第15話 夜鳴きそばと忍びの客
大遠征の出発から二日目の夜、閉店間際の列の最後尾に、妙な三人組が立った。
作業服の上に私物のパーカーを羽織って、フードを被ったのが一人、マスクが一人、伊達眼鏡が一人。変装のつもりらしいが、作業服の胸の刺繍がまる見えだった。帰還者管理機構・県支部。
おまけに三人とも、列の並び方が几帳面に等間隔だった。役所の人間の癖ってのは、フードくらいじゃ隠れない。
「あの人ら、絶対機構っすよね」
久保田が俺に耳打ちし、聞こえていた三人の背筋が同時に固まった。
「あー、その、ここ、誰でも食えるんですよね」
フードの男が、列の前の久保田にこそこそ訊いている。久保田が振り向いて、俺を見た。俺は鍋から顔も上げずに答えた。
「うちは並んだ順だ。所属は関係ねえ」
三人の肩が、目に見えて下がった。安堵が、あんなにはっきり肩に出るもんだとは知らなかった。よほど気詰まりな職場なんだろう。
注文は三人とも「あったかいやつ」だった。夜も冷える。今夜から品書きに足した一品を出すことにした。
夜鳴きそばだ。
鶏と鰹の出汁に、飴色茸の戻し汁で底を張る。醤油だれ、細麺、刻み葱に、角猪の脂の焼き飛ばしをひとつまみ。
麺は一玉ずつ、笊で数えて十五泳がせて上げる。夜のそばは昼より五秒早い。疲れた客は啜る力も落ちてるから、麺は柔い方に半歩寄せる。湯切りは三振り。振りすぎた麺は汁と喧嘩する。
丼に張った汁へ麺を沈めて、葱と脂を浮かべると、湯気が街灯に向かって真っ直ぐ立った。屋台の中華そばなんてのは、具より湯気が主役だ。
三人は割り箸を割って、最初の一啜りで同時に黙った。
「……機構の食堂より、うまい」
マスクの男がぽつりと言い、伊達眼鏡が「比べるな。悲しくなる」と返し、フードの男は黙って汁を飲んでいた。よく見ると、目が少し赤かった。
「あんたら、うちに来て大丈夫なのか。うちは一応、あんたらの職場に睨まれてる店だぞ」
「だから変装してるんです」
「その変装で隠れてるつもりなら、観測機器の精度が心配になるな」
三人が顔を見合わせた。フードの男が、諦めてフードを下ろした。
「観測班です。よく分かりましたね」
「胸に書いてある」
三杯目あたりから、愚痴が始まった。
「討伐部隊は装備が全部新品ですよ。うちの観測機器、三年前の型のまま。校正用の部品、申請して八ヶ月来ないんですよ」
「整備班なんか人が半分になったからな。全部、討伐実績優先。数字になる部署が正義なんだ」
「僕ら、桜台の数字をずっと上げてるんですけどね」
フードの男——観測班の若いのが、丼の底を見ながら言った。
「活性値、上がり続けてるんです。三年前の氾濫の前と、波形が似てきてる。報告は毎週上げてます。毎週、『判断材料不足』で戻ってくる。じゃあ材料が揃うのっていつですかって話で。揃った時ってのは、たぶん、湧いた時なんですよ」
「湧いた時、か」
「あ、いや、脅かすつもりじゃ。まだ水準は下です、全然。ただ、その」
若いのは言葉を探して、結局そばの残りを啜った。腹の底に何か抱えてる人間の食い方だった。俺は黙って、葱を少し足してやった。
「あんたらの数字は、無駄にならんよ」
「え?」
「毎日つけてる記録ってのは、そういうもんだ。読まれる日が来るまで、黙って積んでおくしかない。うちの衛生記録と同じだな」
若いのは少し笑って、「毎日つけてる同士ですね」と言った。役所の中にも、列に並ぶ側の人間はいる。
そこへ、あの大男が来た。
フードを被った、麦粥の大男だ。今夜は列がないから、そのままカウンターに直行しようとして、観測班の三人と真正面から鉢合わせた。
双方、固まった。
「え、あの、でかい。え?」
観測班の若いのが見上げる。大男は目深のフードのまま、じりじりと横に一歩ずれた。
その背中に、自転車のブレーキ音が刺さった。
「真田さん、今日の提供数を——あら」
小野寺だった。台帳の受け取りに来た小野寺と、逃げかけた大男が、今度は肩でぶつかった。
「失礼しました。あの、大変失礼ですが、どこかでお会いして」
「ないです。初めてです。あったかいの、大盛りで。あと機構には内緒ね」
「機構? 私、機構ですが」
「じゃあ内緒で」
「内緒とは」
小野寺の目が条文を読む目になっていく。大男のフードの奥から、絞り出すような声がした。
「そば、大盛りで。お願いします、大将」
「あいよ。詮索は無しだ、うちの流儀でね」
トメが小野寺の袖を引いて席に座らせ、観測班は気配を消してそばを啜り、大男は湯気の陰に隠れるように丼を抱えた。
「詮索しないのが、この店の流儀なんだよ」
トメが小野寺の丼に葱を足しながら言い聞かせ、小野寺は「流儀と規約は別物です」とぶつぶつ言いながら、それでも麺が伸びる前には黙って食い始めた。この人の負け方は、いつも食い物からだ。
大男は大盛りを三杯平らげて、機構の四人より先に、素早く勘定を済ませた。去り際、観測班の若いのをちらりと見て、何か言いかけて、やめたように見えた。
狭いカウンターに、機構が四人と、機構に内緒の何かが一人。うちの屋台も、ずいぶん賑やかになったもんだ。
閉店後、観測班の三人が置いていった百円玉の山を数えていると、久保田が言った。
帰りしな、観測班の三人には夜勤用のむすびを持たせた。今夜は交代で機器に張り付くと言っていたからだ。金は取らなかった。数字を守ってる人間の夜食代くらい、湯気の側が持っていい。
「明後日も、来ていいですか」
「並べば、誰でも客だ」
三人は等間隔で頭を下げて、等間隔のまま帰っていった。
「大将、遠征の話、聞きました? 補給地点に物資が届いてないって、無線で騒いでたって」
手が、止まった。
「誰から聞いた」
「詰所っす。夕方から、機構の無線がずっとバタバタしてるって」
頭の中で、勝手に算盤が動いた。二百十人、十四日。届くはずの物資が二日目に届かないってことは、初日の積み残しだ。初日に積めなかった荷は、山の中じゃ二度と追いつかない。運ぶ道が細くなる一方だからだ。
山の上の連中は、出発から二日。腹の中の携行食が切れ始める頃だ。
「大将、顔、怖いっすよ」
「そうか」
鍋を磨く手に、力が入っていたらしい。磨かれた鍋の底に、点滅する街灯が映っていた。




