第6話 その茸、触るな
「大将ー、今日は肉じゃないっす。茸、めっちゃ採れたんで」
夕方、久保田が仲間と担いできたのは、段ボール箱いっぱいの茸だった。得意げに箱を開けて、中へ手を突っ込もうとする。
その腕を、俺は掴んだ。
「触るな」
「え」
「半分は毒だ」
自分でも、声が硬くなったのが分かった。久保田と、後ろの槍持ちが同時に一歩下がる。
箱の中には三種類が交ざっていた。笠の裏が乳白のやつ。全体が飴色のやつ。そして笠の縁にだけ、紫の細い環が入ったやつ。厄介なのは三つ目だ。
「乳白のは食える。飴色のは出汁が出る、いい茸だ。で、この紫の環のやつ——彷徨茸っていうんだが、こいつは毒抜きせずに食うと三日は立てなくなる。汁に触った手で目をこすっただけでも腫れる」
「うわ」
槍持ちが箱から飛び退いた。
「で、でも大将、匂いはこいつが一番いいんすよ。焼いたら絶対うまいやつの匂いなんすよ」
「実際、一番うまい。毒さえ抜けばな。向こうじゃ兵の常食だった。抜き方を知らん新兵が丸齧りして、三日、医務の天幕で唸ってたこともある」
「三日」
「三日だ。あんたらも、山で腹が減っても生半可な知識で口に入れるな。茸と貝は、知ってる奴の顔を思い出してからにしろ」
「見分け方、教えといてやる。笠の裏を見ろ。乳白のやつはヒダが細かくて、指で押すと弾く。飴色は笠が乾いてて、割ると胡桃の匂いがする。彷徨茸は、嗅いでみろ。遠くからだぞ」
久保田がおそるおそる鼻を近づけて、目を見開いた。
「焼き栗の匂いがするっす」
「それが罠だ。うまそうな匂いの毒ってのが、山には結構ある。逆に、乳白のやつは生だと雑巾くさい。火を通すと化ける」
「雑巾……あ、ほんとだ。これ絶対まずいやつの匂いっす」
「それが化けるんだ。面白えだろう」
槍持ちが調子に乗って飴色を素手で掴み、それは触っていい方だと教えると、今度は乳白まで箸でつまみ始めた。用心と雑の間ってのを、若いのはなかなか覚えない。
三人がかりで選り分けた。乳白と飴色で箱半分、彷徨茸で箱半分。眼鏡の荷運びが手帳につけていた数を読み上げる。
「彷徨茸、二キロ強っすね。これも、買い取りって形になるんすか」
「なる。毒抜きの手間賃を引いて、飴色の半値だ。それでも捨てるよりましだろう」
「大将、うちら茸で飯食えるようになるんすけど」
探索者の稼ぎは魔石頼みで、魔石は運頼みだと久保田が言っていた。茸は運じゃなく目で採れる。日銭の底が一段上がる話だ。
「ただし条件がある。彷徨茸は必ず籠を分けろ。他の食いもんと一緒に運ぶな。汁が移る」
「うす。籠、分けます」
眼鏡が手帳に「籠を分ける」と書き取っていた。ああいう几帳面なのが一人いると、取引ってのは長続きする。
流しに塩水を張って、彷徨茸を笠を下に沈めた。
半刻もすると、環の紫が水に溶け出して、水全体が薄い藤色になる。これを捨てて、たっぷりの湯にくぐらせて三十数える。数えすぎると香りごと抜けるから、三十で上げて笊で冷ます。塩水が毒を呼び出して、湯が締める。順番を逆にすると効かない。
「なんで逆だと駄目なんすか」
「知らん。向こうの炊事場で、そう習った。理屈より先に、死ななかった順番だけが残るんだ」
藤色の水を流しながら、竈端の匂いを思い出していた。
向こうの炊事場には、時々、年寄りの従軍神官が茸の検分に来た。戦場の坊主ってのは、祈りのついでに毒見の目利きまでやる。皺だらけの指で彷徨茸をつまみ上げて、老神官はよく言った。
「魔というのはな、サナダ。飢えた陣に湧くのだ。だからお前の竈は、砦の壁より固い」
迷信だと思っていた。坊主の験担ぎだと。俺の陣に夜襲が少なかったのは、ただの巡り合わせだと。
今でもそう思っている。思っているが、あの藤色だけは、こっちの流しでも向こうと同じ色をしていた。同じ茸が、同じ毒を抱えて、同じ色を吐く。なら、あの爺さんの言い分も、こっちまで付いてきてるんだろうか。
夜は、彷徨茸の炊き込み飯にした。
研いだ米に飴色茸の戻し汁を吸わせて、油揚げと彷徨茸を乗せて土鍋で炊く。蓋の隙間から湯気が立ち始めると、醤油と茸と揚げの脂の匂いが、駅前の暗がりへ流れていった。
蓋を開けた瞬間、カウンターから声が上がった。客は今夜、初めて十人を超えていた。探索者が六人。それと、背広がふたり。終電までの一杯のつもりで覗いて、匂いに捕まった口だ。片方は「駅のこっち側、三年ぶりに降りたよ」と言った。もう片方は何も言わずに、二杯食った。
それから——
「はいはい、熱いよ。零すんじゃないよ」
トメが勝手に丼を運び始めていた。止める間もない。
「婆さん、あんたは客だ」
「客だよ。手の空いてる客だ。あんたは鍋から離れるんじゃない。あたしは口と足を動かすから」
おこげの取り分で槍持ちと久保田が箸を構え合って、トメの「じゃんけんにしな」の一喝で静まった。負けた槍持ちには、トメが自分の丼からおこげをひと欠け移してやっていた。口は悪いが、手は甘い。板場と客席の仕切り方が、体に染みてる動きだった。
「兄さん、あたしにも一杯くれ」
閉店間際に湯呑み片手で現れたのは、薬局の主人だった。茶ばかり三日通って、今夜が初めての注文だった。炊き込み飯を出すと、主人はゆっくり噛んで、二度ほど首を振った。
「参ったね。うちの女房の飯より、うまいとは言えないな。言えないけど、明日も来るよ」
「そりゃどうも」
言い方ってのは、いろいろある。
暖簾をしまいかけて、気づいた。
列の一番後ろに、スーツの女が立っている。
歳は三十そこそこ。手帳を開いて、何かを書きつけている。注文はしない。目は品書きと、客の数と、水道に掛けたまな板と、俺の手元を、順番になぞっていく。
役所の目だ。それも、トメの品定めとは種類が違う。数える目だ。
ただ、靴だけが目と合っていなかった。踵の外側が擦り減った、歩く人間の靴だ。机の前に座ってるだけの役人は、ああいう減らし方をしない。
「ラスト一杯だが、食ってくか」
声をかけると、女は手帳を閉じて、まっすぐカウンターまで来た。差し出されたのは、椀じゃなく名刺だった。
「帰還者管理機構県支部、渉外課の小野寺と申します。真田幸雄さん、ですね」
夜気の中で、名刺の白だけが妙に浮いて見えた。
「明日、正式に視察に伺います」




