体には白飯より麦だ。
小野寺は湯気を一度見て、それから箸を取った。
早口が、止まった。
一口目で止まって、二口目からは何も言わなくなった。手帳は閉じたまま、ストップウォッチも止まったまま。れんげと箸だけが動いて、時々、思い出したように麦飯へ戻る。食い終わるまで、きっかり七分。その間、役所の言葉はひとつも出なかった。
空になった椀を置いて、小野寺は俺を見た。
「……おかわりは、規約違反ですか」
「うちの規約にはない」
二杯目は五分で消えた。
「三年前の氾濫のとき、避難所の運営補助をやっていました」
二杯目の椀を両手で包んだまま、小野寺は言った。
「体育館に四百人。物資は足りてたんです。数字の上では。毛布も、パンも、水も。でも苦情と喧嘩が毎晩絶えなくて。私、当時は記録係で、苦情の件数を毎日数えてたんです。それが、炊き出しの業者さんが入って温かい豚汁が出た日だけ、ぴたりと止む。翌日、業者さんが来ないと、また増える。グラフにすると豚汁の日だけ谷になるんですよ。上司に見せたら、偶然でしょうって笑われました。私、あれがずっと、数字で説明できなくて」
「腹が減ってると、人間ろくなことを考えねえからな」
「今の、報告書に書けない種類の正しさですね」
小野寺は椀の底を見て、それから顔を上げた。仕事の顔に戻っていた。
「真田さん。正直に申し上げます。ダンジョン産素材の飲食提供は、特例許可のない現状では、摘発の対象になり得ます」
「摘発」
「素材の安全性を確認する制度が、まだ機構にないんです。制度がないものは、役所では『駄目』と同じ扱いになる。あなたの下処理がどれだけ確かでも、です」
「特例許可ってのは、何をすりゃ下りる」
「規約上は、衛生・安全・地域への有益性を審査して支部長が判断します。ただ、申請された前例が一度もありません。様式すら、たぶん埃をかぶってます」
「前例がないと、役所は動かんだろう」
「動かない役所を動かすのが渉外課です。少なくとも、私の考える渉外課は」
「食った上で言ってるのか、それは」
「食った上で言っています。だから、悔しいんです」
小野寺は伝票の代わりに千円札を置いて、お釣りは要らないと言い張って、結局きっちり釣りを持たされた。立ち上がる時、寸胴の横を通って、ふと足を止めた。
「この鍋、仕込みは何時ですか」
「昼前だ」
「六時間前ですか。火は、ずっと点けてました?」
「弱火にしたり消したりだな。それがどうした」
「いえ。温度の落ち方が、うちの給湯室のポットより優秀だなと思って」
数字の人間ってのは、妙なところに引っかかる。鍋なんて、そんなもんだろうと言うと、小野寺は「そんなもんですかね」と首を傾げたまま、手帳に小さく何かを書いた。
帰り際、一度だけ振り返った。
「この屋台は、この街に要ります。だから、正規の手続きで守りたい。特例許可の前例を、私が作ります」
「あんたが、か」
「渉外課の仕事です。それと——」
夜気の中で、小野寺の声が半段だけ低くなった。
「機構の中に、この屋台を潰したがっている人がいます。急ぎます」




