表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
19/30

第19話 十五日後


朝、三年ぶりに防災無線が鳴った。


スピーカーの割れた声が、駅前に響く。桜台ダンジョンの活性化に関する緊急住民説明会、本日十三時、公民館。それだけ言って、無線は切れた。

仕込みの手を止めて、通りを見た。シャッターの前で、雑貨屋の親父が立ち尽くしている。パン屋の自転車が、来た道を引き返していく。電柱に貼り出されていく白い紙。

三年前と同じ音だ、とトメが言った。湯呑みを持つ手が、指の節まで白くなっていた。俺は黙って、その湯呑みに熱いのを注ぎ足した。


十三時前の公民館への道は、三年ぶりに人で埋まった。皮肉なもんで、駅前にこれだけの人間が歩いてるのを、俺は初めて見た。トメと並んで歩きながら、誰も口を利かなかった。

公民館は、立ち見が出た。

壇上に立ったのは、うちの常連の観測班だった。フードもマスクもなしの、正式の制服姿で、若いのがマイクを握っている。

「桜台ダンジョンの魔素活性値は、本日未明、警戒水準を超えました。過去の観測例に照らすと、氾濫の発生が予測されます。予測時期は、十五日後。前後二日の幅があります」

会場が、一拍遅れて揺れた。

「規模は」と誰かが叫んだ。

「三年前と同等か、それ以上です」

若いのは、逃げずに言い切った。数字を守ってきた人間の言い方だった。会場の後ろの方で、赤ん坊が泣き出した。三年前を知らない子だ。この街には、三年前を知らない子が、もうあれだけいる。

質問は続いた。避難はいつから始めるのか。避難先は三年前と同じ体育館か。小学校は休みになるのか。仮設住宅は、あそこは山に一番近いのに、どうなるのか。

壇上の市の防災担当が、決まっていることと決まっていないことを、正直に仕分けして答えていった。決まっていないことの方が多かった。

「機構の増援は」

最後に、誰かがそれを訊いた。観測班は答えられなかった。マイクを握ったまま、一度だけ、悔しそうに口を結んだ。その沈黙が、答えだった。


 ◇


同じ日の午後、機構県支部の会議室。

防衛計画会議は、最初から数字の話だった。

「本部の回答を読み上げます。『防衛戦は討伐実績に計上されないため、増援の優先度は低位。県支部の現有戦力で対応されたい』」

現有戦力、と誰かが乾いた声で繰り返した。第一討伐部隊は大遠征の失敗で再編中、稼働は半分。第二部隊は他県の応援に出ている。

「そもそも」と柴田が書類を繰った。「私は以前から、観測班の報告には注意を払うべきと申し上げていました。ええ、記録にも残っているはずです」

会議室の末席で、観測班の班長が顔を上げた。毎週、判断材料不足の付箋で突き返されてきた男の顔を、柴田は見なかった。

鏑木は、会議の間、一度も発言しなかった。

大遠征の失敗以来、査問を控えた部隊長に、防衛計画への発言権はない。議題が「第一部隊の残存戦力の配置」に及んだ時だけ、地図の一点を短く指した。ダンジョンの正面。氾濫が起きれば、最初に押される場所だった。誰も反対しなかった。反対する理由も、代わりに立つ者もいなかったからだ。

「防衛線の想定を縮小しましょう。駅前地区は三年前も持ち堪えた実績がありますし」

「持ち堪えていません」

声を上げたのは小野寺だった。

「三年前、駅前は物理的には守られました。でもあの氾濫で、商店街は三十一店舗が廃業しています。人的被害ゼロ、建物被害軽微、地域は死にかけた。それが『持ち堪えた』ですか」

「渉外課の所管は」

「守れないなら、何のための機構ですか」

言葉が、会議室の真ん中に落ちた。誰も拾わなかった。議事録係のペンだけが、少し迷ってから、動いた。


 ◇


夜の屋台は、静かだった。

説明会帰りの住民で席は埋まっているのに、声が少ない。こういう夜は、品書きを絞る。角猪汁と、握り飯。二品だけだ。選ぶ気力のない人間に、選択肢は毒だ。黙って椀を出す。

向こうでも、悪い報せの晩は同じことをした。品書きなんぞ元からない炊事場だが、そういう晩は品数を減らして、椀を出す速さだけを上げた。悪い報せと空きっ腹を、同じ腹に長居させないためだ。

温かい椀を両手で持つと、人の肩ってのは、少しだけ下がる。三年前の避難所で小野寺が数えた「苦情の消えた日」の正体は、たぶんこの肩の高さだ。

トメは今夜、帳場に座ったまま、あまり喋らなかった。

「あの時とおんなじ顔をしてるよ、みんな」

茶を注ぎながら、一度だけそう言った。

「顔ってのは覚えてるもんだね。ああいう晩の顔を、あたしは五十年ぶんの客の顔の中から、すぐに引っ張り出せちまう」

閉店間際、観測班の若いのが一人で来た。制服のまま、列の最後尾に立って、順番が来ても、しばらく注文が出てこなかった。

「すみません。俺が、あんな発表したせいで、街が」

「数字を出した奴のせいで雨が降るなら、天気予報は今頃全員縛り首だ」

椀を押し付けると、若いのは黙って受け取った。

「あんたの仕事は正しい。十五日前に分かるのと、当日に分かるのじゃ、打てる手の数が違う。……で、何か打てる手はあるのか、って顔だな。俺もだ」

「なあ、大将。俺ら、また駄目なのかな」

久保田がぽつりと言った。番頭の帳面が、今夜は開かれていない。

「三年前さ、俺、中三で。親父の店の手伝いも、なんもできなくて。今度は稼げるようになったのに、また、あれが来るんすね」

答える代わりに、椀に芋を足してやった。

励ましの言葉ってのは、俺の商売道具じゃない。俺の道具は椀だ。

久保田は芋を睨んで、それから黙って食った。食い終わる頃には、番頭の顔が半分戻っていた。飯の効き目なんて、その半分で十分だ。残りの半分は、明日の仕事が戻してくれる。

客が引けた後、火を落としながら、ずっと引っかかっていたことを口にした。

「久保田。この街、三年前から客足が絶えてるって言ったな」

「え? ……言いましたけど」

「三年間、ずっとか。一度も戻らずにか」

「戻らないっすよ。ずっと暗いまんまっす。それが、何か」

夜の駅前を見た。灯りの増えかけた通りと、その向こうの暗い山の稜線を。灯りと闇の境目が、今夜はいやに、はっきり見えた。

飢えた陣、という言葉が、頭の奥で竈の火みたいにちらついていた。

まさかな、と思う。思うのに、鍋を磨く手が、なぜか止まらなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ