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第4話 捨てられていた肉


「大将、これっす」


翌日の夕方、久保田はビニール袋を二重にした塊を抱えてきた。息が上がっている。ダンジョンから詰所で精算を済ませて、その足で走ってきたらしい。

昼の営業は今日も茶が二杯だった。白線の職員がまた来て、今度は同僚を一人連れてきた。注文には至らない。それでも顔ぶれが増えるってのは、悪いことじゃない。夜の客のための仕込みをしながら、俺は届いた塊を受け取った。ずしりと重い。四キロはある。袋を開けた途端、血の匂いが立った。濃い赤の肉。角猪のモモだという。

表面は乾き始めているのに、袋の底には血が溜まっている。悪い運ばれ方をした肉の顔だ。それでも、肉質そのものは上等だった。脂が白くて、きめが詰んでいる。若い個体の、いい部位だ。


「機構の買い取りって、魔石だけなんすよ。肉は廃棄場行きで。昨日大将が食えるかって訊いたの班長に話したら、じゃあ持ってけって。処分代が浮くって喜んでました」

「討ったのはいつだ」

「え? 昼、っすけど」

「昼の何時だ」

「十二時、前くらい?」


肉の断面に指を当てて、押し返してくる力を見た。それから匂いを確かめる。

「十一時半ってところだな。討ってから吊るさずに、袋のまま台車で運んだだろう」

「な、なんで分かるんすか」

「色と匂いと、指の戻りだ。血が肉に残って回ってる。もったいないことをしたな。討って半刻のうちに逆さに吊るして血を抜けば、この倍の値がつく肉だ」


久保田が目を丸くしている間に、外の水道で処理をやり直した。

後ろ脚の腱に紐を掛けて、電源柱の金具から吊るす。太い血管の位置に浅く刃を入れる。深く入れたら台無しだ。血ってのは急かすと濁る。水は冷たいほどいいが、残暑の水道はまだぬるい。氷をひと袋、割り入れて締めた。氷代を惜しむと肉が泣く。

「向こうにも同じ猪がいた。角の巻きが三重のやつだろう」

「そ、そうっす。三重角。なんで知って——あ、そうか。大将、向こうで」

「兵の常食だ。千人がこいつで冬を越した年もある。血さえ抜けば、豚より濃くて、癖は牛より軽い。抜かなきゃ、獣くさくて食えたもんじゃない。機構が捨てるのは、たぶん誰かが一度、抜かずに食って懲りたんだな」

「大将、それ、他の肉でも分かるんすか。ダンジョンの」

「大抵はな。向こうと同じ生き物が湧くなら、下処理も同じでいい。食えるやつと、食えないやつと、手間をかけりゃ化けるやつ。三つに分けて覚えてる」

「なんすかその、攻略情報の塊みたいな頭」

水を替えながら小一時間。血の抜けた肉は色がひとつ明るくなって、匂いから尖りが消えた。ここまでやって、ようやく食い物の顔になる。


夜になって、下処理を終えた肉を薄く切り、生姜焼きにした。

切るのは繊維を断つ向きだ。角猪は繊維が太い。沿って切ると顎が疲れる肉になる。タレは醤油と味醂と、すり下ろした玉葱。玉葱の酵素が肉を柔らかくして、焦げた糖が照りになる。強火で、脂の縁が反った瞬間に返して、もう一呼吸で引き上げる。脂の爆ぜる音が駅前に響いて、湯気が街灯の明かりの中を上っていった。

飯は硬めに炊いてあった。汁を吸う丼の飯は、硬めに限る。タレごと乗せると、飯の白いところと染みたところの境目ができる。あの境目が丼の値打ちだ。


「伝票代わりだ。まず食え」

「い、いいんすか」


久保田は丼に顔を突っ込むようにして食った。後ろで喉を鳴らしているのが二人。昨日の雑炊の話を聞いて付いてきた久保田の仲間で、片方は背の高い槍持ち、片方は眼鏡の荷運び役だという。二人分の丼も出した。

最初のひと口で三人とも黙って、あとは箸の音だけになった。

槍持ちは丼を抱えたまま動かなくなり、眼鏡の方は一口ごとに眼鏡が湯気で曇って、曇るたびに拭かずに食い続けた。飯ってのは、食い方に人柄が出る。

槍持ちが空の丼を置いて、天を仰いだ。

「俺ら、毎回これ捨てて、コンビニの唐揚げ買ってたのか」

「捨ててたのは機構だけどな」

「同じことっすよ。俺らの獲物なのに」

「世の中、そんなもんだ」


食い終わってから、買い取りの話をした。

「肉は今日みたいに持ってこい。状態を見て買う。今日のは処理をやり直したから目方の半値だ。次から、討ってすぐ血を抜いてくれば満額を出す」

「満額って、いくらすか」

「そうだな。キロ……」

言いかけて、止まった。向こうじゃ銅貨で買っていた。こっちの肉の相場を、俺は知らん。

「いくらが妥当なんだ」

「大将、そこ俺に訊くんすか」

久保田が笑って、スマホで豚肉の卸値を調べ始めた。結局、豚バラの卸の七掛けから始めて、血抜きの出来で上下させることになった。俺が決めたのは品質の条件だけで、値段の枠は全部久保田が決めた。金勘定は昔から苦手だ。向こうじゃ主計の仕事だったからな。

「あと大将、これ、張り紙していいすか。『角猪買い取ります・かまど屋』って。詰所の掲示板、みんな見るんで」

「頼む」

広告ってのはそうやって打つらしい。こっちも、若いのに教わることばかりだ。

「ちなみに、機構の廃棄場って、月にどれくらい捨ててるんだ」

「え、肉すか。桜台だけで、たぶん一トンとか」

一トン。千人の部隊が二週間食える量だ。それが毎月、金を払って燃やされている。もったいない、で済む量じゃない。だが機構にしてみれば、得体の知れない肉に食用の判を押す方が高くつくんだろう。役所の筋ってのは、そういうふうに通っている。


その晩、深夜の客は五人になった。

探索者ってのは横の繋がりで生きている連中だ。うまい飯と買い取りの噂は、装備の噂より速く回る。生姜焼き丼が三つ、雑炊が二つ。雑炊の二人は今日も飲まず食わずの口で、丼を頼もうとして久保田に「大将の言うこと聞いた方がいいっす」と止められていた。常連ってのは、二日目からもう先輩の顔をする。

終電のあと、灯りのついた屋台の周りにだけ人の声があって、点滅していた街灯が、心なしか賑やかに見えた。売上を数えたら、開店から三日で初めて、仕入れが浮いた。商売としてはまだ笑えない数字だが、鍋は空になった。空の鍋ってのは、いい眺めだ。


片付けを終えた翌日の夕方だった。

仕込みの手を止めて顔を上げると、屋台の真ん前に、あの婆さんが立っていた。

薬局の軒先から見ていた婆さんだ。今日は買い物籠がない。腕を組んで、注文もせず、まな板が一番よく見える角度に、根が生えたように立っている。

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