第18話 素材払い、始めました
「現金お断り、とは書いてないよ」
夕方の屋台の前で、トメが手書きの札を掲げた。うちの若い常連——金欠の探索者三人組が、財布を覗き込んだまま列を離れようとした、その鼻先だった。
札には、太い筆文字でこうある。
「素材でお払い、始めました」
「え、それって」
「あんたらが担いでくる肉だの茸だの魚だので、飯代が払えるってことさ。査定は大将、レートはあたし。ほら、荷物見せな」
仕組みの発表は、今朝のことだった。
開店前の屋台に、トメは久保田と眼鏡の荷運びまで呼びつけて、帳場の紙を三枚並べた。
「昨日言った考えってのを、朝の頭で検算してきたよ。名前もつけた。素材払いだ」
「そざいばらい」
「あんたらが金の代わりに素材で飯代を払う。それだけさ。ただし条件が三つ。一つ、査定は大将の目利きに従う。文句は受け付けない。二つ、レートはあたしが毎朝貼り出す。相場は動くもんだからね。で、三つ目」
トメは久保田の帳面を、指の節で叩いた。
「取引は全部、番頭の帳面を通す。口約束は無しだ。帳面にない取引は、この店には存在しない」
「お、俺の帳面、そんな重要っすか」
「重要も何も、あんたの帳面がこの仕組みの土台だよ。金の代わりになるのは、素材じゃない。信用なんだ。信用ってのは紙に書いた分しか貯まらない」
久保田は帳面を両手で持ち直した。捧げ持つ、に近い持ち方だった。
探索者は現金の代わりに、ダンジョン産の素材で飯代を払える。素材の値付けは俺の目利き。締めてからの時間、血抜きの出来、運び方。状態で買値が上下する。つまり、雑に扱われた素材は安く、丁寧に扱われた素材は高い。
「そこが肝なんだよ」とトメは言った。
「タダ飯には人の卑屈がつく。ツケには気まずさがつく。けどね、自分の獲物で堂々と食った飯には、何にもつかない。それに、扱いで値が変わるとなりゃ、あんたらの獲物の質が上がる。質が上がりゃ大将の仕入れが良くなる。仕入れが良くなりゃ飯がうまくなる。ぐるっと回って、みんなの得だ」
帳場のレート表はトメが仕切る。俺は鍋と査定だけ。金の流れに俺を近づけない布陣まで、検算済みだった。
素材払いの記念すべき第一号は、鎧魚の中型を二匹、両手に提げてきた例の金欠三人組の一人が持っていった。
「血抜き、教わった通り、川でやってきたっす」
えらの裏を見る。身の張りを見る。いい仕事だった。二匹で、定食二食と持ち帰りの飯が一つ。
「まじすか。金、一円も出してないのに、これで食っていいんすか」
「あんたの獲物だ。堂々と食え」
帳場でトメが第一号の記帳を読み上げ、久保田が帳面に写す。鎧魚二匹、状態上、定食二食と飯一つ。声に出して読むのが、トメの流儀だった。取引は帳面と、みんなの耳の両方に残す。文句の出ない商売の作法だという。
若いのは照り焼き丼を頼んだ。鎧魚の照り焼きは、皮目を先に焼き付けて、タレは三度塗り。照りの層が飴色になったら、炊き立ての飯に汁ごと乗せる。
一口食って、若いのは箸を握ったまま天井を仰いだ。
「これ、俺が獲った魚っすよね」
「そうだ」
「俺の魚、こんなうまかったんすね」
「あんたの血抜きが良かったからだ。同じ魚でも、雑に運びゃ生臭くなる。今日の照りの半分は、あんたの仕事だ」
若いのは丼の残りを、一粒も残さず食った。食い終えて、もう一度だけ「俺の魚」と呟いた。
自分の獲物の値打ちを、初めて舌で知る。ああいう顔を見られるのは、この商売の役得だ。トメが帳場から「ほら、次が待ってるよ」と急かすまで、若いのはしばらく丼の底を眺めていた。
値付けの効き目は、その日のうちに早速出た。
角猪のモモを袋のまま引きずってきた若いのがいて、査定は目方の三割になった。血が回って、せっかくの肉が台無しだったからだ。若いのは膨れっ面で帰った。膨れっ面のまま、翌日、今度は教科書どおりに血抜きして吊るして運んできた。査定は満額。丼を二杯食って、帰り際に小さく「悔しかったんで、覚えました」と言った。
「ね。取り立てるより、こっちの方が早いだろ」
トメが帳場でレート表を書き換えながら笑った。罰で人は変わらない。値段でなら、案外あっさり変わる。
仕組みってのは、回り出すと勝手に育つ。
翌日には、八百屋の生き残りが屑野菜を抱えてきた。「うちも素材払いでいいかね。金はないが、大根の葉なら山ほどある」。大根の葉は雑炊の彩りと漬物になる。物々交換の枠がひとつ増えた。
その翌日には、駅の反対側のパン屋が売れ残りを持ち込んで、賄いのパン粥と引き換えていった。パン粥は仮設住宅の歯の悪い婆さん連中に評判がよくて、これも回り出した。
帳場のトメは、レート表を睨みながら機嫌がいい。
「見てごらんよ、兄さん。三年ぶりだよ、この通りで銭以外のもんが回るのは」
夜の駅前に、ぽつり、ぽつりと灯りが増えていた。雑貨屋のシャッターが半分開いて、夜店の支度が始まっている。うちの列を目当てに、隣で焼き菓子を売る算段らしい。挨拶に来た親父は「三年ぶりに店の鍵を回したら、錆で固くてね」と笑っていた。
白線の市職員も、夕方に嬉しそうな顔で寄っていった。
「屋台区画、二件目の申請が入りました。たこ焼きだそうです。様式、今度は埃かぶってませんでしたよ」
結構なことだ。列ってのは、長いほど街の腹が温まる。競合が増えるんじゃないのかと久保田は心配したが、飯屋は一軒じゃ点で、三軒あって初めて通りになる。人は点には来ないが、通りには来るもんだ。向こうの城下の市場通りも、始まりは屋台三軒だったと、市場の婆さんたちが自慢していた。
閉店後、鍋を洗っていた手が、ふと止まった。
地面の底から、微かな音がした。
遠雷に似て、遠雷より低い。足の裏に、かすかに残る震え。
犬が二、三軒先で一斉に吠えて、すぐ止んだ。洗いかけの鍋の水面に、細かい輪が三つ立って、消えた。目で見える地鳴りは、向こうでも良い報せだったためしがない。
「……地鳴り、かい」
トメが帳場から顔を上げた。三年前を知っている顔だった。
「山の方だね」
「ああ」
駅前の灯りは、今夜も少しずつ増えている。飯が回って、銭以外のものが回って、街の腹は確かに温まり始めている。
なのに、地面の下だけが、まだ冷たい気がした。




