第25話 一万二千人の朝飯
夜明け前のカウンターに、方眼紙を広げた。
書き込んでいくのは献立じゃない。鍋の数。竈の位置。リヤカーの動線。湯の量。人の配置。
一万二千人に、温かい朝飯を、二時間で配る。
口に出すと無茶だが、紙の上なら、無茶は分解できる。無茶の正体なんてのは大抵、でかいだけの算数だ。
「まず、品数を三つに絞る」
集まった面々の前で、俺は方眼紙に書いた。小野寺、トメ、久保田、武流。いつもの顔ぶれが、今朝は軍議の顔をしている。品書きは三つ。炊き立ての飯。角猪汁。漬物。
「品数が増えるほど、列は遅くなる。三品なら、椀に張る動作は二つで済む。一人四秒。四秒なら、一列で一時間九百人。列を十四本立てれば、広場だけで一時間一万は捌ける計算になる」
「配る係は、素人ですよ。四秒でいけますか」
「いける。よそう係と渡す係を分ければな。素人が遅いのは、手が遅いんじゃねえ。迷うからだ。迷わない持ち場を作りゃ、誰でも四秒で回る」
「拠点は?」
「屋台一台じゃ話にならん。商店街の空き店舗の厨房を借りる。五箇所。三年前まで飯屋だった店なら、火力と水道が生きてるはずだ」
トメが、指を折り始めた。
「いぐち、駅前食堂の跡、中華の南天、パンの木村屋の厨房、それと寿司常の仕込み場。五つだね。持ち主はみんな知った顔だ」
「借りられるか」
「頭を下げるのはあたしの仕事だよ。五十年ぶんの貸しを、まとめて取り立ててやるさ」
「米は、どうやって集めます? 一万二千人が一杯ずつで、ざっと二トンですよ」
「一合換算なら一・八トン。炊き増えを見りゃ、米は一・二トンで足りる。問題は集め方だ」
「それ、俺の出番っすね」
久保田が帳面を開いた。
「素材払いの網、使いましょう。探索者と商店街と市場、全部帳面で繋がってるんで。米屋の在庫と、農協の防災備蓄と、あとうちの常連の伝手で、三日あれば集まると思うっす」
番頭の網は、いつの間にか街の半分に掛かっていた。帳面ってのは、こうやって効いてくる。
「配送は」
小野寺の問いには、鍋を指して答えた。
「うちの鍋は冷めない。だから各戸配食ができる。寝たきりの年寄り、仮設の朝が早い連中、広場まで出て来られない奴の分は、リヤカーで届ける。届け先の名簿は」
「作ってあります。民生委員と突き合わせた、要配慮者の全戸リストです」
即答だった。この人の鞄には、大抵のものが先回りで入っている。
「広場の共食が本体だ。配って終わりじゃねえ。集まって、同じ釜の飯を、隣の奴と食う。それが効くってのは、婆さんの十三週が証明してる」
「あいよ。じゃあ広場の卓と椅子は、商店会の物置から出すよ。祭りの備品が眠ってるからね」
昼から、トメと商店街を回った。
最初の一軒、中華の南天の主人は、シャッターを半分だけ開けて渋った。
「氾濫の朝に店を開けろって? 正気かい。三年前で懲りたよ」
「開けるんじゃない。厨房を貸すんだ。火を入れるのはあたしらだよ」
トメは引かなかった。
「あんた、三年前の炊き出し、二週目から手伝ってくれたろう。あの豚汁の寸胴、まだ仕舞ってあるんじゃないのかい」
主人は長いこと黙って、それから、奥から寸胴を二つ担いできた。磨いてはいないが、錆びてもいなかった。
「口は出さないぞ。厨房と鍋だけだ」
「上等だよ」
寿司常の親父は、厨房と一緒に製氷機を差し出した。氷は米の浸水と、角猪の保冷に回る。木村屋の窯は、朝の湯を沸かす釜に化ける。厨房ってのは、飯を作る場所である前に、火と水の口だ。口が五つあれば、一万二千の腹に届く算段が立つ。
五軒目が終わる頃には、日が暮れていた。断った店は、一軒もなかった。渋った店は五軒とも渋って、五軒とも最後は鍋や卓や薪を持ち出してきた。三年前に途切れた十三週の続きを、みんな、どこかで待ってたのかもしれない。
いぐちの厨房には、トメが自分で火を入れた。三年ぶりの点火は一発で点いて、婆さんは「ほら見な、現役だ」と、誰にともなく胸を張った。箪笥の上の暖簾は、まだ仕舞われたままだった。
夜は、百人分の試験をやった。
広場に竈を二つ組んで、豚汁を大鍋で炊く。並んでもらったのは常連たちだ。計時係は小野寺、記録は眼鏡の荷運び。よそう係にはフードなしの武流が立って、椀を受け取った主婦が三秒固まった。
「え、あの、勇者様?」
「今日は配膳係です。零れます、前を見て」
勇者に汁をよそわれた列は、動揺で二割遅くなった。これも記録に載った。本番は顔で列を止めない工夫が要る。有名人ほど置き場所の難しい戦力もない。
結果は、及第点にちょっと足りなかった。列が二本交差して詰まった。椀の回収場所が遠くて、返しに行く客と並ぶ客がぶつかった。年寄りと子どもは、大人の列の速さについてこられなかった。
「動線を三箇所直す。列は交差させない。回収は列の出口に置く。年寄りと子どもの列は別に立てて、椅子までの距離を半分にする」
方眼紙の図面に、赤線が三本入った。失敗は今夜のうちに出し切るに限る。本番の朝に出る失敗は、直す時間がない。向こうの演習でも、初回で綺麗に回った配食計画なんて一度もなかった。二度目で形になって、三度目で身体に入る。本番までに、あと二回は試験をやる。
「大将、なんか、楽しそうっすね」
湯気の向こうで久保田が言った。
「そうか」
「そうっすよ。ずっと、そういう顔してます」
そうかもな、とだけ返した。千人の炊き出しを回してた頃の身体が、順番に目を覚ましていくのが、自分でも分かっていた。
片付けの頃、小野寺が方眼紙の写しを綴じながら言った。
「この計画書、市役所と消防に共有します。自主防災計画の枠に載せれば、広場の使用も道路の通行も一枚で通るので」
「頼む。紙の道は、あんたの領分だ」
「はい。それにしても、この計画書、悔しいくらい美しいです。数字が全部、根拠から生えてる」
褒め方まで数字の人だった。
◇
同じ夜、機構県支部。
市役所経由で共有された「桜台地区・自主防災計画書」の写しが、企画管理課の柴田の机に載っていた。
計画名の欄には、市の担当者の手で、仮の名前が書き込まれている。
——朝飯作戦。
柴田は書類を三度読み返し、老眼鏡を直して、ゆっくりと口の端を上げた。
「……これは、使えますねえ」




